第92話:「まさか。そんな。嘘だよね」と彼女は言った。
「確認する」
騎士団長は緑色騎士団の全員を前に、言った。
「魔法とわれらの戦力に関する情報を開示するのは控えるように。彼らはすぐれた交渉術を持ち合わせた、商人だ。必要以上の情報を与える必要はない」
言い切って、騎士団は声を小さくした。
「……というのは建前だ」
僕は少し驚く。
「われわれの知っているような事実はおそらく、ほとんど知られている。で、あるならば、隠すことにこだわるよりも、相手側から情報を引き出したほうがいい。……騎士テネリアと従騎士リュクスは私に同行しろ」
「はい」「はっ」
「残りの者は、自由な判断で行動することを許可する。――では、行くぞ」
僕たちは緑のコートを翻し、王城の一室に踏みこんだ。
さきほどまで居た大広間に負けず劣らず飾りたてられたその空間は、大勢の人々の声でにぎわっている。文官たちと残り3つの騎士団員、そして――――『蒼海の国』から来た客人たち。
国王の用意した宴が、今まさに始まったところだった。
団長の命令による任務は、この宴に参加すること。つまり、『他国の人間と会話できるこの機会をムダにするな』という明白な意図。
言われなくとも、というやつだった。
立食形式のテーブルの間を、たくさんの人がすれ違っていく。
客人たちの服装は、魔法の国のそれと明らかに違っていた。
女性はチャイナドレスのような服装。鮮やかな色の服は襟が高く、装飾されたボタンが側面についている。さっき国王陛下と直接言葉を交わしたシゥシンさんのドレスとは違って、この場にいる商人たちのチャイナドレスのスリットは深い。けっこう、深い。デレデレになって彼女たちと喋ってる間の抜けた文官や騎士も居る。うーん。選りすぐりに頭のいい相手だと分かっているのだろうか。
男性は着物とズボンを組み合わせたような、比較的落ち着いた色合いの服装。全員が全員キレ者といった感じで、文官や騎士たちと真剣な表情で言葉を交わしている。
人数はどのくらいだろう。
騎士団がだいたい、70人くらい。
文官たちはその半分くらいの印象かな。
『蒼海の国』の商人たちも、70人くらいは居そうだ。
『魔法の国』は『蒼海の国』と良好な関係を築いてきた……わけではない。たぶん、お互いがお互いを必要としていなくて、つまりお互いに無視をしていたのだ。
僕はテーブルをぶらつき、料理をつまみながら歩く。
伝統的な木の実料理も肉料理も絶品だった。
……『魔法の国』はお金というシステムを導入しようとしている。それに協力することは『蒼海の国』にとってメリットがあるのだろう。
けれど――――ここへきて『蒼海の国』が『魔法の国』とコンタクトをとるようになったのはそれだけが理由なのだろうか。
「…………ん?」
行き交う人たちの間。
僕は珍しいものを見つけたような気がした。
それは、耳だ。
人族の耳。
人間や妖精種のように頭の横についているのではなくて、頭の上にぴょこりと乗っかる耳。
茶色の猫耳。
僕はその猫耳に、強い既視感を覚えた。
例えば、両親の手のひらの形を覚えているように。
「…………ああ、やっぱりそうだ」
耳と同じ色のボブカットの髪。
すらりと伸びた身長は、それでも僕より小さい。
そんな、背中。
シックな赤のチャイナ風ドレスに身を包み、小皿に料理を取り分けている彼女のすぐ側に、僕は立った。
「お取りしましょうか? 商人さん」と僕は声をかける。
猫人族の少女は、眠そうな目で僕を見る。
「あー、えっと、そのですね」
彼女はどこか気だるげな口調で、使い慣れていないのだろう敬語を言った。
「私は商人ではないんです。もともと、ええと、ムーンホーク領の魔女なんですけれど、貨幣経済を導入するにあたって『蒼海の国』に派遣され、て…………」
「やあ」
彼女もようやく気付いたようだ。
「まさか。そんな。嘘だよね。……タカハ?」
マルムは目をぱちっと見開いた。今まで僕が見た中で1番まぶたが上がっていたと思う。すぐにまた眠そうな目に戻ったけれど、不意打ちは成功だ。僕はにやりと笑う。
僕の出身、ピータ村の同い年の1人――――猫人族の少女のマルムは1年前、生まれ故郷を離れた。商人として『蒼海の国』へ行きたい、という願いを叶えるために。
その願いは叶い、彼女は『蒼海の国』に旅立った。
それにしても、と僕はマルムの赤いチャイナ風のドレスを見る。
「変わったね、マルム」
いつの間にか身長は僕が追い越しているけれど、それでも、マルムは前よりももう少し背が伸びている。すらっとした肢体には女の子らしい曲線がくっきりと浮かび上がっていた。目元の周りに施された控えめな化粧は眠そうな目とよく似合っていて、かなり魅惑的。
「もうかわいい妹なんて言ってられないな」
マルムは唇のはしを上品に持ち上げて、笑った。
にへら、と擬音が聞こえそうなあの笑顔はやめたらしい。
「数ヶ月前から私は1人の商人として、小さな店の経営を任せてもらってるんだ。すごいでしょー?」
「全然驚かないよ。マルムならきっとできるって思ってたから」
「ちょっと照れくさいかなー」
マルムはすぐにいたずらっぽい表情を浮かべる。
「ね、タカハ。ちょっと私の右足を見てほしいんだけど」
「ん? 右足?」
マルムはさっと右足を踏み出した。そして、そのまま、スリットを少し持ち上げる。
「ばっ……!」
僕は慌てて顔を背けた。
赤い布地、赤い布地、すらりと伸びた足。
フィルムみたいにくっきりと焼き付いている。もともとスリットが深いせいで、けっこうな高さまで見えた。背も高いし、ほどよい肉感で――――
いやいやいやいや……ッ。
僕はぶんぶんと首を振る。
マルムは眠そうな目でニヤニヤと笑っていた。「悩殺?」
「自分で言うな!」
「……ふむ、もうちょっと持ち上げればよかったかな?」
「お願いだから、そっち方面でもクールなマルムで居てよ……」
「兄さまだから……見せてるんだよ?」
「えっと。ほぼ無表情でそのセリフは辛いかな」
「……なんだかほっとしたー。タカハ、相変わらずだ」
「お互い様だって。どう? 『蒼海の国』は。元気でやってる?」
あー、とマルムは言って、自分の髪を乱した。
「いろいろー、迷ってるところ、かな……。いつ、帰ってこようかなー、とか……」
マルムらしくない歯切れの悪さだった。
迷う。
……迷う?
突っこんで訊くのは難しそうだ。
僕は話題を変えることにした。
「ねえマルム、1つ訊きたいことがあるんだけど――――」
「――――やあ。マルム」
僕の声は遮られた。
芯を感じさせる、女性にしてはしっとりと落ち着いた声によって。
背後を振り返って、僕は、身を強張らせる。
瞳孔の小さい青の瞳、とがったアッシュグレイの耳が、王女の風格を漂わせるロシアンブルーを連想させる。チャイナドレスが完璧に似合うスレンダーな四肢をもつ猫人族。
けれど、王女の風格はその両手が持つ山のように料理を盛った皿が台無しにしていた。
「お疲れさまです、社主」
マルムが両手を打ち合わせる礼とともに、頭を下げる。
「うんうん。……マルムも食べるかい?」
今回の派遣団の代表――――
商人のシゥシンさんがそこに居た。




