第98話:「英雄的な魔法奴隷の存在を」と副団長は言った。
――――ぐるん、と世界が反転した。
僕の表が裏になって、外が中になる。
もう一度、反転した。
辺りを満たす空気は、うだるような熱気だった。
一瞬前までの、王都シルフェンレートとは明らかに違う空気だ。
第9月の別名は『太陽の月』。天頂に上った太陽が、稼ぎどきだと言わんばかりに輝いている。……残念ながら、稼いでるのは僕たちの憎しみの感情だけだった。
目を開けた僕の足元で、大きな青いミステリーサークルがゆっくりと輝きを失っていく。
転移座。
王都と、サンベアー領の西端にある『南西砦』を直接結んだ転移魔法によって、僕は、僕たちは、途方もない距離を超えてきた。
赤色騎士団の騎士たちの他に、騎士エリデ、僕、プロパ、ラフィア、多数の魔法奴隷たち。せっかく転移座を使うのだからと、魔法陣のスペースいっぱいに各種の物資も置かれている。
――――『鉄器の国』と『火炎の国』が同時に侵攻してきた。
その知らせが王都に飛びこんできたのが、今朝のこと。
王都の赤色騎士団は自らの領地に急いで戻る必要があり、僕たちもその移動に加えてもらったのだった。
目の前には黄金の海が広がっていた。小麦畑のように見える。南の穀物平原。サンベアー領の人々の生活を支える広大な平原だ。
南西砦は、その中に、人工島のように浮かんでいた。
砦というと物々しい響きなんだけれど、どちらかと言うと駐屯地に近い。背の高いのは物見塔くらいで、あとは広大な厩舎と、騎士向けの隊舎、魔法奴隷たちを休ませる宿舎が1階建ての高さ。そして、さまざまな大きさの転移座が滑走路のように整然と並んでいた。
転移してきた僕たちを最初に包んだのは、声だった。
「騎士団長!」「お疲れさまです!」
周囲にいるのは赤いコートの騎士や、魔法奴隷たち。
彼らの声に応える人物は、巨大な太陽と熊をコートに背負っている。
「偵察隊はいくつ出している?」
鋭い目つきの赤色騎士団長の問いに、若い騎士が答える。
「4隊です。国境深林の北部から順に――」
「倍にしろ。敵は、倍だ」
「はっ」
「各領に魔法奴隷の拠出を要請しておけ。いつもより少なくてもいい。急いでかき集めろ。……ジークムント、現状を確認する。隊舎へ向かうぞ」
歩き出した赤いコートに僕たちは続く。隊舎の手前には大きな天幕が組まれていて、サンベアー領の赤い旗が風向きを知らせていた。
天幕の中には、ずらりと並んだ騎士と魔法奴隷。
「偵察隊から報告があった現状ですが――――」
要約するまでもなく、状況は厳しいようだ。
おそらく2国の侵攻が重なったのは偶然。
だから、敵の動きの予想が難しくなっている。いつもの規模の戦力が2国から同時に送りこまれているなら、2面を相手に守りきることはかなり難しい、と。
「先日までの奪還作戦で取りもどした領域は、ほとんどが押し返されました。2国の侵攻もそこで止まっている、という現状です」
天幕の中に重苦しい沈黙が広がる。
「魔法奴隷の招集を急がせろ。王都と騎士総長にも再度のご連絡を」
「はっ……!」
「騎士団長」と僕は思わず言っていた。
電撃のように、ある考えが頭の中を走った。
この状況で、リスクは低く、試す価値は十分にある、作戦。
「提案があります」
「不要だ。従騎士は少し黙っていろ」
僕は絶句する。赤いコートの騎士たちはこちらをちらりと見ただけで、事務的な会議に戻った。
……ふう、とゆっくり息を吐き出す。
落ち着こう。
彼らの立場を考えれば、ふつうのリアクションだ。
決まったのは結局『魔法奴隷をたくさん集めて、しっかり防御をしよう』という漠然とした作戦だった。
「従騎士タカハ、1点減点ですね」
無言を貫いていた騎士エリデだった。ペルシャ猫のような騎士はにたりと笑みを浮かべ、目を細める。相変わらずの幼子を諭すような穏やかな口調に僕の神経はちりりとささくれだった。
……減点?
「作戦は赤色騎士団が立案する。我らは、その枠組みのなかで最大限の成果を上げればよいのです」
「……有効な戦略があれば提案するべきかと思いました」
「その情熱は大いに結構。しかし、これから我々がしようとしているのは戦争です。頭の中の軍略盤を動かす遊びではない」
だが、僕がぱっと思いついたこの作戦は、確実に有効な方針だ。
だというのに、さきほどの会議では選択肢の1つにも挙がらなかった。
騎士エリデは緑のコートを揺らして、赤色の騎士の1人に歩み寄った。言葉を交わし始める。
途中から、僕は開いた口が塞がらなかった。
騎士エリデの言葉はすべてが確認であり、復唱だった。拠出する奴隷の人数も、緑色騎士団が担当する戦域も、言われるがまま。イエスマン。そのくせ、赤色騎士団を持ち上げる言葉だけは巧みで、もちろん提案や反論なんてことはしない。
『――――あっはははは――ッ!』『ムーンホークのような片田舎、奴隷だけ出していればいい!』『騎士団も要らないな!』『ああ! 宝の持ち腐れというやつだ!』『違うぞ。宝のほうが最初から腐ってるんだよ――――!』
脳裏に、ぐわんぐわんと昨日の罵倒がよみがえった。
赤色の騎士たちが僕たちをあざ笑う声。
あの言葉の価値が――少し、僕の中で変わる。
騎士エリデのような市民出身の騎士が緑色騎士団の顔として他と交渉をしているから、舐められるのだ。うわべだけ取り繕った欺瞞と惰弱を見抜かれているに違いない。
だって、騎士エリデは――奴隷をいくら戦場に送り込もうが、痛くも痒くもない。
身内が死ぬことだって、ない。
こんな任務を早く終わらせて、領都に戻りたがっているに違いないのだ。
できるだけ、波風を立てず。
ぎり、と奥歯がきしんだ。
歪みだ。
これが1番の歪みだと思った。
9歳のあの日――ラフィアを抱きしめて決意したあの日から探し続けてきたそれを、僕はついに見つけた気がした。
「タカハ」とプロパが囁いた。「さっきの、作戦と言っていたな? なにか考えがあるのか。この状況で」
僕は小さな声で、考えを伝える。
プロパは目を丸くした。
「同じこと、考えてたのか」
「プロパも?」
「ああ。……それなら、失敗したとして失うものは少ない。けど、成功したら見返りは大きい。2国が同時に攻めてるっていう特殊な状況を逆に利用した、起死回生の作戦――だと思うのだが」
そのとき、騎士団長が天幕の外に歩き始めた。
「隊舎に向かうぞ」
褐色の肌の妖精種は踏み出した足をそこで止めて、僕とプロパを振り返る。
「……妖精種のお前は、この前も来ていたな」
「はい、団長。第4月に」
「プロパといったか。お前の作戦は使える。来い」
団長の鋭い視線が僕を貫く。「お前もロイダートが推薦していた従騎士だな。……よし、ついて来い。作戦会議に立ち会うのだ」
「はっ……!」
騎士団長は騎士エリデには声をかけなかった。
もちろん、何も言わずにあの騎士はついてきたけれど。
――
作戦会議は、紛糾した。
そして、坂道を石が転がり落ちていくように、状況は悪くなっていった。
「報告します――ッ! 『鉄器の国』の神秘使い、指名級を複数人確認しました!」
「『火炎の国』の敵戦力、なおも増大中! 偵察部隊との連絡が途絶しています!」
「……む、無理だ……」と誰かが言って、「だれだ! だれが言った!?」と赤色騎士団長が雷鳴のような怒号を放った。びくりと肩をすくめた赤色騎士団の若手を鋭すぎる視線で貫いた騎士団長は、人差し指でその若手を追い出した。
「……どのような手を使っても、この穀物平原への侵入を阻止する。赤色騎士団の使命だ。それは今回も変わらない」
騎士団長は大会議室のテーブルに広げられた大きな地図と、その上でマーカーを動かし続ける騎士たちにまず視線を送った。
「現時点での敵戦力を報告しろ」
「はい。まず、『鉄器の国』ですが――――」
『鉄器の国』は『魔法の国』から見て北東の方角にある、ミシア教が束ねる大国だ。
その国の民にはある一定の割合で、奇跡の力が宿る。
生まれ持って身体に刻まれる聖痕。
それを持つものは、神秘の力を行使することができる。
割合は数千人に1人と言われる。神に選ばれた赤子はミシア教の厳格な戒律によって育てられ、そして、一般兵からなる軍隊を率いる将校として教育される。神秘使いの超人的な力は、信仰の対象でもあった。
だが、そんな神秘使いの中にも英雄のような序列があり、それが位階だ。下から『階級なし』『僧侶』『大僧侶』――ここまでが人数制限のない一般的な位階。
その上に、『指名級』と呼ばれる上級位階がある。
7人の『司祭』、5人の『司教』、3人の『大司教』、2人の『枢機卿』。
全部足して、17人。
たった17席しかない指名級は、一般的な神秘使いよりも数段凶悪な存在だ。
ロールプレイングゲームでいうボスキャラと現実世界でのスターを兼ね備えたような存在――それが『指名級』の神秘使いだった。
今回の侵攻で確認された指名級は4人。
司祭『裂姫』。
司祭『瞳の巫女』。
司教『剛鉄鎚』。
そして――大司教『ミシアの使徒』。
いずれも百人規模の魔法使いを適切にぶつけなければ討ち取れない、と言われるほどの強力な神秘使いで、普段の侵攻では多くても2人程度らしい。
今日は倍の4人だ。
そんな彼ら1人あたり2000人規模の一般兵と10名ほどの神秘使いを束ね――合計8000人ほどの戦力で国境森林帯を進軍中。
「続けて、『火炎の国』――――」
『鉄器の国』よりもなお広大な国土をもつその国は、とにかく人口が多い。魔法使いや神秘使いのようなエスパーは居ないけれど、その分人数でゴリ押してくる感じだ。これが、約2万人。こちらも国境森林帯への侵入を許している。
「我らの戦力は?」
「はっ。招集の経過次第ですが――――」
赤色騎士団の騎士が約300人、残り3騎士団からの増援もまた300人くらい。
現時点で招集されてきた魔法奴隷たちが2000人で、今後数日のうちに増える見込みなのは4000人程度。
全部で、7000人弱。
……無理ゲーじゃないか。
たしかに魔法使いのポテンシャルは高い。僕たちには言葉だけで現実に干渉する凄まじい力がある。
でも、魔法奴隷としての彼らは強くない。
村ごとに知識を分断され、効率よく魔法を運営する術を知らないからだ。魔法を上手に使えない魔法使いは――たぶん、弓兵1人にも劣る。
それでも、決断を下すのが、長の務めだ。
褐色の肌を持つ禿頭の妖精種は、報告を聞き終えた後、たっぷりと1分は沈黙して、決断を下した。
「――――先に、『火炎の国』を撃退する」
プロパの肩がぴくりと揺れた。
あの作戦のことを言いたくて仕方がないのだろう。僕も同じ思いだけど、……聞き入れてはくれないという予測を立てるのは簡単。
それに、どちらかを優先して撃退するというのは決して悪手ではない。2国の侵攻軍を比べたときに『火炎の国』の方が弱そうに見える。だったら、そちらを素早く潰して、『鉄器の国』との1対1になるような体勢を作るという目的は分かりやすい。
「問題は、その間、『鉄器の国』の側の侵攻をどうするか、だが」
会議を重苦しい沈黙が包んだ。
だれがどう見ても、『鉄器の国』の側に回される部隊は捨て石のような戦いになる。指名級の神秘使い4人に率いられた8000人の兵士なんて、誰も相手にしたいわけがない。
その重苦しい沈黙を、打ち砕く声があった。
「――――騎士団長、適任がおります」
僕とプロパは素早く顔を上げた。
僕たちはお互いにお互いを見て、それが聞き間違いではなかったことを確かめる。
声の主に顔を向ける。
まるんとした愛嬌のある顔立ちと灰色の髪、少し太った体を緑色のコートに包み、途切れることのない微笑を浮かべたその猫人族は――緑色騎士団、副団長。
騎士エリデだった。
騎士エリデは、いつもと変わらない、幼子を諭すような穏やかな口調で言う。
「みなさんは覚えておいででしょうか。『鉄器の国』との第四次戦争の折、寄せ集めの魔法奴隷たちを率い、『鉄器の国』を撃退した英雄的な魔法奴隷の存在を」
過剰なまでに飾り立てられた言葉に、誰も返事をしない。
「老いた彼の者は、我がムーンホーク領の辺境の小村で生きております」
騎士エリデの瞳が一瞬、僕に向けられる。
細められた瞳に宿る色は――ただ、純粋な喜悦。
仄暗く燃え続けていた復讐を果たしたかのような、にたりとした微笑。
その瞬間、僕はこの騎士が何を言おうとしているのか、理解した。
「団長がおっしゃった、『鉄器の国』に向けた陽動作戦。担う人材としてこれ以上の適任はありません」
「……ほう?」
「――――魔法奴隷、ゲルフ。
二つ名を『暁の大魔法使い』といいます」




