第91話:「商会社主、シゥシンと申します」と蒼海の国の商人が言った。
一行は順調に進み、6日目にムーンホーク領を出た。
魔法の国の北部にある『ムーンホーク領』を南に抜けると、王都を取り囲む『ミッドクロウ領』にたどり着く。
森と山の面積がほとんどのムーンホーク領と比べると、ミッドクロウ領は平地が多く、からりと乾燥した気候だ。王都が抱きかかえるフィンデル湖から2本の大河が流れ出し、乾燥した大地に恵みをもたらしている。
やや排他的な雰囲気のあるムーンホーク領の人とは違って、ミッドクロウ領の魔法奴隷たちは基本的に明るい。平気で大ざっぱな嘘を言い、時間の約束にはルーズだけれど、客人たちの歓迎に手を抜くことはない。
ミッドクロウ領を抜ける3日間、僕たちのキャラバンは現地の人々によって手厚い歓迎を受けた。
黒いコートを羽織った黒色騎士団の騎士が護衛についてくれて、僕は彼らと会話をする機会にも恵まれた。
……立場が近ければ、愚痴っぽい会話となる。
ムダな時間だと思いながら話をあわせ続けたけれど、収穫といえるような情報はほとんどなかった。
僕は『どの任務がラクだ』なんて話に興味はないのだ。
――
王都シルフェンレートにたどり着いたのは、出発から10日後だった。
『魔法の国』のちょうど中心に位置する王都は、少し標高が高く、深い森と神秘的な霧に囲まれている。すぐ近くのミッドクロウ領と気候が違うのは、王都が寄りかかる中央山脈に空気がぶつかることで雨を降らせるから。その雨が集まり、王都の象徴であるフィンデル湖を作っているのだという。
王都を取り囲むのは自然だけではない。
巨大な石造りの城壁が、全周を防御している。
そのため、王都に入る正規の経路は北と南、東の3つの大門だけだ。
城壁の中が王都の領域で、外側がミッドクロウ領、ということになる。
簡単な身分チェックを終え、僕たちの一行は北の大門から王都へ足を踏み入れた。しばらくは城壁の外と同じ森が続いていていて――――ふいに僕は違和感を感じた。
「……マナが動いてる?」
光る粒のようなマナが、普段のゆっくりした動きではなく、いつもより激しく動き回っている。
そんな感覚があった。
「あれ? 言われてみればそうかも」
犬人族の従騎士、リュクスも目を細めてマナを感じている。
「知らないのか」プロパが呆れたような声で言った。「『防御障壁』の大魔法。上位属性で編まれていて、転移魔法を妨害することが最大の目的だ」
……なるほど。
物理的な城壁に加え、転移魔法をブロックする大魔法も追加されているということか。
首都であることを考えれば、厳重すぎて当然だろう。
「維持するの、大変なんじゃない?」とリュクス。
「昼夜を問わず、複数人の魔法奴隷たちが交替で魔法を展開している」
「この、膜みたいなのだね」
目ではほとんど見えないが、マナを見るための視点で感じると、薄い膜のようなものが王都を取り囲むように、森のなかに展開していることがわかった。
僕は『眠りの国』を取り囲む『大障壁』という名の大魔法を思い出した。
性質は違うけれど、印象はよく似ている。
あちらの方が魔法としての完成度は高いんだろうな。
森が、切れる。
窪地に作られた首都の全貌が一気に目の前に広がった。
「うわ……」
全体の大きさとしてはムーンホーク領都と同じくらいだろう。
けれど、密度が違う。いろいろの。
森の中でもきれいに整備されていた街道は、フィンデル湖の方向へゆるやかに下っていき、細くなって、王都を区切る通りの1つに混じった。石造りの建物は階数が多く、整然と並んでいる。すべて石畳で整備された通りをひっきりなしに馬と人が行き交っている。
西側では、円形のフィンデル湖が夏の日差しを受けてきらきらと輝いている。大きい。向こう岸に広がる森が霞んで見えるほどだ。
そのほとりに――――シルフェンレート王城がある。
西洋風の白塗りの城を、さらに優美にしたかのようだった。
立ち並ぶ尖塔は折れてしまいそうなほどに細く、鋭い。全体的にくびれていて、生き物のような躍動感もある。竜であり、鳥っぽい。細くすらっとして優雅な鳥だ。ムーンホーク城には戦争でも使えるような丈夫さを感じるけれど、この王城は銀細工のように繊細で、美しい。
装飾品のように僕を惹きつける王城を見る。
あそこに、この国の王様がいるのだ。
僕はフィンデル湖の眩しさに目を細めた。
――
シルフェンレート王城の1階、謁見の大広間。
王城のうち、背の高い『主塔』ではなく、そのとなりに建てられた豪奢な『居館』の内部。
2階分の高さをぶち抜いた広大な空間は、列をなす美しいシャンデリアと大理石にはさまれ、夜だというのに眩しく輝いている。
僕から見て右側の壁には四大領を示す黒、白、赤、緑の垂れ幕が飾られ、反対の壁には『星の祈り』を描いた『魔法の国』の国旗が掲げられていた。みんな『星の祈り』の模様をすごくありがたがるのだけれど、僕にはわけの分からない星座のように見える。無念。
正面には、大玉座。
背筋を弓のように伸ばし、腰掛けるのは、魔法の国の国王陛下だ。
3度の17歳を超えて、まだ6年を生きている――つまり、57歳の陛下は、年齢をまったく感じさせない鋭い視線を広間の入り口に注いでいる。座っているから分からないけれど、上背もありそうだ。
ローブから伸びる首まわりは引き締まっていて、大樹のよう。体格は北限山脈の雄大さを思わせた。
つまりマッチョ。マッチョなじいさん。
その両脇には、2人ずつ、四大公爵が小さめの玉座に座っている。
……僕は目を覆いたくなった。
ライモン公爵だけだったのだ。
ぱゆんぱゆんってなっているのは。
残りの四大公爵はおおむね国王陛下くらいのがっしりとした体つきだった。
4つの四角と1つだけの丸。
目立つ。すごく目立ってるよ閣下。
けれど、ライモン公爵にも風格はある。まったく物怖じしていないのだ。たぶん、あの人の辞書には遠慮とか怯えとか、そういう文字はないのだろう。
われらが公爵閣下は興味津々といった様子で、国王と同じように僕たちの背後、広間の入り口を見ている。
――――客人はまだ、訪れない。
自領の公爵の前に4つの騎士団が並んでいた。
ミッドクロウの黒色騎士団。
スターシープの白色騎士団。
サンベアーの赤色騎士団。
ムーンホークの緑色騎士団。
どの領も17人隊が2つ分くらいの人数だけれど、統一されたコートと整列された配置によって数の圧力を生み出している。こういうの、カッコいいと思う。
僕は首をあまり動かさないようにして、それぞれの騎士団の若手の様子を観察した。
山のような長身を直立させている犬人族、冷徹な視線を自分の足元に向け続ける人間、目を閉じてゆっくりと身体を揺らしている妖精種――――みんな、強そうに見える。
あれだ、他の受験生が頭良さそうに見える現象。
でも。
ここの誰にも負けない魔法の適正が、僕にはある。
それだけは間違いない。
沈黙のまま、さらに待つこと数十秒。
僕たちの後ろに並んでいた宮廷奴隷たちが、楽器の演奏を始めた。
すぐに大広間の扉が開かれる。
騎士たちは予定通り、ずらりと中央に向き直った。
僕の視界は目の前の赤色騎士団の団員たちによって遮られてしまい、正面を通り過ぎるときしか見えなかった。
『蒼海の国』の客人たちは、7、8人。
その先頭を切るのは――――猫人族の女の人だった。
スレンダーな長身を、目を奪う青のドレスで包んでいる。ヨーロッパ的なドレスじゃない。印象として、チャイナドレスが近い。羽の模様がいくつも描かれた青い衣装は襟が高く、装飾されたボタンが側面に並んでいた。『魔法の国』の服装とはまったく違う雰囲気。
燃え尽きた灰を思わせるアッシュグレイの髪を肩までの高さで切りそろえ、同じ色の耳は鋭い二等辺三角形。瞳孔の小さい青の瞳と引き締められた表情には、『蒼海の国』の代表という自信がにじみ出ている。口紅の赤が残光のように僕の視界に焼きついた。
王女の風格をまとったロシアンブルー。そんな印象。
ロシアンブルーさんの後ろには、チャイナ風ドレスの兎人族が1人と、ゆったりした服を着た男たちが数名続く。
男たちは、人間も妖精種もどこか顔が薄い。目は細く、髪の色は暗く……なんというか、すごく魂の共鳴を感じる顔立ちだ。服装もジャパニーズ着物のような感じで、そちらにもシンパシー。
けれど、男たちの足運びに隙はない。護衛役か。
楽器の演奏が止んだ。
「――――国王陛下」
芯の太さを感じさせるアルトの美声。
ロシアンブルーさんだろう。
それにしても、み、見えない……。
国王陛下の様子しか分からない。
「このたびは謁見の機会をいただき、感謝の言葉もありません。
わたくしども『蒼海の国』の正式名称は『アルーム海自由貿易都市同盟』といいます。独立した都市同士を束ねただけの、若輩の国でございます。陛下のように傑出した人材もなく、わたくしどもの国は国民たちの合議の結果で動いております」
へえ。
民主主義、か。
「『都市会議』の指名を受け、代表として、このたびは参りました。
ゾンツァ商会社主、シゥシンと申します。
どうぞ、お見知りおきください」
国王陛下は背もたれに張りつけていた身体をゆっくりと起こした。
「――――来訪を歓迎する」
老いた竜の吐息のような、低い声だった。
「貨幣経済の導入に際して、同盟から派遣された商人たちによって、多くのことがらが円滑に処理された。素晴らしい働きぶりであったと、思う」
「どうか、今後ともお引きたてのほど、よろしくお願いいたします」
「検討しよう」
国王陛下は息を吸い込んで、言葉を続けようとした。
だが、挿し込まれた商人の声のほうが早かった。
「陛下、手厚い歓迎を嬉しく思います。
4つの騎士団の威容、わたくしはしかとこの目に焼きつけました」
大広間中に、静電気のような緊張が飛び散る。
シゥシンと名乗った商人の今の言葉は、別の受け取り方をされても仕方がない。
つまり、『ただ話をしにきただけなのに、ずいぶんなプレッシャーをかけてくれるじゃない』というニュアンスが含まれているのだ。
『騎士団の威容』を『手厚い歓迎』と言い切ってしまうのは、もはや皮肉だろう。
すっ、と。
騎士王陛下は左手を上げた。
どうしようもなく緊張感が高まる。
陛下がなにを言うのか。それが問題だ。
「…………」
しかし、言葉はない。
代わりに。
陛下の側に、影が滲みだしたかのように、1人の男が姿を見せた。
中年の人間。かなりの身長があり、それに見合う筋肉の鎧がイエルの下に隠れている。黒髪は短く刈り上げられ、茶色の瞳がやや低い位置にいるシゥシンさんを睨みつけている。
僕は呆然と――――その男が背負う物を見ていた。
ミスリル剣だ。
あまりに巨大な、ミスリル剣だった。
肩から飛び出す柄の部分だけで50センチはあるだろう。ツーハンデッドソード。両手で振り回すことを前提とした、特大剣だ。鍔も長くはみ出していて、まるで十字架を背負っているように見える。
大ミスリル剣を背負った男は、陛下に耳打ちをした。
陛下も囁きで返し、大ミスリル剣の男がもう1度耳打ち。
陛下は頷くと、シゥシンさんを見下ろして、言った。
「魔法と剣技を体現した騎士団はわが国の力そのもの。すなわち、わが国そのものだ。見せなければならないと思っていた」
「……しかと」
「うむ」
用は終えたといわんばかりに、大ミスリル剣の男がふたたび玉座のかげに消えていく。
「ささやかではあるが、宴を用意した」
「ありがとうございます」
『蒼海の国』の一行が立ち上がり、広間の入り口へ歩いて行く音が聞こえる。
取ってつけたような楽器の演奏が始まった。
僕の正面を通り過ぎたシゥシンさんは、入ってきたときと変わらない、自信に満ちた表情だ。
……さて。
剣豪同士の決闘のような先ほどの会話。
勝者はどちらだったのだろうか。




