第89話:「王都に行かないか」と騎士団長は問う。
それは、唐突に。
「――――王都に行かないか」
執務机に両ひじをついた騎士団長は、口元を組んだ腕で隠しながらそう言った。
妖精種の騎士団長の金色の瞳には理性的な光が宿り、鋭い視線は僕を試すようですらあった。
「行きます」と僕は答える。
「即決か」
騎士団長はコートについたいくつもの徽章を揺らして、かすかな苦笑をこぼした。
「夏の休暇の残りが潰れることになる」
「……予定はありません」
「休むのも仕事だ。いずれ分かるだろうが」
「質問をよろしいでしょうか」
「許可する」
「どういう状況で僕は王都へ行くのでしょうか?」
王都シルフェンレート。
それは、『魔法の国』の王が住まう、文字通りの王都だ。
フィンデル湖の湖畔に作られたシルフェンレート王城は『精霊様もため息をつく』ほどの美しさと評される。加えて、王城だけでなく、首都としての機能を担うための必要な開発は十分に進んでいるらしい。ムーンホーク領から出たことのない僕には、想像することしかできない世界だった。
少なくとも、ムーンホーク領都以上の都会であることは間違いないだろう。ふいに、僕は立ち並ぶ高層ビルを懐かしく思い出した。
王様の名前はアーケイン2世。
二つ名は『騎士王』。
武術の才に優れた方だと伝えられている。
同時に、僕はいつか交わしたライモン公爵との会話を思い出した。
『騎士王なんて言われてるけど、あいつはおれの数倍愚劣だよ』
『あの血が半分もおれに流れてると思うとぞっとする』
民の噂話と身内の証言。
実態に迫っているのはどちらか。
……気になるな。
いずれにせよ、首都を見に行ける。
こんな機会、そうそうないはずだ。
「状況としては明白だ。――――『蒼海の国』からの使者が、王城を訪れるのだ」
……『蒼海の国』?
「海の上の、商人たちの国ですよね」
マルムが旅立った、あの国。
「緑色騎士団と関係があるのですか?」
「我らの領が『蒼海の国』からノウハウを提供され、貨幣経済を領都に導入したことは知っているな?」
「はい」
小銅貨、大銅貨はかなり浸透していて、『領都』の外、ビーノ村みたいな小領の中心となる大村では、見かける機会も増えてきた。領都に拠点を置く『魔法の国』の商人たちも好んで使っている。当然、地方での普及率は悪いし、それを悪用したトラブルも確認されているようだ。
「硬貨は、王都やミッドクロウ領でも導入が進んでいるようでな。『蒼海の国』の商人たちが、いわばその礼に来る、というわけだ」
言葉の意味がつかめず、僕は首をかしげる。
「向こうの目論見は明らかだ。金という尺度ができれば、これまでよりはるかに容易く『魔法の国』の物の動きに介入できる。ゆくゆくは、国と国とで金を介した物の取引に持ち込む算段だろう」
『魔法の国』と『蒼海の国』での貿易ってことか。
今のままじゃ……やりたい放題されそうだな。
計算だって危うい人が多いわけだし。
とはいえ、僕はどちらかと言えば公爵閣下の意見に近い。
「お金には、メリットもあると思います」
「もちろんだ。私も閣下に教えられたよ。『税の取り立てが画一化できる』。『大雑把だったものが明らかになる』。……まあ」
騎士団長はふっと肩の力を抜いて、執務机から立ち上がった。そのまま、奥にある窓に近づく。騎士たちの緑のコートがいくつも練武場に見えた。昼食をとるために帰ってきたり、昼食をとって午後の任務に出かけていく騎士たち。
騎士団長は目を細めて、その様子を見ている。
「貨幣経済を個人的に好かん、というだけだ。全員が歓迎していてはやつらの思う壺だろう。公爵閣下が貨幣経済を導入したがっているのなら、冷静に見極める者が必要だ」
「では……今回は公爵閣下も?」
「閣下に加え、お側付の文官が10数人。護衛する戦力として、私を含んだ正騎士の17人隊を1つ、信頼のおける魔法奴隷たちを同じく17名だな。残りは肉体奴隷だ」
想像していた以上の大所帯だった。
「その末席に――――将来が楽しみな従騎士の若者を3人、加えたいと思っている」
騎士団長は僕のほうを見て、人差し指を立てた。
「宮廷作法に通じ、だれからも話を聞き出す交渉能力を持った、従騎士リュクス」
中指。
「魔法の師と努力の才に恵まれたことで、魔法と軍略に一級品の実力を有する、従騎士プロパ」
薬指。
「柔軟な思考と、戦術的なセンスによって、すでに騎士としての頭角を表している、従騎士タカハ」
ぞく、とした。
僕は、なにに驚いたのだろう。
なにに恐怖したのだろう。
なにに興奮したのだろう。
騎士団長の言葉に、なにを感じたのか。
この人は、出身にとらわれていない。
ただ、純粋に、実力を評価しているのだ。
それが今の騎士団では信じられないくらいに、かけがえのないことのように思えた。
「休暇を潰した課外実習というわけだ。食料と眠る場所以外の報酬はない」
ゆっくりと、妖精種の団長がこちらに近づいてくる。
「だが、決して無駄な時間とはならないだろう。見識を広め、考えを深めることができる、貴重な時間となるはずだ」
騎士団長は僕の右肩に手を置いた。団長の手の下、緑のコートとイエルの中にある僕の皮膚には――――奴隷印が刻まれている。
僕は騎士団長の金色の瞳を見つめ返した。
見透かすような視線が、僕の中にある何かを探っている。
「王都に行かないか、従騎士タカハ」
僕は三度、自分の呼吸を聞いた。
「…………行きます」
「今度は、即決ではないのだな」
「公爵閣下まで同行されるような、重要な任務とは思っていませんでしたから」
「なおのこと、価値のある時間となるだろう」
騎士団長はこれまでとは違う、気まぐれな友人を見たときのような苦笑を浮かべた。
「あのお方は旅が好きなのだ。まあ、行けば分かる」




