第97話:「最前線へ」と緑色騎士団長は僕に命じる。
赤と緑の騎士団長たちは別の顔見知りを見つけ、テーブルから離れていった。
僕はため息を吐き出す。
嫌な緊張感だったな……。
「や。楽しんでる?」
犬人族の従騎士、リュクスが言った。
きっちりセットされた黒の長髪と、同じ色の耳、人懐っこい笑み。理由はよく分からないけれど、リュクスにはだれでも思わず話しかけたくなってしまうような不思議な雰囲気がある。
「どっちかっていうと、刺激的だね」
「あ。シゥシンさんと喋ってたよね。どうだった?」
「……すごく、気楽な人だったよ」
精神的に。
「相変わらず大番狂わせをぜんぶ持っていくからな、タカハは」
今回ばかりは特例にしてほしい、と思う。
中澤さんには僕に話しかける理由があったのだから。
「あー、俺もシゥシンさんと話してみたかった。ああいう感じ、タイプなんだよね。スゴく」
……うえ。
中澤さんを口説こうとするリュクス。
これは胃もたれする展開が待っていそうだ。
「……ガードはかなり固そうだったよ」
苦しまぎれに、言う。
「え? どういうこと?」
「女の子が好きみたいなんだ、シゥシンさん」
「……マジか」
リュクスは大げさな仕草で頭を抱えた。
嘘は言ってないよ。
たぶん、本当も言ってないけど。
「まあ、それは別にしても。四騎士団長の顔も分かったし、ほんとうに来た価値はあったかな」
ミッドクロウ領の姿を見た。王都の形を知った。シルフェンレート王城を見た。
マルムと会えた。
中澤さんと、会えた。
「あれ?」と唐突にリュクスは言った。「……あ、そっか」とさらに1人で納得する。
僕は首をかしげる。
「タカハ、もう1人を忘れてるよ」
「ん?」
「見たでしょ? ――国王陛下のそばにいた、騎士」
「…………あ」と思わず声が出た。
謁見の大広間で国王陛下に助言をしていた男を思い出す。
巨大な、あまりに巨大なミスリル剣を背負った――――騎士。
そうだ。ミスリル武器の装備を許されているのは騎士だけなのだ。当然、あの人も騎士であるはずで。
……いや。
待てよ。
どうして僕は見落としていた……?
単純な結論。
あの人間は、四騎士団の所属を示すコートを着ていなかった。
「実物を見る機会も、そもそも命令書をやりとりする機会だってないもんな」
てことは、騎士団長たちよりもさらに上。
騎士団という組織の総てを束ねる長。
教科書的には知っていた。
「ボウエン=リックディアンソン騎士総長。4人の騎士団長全員に命令を下せる、国王陛下以外の唯一の人だね。出身はサンベアー領。歳は17歳を2回と7歳」
41歳、か。
かなりの身長があったし、イエルの下に隠れていた筋肉の鎧のせいで、とてもそうは見えなかった。シゥシンさんを見下ろしていた茶色の視線にも、獲物を前にした虎のような鋭さがあった。
僕はあの人の声を知っている。
9歳。
僕が初めて転移座をくぐり、戦場に立ったあの日。
僕たちムーンホーク領の魔法奴隷たちは、敵を撃退するための捨て駒にされそうになった。……ゲルフにそう命じたのが、『騎士総長』だったはず。
「俺たちにとっては、雲の上の、そのまた上の人だね」とリュクスが言った。
――
「さてさて」と僕は呟く。
宴は完全に終わり、なんとなく流れに乗って僕は『居館』の外に出ようとした。
……出ようとしたんだ。
けれど、外に出ることに、僕は失敗した。
「ここ、どこだ……?」
文官のような人たちに続いて階段を上った時点でおかしいと思うべきだった。文官たちはあっさりと扉の1つに引っ込んでしまい、僕はふかふかの絨毯が敷き詰められた廊下にただ1人取り残された。
そのあと、「なんとかなるっしょ」と階段をすぐに引き返さなかったことも反省ポイント。
廊下は、前世の建物のように真っ直ぐじゃなくて、ゆるやかに曲がっている。廊下の分岐も直角じゃなくて60度とか45度だから、方向感覚を完全に無くしてしまった。
同じような扉が並び、美しい弧を描く廊下が僕の前には続いている。
とりあえず、進む。
衛兵さんに見つかるのが手っ取り早いんだけれど、人の気配は全く無い。
変わらない迷路のような景色の中を歩きながら考えるのは、やっぱり今後のことだ。
『軍団』の動きは大詰めを迎えつつある。
ヴィヴィさんが教えてくれた。『軍団』の革命は――魔法奴隷たちに知識を束ねた本を手渡すことで引き起こされる。
それを僕に伝えてくれる、ということは、計画がついに動き出したことの証明に他ならない。あとは坂道を転がるように――――
それともう1つ。
さっぱり忘れていたのだけれど、僕にはもう1つの戦いがある。
――転生のとき、カミサマが言った21年後だ。
残された時間は――あと6年。
他の転生人たちは、僕のかなり先にいる。
『蒼海の国』の実質的なリーダーになった中澤さん。
『鉄器の国』で最強の神秘使いである、鈴木。
『山脈の国』でミシアの使徒と結婚する、佐藤さん。
僕はまだムーンホーク領の従騎士でしかない。彼らはいずれも国の中枢に近いポジションに入り込んでいると見て間違いないだろう。そして、その破滅的な力を行使して『魔法の国』に敵対してくるかもしれない――――
「でも……どうしようもない、か……」
今の僕に出来ることは――ゲルフの理想を全力で実現することだけだ。
知識が、魔法奴隷たちを強くする。
魔法の知識を束ねた教科書を広めるという大仕事がムーンホーク領で残っている。
「こんなところで道に迷っている場合じゃないんだけど」
と、自嘲した――――
その瞬間だった。
「あれは傑作でしたな、騎士団長――!」
男の声が聞こえた。
男はこらえ切れない、とでも言うように、引きつった笑い声を続ける。
つきあたりに並んでいるドアの1つ。扉が完全に閉まりきっていないその部屋から、声は響いている。
「ムーンホークの魔法使いどもはよく分からない魔法を使いますが、納得です。あの騎士団長にしてあの騎士団……! このような場に、従騎士を3名も連れて来て、ぞろぞろと歩きまわらせるなど……。しかも、それを恥とも思っていない様子で……くくくッ」
「そのくらいにしておけ、ジークムント」
僕は目を閉じる。
覚えている。
これは――――赤色騎士団長の声だ。
「ロイダートのやつとは同輩なのだ。……俺まで笑ってしまうだろうが」
「あっはははは――ッ!」
「ムーンホークのような片田舎、奴隷だけ出していればいい!」
「騎士団も要らないな!」
「ああ! 宝の持ち腐れというやつだ!」
「違う違う! 宝のほうが腐ってるんだよ!」
「あっはははは――ッ!」
複数人の爆笑がどっとわいた。
すぅっと、僕の頭の芯の方から血が引いていく。
赤色騎士団は、四騎士団最強の、武闘派集団。
片田舎の、ムーンホーク領の従騎士である僕ですらそう思っているのだから、本人たちの自信は相当なものなのだろう。当然のようにバカにしてるってわけだ。
それはいいよ。まだ許せる。僕だって赤色騎士団にいたら、同じようなことを言ってしまうかもしれないから。
でも、赤色騎士団長だけは許せない。
さっぱりした体育会系だと勝手に思っていた。ぜんぜん違う。その場にいない同輩を遠慮なく侮辱する――それって、騎士団の強さとか、序列とか、そんなの関係ない。
「……」
今の僕にできることは……ない。
『部屋を間違えた』と言って部屋に入り、赤色騎士団の面々を驚かせることくらいだろう。そんなことに意味は、ない。
僕らの騎士団長が従騎士3人を赤色騎士団に送るつもりがあるのなら、そこで見返してやればいい。
覚えておけよ、と僕は内心に吐き捨てて、僕は廊下を引き返した。
驚くほどにあっさりと下への階段は見つかった。
――
翌朝。
「タカハ、起きて」
「……ッ!?」
目を開けると、目の前に透き通った青の瞳があった。
ラフィアは朝のトレーニングを終えてきたのだろう。汗をかいている兎人族の少女の額には、ベージュ色の髪が何本か貼りついている。
僕はあわてて、口周りをぬぐう。
ラフィアは僕のあわてっぷりに少しだけ笑った。
「朝早くにごめんね。でも、起こしたほうがいいと思って」
「……ん? どういうこと?」
「なんだか、騎士団の人たちがさわがしいの」
耳をそばだてるラフィアはどこか不安げな表情を浮かべている。窓の外はまだ薄暗い。けれど、宿のあちらこちらから、かすかではあるが物音が聞こえた。
「2階だから、上級の人たちばかり集められてるみたい」
「……ありがと、ラフィア」
僕はベッドから飛び降りると、寝間着にしていたティーガを脱ぐ。気心知れた相手がパスを出してくれるみたいに、ラフィアが僕にイエルを手渡した。それを着て、上からベルトで止め、緑のコートを羽織る。
「マルムに昨日会ったよ」
ラフィアは本当にびっくりしたように肩を揺らして、それからはにかむように笑った。
「そっか。元気そうだった?」
「相変わらず密着してきた」
「1年ぶりだもんね。寂しかったんだよ。あー、わたしも会いたかったなぁ」
「ラフィアは昨日はどうしてたの?」
「王都の中のいろんなところを歩き回ってたよ。すごい都会でびっくりしちゃって、友だちが15人しかできなくて……」
「15人……」
相変わらず、素でスペックの塊だ。
廊下の空気はひんやりとしている。ドアを開けたり閉めたりする音が2階から聞こえる。
僕は階段を上り、2階の廊下へ。
あわただしく緑のコートの騎士たちが出入りしている部屋があった。
僕は近づいて、部屋の中を覗きこむ。
騎士団長の側近である3人の騎士たちが難しい表情をしてテーブルを囲んで座り、広げた地図を指さしていた。
奥には腕を組んで地図をながめる騎士団長がいる。後退した額と青白い肌のせいで今朝の団長は動く骸骨のように見える。……我ながらひどい喩えだ。
いずれにせよ。
場は、物々しい雰囲気。
「……」
団長の金色の瞳が僕を捉えた。
僕は騎士団の礼で応える。
団長は――僕に手招きをした。
「失礼します」
他の騎士たちの視線を受け止めながら、僕は部屋に入る。
「従騎士タカハ、ここへ」
団長はテーブルの向かいを指さした。僕はその位置で直立する。
僕は一瞬、呆然とした。
テーブルに広げられた地図はムーンホーク領のものだった。
「――――北西域で魔法奴隷たちの反乱が発生した」
騎士団長の声は、死刑の宣告のように重い。
僕は表情を変えないので必死になる。
反乱。
まさかこれ、ゲルフが動いているのか――?
北西域は僕が1年間駐屯任務をこなした地方だ。パルム村、オウロウ村……村人たちの顔を僕は今でもはっきりと思い出せる。
「北西域でも南部寄りだな。ジアハ村、レファ村、ディン村。主要なものはこの3村だが、範囲が拡大している可能性がある」
ほっとする。
少なくとも僕が関わった村の名は挙がっていない。
それに、ゲルフが命じたってわけでもなさそうだ。散発的な反乱は意味がない、とゲルフは言っていた。領内の奴隷たちが一斉に立ち上がらなければ革命は成らない――――
となれば。
「ニンセン徴税官と騎士ファラムのことが原因なのでしょうか……?」
「間違いないだろうな。彼らはわずかだが税をつり上げていた。その差分がゆるやかに魔法奴隷たちの首を絞めていたのだろう」
「……」
「真の問題は、私が残していった巡回計画が実行されていれば、これほど大規模な反乱などあり得なかった、という点だ」
待って。
僕は団長の言葉を飲みこむ。飲みこんで、理解する。
それってつまり、ムーンホーク領に残った正騎士たちが、仕事をしてなかったってこと……?
「領都での事務仕事を最低限に減らし、余裕の出た正騎士たちをすべて地方の巡回に回した。単純計算で、1日に2人の騎士がムーンホーク領のすべての村に顔を出せる計画だった。……反乱など、起こりえると思うか」
「……いいえ」
さすがに1日に2人の騎士が見回りに来たのなら、暴動を計画していたとしても延期するだろう。
「公爵閣下に報告しなければならない。閣下は会談をいくつか予定されていたが、護衛がいなければ帰れないからな。……そして、問題はもう1つある」
僕はつばを飲みこんだ。
「昨日、『鉄器の国』と『火炎の国』が、同時に動き出したようだ」
動き出した。
つまり、部隊を『魔法の国』へ移動させている。
戦争をするつもりで。
……1つでも厄介なのに、よりによって、同時、だって?
「最前線を警戒していた赤色騎士団の部隊が1つ壊滅、魔法奴隷たちの死者は多数だ。2国の部隊に、すでに南の国境深林への侵入を許してしまっている。
国王陛下は事態を重く受け止め、これが戦争状態であると宣言された。赤色騎士団はすでに戦闘を開始している。われらも、領内に招集をかけ、魔法軍を結成する」
国境深林は、9歳の僕がゲルフを救ったあの戦場だ。僕がゲルフを救って、そして、『ミシアの使徒』に出会ったあの戦場――――
「自分はどうすればいいでしょうか」と僕は言った。
騎士団長は深く頷いた。
「従騎士タカハには数名の騎士とともに――最前線へ」
「……」
「最優先事項として、われらはムーンホーク領内の反乱を鎮めなければならない。先行し、作戦会議に参戦することで、戦況を見極めるのだ。赤色騎士団には話をつけてある。――その任務を、副団長エリデ、従騎士タカハ、従騎士プロパに与える」
「はっ」と僕は返事をした。
だが、内心に黒い雲が立ちこめる。騎士エリデか……。市民出身のペルシャ猫のようなあの騎士が僕はかなり苦手だった。
「期待しているぞ」
騎士団長はそう言って、大量の書類に目を落とすことを再開した。




