第86話:「もしかして、太られたんじゃ?」と若頭がおどける。
作戦を決行する日。
僕たちは閉店している酒場『コンラド』の前に集合した。
「やっほー!」
先に集まっていた僕、プロパ、リュクスの輪にエクレアが飛びこんでくる。
すぱーん、と側頭部を撃ちぬかれたみたいだった。
今日のエクレアは、シフォンさんの用意した『とびっきりの服』を着ている。
「……なかなか、良いね」としか僕には言えなかった。
「んー? なかなか? それが女の子をホメる言葉なのか?」
エクレアの薄青の瞳が低いところから僕を見上げている。
……ボクはオトコだっていう設定はどこに行ったんだ。
「エクレアの言うとおりだね、タカハ。もっと上手に褒めるべきだよ」
「そうは言うけどさ、リュクス。これはなんていうか……」
シフォンさんが仕立てたエクレアの黒い服は、なんとも表現できない。
当然のように、カジュアルな感じではない。この世界のフォーマル寄りに振り切っている。襟があるからイエル、なのだけれど、ドレスの成分も混じっていて、でも、スカートではなくて……混乱する。
エクレアはうっすらと化粧をして、目元にはキラキラした輝きが散っている。右目の下に小さなホクロを描いたシフォンさんのセンスに脱帽だ。性別不明のイタズラっ子が精一杯背伸びをしてスーツを着てみた……そんな倒錯的な魅力がある。
なんだろう。よく分からないけど、変なジャンルに目覚めてしまいそうだ。
「……なかなか、すごいね」
「すごい……。含みがあるな」
「お姉ちゃーんっ!」
とててっと近づいてくる足音に振り返って、本日2度目の衝撃が僕を打ちすえた。
コロネちゃんの白を基調にしたドレスは一見、王道ど真ん中のデザイン。だけれど、歓楽街から浮かんでしまわないようなアレンジがいくつも加えられている。絶妙な位置に切り込まれたスリットと肌の露出が、小柄だけれど柔らかい雰囲気のコロネちゃんの魅力を最大限に引き出している。
オレンジの髪はふわふわのアップ。
ミスマッチギリギリの唇の赤さ。
シフォンさん……あなたはマジで有能です。
僕は心の中で騎士団の礼をシフォンさんに向けた。
そのシフォンさんには、万一の場合に備えて、フレーズ村の中で逃げ込める場所を確保してもらっている。
「やれやれ。俺たちの出る幕はなさそうだ」
リュクスが残念そうに肩をすくめる。
僕たち3人は、2人と比べるとずいぶん落ち着いたイエル+ローブの標準装備だ。
「当然だろう。オレたちは『従者』なのだからな」
腕を組んだ2人は、姉と妹であり、エスコート役と姫君であり、単体でも文句なしに魅力的な少女たちのコンビだ。たぶんライモン公爵だって言いなりにできるんじゃなかろうか。
「時間だ。行こう」とプロパが言って、僕たちは歩き出す。
ガレットの館はシフォンさんの店からそんなに遠くない。
しばらくして、僕たちは大きな館の前に立っていた。
フレーズ村の中心地からはやや外れている。そのせいで周囲の建物は背が低く、対照的に3階建ての館の大きさが際立っていた。敷地面積も広い。塀は高く、要塞のような物々しさがある。何気なく通りを歩く人たちに監視役が紛れ込んでいることを僕は確認している。
「エクレア」と僕は言った。
エクレアはゆっくりと頷いた。
「――――大丈夫、いけそうだ」
そのまま、全員に視線を向ける。
「みんな、ボクに力、貸してくれ」
無言で僕たちは頷きあい、僕は正門の近くに用意された呼び鈴を鳴らした。
大きな鐘の音が響き、鉄格子の向こうに見える館から、人間の男が歩いてくる。黒いコート、灰色のイエル。ガレットの手下だろう。オールバックにした髪と鋭い眼光が印象的だ。
「お待ちしておりました」
男は機敏な動きで鉄格子の鍵を開き、左右に引く。
そこで、男は視線を――エクレアに向けた。
「お嬢、5年ぶりです。お元気でしたかい?」
「コーデ……。コーデなんだ!? そのコートはもしかして、若頭になったの?」
「はい。つい最近、ですがね」
「大出世じゃないか。ちぇ、前みたいに肩車でもしてもらおうと思ってたのに……」
「お安いご用っ」
「うわわっ」
ひょいっと子犬でも担ぐような手つきでエクレアを肩に乗せながら、「皆さん、こちらです」とコーデさんは言った。僕たちはコーデさんの背中に続く。
「……んお? お嬢」
「どうしたの?」
「もしかして、太られたんじゃ?」
「成長期だ! バカコーデ!」
「いててっ。耳を引っ張るのは勘弁してくださいっ。耳に筋肉はつけられないんでっ。……コロネのお嬢も乗りますか?」
「私も成長したからやめとくっ!」
……き、緊張感ないなー。
僕は少しずつだけれど緊張してきた。
3階建ての大きな館の扉の前に立つ。
コーデさんは肩からエクレアを下ろした。
「ありがとう、コーデ」
「……いいんです。おれも、親父がやってるあの仕事だけは、嫌いなんで」
「メーワク、かけるよ」
「お任せを」
エクレアとコロネの影響力。
それは想像以上に強力だった。
若頭であるコーデさんは、かつてエクレアの養育係だった。
そして今回の作戦では――内部で最大の協力者となっている。
その話を取りつけてきたのがリュクスだというのだから……もうね、どんな交渉力なのか。『話してたら仲良くなった』と言ってたけれど、並大抵のことじゃない。
扉が、音もなく開いていく。
木の扉は分厚いだけじゃなく鉄で裏打ちされている。退路としては使えないだろうな、と冷静に判断する。1面を開けるのに屈強な大男が2人。計4人が扉の開閉に従事していた。美しきムダだ。
館に踏み込む。
瞬間。
「「「「おかえりなさいッ!!」」」」
胸に板を叩きつけられたかのようだった。
統一された声量に圧倒される。
豪奢な館の大廊下の両側には、ずらりと男たちが整列している。全員、一癖も二癖もありそうな雰囲気をぷんぷんと発散して、服装は灰色のイエルで揃っていた。すごいところに来ちゃったな……。
さっと両側から近づいてきた男たちが僕、リュクス、プロパのボディチェックをする。当然、武器となるようなものは持ち込んでいない。
だれかが耳元で囁いた。
「お分かりかとは思いますが、魔法については、どんなものであれ、ご遠慮ください。……お嬢のご友人といえど、疑わしきには対応させていただきます。そういう風に教えられてますんで」
修飾節で範囲を拡張した混乱魔法『識の8番』をなら――――と考えていた僕は、釘を刺されたような気分だった。
3回連続で放てば、たぶん、この大広間の全域にそれを広げることができる……けれど、おそらく、ここにいる人間が全部じゃないし、魔法の不意打ちへの対応だって仕込まれているだろう。
大きな階段を回って、2階へ。
「お友だちの皆さんは、こちらでお待ちいただきます」
コーデさんは丁寧な仕草で扉の1つを開けた。反論が許される雰囲気ではない。
僕たち3人は部屋に入る。
入れられる、という表現が近いか。
「お2人はこちらです。どうぞ」
エクレアとコロネがコーデさんに続いて歩いて行く音を最後に、扉が閉められた。
僕たち3人が気を緩める――――ことはない。ソファも、テーブルも、やたら豪華な部屋の両隅には、置物のように微動だにしない男が1人ずつ居た。
「座らせてもらおう」とプロパが言った。
館の主のようにためらいなくプロパはソファに身体を沈める。僕とリュクスも続いた。
……ここまでは、想定の範囲内だ。
手はずとしては、エクレアとコロネちゃんがガレットと会談。
しばらくは他愛のない話を続ける。
10分後、僕たちをガレットに紹介する流れになっている。
「あの……」と僕は扉の近くにいる男に声をかけた。「すみません。えっと、緊張してしまって、お腹が痛くて……あはは……」
「……待っていろ」
男は凍りつくような視線を僕に向け、部屋の扉から半身をはみ出させた。
二言三言を交わし、頭を部屋の中に戻すと、言う。「ついてこい」
「すみません」
「……」
僕は廊下を男に続いて歩く。
美しい木目の柱、上質そうな絨毯……さすがに王都の城ほどではないけれど、ムーンホーク城よりは明らかに豪華な見た目だ。儲かっているのだろう。
「ここだ」
不意に、男が足を止めた。
扉のないその空間は、床が磨かれた石に変わっている。
「え……? でも、2階ですよね?」
エクレアの説明を受けて知っていたけれど、とぼけなければならない。
2階にトイレがある建物は、水道の概念すらないこの世界には存在しないはず。
「エクレア様のアイデアを『支配人』が実現したものだ。用を足したら水を流せ。管を伝って、しかるべきところに流されていく」
「えっと……詳しく教えていただいていいですか……?」
「ちっ……」
男は大きく舌打ちすると、トイレの中に入っていった。
トイレもすみからすみまでピカピカに磨かれている。社員教育の賜物だ。
「誰だって見れば分かる……。いいか。こっちを向いてかがめ。用が済んだら、このレバーを引くんだ」
男は個室に踏み込み、1番奥にあるレバーを指で示している。
僕は1歩分、男に接近して。
――――その鼻先に人差し指を突きつけた
「”待機解除”」
「な――ッ!?」
僕がこの屋敷に入る前に”待機”させておいた魔法が、発動する。
『風の3番』、対価は5。
吸いこんだ者を強烈な眠りに誘い込む風属性の特殊な単位魔法だ。
僕の人差し指から生み出された霧は一瞬で男の顔の真正面を覆い――タイミングよく、男はその空気を吸いこんだ。
かくりと男が意識を失う。
「……」
僕は安堵のため息を漏らした。呼吸のリズムに合わせないと効果を発動させるのが難しい魔法なのだ。
僕は個室の鍵をかけ、気絶した男を便座に座らせると、それを足場にして個室から脱出した。
足音を殺して、着地。
うんうん、スパイっぽいぞ僕――と勝手に気分をよくしていた、その瞬間だった。
「……あ」
思わず声が出た。
――――トイレの出口には、別の男が立っていた。




