第8話:「どうして僕だけ!?」と僕は老魔法使いに声を荒げる。
第7月。別名は『雨の月』。春を少し通り過ぎ、梅雨のような少ししっとりとした天気が続く月だ。
その、1日目。
ゲルフの魔法の『教え』が、この日、はじまった。
僕はこの日を待ちわびていた。
魔法。
どんな力なのだろう。なにができるのだろう。
カミサマの言葉も、奴隷印を刻まれた日の痛みも、すべて吹き飛ばすほどに、僕は興味がある。
それは、僕がこの世界を生き抜いていくために不可欠な力だからだ。
場所は……当然のように僕の家だった。0歳と1歳のときはカゴの中に入れられて見学することができたけれど、2歳以降は魔法の授業の場に立ち入ることは許されなかった。おあずけを食らい続けた犬の気持ちが僕には分かる気がした。魔法も小さいころから英才教育をすればいいのに。なにか理由があるのだろうか。
先生であるゲルフは正面。黒板のような板と白い木の枝を持っている。くたびれたとんがり帽子を外しているせいで、ボサボサの髪とひげが存在感を主張していた。
生徒である子どもたちは学年ごとに並ぶ。
7歳の子どもたちは3人、8歳の子どもたちは2人だった。
どこか自信ありげな表情で、後ろにいる僕たちを見ている。
僕を含む6歳の子どもたちは4人。
僕、ラフィア、マルム、プロパだ。
「皆も知っての通り」
ゲルフが朗々とした声で言った。「先日行われた『9歳の儀式』では、3人全員が魔法を初めて唱えることに成功した。……回路が今は細い者でも、わしの授業を受ければ魔法使いになれる。じゃが、ただ受けるだけではダメじゃ。わしの授業に加えて、お前たちそれぞれの努力が必要となる。肝に銘じよ。……よいな?」
「「「はい!」」」
子どもたちが一斉に応える。ゲルフの視線は優しい。その言葉には従いたいと思わせるだけの安心感がある。
けれど、ゲルフは僕と目があったことに気付くと、さっと視線を外した。
……ため息は6歳の子どもっぽくないから、堪える。
「では……。プロパ」
「はいっ!」
大人たちと会話をするとき、プロパは元気で明るくて可愛い妖精種の少年になる。青い瞳は宝石のようだ。6歳にしてこの立ち回り。将来が楽しみだ。
「魔法とはなんじゃ?」
「魔法は、精霊さまがあたえてくださる、ちからです」
「うむ、よく勉強しているな」
ゲルフは黒板に7つの記号を書いた。
その下にはとんがり帽子をかぶった魔法使いの絵。意外と上手い絵だった。
「魔法は、この世界の隣にいらっしゃる7体の精霊様が、われらをほんの少し手助けしてくれる恵みじゃ。太陽や雨と同じように感謝をしなければならない。決して、自分の力であると思ってはならぬ」
7体の精霊様を示す記号から、魔法使いへ矢印が注がれる。
その矢印は魔法使いの体を通り過ぎ、稲妻や炎として放出された。
さらに、ゲルフは黒板の隙間に小さな丸をいくつも書きつけた。
――――それは世界にあふれる『マナ』。
「世界には『マナ』というエネルギーが満ちている。
この世界の隣には『7体の精霊様』が居て、
魔法使いは『願い』を精霊様に届けるために『呪文』を使う。
呪文が完璧であれば精霊様がマナを力に変えてくださり、『魔法』が発動する」
ゲルフは黒板のような板に白い枝で文字を書きつけながら言った。
「わしの授業はこの順番で進む。まず、マナを視て、呪文のための精霊言語の発音を学び、そして――9歳になったとき、初めて魔法を唱える、というわけじゃ。……年上のお前たちは互いに『精霊言語』の唱えあいをして、勉強するように。6歳の子どもたちはまず、マナを視る訓練から始める」
ゲルフが僕を見た。
僕は、すでにマナを視ることができる。
ゲルフだってそれを知っているはずだ。
けれど、ゲルフはあっさり僕から視線を逸らすと、残りの3人に向けて言った。
「目を閉じ、集中してみよ。光る粒、甘い匂い、かすかな音、母親の温もり、雲の味……感じ方はそれぞれじゃ。皆、魔法を操るための回路を持っている。精霊様へ至るその道がマナの存在へ導いてくれる」
――
6歳の3人の集中力が徐々に切れてきた。
うんうんと唸っているが、どうやらマナが視える気配はなさそうだ。
そんなに苦労しなかったけどな……と僕は1人優越感に浸る。
僕は赤ちゃんだったから簡単にできたのだろう。
やっぱり1歳くらいから魔法を教えればいいのに、と思う。
僕は集中した。
ぼわん、と感じるそれは光の粒。そしてわずかな温もり。
部屋の中には4つのマナがある。
「マナは次第に視えるようになってくる。継続して意識し続けること。これが肝要じゃ」
「「はい」」
「続けて座学に移ろう。題は、『呪文と精霊言語』じゃ」
ゲルフは黒板を持って、僕たち4人の前にやってきた。
待ってました。
この話を僕はずっと聞きたかったのだ。
「マルム、『精霊言語』について知っていることはあるか」
「はい、ゲルフさま……。『精霊言語』はふるいことばで……、えっと、……精霊さまに『願い』をとどける、ための……ことば、です」
「うむ。正しい。呪文は『精霊言語』によって編まれる。つまり、魔法を唱えるために、わしらは『精霊言語』の意味を暗記し、その発音を練習しなければならぬというわけじゃな。……では」
ゲルフは軽く咳払いを挟んで、言った。
「”火”」
……ん?
今、〈火〉って言った?
そのとき――僕の脳内で記憶が連鎖した。
5年前。僕の身体がまだずっと幼かったころ。ゲルフの家を訪ねてきた魔女が居た。メルチータさん。あのエルフのお姉さまは最後に、僕にこう言った。
『ね、タカハくん。繰り返してみて。”火”』
そして、僕は繰り返すことができた。
……そうか、あれ、呪文のための言葉だったのか。
精霊言語、だっけ?
『対訳』の力のおかげで、難なく発音できたのだろう。
それを、2人は驚いていたのだ。
「”水”、”風”……」
残りの3人は固唾を飲んでゲルフの言葉を聞いている。
「意味は分かるか?」
ゲルフが3人を見てから、最後に僕の目を見た。
「はい。火、水、風です」と僕は言った。
瞬間、空気が凍りついた。
3人が驚いたように僕を振り返る。
ゲルフは僕を無表情に見つめている。
しまった。これは失敗だ。ゲルフの問いは確認ではなかったのだ。未知の言葉である『精霊言語』を子どもたちに聞かせ、『分かりません』と答えさせることが目的で――――
「え、えっと……ごめんなさい、ゲルフ。その、当てずっぽうで……」
「ったく。びっくりさせるな、タカハ」とプロパが言う。
「もう……」とラフィアが苦笑し、「やれやれ」とマルムが肩をすくめた。
「火、水、風で正解じゃ、タカハ」
ゲルフが低い声で言った。
少なくとも、僕を褒めるような口調ではなかった。
「次にお前たちは」とゲルフはあっさり話題を切り替える。「『精霊言語』を記憶する必要があるが……その前に、なぜ6歳になるまで魔法を教えないのか、その理由から話そう」
簡単なことじゃ、とゲルフは言った。
「『精霊言語』を正しく並べれば、呪文となる。幼い子どもに『精霊言語』を練習させれば、その過程で魔法を暴発させてしまう危険性がある、というわけじゃな」
なるほど。
「練習のつもりで呟いていた『精霊言語』がぴたりと呪文の形となり、母を焼き払ってしまった魔法使いをわしは知っておる。……お前たちがこれから手に入れるのは、そういう力じゃ。心せよ」
この世界の魔法は、言葉だけで引き出せる力のようだ。
エネルギー源であるマナは周囲に漂っているし、それを魔法という結果に変換してくれる精霊様も異空間にいらっしゃる。ミスさえしなければ、どうやらデメリットはなさそうだ。
「”土”、”水”、”風”、”火”」とゲルフが『精霊言語』で言った。
「これは順に、精霊様のそれぞれの属性である土、水、風、火、という意味じゃ。何度か繰り返そう。”土”、”水”、”風”、”火”――――」
僕はためしに、『対訳』の力をカットしてみた。
『精霊言語』を意味ではなく、純粋に音で聞くことになる。
「 、 、 、 」
ま、まったく聞き取れない……。
ゲルフの口が動いていることは分かるけれど、舌や唇を使った不思議な発音と、絶妙に上がったり下がったりを繰り返すアクセントのせいで、木の葉がこすれあう音のようにしか聞こえない。こんなの、発音できるようになるのか? 僕は『対訳』が自動にやってくれるけど、子どもたちにとってかなり大変な鍛錬だと思う。
「今は難しくとも、案ずるでない。我が村にはこの発音を教えることを得意とする者が多く居る。もちろんわしも含めてじゃ。みな、鍛錬を怠らねば必ずこの発音を――――」
ゲルフの言葉を聞き流しながら、僕は『対訳』の力のことを考えていた。
こうして考えると、たしかに『対訳』は強い。すさまじく便利だ。
でも。
神様はこの力が『最強』と言っていた。
最強なんていうフレーズで心が躍ったりするわけではない。あのカミサマだってそれは同じだろう。だからこそ、引っかかるのだ。僕を転生させるような存在が、単に『強い』ではなく『最強』という言葉を選んだことには、なにか理由があるような気がする。
精霊言語を練習無しで6歳のうちから自由に操ることができるから、最強……?
そういうことなのだろうか。
――
その次の授業は魔法の属性の話だった。
「精霊様は7柱のそれぞれが属性をつかさどっており、そのうちの4柱が下位属性、3柱が上位属性を担う。ラフィア、それぞれの属性は覚えているな?」
「はい! 土、水、風、火の4つと、空、識、時の3つです!」
「正しい。……さて、魔法の呪文はまずどの精霊様に『願い』を立てるかをはっきりと宣言する。呪文の第1節目、精霊様に訴えかけるこの1言目を、特別に『属性指定節』と呼び、われら魔法使いは重要視する。……それはなぜか」
僕たちは互いに目配せをする。
「タカハ、想像はつくか」
属性を指定するわけだから……うーん。
「……魔法の種類が、変わるからだと思います」
「いい線をいっているな。我ら魔法使いが『属性指定節』に細心の注意を払うのは――精霊様の一柱一柱によって、同じ単語でも、発音が微妙に異なるからじゃ」
……なんだって?
「こう考えればよい。
たとえば火の精霊様は、お前たちの話し言葉のようなものを使う。『いきなり雨が降ってきてちょー大変だった』。
一方、水の精霊様はわしら老人の話し言葉じゃ。『急に雨が降ってな、これがもう大事じゃったのよ』。
さらに、風の精霊様は領都で使われるようなきっちりとした言葉としよう。『急に雨が降り、とても大変だった』。
これと同じように、それぞれの精霊様ごとに精霊言語は微妙に変化し、活用する。『属性指定節』を我らが重要視する理由はこれじゃ」
「……ゲルフさま」とプロパが恐る恐る言った。「精霊様には、それぞれの言葉があるんですか……?」
「その理解で正しい。単語の数は同じじゃが、微妙に発音が異なる。そして、この使い分けは習熟しなければひどく難しいのじゃ」
要するに、訛りだ。7柱の精霊様のそれぞれに訛り言葉で話しかけなくちゃいけないってわけか。
「魔法を使うために最低限必要な単語は、17の3倍個程度あるから……2属性を使いこなそうと思えば――」
1属性で最低50単語。
2属性なら、その倍の100個単語。
その発音を習得しなければ、2属性使いにはなれない。
しかも、属性間の発音の違いは微妙すぎて、使い分けがとても難しい、と。
「よって、魔法使いのほとんどは、自らの得意属性を定めている」
……なるほどね。
自分がお世話になる精霊を1つ決めておけば、単語の活用までは覚えなくてすむ。
「今日はお前たちに自分の主力とする属性を1つ定めてもらう。上位属性は口伝されている魔法の数が少ないため、よほどの事情がない限り認めない。下位4属性の中から選ぶとよい。幸い、我がピータ村は4属性の配分がほぼ均等じゃから、好きなものを選んでよいぞ」
「オレは……じゃない! ぼくは水属性にします!」
大声で言ったのはプロパだった。
ゲルフは深く頷く。「ジアトもレミーラも水属性の優れた使い手じゃ。そうしなさい」
「はいっ!」
「さて、残りの3人はどうするか」
「ゲルフさまー、それぞれの属性のこと……教えてくださいー」
マルムは珍しくぱちっと目を開いている。
よかろう、とゲルフは黒板と白い木の枝を持ってきて、それぞれの精霊様を司るシンボルを書きつけた。
「土属性は攻撃と防御に優れる。地面の壁を生み出す防御魔法はおそらく『魔法の国』で最も多く使われている魔法じゃろう。攻撃魔法も優秀なものが揃っておる。その分、自らや他者を強化する補助魔法はほとんどない。
火属性は攻撃に特化した属性じゃな。ありとあらゆる燃やし方、破壊の仕方を学ぶ。また、肉体を強化する補助にも優れており、騎士が好んで使うのもこの属性じゃ。
風属性は攻撃、防御、補助のバランスが良く、万人向けではある。が、その一方で、空気を操るイメージが難しいためか、上達が少々難しいと言われておる。優れた使い手は雷をも操る。
水属性は下位四属性で唯一の肉体を修復する回復の呪文が含まれる。また、防御や幻惑にも長ける属性じゃ。その分、攻撃力は低めとなる」
それにしても……マジでゲームそのままだ。
分かりやすくていいけどさ。
「どの属性使いにも活躍の機会はある。そういう意味で、わしはお前たち4人にはそれぞれ別の属性を選んでほしいと思っておる。これまで育ててきた他の子どもたちにもそう教えてきた」
思わず、僕は口を開いた。
「ゲルフは、4属性を全部使えるの?」
ゲルフは一瞬、沈黙した。
「まあ、かじる程度にな。得意は火属性じゃよ。……さて、どうする?」
ゲルフの視線を受けて口を開いたのは、マルムだった。
「タカハ、ラフィア……私、土にしてもいいかなー?」
「いいよ。でも、どうして、土?」ラフィアが首をかしげる。
「……うーん」
マルムはしばらく――といっても10秒くらい――眠そうな目をして、天井を見上げた。
「……自分のことを、自分1人で守れるように……なりたいなー、って」
「守りは土属性か水属性が優れる。よい選択じゃと思うぞ」
ラフィアはそわそわと耳を動かして、僕に顔を向けた。
「私たちは、どうしよっか?」
「僕はどっちでもいいよ。ラフィアが決めて」
「じゃあ――――」
「では、タカハは火属性にせよ」
素早く言葉を差し込んできたのは――ゲルフだった。
「ラフィアは風属性でもよいか?」
「うん! わたしもそう言おうと思ってたから!」
「タカハもよいな?」
「えと……はい」
火属性ってことは、攻撃特化か。
響きとしては、悪くない。
でも、正直――僕にとってこの属性決めはどうでもよさそうだった。
だって僕には『対訳』の力がある。
能力の性質から予測するかぎり――僕は今すぐにでも、すべての精霊様に向けた訛りを使いこなせるはずだ。火属性も、土属性も、水属性も、風属性も、今すぐに全部。
たぶん、これがカミサマの言っていた『最強』の理由だ。
僕は生まれながらにして全属性の使い手なのだ。
「では決まりじゃ。これより2年間をかけて、お前たちは『精霊言語』の発音を習得する。4人とも系統が異なるため、次回から指導は別の場所で行うこととなる。……その指導は村の中でもっとも優れた属性の使い手たちに依頼しておいた。プロパはジアト、マルムはガイデル、ラフィアはソフィ、そして――タカハはわしじゃ」
…………げ。
ゲルフの黒い小さな瞳と目があった。普段のブラックな仕事を思い出して、僕はやや暗い気分になる。もしかして、魔法の鍛錬もハードモードになるんじゃ……。
子どもたちがそれぞれの属性使いたちのもとへ散っていく。
家には僕とゲルフだけが残った。
「タカハ。早速繰り返してみよ。”火”」
「”火”」
久しぶりの精霊言語だったけれど、『対訳』の力がイメージ通り発音させてくれた。
「”風”」
「”風”」
「”1、2、3”」
「”1、2、3”」
「”巨大なる”、”回り込む”、”無音の”――――」
「”巨大なる”、”回り込む”、”無音の”――――」
5分ほどだろうか。僕はゲルフの言葉をひたすらに繰り返した。飽きてあくびが出そうになったころ、ゲルフがようやくリームネイル語で終了を宣言した。
「よかろう。……では、タカハ、伝えておくことがある。これはわしの中での決定事項じゃ」
「決定事項……?」
ゲルフはかすかに顎を引いて、言った。
「――――お前には当分、『精霊言語』を授けないこととする」
「…………え?」
「他の子どもたちが『精霊言語』を学ぶ期間、お前には狩猟団の手伝いを命じる。早速ゆくぞ」
「ちょっと待ってよ!」
背を向けようとしたゲルフを慌てて呼び止める。
「どうして僕だけ!? ふだんのお手伝いだって、みんなの何倍も多いじゃないか!」
「それが我が家の方針じゃ」
「方針って……! 納得いかない!」
「納得する必要はない。お前は幼い。大人の言うことを聞きなさい」
「……ッ」
鋼鉄の壁のような表情と口調に、僕は反論の言葉を失った。
たしかに、僕はゲルフに拾われた。それだけじゃない。眠るところも、服も、食事だって、全部ゲルフが用意してくれている。だから、従うことしかできない。
でも、転生したときのゲルフはこうじゃなかった。
もっと優しくて、冷静な人物だと思っていた。
従うのか。
説明もしてくれない、この人の言葉に。
でも、従う以外の選択肢はない。
僕はまだ1人では生きていけないからだ。
――――その日以来、僕のお手伝いはさらに増量された。
最初のうちは待遇の改善を要求していたけれど、僕は次第にそれを受け入れるようになった。狩猟団の大人や先輩たちはまだまだ幼い僕を大切に育ててくれた。いつしか僕はそのお手伝いに没頭していった。
ゲルフとの関係は対照的だった。
いつしか僕たちは「おはよう」の言葉を交わさなくなった。
ゲルフはいつまで経っても魔法の知識を教えてくれなかった。
僕もゲルフに頭を下げるのは嫌だったから、できるだけ顔を合わせないように、狩猟団に通い詰めた。
この世界の1年は17かける17で289日。
前世より少し駆け足に季節は進む。
その車輪が一回りするたびに、僕とゲルフの間の溝は確実に深まっていった――――