第93話:僕は商人たちと言葉を交わし、真実を知る。
「マルム、1つ訊きたいことがあるんだけれど」
「――――やあ。マルム」
僕の声は遮られた。
芯を感じさせる、女性にしてはしっとりと落ち着いた声によって。
背後を振り返って、僕は、身を強張らせる。
瞳孔の小さい青の瞳、とがったアッシュグレイの耳が、王女の風格を漂わせるロシアンブルーを連想させる。チャイナドレスが完璧に似合うスレンダーな四肢をもつ猫人族。
けれど、王女の風格は、その両手が持つ山盛りの皿が台無しにしていた。
「お疲れさまです、社主」
マルムが両手を打ち合わせる礼とともに、頭を下げる。
「うんうん。……マルムも食べるかい?」
今回の派遣団の代表――――
商人のシゥシンさんがそこに居た。
シゥシンさんは両手の大皿をテーブルに放り出すと、それを指差してマルムに言った。「この、丸っこい木の実。イチオシ」
「ファムの実ですよね。知ってるに決まってるじゃないですか」
「あ。そうだったそうだった。マルムは魔女だったね。商人としてあまりに優秀だから、つい忘れていたよ」
「そんなことばっかり言ってないで、仕事をしてください」
マルム、社長にもズケズケ言うなー。
僕は面白がって眺めていた。
「胃に穴のあくような仕事を終えてきたところだよ。……で。こちらの騎士様は? 知り合い?」
青い瞳が僕をつかまえる。
対照的な赤い口紅の動きが目に焼きつくみたいだった。
僕は周囲に意識を向ける。
文官たちにも、騎士たちにも、注目されているようだ。
シゥシンさんの向こうには3人の護衛役が居る。会話は恐らく聞こえているけれど、圧迫感をおぼえない絶妙な距離感。
「私の兄なんです」
「へえ! 君がお兄さんか!」
シゥシンさんは左手の掌を右手で包むようにした。『蒼海の国』の礼だろう。正面からの異国の風がハンパない。
「ゾンツァ商会社主、シゥシンと言います。お見知りおきを」
「『魔法の国』北部にありますムーンホーク領の所属、従騎士タカハです。お会いできて光栄です」
「……」
無言。
じぃっと、シゥシンさんは僕を見てくる。
いろいろと質問したいことはある。けれど、相手は国の代表だ。忙しいだろうし、僕もグダグダと質問を続けてしまいそうだ。
僕は騎士団の礼で答えた。
礼をしてごまかすのは前世から受け継いだ僕の最終奥義。
「……そうか。そういうことかい」
…………ん?
シゥシンさんは背後に控えた3人を手招きして、その耳元でなにかを囁いた。そのうち2人がさっと離れていく。
「タカハ様、お時間をいただけますか」
「え……っ?」
シゥシンさんは店員のような口調で言うものだから、僕は動揺した。合衆国大統領に話しかけられた庶民の心地だった。
「も、もちろんですが……」
「少し、話をしてみたい」
ふむ。
かえって僕はクールダウンする。
この人の目的が分からない。
「ああ。すまない。砕けた口調でいいかな?」
「もちろんです」
「ていねいな言葉を使ったことに意味はないんだ。警戒しないでほしい。私はお金や物の流れを追うのは大好きなのだが、交渉はそれほど得意ではなくてね」
ずい、とシゥシンさんが僕に近づいて、耳に赤い唇を寄せた。
「――――お偉方との堅苦しい会談につかれてしまったんだよ」
香木のような匂いと、吐息と、脳を優しく揺さぶるアルトの美声。
ぞく、とする。
さっとシゥシンさんはもとの立ち位置に戻った。
「『魔法の国』の若い人と話をしてみたいと思っていてね。気になる情報を聞き出そうとか、そういうわけではなくて。『魔法の国』の人々の価値観みたいなものを、知りたいんだ。……どうだろう?」
僕が持っている情報。この人が持っている情報。
天秤にかけるまでもない。
「喜んで。僕もいくつかお訊きしたいことがありましたから」
シゥシンさんは肩の力を抜いて、ふっと笑った。ロシアンブルーの無邪気な一面。
「物怖じしないんだね、君は」
「騎士団が物怖じしていては国が回りません。それは、商人と同じですね」
「口も達者ときた。気心知れた友人同士のように、楽しい時間になりそうだな。……マルム、すぐに呼ぶから、部屋の外で待っていてくれる?」
「あ……。はい!」
「では行こうか」
いつの間にか再集合していた護衛役の3人に連れられ、廊下を進み、別室へ。
上質な木製の扉を開けると、ホテルのスイートルームのように豪華な調度品の数々が並んでいた。少人数で重要な会議を行う場所だろう。廊下に並んだ扉を見る限り、同じような部屋がいくつかあるようだ。
「どうぞ」
促され、僕は先に部屋に入る。
「すまないが、すぐに開けるから」とシゥシンさんは言った。
ん?
すぐに、開ける?
「し、シゥシン様っ!」「どうか――――」
護衛役の人たちの声は、この空間から閉めだされる。
がちゃり、と音がした。
鍵をかけたのは、シゥシンさんだ。
護衛役の人たちが木の扉をノックを繰り返す音が響く。
僕は絶句していた。
曲がりなりにも国の代表として来た人が、僕のような下っぱの人間と2人きりになるなんて。シゥシンさんに実力があるのか? 分からないけれど、こちらは従騎士なのだ。そこそこ戦えるということは分かっているはず。
しかも、僕と一対一で話すことにメリットはないだろう。
「シゥシンさん……?」
「いやはや。こういう立場になると肩が凝ってしまってね」
こちらに向き直ったシゥシンさんはリラックスした女王猫のよう。
……なるほど。
護衛役に付きまとわれることに疲れていたのか。
「揉んでくれるかい?」
「国際問題に発展しそうなので、辞退しておきます」
「はははっ」
シゥシンさんは僕のすぐ真正面に立った。
「……」
じぃっと見つめられる。
さっきもそうだった。この人は僕どこかを観察するように見る。
商人の視点なんだろう、と勝手に結論づける。
けれど。
その結論は数秒後にひっくり返された。
シゥシンさんは、唐突に口を開いた。
「久しぶりだね、高橋くん」
…………。
…………。
ぼくの のうは かんぜんに こおりついている。
しかばねのようだ。
「つれないなあ。せっかく美女に転生したというのに、リアクションが薄いと思うよ。もしかして高橋くん、異世界でもストイックな恋愛をしてるんじゃないだろうね? 私としてはそれだけがこの15年間の気がかりだったんだ」
「……中澤さん、なんですか?」
僕の前世の最後の記憶。
バイト先のコンビニの、店長。
「いかにも。――――中澤商会社主の、秀俊と申します。以後、お見知りおきを」
使い込まれたネームプレートの文字を思い出す。
『店長 中澤秀俊』。
……悪ふざけだ。
猫人族の美女が目もくらむような微笑を浮かべていた。




