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おふはれ

作者: 三十日優駿

思い起こし短編その1

未推敲

 選択とは常に人生で不可避なもので、また、残酷なものだ。何よりあの子を失ったあの日からわかっていた筈だった。

雑居ビルの屋上、男はベンチに座っていた。

治安の悪いこの地区では、ベンチさえも汚れ、埃とも糞尿ともいえぬいやな匂いが薄く立ち込めている。


 タバコに火をつけるが、虚無感は拭えない。

人生における選択、それは重要度の大小なんてものは関係なくて――、というのも大なり小なり、順不同なわけで、小さな選択もいつかは大きな選択を迫られることになるんだ。


「まあ俺はその大きいほうで間違っちまったんだろうなあ」


 タバコを手に持つ手にさえ力が入らない。

日も落ちてきた。夜勤との交代がそろそろという頃だが、まあ手続きも簡単なものだし、家にはどうせ誰もいない。いなくなった。

この俺に似た、情けない雑居ビルに居座っていよう。

風向きがタバコから顔のほうに急に変わり、咳き込む。「タバコやめなよ」、なんて、一時は本当に鬱陶しくもなった声が脳から耳に抜ける。

またそれ言う、なんて返す。子供できるまでは、やめる気ないよ、なんてのも言ったっけかな。そしたらあいつは恥ずかしげも無く「貴方とずっといたいんだもん」なんて返してた。


「ゴホッ……はぁ」


 煙がビル風に巻かれ、抜けていく。刑事なんてのは、なんてアホらしい仕事なんだろうな、なんて思ってたんだ。最初は。

親父は仕事仕事、事件事件で俺や、お袋のことより、顔も知らない犯人のほうがよっぽど大事なようで、家族で過ごす休日に憧れた日すらあったんだ。

だけど、お袋がある日耐えかねたのか、親父を殴ったんだ。真犯人と、私たちとどっちがーなんてありきたりなこと言いながらね。

俺は昔からなんでもつまらん、と面白いの間で見るのが得意だったんで、親父のデスクの横に、漢字も読めないのに居座ってたから分かったんだけど、親父は犯人を優先すると思ってた。

ざっとしか覚えてないけど、そのときの事件は新聞の一面を飾ってて、しかもいつにもまして親父の捜査は順調に見えたんだ。

 

 意味分からないよな。考えても見れば。

だって家族にもっと裕福な暮らしさせてやりたくて、仕事がんばってんのに、どっちが大事なんていわれんだよ? 親父からすれば、両方家族に内包してるよ。どっち、とかないよ。

もちろんそんなこと、立場を知らないお袋と当時の俺は分からないんだけどね。


酷いことしたなと思うけど、親父はそこで選択を誤らなかった。俺らを取ったんだ。

当然地方の交番勤めになっちゃって、欲しい物は買えなくなった。でも残業は基本的に無いし、事件がどうとかで振り回されることも無い。

そこからはもう円満も円満。今でも仲良く暮らしてる。


でも確かに感じたのは、親父のやるせなさだった。

俺が高校に入ったあたりで、あの時親父が諦めた犯人の時効が成立しちまった。

また名を変え、手段を変え犯行に及んでる。そう思うと、あの時刑事を辞めたのを少しだけ後悔するよ、なんて、漢字の分かるようになった俺に漏らしていた。


 可哀相なくらい誠実だったんだよ。親父は。

家族と、凶悪犯の逮捕、どっちかにしろ、なんてことを強いるのが許せなかった。それは誰を、って訳じゃなくてこの国の犯罪者の実態だとか、刑事の激務、少なさだとか、そういう漠然としたもの。

ただ一つ、ハッキリとしていたのは、俺が刑事になれば、それもとびきり有能なのになれば、親父みたいな奴は減るんだろうってこと。

幸い、刑事は中の上くらいの能力があればなれたから、あとは職人上等、実績だけで駆け上がった。何個か難しい案件の解決もして、結構いいとこまで行ったんだ。


同棲してたあいつとも良い暮らしてたと思う。今では、自信ないけど。


親父の選択の苦しさを身近で体験してたから、事前に話しておいたんだ。そしたら「誠実な貴方が好き」なんてまた、くさいことを恥ずかしげも無く言われた。

そこからはもう実力も実績もうなぎのぼり。人生の最高潮だった。

今だから言えるけど、完全に天狗だった。仕事仲間にも、友達にも、あいつにも、能力がある俺を見ろ状態。恥ずかしいけど。


 ただそこまでくるとドブみたいな、醜悪な部分も視界に入るようになるんだよ。

分厚い封筒の行き来だとか、いきなり違う事件に管轄されたりね。


まあ本当に臭いのがきたのはつい三日前。俺が半年追っていた、武器商人を諦めろとのことだった。

そいつはマークされそうになると、稼いだ分を警察に渡して国から国へ行く姑息な奴なんだが、とうとううちに来たということで、空港でひっとらえるつもりだった。

この国の警察は決して腐りきっちゃいない。少なくとも俺の周りはな。賄賂なんか渡して見過ごさねぇから。


今から二十……三時間前、か。そんなことはなかった、って思い知らされるんだよ。

空港で奴を見つけて銃を向けて言ったんだ。止まれ、ってな。

止まれ、って言うときにいつも見える、相棒の銃が横には見えなかった。むしろそのクソッタレの方から俺に向けてたんだよ。


「こいつを見逃せば300は入るんだ、見逃そう」


その300より価値のある人命が、こいつのばら撒く武器で失われるんだぞ!?

だけどもう、あの封筒が大好きな役所の奴らと同じ眼をしていたから、俺の声にまともな返事が返ってくることは無かった。

こいつだけは、と信じてた奴が、こいつだけはどれほど賄賂があっても許さない、という奴の盾になって、銃を向けてくる。


 小さな選択だ。その時は。迷いこそしたけど、最後に転んでたのは相棒と犯人の二つの死体だった。

至極簡単なことで、震えこそしたけど、狙いは正確だった。天秤に、親父とあいつの好きな公正と、相棒と賄賂、掲げた方を切り捨てただけだ。


狼藉を働かれ、怒声を浴びせられた。そりゃそうだ、仲間と賄賂と、犯人まで殺したんだから、良い思いする奴なんて一人もいない。

栄光も実績もチャラ。でもあのまま賄賂を受け取るよりかは、はるかに良かった。


 帰宅して、誇らしげにあいつに語ろうか、なんて思ってたんだけど、開口一番、「なんで殺したの?」と吐かれた。

訳が分からなかったから、は?って返した。俺は正しいことをしただろ?とも


今でこそ言えるけど、なんで怒られてるのか、が質問されているのか、皆目分からなかった。

薄暗いリビングには荷物があって、俺の質問にも答えず、黙々とその荷物を肩に掛けた。当の俺は放心して、唖然とその様子を馬鹿みたいに見てた。

「行くね」といわれて、ことの現実味が増して、全身の血が凝固した感覚を覚えた。なんで? そう聞くとあいつはすれ違い様に、「300もあれば、ずっと貴方と一緒にいられた」とだけ、恥ずかしげも無く言った。


 そこからはもう、なんもなし。真っ白。交番勤め一日目って感じ。

結局同じことだった。親父は正しい方選んだのに、俺は間違えちまった。


それだけ。

公正を選んだのに、公正は何も俺に何もくれやしなかった。



 男はおもむろに最後のタバコの火を消し、ベンチから立ち上がった。ビル風はその男の新たな選択を祝福するようにベンチから柵の方へ吹き抜ける。

ホルスターから引き抜いた拳銃の銃口から死の空気が喉への流れ込んできた。



俺には何も残っちゃいない。唯一つ守りたかったものも失った。

それは選択を間違えたからだ。親父のように正しい選択を選べたら次こそは、まぁ。


「おふはれ」




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