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算数で読み解く異世界魔法!  作者: 扇屋悠
騎士団編・第4部
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第96話:「考えておこう」と赤色騎士団長が受け流した。




『じゃ、兄妹で仲良く思い出話に花を咲かせてくれたまえ。この部屋は『蒼海の国』が借り上げているから、なんなら泊まっていってくれても構わないよ』


 シゥシンさんはそう言って、この部屋を貸してくれた。

 僕と、マルムに。


「あー……やっぱりー……あの喋り方ー、疲れるー……」


 僕の前世でも見たことがないほどに高級そうなソファに、マルムがばふり、と身を沈める。その口元にはずっとピータ村で見ていた、にへら、と擬音が聞こえそうな笑み。全身も、ひなたぼっこをする猫のように完全に脱力。


 マルムだ。

 ピータ村に居た頃と同じ、マルム。


 僕はテーブルをはさんで反対側のソファに座る。


「かなり仕込まれてるよね」

「商人は第一印象が大事なんだー……。だから、お化粧も気をつかうし……、雑談も上手にならないといけなくてー……」


 マルムはもぞもぞと身体を起こした。


「ラフィアは元気ー?」

「うん。王都までは一緒に来ててね。さすがにこの晩餐会には出席できないから、宿で待ってもらってるけど」

「ふうん……」


 ゆっくりと、マルムはソファから立ち上がって、テーブルをまわりこんで、僕のすぐ近くに立つ。

 深いスリットの刻まれた赤いチャイナ風ドレスに身を包んだマルムは、ためらうように僕の隣で足を止めた。茶色の瞳が、揺れている。


「マルム……?」

「……ええとー、……その、……」


 困惑したような、少し疲れたようなその表情を見て、僕は思い出した。


「いいよ」


 広げた両手の間に。

 少女が飛びこんでくる。

 ソファに座った僕にまたがるように、それでいて、すがりつくような体勢だった。少女の体温、体重、匂い……僕の全身の感覚器が、余すことなくマルムを感じる。マルムは僕のコートに顔を埋める。胸のあたりにマルムの顔が押し当てられて、背中に回された腕の力も年齢相応に強い。


「……タカハの匂いだー……」

「……」


 僕は答えず、マルムの頭を撫でてあげることにした。


「……ん……」


 猫耳の後ろには猫人族カティ専用のツボのような場所があって、そこを押されるのがマルムのお気に入りだった。それは今でも変わっていないらしい。体重と体温がさらに預けられて、ドレスの中にしまっていた茶色の尻尾がゆらゆらと揺れ始めた。


「マルムね……」


 猫人族カティの少女は僕の胸に顔を押し当てたまま言う。


「1年間、1人でがんばったよー……」

「うん。……がんばった」


 1年前まで、マルムは、だれかと手を繋いでいないと、夜も眠れなかった。人に触れることでしか人の存在を確かめられない。

 そういう癖。

 あるいは、呪い。

 9歳で戦争に家族を奪われ、身寄りを無くした少女に刻まれた、黒い傷跡。


 マルムはその呪いを、強靭な意志の力で跳ね返し、『蒼海の国』で立派に商人として立ち回っている。

 それを、兄である僕が祝わなくてだれが祝うというのだろう。


「だからー……これはご褒美ー」

「……こんなことでご褒美になるかな」

「なるよー……ずっとね、タカハに会いたかったんだー……」

「……」


 なんだこの猫耳少女。

 ちょっとよくない。ほんとによくない。

 僕は兄。マルムは妹。だから、こうして密着しているだけ。


 マルムは僕のイエルから顔を上げた。

 至近距離で見る茶色の眠そうな瞳は大きくて、澄んでいて、輝いている。

 魅惑的な異国の化粧を施された少女はたぶん、もう、少女ではない。


「今日は……もうちょっと、階段、のぼっちゃうー……?」

「登らない!」


 く。いきなりの冗談でぐいぐいくるこの感じはリリムさん譲りか。しかも、年齢相応に色ボケも入ってるから、僕としてはかなりツラい。理性で押さえつけるのが。


「姉さまもいないのにー……?」

「『姉さまがいないときはいつも登ってる』みたいな風に聞こえるよ!?」

「……もうちょっと、ご褒美、ほしいなー」

「さっきので十分って言ってたの、忘れないからな」

「交渉、テクニックが、足りないー……? あ、当社のサービス、不足ってことかー……。ねえ知ってるー? このドレス、ここのボタンを外すとねー、こんな簡単に脱げ――――」

「脱いじゃダメだあああああ!」


 発情期の猫だ。

 手がつけられない。

 マルムは僕に抱きついたまま、くすくすと笑った。


「ありがとー……補給、完了かなー」


 マルムはごろん、と転がるようにして、僕の体の上から隣に滑り落ちた。それでも、僕の右腕に両手を絡めたままだったけれど。香木のようないい匂いが僕のコートに移っていた。


「ええと、マルムは今どんな店をやってるの?」

「んー……店舗っていう形じゃないんだー……。食材を仕入れて、まとめてー、それで、いろいろなところに売ってるのー……」


 ほうほう。

 卸売りってことか。


「お金は……すごいんだー」

「すごい?」

「マルムはー、土属性の魔法が使えるけどー、お金を上手に使えば、もっともっと大きなことができるんだよー。……17倍した17人よりもたくさんの人を相手に、ご飯を用意したり、家を建てたりー……」


 魔法使いができるのは、ほとんどの場合、単なる破壊だ。

 それ以上の何かを生み出すことはたぶん、できない。


「最初はねー、商人ってー、力が弱いと思ってたのー。……護衛を連れて行かなくちゃいけないし、交渉に負けちゃうことだってあるしー。

 でも、今はねー、魔法使いとしてのマルムよりも、商人としてのマルムの方が、きっと……強いって、思っててー……」


 強いとはつまり多くの力を持っている、ということだ。

 世界に対する影響力。


「僕はいつか、マルムが戻ってきてムーンホークで活躍してくれれば、うれしい」

「うん。……がんばるー」


 マルムは再び、僕の二の腕にぎゅっと抱きついてきて、そこに頬を密着させた。温もりと髪が触れるくすぐったい手触り。気ままな猫って感じ。


「ちなみにさ」

「なにー……?」

「他の人にも、こうやってくっついてるの?」


 ぴくっと猫耳が揺れた。

 マルムは微笑を浮かべる。


「タカハ以外の男の人に……くっついたりは、してないよー?」

「……」


 これはいかん。

 ちょっとよくない。ほんとうによくない。


「うー……。なんだか変な気分に、なっちゃうかもー……」

「この時間帯からそれはダメだ!」


 その後、しばらくマルムと楽しい会話をして、僕たちは会食の席に戻るべく、部屋を出た。


「従騎士タカハ、くん」


 廊下で待っていたのは――気品があるロシアンブルーを擬人化したような猫人族カティ

 シゥシンさんはにっこりと笑ってから、親指で僕たちが今しがた出てきたばかりのドアを指差した。


「ちょっと、話そうか。人生の楽しみ方、とかについてね」

「は、はいっ!」


 その口調の有無を言わさぬプレッシャーに押され、僕はふたたび『蒼海の国』の派遣団の代表の面接を受けることになった。

 要約すると。

 中澤さんも、男子の肉体を手に入れ、マルムといちゃいちゃしたいらしい。

 それだけの話だった。

 ほんとにそれだけのお説教で僕は驚いた。



――



「――――よく勉強している。そのまま、続けなさい。そうして鍛え上げたものだけが、信じられる。最後に勝敗を分けるのはその部分だ」

「はい……ッ」

「では。再会する日を楽しみにしている」

「ありがとうございましたッ」


 緑のコートの従騎士が深く頭を下げている。

 見送られるのは、黒いコートの老騎士。右足を負傷しているのか引きずるようにして歩いていく。――その背中には、銀色の刺繍で、大きなカラスが縫いとめられている。


 僕は中澤さんことシゥシンさんとの会談を終え、うたげの会場に戻ってきていた。


「プロパ」と僕は頭を下げる人影に声をかける。


 人形のような妖精種エルフがゆっくりとこちらに振り返った。

 うさんくさいほどに満点の笑顔。

 だが、声をかけた人物が僕であることに気づくと、その笑顔は一瞬で崩壊して、どこか皮肉っぽいいつもの表情に戻った。


「……どうした? なにか用か」

「用ってほどではないんだけど」

「じゃあ話しかけるな」


 つ、冷たい……。

 僕はめげずに言う。


「さっきの人はだれ?」

「なんだ……知らないのか」


 プロパは腕を組んで、ふふんと鼻にかける笑い方をした。相変わらず解説したがりのプロパ君だった。


「さっきのお方は、黒色騎士団団長、セラン=アード様」

「……あの人が」


 黒色騎士団の長。

 コートに施された銀色の大きな刺繍はそういうことか。


「ああ。……オレはこの1年で数えきれないくらい『招集』の現場を見てきた。指揮官の騎士たちはいろいろな作戦を使っていて、オレ、その全部を、持っている本と照らしあわせて勉強したんだ。だから、セラン様とも深い話ができた」


 うん。

 深い話ができたかどうかを決めるのはプロパではないと思うな。

 そのツッコミは言葉にしないけれど。


 1年間、僕と同じ従騎士の2年生として、僕とはまったく別の任務をこなしていたプロパは――――当然、僕とは違う視線で魔法奴隷たちを見ている。


「タカハ、1つ聞きたいことがある」

「なに?」

「どうして1年間も駐屯ちゅうとん任務ばかりをこなしてたんだ?」


 プロパの瞳は雲ひとつない青空のように真剣だった。

 茶化す必要はないだろう。


「魔法奴隷がこの国のほとんどの人口だよね」

「ああ」

「だから、僕は騎士から見た魔法奴隷を知りたかった。……魔法奴隷から見た騎士のことは知ってるからね」

「どうやって徴税官の不正を暴いた?」

「気になる?」

「せ、戦略として参考になると思ったからだ! 別にお前を認めたわけじゃない!」


 どうしたプロパ! まさかデレ期なのか!

 却下で。


「僕は、村人たちの視点で、おかしいと思ったことを追いかけただけだよ。ただ、それだけだ」

「奴隷たちの視点……」


 プロパは腕を組んだ。

 考えこんでいる。


「たしかに……。オレはもしかしたらそれを忘れて……」

「……」


 がばっとプロパが顔を上げた。


「ちっ、違う。納得したわけじゃない! タカハが言ったのは、ごくごく初歩の、びっくりするくらいの一般論だ! オレが見落とすわけないだろう!」

「……参考になった?」

「う……」


 プロパは息をつまらせた。顔を背け、唇を尖らせる。


「……さっき、セラン様に言われたことが1つだけある。『その作戦は、合理的だが・・・・・無理がある・・・・・』。もしかしたら、もっと魔法奴隷たちの視点を意識しろってことなのかも……」

「……そっか」

「タカハの言うとおりかもしれない……。魔法奴隷がこの国のほとんどの人口だ。分かってる、はずだった。オレは6年間領都で暮らしていたから……。いまいち話がかみ合わないと思ったこともあるし……」

「じゃあ、プロパ――――」


 僕は自分が言おうとしていることに、少し、驚く。


「今度、どこかの駐屯ちゅうとん任務に行こう」

「……え?」

「休みを使ってさ。騎士団長にお願いすればいいよ。きっと役に立つと思う」


 プロパは言葉を失った。

 5秒くらいは無言で僕を見ていた。


「……か」

「か?」

「考えておく!」


 プロパは顔を背けた。

 そのせいで表情はわからなかった。


「――――従騎士タカハ、従騎士プロパ」


 僕たちが名を呼ばれたのはそのときだった。

 僕とプロパは忠実かつ迅速に振り返る。

 聞き慣れた声の主は、騎士団長だ。


 妖精種エルフの騎士団長は、少し後退した額と白すぎる肌のせいで、どこか幽霊めいて見える。理性的な金色の瞳が僕を見ていた。

 騎士団長の隣には同期のリュクスが居る。緑のコートを羽織はおったリュクスは含みのある表情を浮かべていた。


「エグレム、紹介させてほしい」

「……ああ」


 騎士団長は、となりに立つ赤いコートの騎士に話しかけた。


 鋭い目つきの騎士だった。

 刺すような視線が、僕たち3人を順にめぐる。褐色の肌と尖った耳。……妖精種エルフの中でも白い肌の人々とは種族が違うのだろう。茶色の肌のエルフを僕は初めて見た。だから……、なのかは分からないけれど、コートの下の身体は筋肉質に見える。


 プロパの肩がびくりと動いた。

 騎士団長は、赤色騎士団に所属するその騎士に、僕たち3人のことを紹介し続けている。


「ほう……」


 赤いコートが揺れた。

 その拍子に、見える。

 背中いっぱいに描かれた、太陽と獲物を捕らえる熊の刺繍ししゅう


 緑色騎士団が背負うたかと同じだ。

 つまり、サンベアー領の赤色騎士団、団長・・


 エグレム=ファリスという名前は知っていた。

 若くして国王陛下に気に入られた彼は、屈強な赤色騎士団の序列を駆け上がり、一気に騎士団長の座に付いた――――そういううわさ

 プロパが肩を揺らしたことにも、リュクスが含みのある表情を浮かべていたことにも、納得する。


 赤色騎士団長の重みは、他と少し違う。

 国の南東にあるサンベアー領は、『鉄器の国』、『火炎の国』との国境線を領内に含む。

 つまり、最前線だ。

 赤色騎士団は数年前から、その最前線を一手に引き受けていた。もちろん各領から魔法奴隷たちの増援を受けていたけれど、その戦線を維持してきたという実績は揺らがない。


 ミッドクロウ領の黒色騎士団は、王都の親衛隊。

 スターシープ領の白色騎士団は、海岸線を警戒する海防の要。

 ムーンホーク領の緑色騎士団は、広大な森林地帯の守り手。


 各騎士団のそういう印象から比較すると、赤色騎士団は間違いなく、四騎士団最強の武闘派集団といえるだろう。


「お前がそこまでめるとはな、ロイダート」


 エグレム=ファリス赤色騎士団長は肩をすくめながら言った。


「正当な評価だよ。この3人は従騎士としてずば抜けている」


 ロイダート=ボウ緑色騎士団長は答える。自負と自信が口調に混じっていた。金の視線と声音は、別の騎士団長を前にしてもまったくブレない。


「どうだろう。エグレム」

「……ん?」

「従騎士のうち、短い期間でいい、この3人を赤色騎士団で、学ばせたい。引き受けてもらえないか」


 われらが緑色騎士団長は雲ひとつない青空のような表情をしていた。『この3人は赤色騎士団でも役立つに違いない』と確信する自信がにじむ。


 対する赤色騎士団長は――――無表情だった。

 心のとおりに振る舞えば、振る舞ってしまえば、その場にいる他人の気分を損ねてしまう。だから野戦の陣地のように作り上げた無表情で受け流している。そういうふうに、僕は感じた。


「考えておこう」と赤色騎士団長が言う。


 残念だけれど、僕にはまったく別の言葉に聞こえた。




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