仕事は夜型
館の赤い煉瓦造りの外壁は、苔むしており蔦が一面に繁っている。
それは大正時代に建てられ、幾多の星霜を経た証と言っていい。
分厚い真鍮の扉に至るまでの前庭は半円形で椰子や観葉植物が植生を広げており、おびただしい花弁が芳しい香りを放つ。
黒はその前庭をつっきり闊歩しつつ、前庭に充満する香りの濃密さにむせる。
ー昼間に来たら、綺麗なんだろうなー
屋敷に灯りはなく、濃く暗い緑の闇に沈む庭園を雲間から時折のぞく月が照らしていた。その光は彼の周囲に銀色の輝きと、輪郭、そして妖しく淡い色彩を与えている。
大理石の石畳もぼうっと発光する。
その上を踏み歩きつつ、今晩の面談について思いを馳せる。
真鍮の扉に至り、扉に備え付けの丸く重い呼び輪を掴んで、扉に打ち付けると門が開き、皺の深い執事が彼を出迎えた。
「黒様。お待ちしておりました」
「暗いっすね。電気つけないんすか?」
「ご主人様の意向です」
「はあ」
執事に案内されて、絨毯の柔らかな広間を突っ切り、螺旋の階段を上り、灯りのない通路を進む。
ー……俺は仕事柄慣れてるけど、このおっさん暗いのにすいすい歩くなあー
と感心しているうちに、書斎に通される。
例によって室内は漆黒の闇に満たされており、高い天窓から時折さす月光に書棚の輪郭が浮き上がる程度だ。
書棚はとても大きく、びっしりと詰められた書も総じて分厚く
亡者の声なき呻きのような暗澹たる威容をもって、黒に迫る。
ーカビくせえー
鼻をつまみつつ、彼は引き下がる執事に
「あんがと」
と言ってから、奥に進む。
最奥の壁際に、北欧製だろうか? 重厚な執務机が鎮座し、その奥の革張りの重役椅子に、男が背をもたれている。
闇の中で微かに震えるそのシルエットは細く、枯れ木のような印象。
ーあんま、長いタイプじゃねえなー
黒はとりあえず、机の前でニっと笑って
「こんばんは。柳川さん」
と言うが、返事はないので、構わず続ける。
「振り込み確認しました。手付けで一億とか無理言ってすいませんねえ」
返事はないのでさらに続ける。
「まあこちらとしても、無害で無名な一般人とかじゃなく、有名人の柴崎さんを、扱うわけですから。やっぱりそれなりのお値段になっちゃうわけっすよ」
やはり返事はない。黒はため息をつく。
「しっかしこの部屋暗いっすね。電気つけないん……」
「灯りなど要らん」
黒は、おやっと眉を薄く上げた。
ーそこは反応するんだねー
「さいですか」
「そうだ。お前のために点ける灯りなどない」
「はあ。まあこちらも分はわきまえてますんで。で、わざわざ呼び出してくれて何のご用で?経過報告聴きたいっすか?」
「念を押すためだ。柴崎の指に傷はつけるな」
「あ、はい。もちろんご要望は徹底しますよ。傷つけちゃったら代金はそっくりお返ししますし。あれですよね。ご自分で砕いて刻みたいんですよね。ミリ単位で」
「そうだ。目の前で。しっかりと。余すところなく。柴崎の苦痛を、この目に焼き付けてくれる。真凛の代わりに、な。……ああ、真凛……」
そう言って柳川は呻くように前のめりになり、細く枯れた両手のひらでその皺に満ちた顔を覆う。
ー真凛まりんって、このじいさんも大概だなあー
黒はすくめたい肩をこらえた。
不意に天窓から斜めにはっきりと月光がさし、銀色の輝きとなって黒の雇い主を照らす。
老人は、その顔面を覆う手指を扇のように開き、枯れ枝の作るような隙間から覗く眼を裂けるほど開いて、気を吐く。
「柴、さき…っ」
その声色は、魔に魅入られた獣の唸り声に近く、瞳は爛々と輝いている。