少女なりの奮闘
「やっぱりあいつの近くが面白いかな」
未だ私は自分の恋心を自覚せずにいた。
「でもやっぱり、こんなこと、してはいけないのかな」
私は誰に言うでもなく独り言ちた。
私がこの学校に入学したのは3年前、今ではだいぶ学生生活にも慣れて、のびのびと過ごしている。
学校なんてところに行かせてもらえるのは貴族の家庭だけなので、私は自分に境遇にかなり感謝している。
しかし、境遇に関して親に感謝することと親の言いなりになることは別物だ。やっぱり自分がやりたくないものはやりたくないのだ。
いくら頑張ろうと思っても、婚約者を見つけるなんていうことは出来そうもない。
本来、学校というところは物を学ぶために通うところだろう。しかし、私にとってそれは違う。
自分で言うのも何だが、私は天才だと思う。一度聞いたことは忘れることはないし、洞察力もかなりの物だと思う。学校でわざわざ習わなくても、親に少し教えてもらうだけで十分。専門的な分野の話は、学校に行くよりも専門家のところへ出向いて話を聞かせてもらう方がよほど効率が良い。
では、そんな私がなぜ学校なんていうところに通っているのかというと、先にあげた通り、婚約者を見つけるためだ。
うちの両親は研究家だ。
父親が商売学、母親が魔法学を研究している。
まだ30代前半という若さにもかかわらず、二人とも優秀で、すでに国王から褒賞をもらって、祖父から引き継いだ子爵という爵位をひとつあげ、伯爵位となっている。
私は彼らの娘であるから伯爵家令嬢となるわけだが、いかんせん私は自分で公言できるほどの天才である上に、両親はそんな職業の人たちだ。普通に育つはずもなく、8歳であるにもかかわらず、ひねくれた性格とかわいげのない言動をする子に育ってしまった。
両親もこんな私を見かねて、あんたのことを拾ってくれる子供でも探しなさい、と学校に入学させてくれたわけだが、すでにこんな思考回路ができあがってしまった私は、学校でも酷く浮いた存在だった。
学校にいる貴族階級の子供たちは、普段から優雅な生活に慣れ親しんでいる事もあって、精神年齢が異様に高い。8歳とはいえ、話し方も上品で、立ち振る舞いも華麗。たまに行く下町の市場にいる子供たちとは比較にならないのは明らかだ。
だが、その中でさえ、私の立ち振る舞いや考えは浮いていた。
無論、婚約者を探すことは私にとっては学校に行く理由であって、感謝している両親からの頼み事でもある以上、そう簡単に手放せる物でもなかったので、はじめは周囲の子を真似て優雅な令嬢を演じていた。
だが、その状態でいざ、男子と仲良くなろう、と思っても、周囲にいるのは自分と同じ8歳の子供だ。私が彼らと仲良くしよう物なら、たとえ大人に囲まれた貴族の子とはいえ、同年代の少女の影響を受けてその純粋な心を歪ませてしまうのは確実だった。
当時からそんなことを考えていたのだから自分の事ながら本当におかしいと思う。
両親にこの懸念を相談したところ、考えすぎだ、と言われたが、それでも私は自分の意思を曲げることが出来なかった。
そう思った次の日からは令嬢を演じるのをやめて、なるべく心を開かないように、他人に悪影響を及ぼさないように、過ごしていた。
まるで無理をしていたかのように語ったが、実のところ、私自身としても別に子供たちと仲良くしたいと思う感情があるわけではないので、別段どうでも良いことだった。むしろ演じる必要がなくなって清々していた。
しかし、そんな態度でいて、周囲が納得することはなかった。
まだ子供である彼らは、まず、私を心配して取り込もうとした。しかし、私を取り込んだら最後、彼らの心が歪むと分かっていた私は無関心を貫いた。
結果、彼らは私を心配することはなくなったが、その反動で、私を排斥するようになった。
そんなこと分かりきっていた私は、当然のようにそれをあしらった。
嫌がらせ程度なら無関心を貫き、実害が及ぶ場合にはそれなりに報復する。
そんなことを繰り返すうちに、私は良い意味で相手にされなくなった。
どんな関わり方をしようとも反応がない少女などわざわざ相手取る意味がないのだから当然だ。というより、そうなるように仕向けていた。
そんな様子を3年間も続けていれば、それが日常として定着する。
現在の私は必要なこと以外他人と関わることのない、行き過ぎた無口キャラとなっていた。
そして、3度目のクラス替えが終わり、4年目が始まる頃、私はあいつに出会うのだった。
あいつは私と同じように、他を無視する人だ。
しかし私と違うのは、その理由が他を拒絶するためではないということだ。
あいつの様子から察するに、あいつは他人と接している時間的余裕がない様に見えた。
常に何かの書物を読んでいるか、考え事をしているかのどちらかである。
知識の吸収と解釈にいそしんでいる。
私はそのまっすぐな姿勢を見て、彼ならば私と接したとしても歪まないだろうと感じている。
ただし、それは事実に基づく推論で得た予想ではなく、直感による判断であると私の脳は告げている。ただの思い違いであることは否定できない。
だがしかし、私はこの思いを捨てることが出来なかった。
「何を考えている」
抑えきれない思いは、行動へと変貌を遂げる。今まで、必要なこと以外は全く話さなかった私があろう事か人に話しかけてしまった。
「別になんでもいいだろう」
あいつからの答えが返ってきた。
心を閉ざして以来一度もしなかった、人に話しかけるという行為をしてしまった自分に動揺しつつも、なかなかどうして、不愉快な気分にはならなかった。
3年前はあんなに嫌だったというのに。
「そんなこと言わずに教えて」
「ああ、そんなに聞きたいなら話してもいいが、分からないと思うぞ」
「それはない」
「ん?まあいいや。いまはちょうど昨日読んだ本の内容を反芻していたところだ。店の経営についての話だな、お金がどんな風に流れていくかを考えていた」
「・・・」
「意味分からないだろ?こんなこと言われても」
「確かに。それだけでは分からない」
「だろ?なら、俺に話しかけるのはやめ・・・」
「続き」
「は?」
「続きを話してくれないと、どんなことを考えていたのか分からない」
「何を言ってんだお前」
「あなたが商売学関連のことを考えているのは分かった。でも、それの何に引っかかって何を考察していたのかは判断できない、と言っている」
「なにを・・・」
今まであいつは私を他の学生たちと同じように見ていたのだろう。
自分の話を理解できずに拒絶する人だ、と。
実際、見た目はそんなに他の人と変わるわけではないのだから、私と関わる人がいない以上、こんなひねくれた事が露見するはずもない。
が、父親の専攻である商売学は私の得意分野である。
むしろ昔から手を出していた私の方が理解レベルは高いはず。
「続きを」
「えっと、たしか、保持している財産を商売によって増やそうとするには、それを使わなければならない、とかそんな話だったはず。・・・いま考えてるところなんだから、語れないに決まってるじゃねーか」
「なるほど、財産を増やすのに使って減らさなければいけないということが逆説的で捉えづらかったという事だね」
「ああ。そうだよ」
「その文が示唆しているのは、財産を増やす方法は、入ってくるお金を増やすだけではない、ということだ。出て行くお金を減らすことでも相対的な売り上げは増える。そして、それをなすためには、今持っているお金を一時的に使って何らかの行いをしなければならない。その文には一時的な支出であるという記述が抜けているから理解に苦しむ」
「・・・なるほど」
どうやらなにかつかめたようだ。
役に立てたようなら何より、と思ったところで私が失念していた事実に気がつく。
彼は本当に大丈夫だろうか、私との邂逅によって心が壊れる事はないのだろうか。
直感によって導かれた判断は、根拠として不十分だ。
もし、彼が拒絶するならば、速やかに撤退しよう。そう決意した。
「なるほど。理解できた。・・・が、お前どういうことだ。なぜお前が、学校では習わない、予習の域すら超えた内容を知っているんだ。お前なんか・・・」
これは撤退だ。
「ごめんなさい」
私は一言そう告げると、彼の元から離れていった。
それからしばらくは、わたしはあいつを視界に入れることすら避けた。
なぜか、視界に入れると、あの勘違いが鎌首をもたげてしまうのだ。
彼は私の心に触れても壊れない。
そんなはずはないだろう。あのときのあいつの態度がそれを雄弁に物語っている。
知識を見せてしまった私に発した言葉。語ってしまった私に向けた視線。
どう考えても私を拒んでいるのは明らかだった。
というのに、
あいつは、たまに話しかけてくるのだ。
おい、などと雑に呼び止められては、ここをどう解釈するのか教えろとかこれについてどう思うかとか尋ねてくる。
あの日から1週間弱、割と耐えた気がするがもう限界だ。
昨日なんて部屋で一人、柄にもなく独り言までつぶやいてしまった。
これ以上無視できない。
「なあ、この本に書かれている“貴族は権威をかざすのではなく権威をかざせるようにしなければならない”ってどういう意味なんだ?」
「・・・」
「なあ、分かるんだろ。教えてくれよ。なんでそんなに無視するんだよ」
「・・・なぜわざわざ私に関わるの」
「は?」
「私が歪んでいるのはこの間分かったはず。なぜ私に関わろうとするのか」
「何を言ってるんだ、お前」
「私に関わると心が歪む。やめた方がいい」
そこまで言ったところで彼は机をバンと殴り、怒りをあらわにした。
「お前、本気で言ってるのか?俺がそんなに弱い奴に見えたか。俺は他人の言動で心を歪ませるほど弱くねぇって自覚してる。そうじゃねぇんなら今までの俺の人生はなんだったんだっつー事になる。客観的に見てあほな理想を掲げて生きてきてんだよ。たった11年だけどな」
驚いた。私が私を普通ではないと自覚しているように、彼も彼を普通ではないと自覚していたという。
あのとき、はじめあいつは私を他と変わりない生徒だと認識していたと、私は分かったじゃないか。なのに私はそれを逆に適用することは出来なかったらしい。明らかに他と違う言動を取っていたあいつを見て、他の生徒とは違うということを表面上では理解していると思ったはずなのに、私の心の奥底では理解できていなかったらしい。
私が反省していると、彼の怒りはある程度落ち着いたようで、さっきよりずいぶん柔らかい口調に戻った。
「俺は俺でいる。他人に流されるなんてことはしない。もしお前の考えに影響されるような心なら、俺はいらない。だから」
私は、さっきの怒った彼よりむしろ、今の彼に引き込まれている。
「だから、俺と友達になってくれないか。お前なら俺の理想を分かってくれると思うんだ」
彼も、理由は違えど、私と同じだった。
仲間がいない、孤独な学校生活。それを体験した同志。
もう私の心から、彼を拒む感情は跡形もなく消え去ってしまった。
私は、返事を声に出すことさえ出来ないほどの緊張に耐えながらも、それを隠しつつ、彼の言葉にそっとうなずいた。
それからというもの、あいつは割と積極的に話しかけてくることが増えた。
しかし、無駄話というものは一切ない。ただ、理解できないことを私に聞いてくるだけだ。
私は万能ではないので何でも答えられるわけではない。今まで触れたことがない知識は持ち合わせていない。そんなときはあいつの話を聞いて、それを適切であろう解釈にして返すようになった。推論は得意分野だ。
この関係が成り立つのは、つまり、あいつも私も普通ではないということだ。他から見たらどうしようもなく部分的な関わりしかないように見えて、私たちとしては、他の物に変えがたいほど深い絆を感じていた。
彼と親しくして分かったことだが、彼は、時間を無駄にしない。
無駄な物は無駄と切り捨てて、必要な物だけを残した上で、それを自らの糧とするまで最短距離で進んでいくのだ。
平民から貴族になりたい、という理想も、なんとなく理解できる気がする。
理想だけは酷く非現実的なくせに、そこに至るために出来ることを非常に現実的に考察し、それを実行に移している。
正直、精神的な強さは異常だ。私ですら比較にならない。おそらく賢者とか仙人の域に達しているように感じる。
私はその強さに心惹かれた。おそらくこれが、恋愛感情という物なのだろう。
少なくとも私にとって。
そんな日常も過ぎてしまえばあっという間で、私たちは13歳、卒業する年齢になってしまった。
私からあいつに告白などということはしなかった。告白して恋人になったところで今と何か変わることもないだろう。今はそんな肩書きなど無くていい。
それに、近い未来、彼は事を成す。そのときに、きっと私に声をかけてくれるだろう、と確信している。社会的な関係は、事を成した後から築いても遅くはない。
私はあいつとの日々を繰り返して、そこから得た事実から推論して、こう予言する。
彼は奇跡を起こす。奇跡を、自らの意思による努力によって必然へと変えて、引き起こす。
つまり彼は、奇跡を必然に変える存在だ。そんな存在、奇跡を超える奇跡だろう。
私からの、彼という強い人間に対する最大限の尊敬と、あいつという共に学んだ仲間に対する恋心を込めて、この称号を与えよう。
『奇跡の体現者』