第90話:「本を作れるんじゃないか、って」と老魔女が言う。
ムーンホーク城の城門の前には赤い絨毯が敷かれ、その先には上質な木材で作られた馬車が用意されていた。絨毯の両サイドを、緑のコートをまとった正騎士たちが整然と固めている。
そのすべては、1人の人間のために用意されていた。
――――城門が開かれる。
重厚な木製の扉は音を立てずにゆっくりと開いた。
ムーンホーク領の君主、四大公爵の1人。
ライモン=ファレン=ディード閣下は難しそうな顔をして、ずらりと並んだ正騎士の間を歩いてきた。
太っている。
マジで、太っていると思う。
前よりもさらに体積が増したんじゃないだろうか。歩くたびに、ぱゆん、ぱゆんという擬音が聞こえるようだ。貴族らしいどこか気品のある歩き方をしているから、そのギャップがどうしようもなく可笑しい。
笑ったら重罪なので、僕は視線を伏せる。
正騎士たちも視線を伏せている。
……僕は世界の真理の1つに触れた気がした。
ゆったり成分の塊のような深い緑のローブの下には、同じ色のイエル。裾には金色の糸で2つの月をモチーフにした刺繍が品良くほどこされていた。頭が大きいせいで小さく見えてしまう儀礼用の帽子と、宝石を埋め込んだステッキのオマケ付き。だれがどう見ても貴族だ。
「あ」
と、声が聞こえた。
公爵閣下はなにかに気付かれたらしい。
「やっほ~! タカハ!」
…………ずっこけそうになった。
脱力して倒れそうになるなんて、ありふれたあり得ない演出の1つだと思っていたけれど、なるときは本当にそうなるらしい。騎士団長をはじめ、緑のコートを羽織った正騎士たちは直立のまま微動だにしない。圧倒的な精神力。
すぐ隣のリュクスは肩をすくめ、プロパは呆然と閣下を見ている。
「あれ? 無視? もう1回言っちゃうよ? やっほ~! タカハ!」
僕は顔を上げた。
太った人間の閣下は、くりくりとした茶色の瞳にイタズラっぽい色を浮かべている。
「お久しぶりです、閣下」
「んん? そんな答えでいいと思ってるの~? いいのかぁ? 従騎士タカハ~?」
「……や、やっほーです。閣下」
「ぐっ」と、脂肪のついた親指を立てた閣下は「あとで話そう。旅は長いからな」と言って、あっさりとローブを翻した。
僕は深く頭を下げた。
ふぅぅぅと細く長いため息が出る。
悪ふざけの雰囲気のせいで、なんかプレッシャーを感じるんだよな。
「あ、そうそう」
「はい……!」
も、戻ってきた……!
「うさみみちゃんも呼んでおいたから。あの子も王都を見ておいた方がいいでしょ?」
「え……」
それだけ言い置くと、公爵は今度こそ僕から離れていった。
うさみみちゃんって……ラフィアってこと?
ラフィアはゲルフとともにメルチータさんに会いに行っていたはずだ。それを無理矢理呼び寄せたのか……。
よっぽど気に入っているらしい。
閣下はさらに赤い絨毯の上を進み、騎士団長たちが選抜した魔法奴隷たちに声をかけていく。
「『白光』、久し振りだね~。相変わらず綺麗だよ~」
今回の王都行きにはヴィヴィさんも魔法奴隷として選ばれていた。白い髪をシニヨンにように結ったヴィヴィさんは、そこら辺の市民たちよりもよっぽど上品な仕草で一礼をし、上品な笑みを浮かべる。
「閣下は相変わらずの包容力を感じさせる出で立ち、嬉しく思います」
「包容力っていうのはおれを的確に表現しているいい言葉だね。……『虚幻』はそろそろおれのことを許してくれるかな?」
「……」
「はははっ。もう17年くらいお前の声を聞いてないからな。…………で、『瀑布』の。最近はずっと王都に行ってたのか?」
僕の隣に立つプロパの肩がぴくりと揺れた。
『瀑布の大魔法使い』ゼイエルさんはプロパのおじさまだ。
「王都とムーンホークを行き来しておりました」
応えた声は低く、渋い。
僕はちらりと視線を向けた。
赤い絨毯の川をはさんだ向こう側、その下流に立っていたゼイエルさんの第一印象は、まさに厳格な老魔法使いだった。
シックな灰色のイエルの上に、ボタンが2列で並んだ深茶色のローブ。金髪は白く変わり、同じ色のひげは整えられている。彫りの深い顔に、プロパと同じ青の瞳が輝いていた。尖った耳は妖精種の証で、やはり肌は白い。
太陽のもとで見ても、やっぱりカッコいい……。
プロパも歳をとったらああなるのか。
ああいう渋い老魔法使いに僕もなりたい。
「まだあの家庭教師みたいなこともやってるの?」
「ええ。教えることはそれほど得意ではないのですか」
「そんなこと言ってるから敵が多いんじゃない? 王城に出仕するのは、魔法奴隷が上り詰められる最高の地位だよ」
「光栄です、閣下」
それだけ言って、閣下はあっさりゼイエルさんへの興味を失ったようだ。次々と正騎士たちに声をかけていく。
見ているこちらとしては、サイコロの出目を追いかけているような気分だった。つかみどころのない印象そのままな振る舞い。『いつも全力で生きている』と閣下は言っていた。周囲は振り回されるというわけだ。
とはいえ、「やれやれ」と言いつつも付き合ってしまうような不思議な引力が、閣下の行動にはある。
ライモン公爵は豪華なつくりの馬車に乗りこんだ。
その扉が閉められる。
同時に、騎士団長が号令を発した。
「騎士団は騎乗しろ。魔法奴隷、肉体奴隷は所定の配置に従って馬車へ分乗。領都を出てしばらくは、警戒を厳重にする」
――
予想に反して、王都への旅路はあっけないほどに穏やかだった。
予定では、馬車で10日。ムーンホーク領都から王都まで続く街道は南東域の内部に整備されており、その道には一定間隔で馬の交換所や宿場町が用意されていた。当然だよな。公爵閣下はしょっちゅう王都に出向いているはずだし。
閣下は宿場町の日程を変えるようなワガママは言わなかったけれど、その他のありとあらゆる注文をつけた。
2日目の昼は北部大河を上流にたどってみようということになり、数時間のロスをした。
3日目以降も道が最短コースで選択されることはほとんどなく、いろいろな寄り道をした。閣下のお気に入りは『事前の通告なしに南東域の小村に押しかける遊び』で、いわく「この対応でいろいろなことが分かる」らしい。趣味が悪いと思う。ぞろぞろと騎士たちをつれて、『遊び』と言い切る精神を僕は好きじゃない。
基本的に、日中の閣下はべろべろに酔っ払っていて、退屈な移動を紛らわそうと自分の馬車に人を招いて『面接』を繰り返していた。
4日目。夏の日差しが晴れやかなその日。
そろそろかと思っていたけれど、ついに『面接』の順番が僕とラフィアに巡ってきた。
「――――現在、閣下は酩酊状態にある」
騎士団長は任務を確認するように真剣な口調で言った。
「ぐらりと身体が傾いたときには素早く支えること。吐き気をもよおされたときにはこの袋を素早く差し出すこと」
「はい。騎士団長」
騎士団長の目を見つめ返し、僕は力強く頷く。
「くれぐれも無礼のないようにな」
僕とラフィアは足台を上り、隊の中核である豪華な馬車の扉を開けた。
「お、きたきた」
結構、広い。調度品はたぶん閣下の趣味なんだろうな。相変わらず、ゴテゴテしすぎていない。けれど、ひと目で上質と分かるようなものだった。
2人分のソファを占拠している閣下は、透き通る茶色の液体が入ったグラスをちろりと舐めた。
僕はラフィアを促し、向かいあう形で閣下の正面に座る。
同時に、馬車が動き出した。
「公爵様」と口火を切ったのは、ラフィアだった。
ラフィアは、いつの間にか武人らしい背筋が伸びた一礼を身に着けている。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。1年前に閣下から許可証を――――」
「んー。あのさー」
「はい」
「固い! 固いよ! もっと気楽にして!」
「……え?」
「いつもの感じで、同じ内容を言ってみようか」
「え、えっと……」
耳をおろおろと揺らすラフィアが、僕を見る。
僕は頷いた。
「はい、3、2、1」
「……こんにちは、ライモン公爵様」
「そっちのほうが断然いいね。じゃあさ、今度は公爵様じゃなくて、『パパ』って言ってみようか。そのままそっくり取り替えちゃってよ!」
「え、ええと……ライモン、パパ?」
「むっほおおおおおっ!」
「――――閣下」
僕の声は意識していた以上に冷たかった。
「……お、オッケー。パパはやめるよぅ」
つんつん、と人差し指を突き合わせる閣下。
可愛らしさアピールか。要らんぞ。
「まあ、冗談はさておいてだ」
つんつんをあっさりと解くと、閣下はニコニコした顔でラフィアを見る。
「実りのある1年間だったみたいだね」
閣下はそう言うと、双剣士の構えを作り、自分の喉を指差した。
「徴税官の1件、大活躍だったって聞いたよ。――あいつはおれが任命して派遣した徴税官だから、命まではとらなかった。そういうことだよね?」
茶色の瞳はまっすぐにラフィアを見ている。
いきなり来たか……。
「わたしは…………」
ラフィアはしばらく言葉を探して、顔を上げた。
「わたしは――たとえライモン様の前だとしても、ニンセン徴税官に同じことをしたと思います」
「あ。いや、ちがうちがう。責めてるわけじゃない。おれは褒めたかったんだ」
ラフィアの肩がびくりと震えた。
肩を、すかされた。
「オウロウ村の双剣士たちの演舞を見たことがある。でもさ、その演目に『これだけの深さで切ります』みたいなのは無かった。たぶん、できないんだよ。……今回だって一歩間違えば、ニンセンの首の血管が切れてる。そうでしょ? でも、うさみみちゃんはやった。それができる」
「私は……失敗しません。あのときも、失敗してニンセン徴税官を死なせてしまうなんて、これっぽっちも思っていませんでした。今でもそうです。私は、あの程度のことで、失敗しません」
「ふうん、そうか」
閣下は感情の読めない表情でラフィアを見ている。
「それは才能だよ。俊敏すぎる体と、器用すぎる手先。お前は至近距離からなら魔法使いにだって負けない剣士になった」
「……そうかもしれません」
「で、それほどの強大な力を手に入れて、夢は変わってない?」
「…………え?」
「もっと大きなことをしようとか、さ。そういう風に思ったりは?」
「変わっていません。わたしの武術は身を守るためにあるだけです。狩猟術を多くの人に広め、飢える奴隷を減らす。それだけが、今のわたしの願いです」
「ん、そっかー、残念だなあ。『悪の徴税官や市民を切り捨てる双剣士、その正体はなんと兎人族の女の子――!』とか、面白そうだと思ったんだけど……。な? タカハもそう思うだろ?」
「……物語としてはありなんじゃないでしょうか」
「ありだよね」
現実のラフィアは滅多なことで自分の武術を行使しようとはしない。本当に最後の手段だ。
「――――そこに、若い天才魔法使いが義理の弟として加わったりしてさ」
リズムよく会話をしているはず。
なのに、呑まれる。
「……天才魔法使い、ですか? 設定としては唐突ですね」
「そんなことない。モデルはタカハだよ」
「僕は魔法も剣術も人並みですが」
「タカハが15歳なのに複数の属性を使えること、『暁』はなんて言ってるの?」
…………。
覚悟は、できていた。
この人はいつも本気なのだから。
「なんのことでしょうか?」
「最初は、お前が9歳のときだ」
9歳。僕が初めて戦場に立った幼少期。
やっぱりそれを持ち出しされると、厳しい。
エクレアやファラムに使った魔法ならごまかせると思っていたのだけれど。
とりあえず、話を聞く。
「『鉄器の国』が今よりも激しく南の国境深林を攻めていた。ミッドクロウ領の黒色騎士団の失策で、『ミシアの使徒』に大神秘の行使を許してしまった。結果として、『鉄器の国』の部隊を前に絶望的な状況に追いこまれたのは、ムーンホークの魔法奴隷たちだった」
「……」
「『暁』の奮戦もむなしく、押し潰される未来は目に見えていた――って、他の魔法奴隷は言っていたよ。『暁』の弟子を名乗る子どもが来るまでは」
「……」
「その子どもは、まず敵の奇襲を見抜き、次に、『ミシアの使徒』を相手に大立ち回りを演じた。優れた土属性魔法の使い手だったらしいね。魔法奴隷たちは助かり、『暁』とその弟子は喜んでピータ村へ帰っていった。めでたしめでたし」
「……」
「でも――今のタカハは火属性の使い手だって騎士団の名簿には書いてあるよね?」
ライモンは、魔法使いの目をして僕を見ている。
先ほどからグラスの酒はこれっぽっちも減っていない。
僕は肩の力を抜いた。
状況証拠から僕が2系統、3系統の魔法をすでに使えることはバレてしまっている。
腹をくくろう。
ここでつまらない返答をすれば、ライモン公爵は僕に飽きてしまうはずだ。
そうされる前に、踏み込む。
これは――言葉を使った斬り合いだ。
「想像してください」
「うん。オッケー」
閣下は目を閉じ、両手の人差し指をこめかみに添えた。宇宙から何かを受信しようとしているみたいだった。明らかに笑いをとりにきてるんだけど、笑える気分じゃない。
「仮に、僕が15歳なのに複数の属性の精霊言語を操れるとして」
「うんうん」
「――――それを、僕が、正直にお答えすることのメリットはあるのでしょうか」
「あ」
公爵様は、算数の答えに気付いた子どものように純粋な表情をした。
言おうが、言うまいが。
変わらない。
それを質問の形式にした時点で。
ライモン公爵らしからぬ愚問ですね、と僕はそう言ったつもりだった。
「もちろん。僕は単なる火属性使いの従騎士ですが」
「…………くぅううううう~ッ!」
閣下は両足を交互に床に打ちつける。ずんずんと床板がきしんだ。
「いい! いいね! 最高だよ! 従騎士タカハ!」
公爵閣下は額に汗を浮かべている。
「面白い! お前は最高に面白い! 拷問でもなんでもして吐かせようかと思ってたけど、やめるよ! ……おれが認める! やっぱりタカハは、タカハが思ったとおりのことをするんだ!」
もう1歩、いける。
「閣下」
「なに?」
「仮に僕が、閣下が仰るような才能を持っているとします」
「うんうん」
「僕が閣下の敵となるとは、考えないのですか」
「た、タカハ……ッ!?」
ラフィアの戸惑いの視線を感じながらも、僕はライモン=ファレン=ディード公爵の目を見つめ続ける。
冷静に。
僕はゲルフの野望に手を貸すことを決めた。
その結果としてムーンホーク領のすべてをひっくり返すのなら。
この人にだって、価値はない。
むしろ邪魔になるだろう。
それにこの人はゲルフの企みを見抜いているただ1人の人物だ。
この危険すぎる問いかけは、虚構をペンキのように塗り重ねたこの場だからこそ、意味がある。
「いいや。お前たちはおれを殺せない」
ライモン閣下はどこか満足げな笑みを浮かべて腕を組むと、背もたれに身を預けた。
「天秤だよ。おれを生かすこと、殺すこと――それを乗せた天秤は必ず、おれを生かした方がいいって方に傾く。それは騎士団もそうさ。だからおれはこうして生きてる」
「……どういう、ことですか」
「今回の旅で、おれのこの身体に流れる血の価値が分かるはずだ」
僕は一瞬、言葉を呑み込む。
王族に連なる者の血。
貴族になるための必要十分条件。
その、価値。
チリチリと馬車の中にある酸素が減っていくような錯覚が僕を包んだ。
馬車の向かいでゆったりとソファに身を沈める公爵閣下は不敵な笑みを浮かべて手のひらの中のグラスを転がしている。まだ、なにか企んでいるらしい。
僕の剣はそろそろ鈍ってくるだろう。
虚構の上で踊り続けるのは難しい。
その沈黙を――僕の隣から発せられた声が破った。
「…………ライモン様は、なにが目的なのですか?」
ラフィアのその口調は。
どこか同情するようなそれだった。
「ん? 目的?」
「今のお話をまとめると、自分の血にしか価値がないということですよね?」
「…………え?」
「それって……その」
ラフィアはうさみみをぱたぱた揺らして少し考えこんだ後、まるで僕の寝坊をしかるときのような表情で言った。
「寂しいと、思います」
公爵はぽかん、とした表情のまま固まった。
数秒。
そして、自分の膝を打って、笑う。
「くくくっ、あはははっ……! おれは公爵だぞ! 年下の女の子から本気で人生の心配されたのはたぶん初めてだ」
「あっ、ご、ごめんなさい……! わたし――」
「ううん、構わない。……ったく、真面目なのも考えものだな」
ムーンホーク領の支配者は苦笑した。
「面白い以上の価値なんてこの世界にないとおれは思うんだ」
それが――この人の根底なのか。
「欲望も、愛も、願いも、祈りも、悪意も。全部、面白さが根源にある。そうだろ? そう思わなかった? 徴税官はあの悪だくみをしている間、面白くてたまらなかったはずさ。
あいつは徴税官としての生命を掛けてた。その掛け金が、おれの場合は王家に連なる血ってこと。だってそうでもしないと、本当に面白くはならないからな」
僕も、ラフィアも、返事をすることができない。
「だから、うさみみちゃんも面白いことを見つけたのなら教えてよ。おれがお前の特別許可証にサインしたのは、それが目的なんだからさ」
ガタガタと馬車の振動の音だけが響いていた。
僕たちは常にどこかへ進み続けている。
それを思い出させるような音だった。
「…………閣下、ご無礼をお許しください」
そう言って、僕は幕を引いた。
「許すもなにも。言ったでしょ。ぜんぶ冗談だから」
不敵に笑った公爵は「あ」と言って手のひらを打ち合わせた。
「でもやっぱり若干無礼だったから罰ゲーム。うさみみちゃん、以降はライモンパパでいこうか!」
「分かりました。ライモンパパ」
「むっひょおおおおっ!」
その後は互いの深いところに1歩も踏み込まない、型のあるダンスのような軽妙な冗談の応酬となった。
でも――ライモン公爵の瞳は、爛々と輝き続けていた。
その視線はいつまでも僕とラフィアに注がれていた。
それはまるで、お気に入りのおもちゃを見つけた子どものように。
――
ムーンホーク領を出て5日目の昼。
昼食の小休憩の時間に、僕は今回の王都行きへ同行していた17人の魔法奴隷たちのもとを訪ねた。
騎士団長が信頼のおく17人の魔法奴隷たちは、馬車から下りて、小さなグループに別れてゆっくりと昼食をとっている。
ローブにとんがり帽子というクラシックな格好の人が多い。それもそのはず、魔法奴隷たちの平均年齢はたぶん……40歳を超えている。
寿命の短いこの世界では50歳でかなりの高齢となるから、そんな重鎮どころに騎士団長は『招集』をかけまくったようだ。
「タカハさん」
小鳥のさえずりのように高い声。
顔見知りの老魔女が、僕を呼んでいた。
犬人族の耳まで白髪になった老魔女は美しい白髪をシニヨンのようにしている。赤みがかった茶色の瞳。目尻はふわりと垂れている。笑顔も優しい。ヴィヴィさんだ。
「……彼……?」
「おやおや、あの方がゲルフ殿の?」
老魔女のそばに居たもう1人の魔女と魔法使いが僕を見上げる。
ヴィヴィさんに促され、僕は3人の魔法使いに取り囲まれる位置に腰を下ろした。
「タカハさん、こちら、『虚幻の繰り手』ナイア」
紫色の珍しい髪をもつ妖精種の魔女が、僕には目を合わせず「……どうも」と言った。失礼ながら、30歳くらいだろうとあたりをつける。
「こちら、『剛弾の大魔法使い』プナンプ様」
目が細くて、ほわんとした雰囲気の人間だった。ヴィヴィさんより年上なのだろう。僕が目礼をして、プナンプさんはそれに応えると、ゆっくりと口を開いた。
「いや。あれですよ。『大魔法使い』なんて呼ばれてはいますけどね。そんな大したことはしてないんです。まじめに招集に行って。まじめに魔法を撃ってた。私はね、昔はのろまのプナンプなんてバカにされたりもしました。けれど、コツコツやることが肝心なんです。今の若い人は――」
「プナンプ様」とヴィヴィさんが言った。
「あ。いや。失敬失敬。あの。とめて下さいね? つまらなかったら。私、ほうって置かれるとどこまでもしゃべり続けてしまうんですよ。おーい、私はここにいるよー、ってみなさんにお知らせしたい心境なんですな。よく言われるんです。お前の話には目的がない。オチもない。面白くもない。でも――」
「プナンプ様」とヴィヴィさんが言った。
僕はすかさず、会話のバトンを奪い取る。
「ナイアさん、プナンプさん、申し遅れました。従騎士第2階、タカハです」
「……ええ」
「よろしくお願いしますねえ」
「タカハさん、おふたりはとても信頼のおける魔法使いたちです」
ヴィヴィさんはふんわりと笑っていた。
なるほど。
2人も『軍団』のメンバーなのか。
「ね、お2人とも、あの話をタカハさんにもしましょうか」
「……ん」ナイアさんがぼそりと言った。
「いいんじゃないでしょうかね」と、プナンプさん。
「ねえ、タカハさん。今さっきまで、私たちは魔法の本質ってなんだろう、って話していたところだったの」
「魔法の本質、ですか」
「ええ。タカハさんは何だと思う?」
この世界の魔法。
言葉。
ルールに従って編まれる世界への命令。
その本質とは、すなわち――――
「知識、ではないでしょうか」
3人の魔法使いが――深く頷く。
「私たちの結論も――知識よ」
ヴィヴィさんはどこか遠いところを見ながら言った。
「みんな、知らなかった。招集へ行ったとき、どの魔法が使えるか、どの魔法を使ってはいけないか。……もちろん、村の中では決まっていた。私の村は理由もないのに水魔法が大好きでね。ほんとうは招集では使いづらい属性なのだけれど、そればっかりだった」
「駐屯任務をこなした多くの村では、魔法の知識は家ごとに継承されています」
「すごく、無意味な決まりごとよね。だから、私たち話してたの」
ヴィヴィさんは言う。
ゲルフと同じ、魔法使いの目をして。
「――――『魔法の国』全体で、本を作れるんじゃないかって」
「…………あ」
「単位魔法の対価と性質、修飾節の対価と性質、それさえ知ってしまえば、だれだって私たちと同じ魔法を行使できるんです。タカハさんの言うとおり、魔法は言葉。そして、言葉は知識。言葉を知らなければ、どこへも行けない。そうでしょう?」
そういう知識は広められるだろう。でも。
「……発音は、どうするんですか?」
「村に1人ずつ……優秀な魔法使いを置く……。それが……理想……だけど……」
やっぱり僕に視線を合わせずに言ったナイアさんに続けて、プナンプさんが身を乗り出してくる。
「少なくとも、ですな。数字だけで効果を変えられる単位魔法に関しては、さっさとそういうまとめのようなものを作ったほうがいいと思うんです。私もねえ、会う人会う人に秘伝の魔法を教えてくださいって言われるのには、疲れたんですわ。秘伝してるつもりはない、っちゅうやつです」
「だから、私たちは本を作ろうと思うの」
本――――。
魔法の知識を束ねた、魔法の教科書とでもいうような。
ぼんやりしていた道筋が、急速にクリアになっていくような気がした。
知識を広める。
いや、ばら撒く。
村ごとに分断され、管理されていた奴隷たちが、知らなかった単位魔法と修飾節を唱えられるようになる。
奴隷たちが手に入れるそれは剣だ。
剣であり、拳であり、牙だ。
「……騎士団は、とめるでしょうね」
「もちろんそうね。だって、私たちに強くなられたらお仕事がやりにくくなってしまうもの」
「……矛盾」
「奴隷たちを強くしたいのに、強くできない。心中お察ししますな。私、自分が騎士だったのなら、私のような魔法奴隷はやっかいだと思うんです。なにせ実戦経験も豊富だし、魔法については詳しいし――」
「調子、のりすぎ……」
「のれるときにのっておく。それが人生を楽しむコツですよ、ナイア」
瞬間、焼き殺すような瞳でナイアさんはプナンプさんを睨んだ。
ほっほっほ、と鷹揚に受け流すプナンプさん。
ええと。頂上決戦の会場はここですか。
「みなさん、どうして、この話を従騎士の僕に……?」
瞬間、まるでそれが合図だったかのように、3人は真摯な視線を僕に注いだ。
「決まっています。奴隷である私たちにとって、これは夢物語でしかないから」
「……二つ名を与えられた『大魔法使い』だとしても自分の出身の村と領都を行き来することしかできませんからなあ。ですので、騎士様が羨ましいのですよ。行ったことのない地に行き、食ったことのないものを食える。――知らないことを知り、知り得ないことを伝えられる」
「……どこでも……行ける……。その、コートが、あれば……」
いつかゲルフは言った。
小さな事実が歴史を動かすこともある、と。
いつかヴィヴィさんは言った。
僕にしかできない仕事がある、と。
――――このことだったのだ。
僕が、奴隷たちに剣を手渡す。
魔法の知識を編んだ教科書という名前の剣を。
『白光の繰り手』はふんわりと笑んだ。
「もし、タカハさんが私たちと同じように感じてくれたのなら――――この国の魔法奴隷たちのほとんどは、協力を惜しまないでしょうね」




