雪とヤシの実と岬
翌朝、岬は日もまだ暗いうちに起床した。
部屋の明かりもつけずに洗面台に立ち、顔を洗う。
石鹸の泡で覆う顎の上部、分厚い耳の奥の鼓膜に、都市部特有の地鳴りのような音が響いて来る。
部屋に備え付けの申し訳程度の小さな窓から、音と共に、ごく微かな風がねっとりと吹き込む。
泡をあらかた洗い落とし、続けて顎に薄く伸びた髭をそりながら、ふと、未だに夢心地というより、現実感を感じないことに気が付く。むしろ微かな浮遊感すら感じる。
―つまりは、昨日が強烈すぎたということだ―
備え付けのタオルで顔を拭き、客室の明かりをつけ、室内の大部分を占める小さな寝台に太い腰をおろすと、重力に歪むように大きくへこんだ。
鞄に手を伸ばし、穢胡麻に昨夜まかれた布を取り出し、両手で広げて天井の白熱灯にかざし、端から端まで、丹念に目を凝らして確認する。
その白色を基調とした布には精緻な刺繍が施されている。
―彼女は願をかけた、と言っていた。この刺繍が、「願」なのか?―
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+ + .+++ .++ +.+++ .++ .+ .+ + .+ + . .++ .+ .+ ++ .+++ . .++ +. .+ +++. .++ .
++ .+++ .++ +.++.+ .+ .+ +.+ + .+ ++.+ .+ + .+ + .+ ++.+++ .+++. .
……といった感じで。
布全体に青の点と十がちりばめられている。
星や雪にも見える。
それらの上に雪だるまが、下にヤシの樹が簡素なアップリケの体裁で縫い付けられている。
岬はしばし思考し、それから勢いよく立ち上がり、すぐさまホテルを引き払い速足で岐阜駅まで歩く。
―布の刺繍は、つまり暗号だ―




