第85話:「いくらでも疑えるでしょうっ!?」と橙の髪の少女が叫ぶ。
「あたしの想像以上だったね……」
酒場の女マスター、シフォンさんは少し暗い声で言った。
「北の裏路地にある『ガルニの園』っていう店で、たしかに幼い子どもが働かされてるらしい。酔っ払った市民様が言いふらしていたよ。けれど……そこは会員制だ。客は招待状を受け取る。そうしなければ入れない。直接踏みこんだとして、その子たちを全員保護できるかどうか……」
正騎士3人とシフォンさん、エクレア、その妹のコロネちゃんは、店のテーブルを囲んで、話し合いをしていた。酒場『コンラド』の窓の外は日が落ちている。燭台の明かりが、全員の顔をぼんやりと浮かび上がらせる。
かつてのエクレアと同じように、ガレットによって人間の尊厳を踏みにじられている子どもが居る。
それを助けるために集まっている。
……んだけれど、状況は厳しい。
会員制に招待状、か。
「なんとか招待状を手に入れられないかな?」
「けどさータカハ。招待状を手に入れたとして、助けられるのは1人だけだろ?」
リュクスの指摘は冷静。
「ガレットさんだって小さい子どもを働かせることのリスクを承知してるはずだ。対策はしてるってわけか」
シフォンさんはがりがりと髪をかいた。
「店を使えないようにしちゃうのはっ!?」
「お? コロネちゃん、ナイスアイディアだね」
「でもっ、それじゃ、なにも解決しない、ですよね……っ」
「うーん……」
「……たしかに」
「……」
「……」
全員が沈黙したかに思われた。
そのときだった。
「――――む? 提案はもう終わりか」
驚いた、というような口調でそう言ったのはプロパだった。腕組みを解いた妖精種の正騎士は実際に驚いたみたいで、青い瞳をきょろきょろと残りの5人に送っている。
だれも、答えない。
プロパは顔をしかめた。
「お前らはプロだろう、タカハ、リュクス。だから戦略や戦術の勉強をしろと言っているんだ」
怒られたとすら気付かないような、淡々とした非難だった。
「「す、すみません」」と、僕とリュクスの声が重なる。
プロパの青の瞳には、どうやら、僕には見えない何かが見えているようだ。
「オレにはこの会議を進める方向性が1つある。……が、その提案をする前にだ」
プロパはコロネちゃんを見た。
首を傾げた拍子に、オレンジ色の髪がぱたりと揺れる。
「ここから先、コロネに聞かせるかどうか、オレは決められない」
…………え?
コロネちゃん本人だけでなく、エクレアやシフォンさんですら、呆然とした表情を浮かべている。
「心理的な立ち位置を考慮しても、コロネが、こちら側だっていう確証がもてない」
リュクスが少し低い声で言った。
「……なあプロパ、それってどういうことだよ」
「分からないのか? コロネとガレット氏の関係は、こじれていないのだろう?」
「お前さ、そんな言い方ってあるか――ッ?」
リュクスは立ち上がる。
プロパの青い瞳はこれっぽっちも動揺していない。
「オレだって『鉄器の国』の兵士を撃滅しろっていう作戦なら、この程度のリスクは無視している。だが、今回はことがことだ。失敗して被害を受けるのはオレじゃない。しかも、1度でも失敗してしまえば、エクレアの立場がものすごく危うくなる。万全を期すべきだ」
「…………」
リュクスは目を見開いて、言葉を返すことができない。
プロパはエクレアを見た。
「だから、エクレア、決めてくれ。コロネをどうするか」
「はっ、決まってんだろ。トーゼン――――」
「私っ!」
エクレアの言葉を、顔立ちのよく似たコロネちゃんが遮る。
やせ我慢をしたような、笑顔とともに。
「私っ。下りますっ。プロパ様の言うとおり、ですっ。……たしかにパパとはときどき会って話したりするし、そのときにしゃべっちゃうかもしれないから……っ」
「いや。コロネには手伝ってもらうぜ」
「お姉ちゃん、でもっ――――」
「今、コロネは自分から『下りる』って言っただろ? どうして裏切ろうとしてるやつがそんなことを言うんだよ?」
「いくらでも疑えるでしょう……っ?」
「いくらでも信じられる」
「どうしてっ!? 最近は1年に1回しか会ってなかったのにっ!」
「それでも分かる。ボクたちは姉妹だ。コロネは、そんなに変わってない。相変わらず、いい子だ」
「……っ!」
コロネちゃんは『コンラド』を飛び出た。ベルの音が酒場を満たす。
プロパは目を閉じてそれを聞いている。
「わるい、正騎士サマ。ちょっと待っててくれ」
エクレアも酒場を飛び出していく。
「タカハ」とプロパが僕の肩を押した。「オレにできるのはここまでだ。……あとは頼むぞ。戦術的に判断して、ここはタカハの出番だ」
立ち上がり、僕も酒場を出る。
エクレアの薄青の髪が夜に落ちた細い通りの奥に見えた。
僕は様々な色を投げかける燭台の間を走り抜ける。
体力は明らかに、僕、エクレア、コロネちゃんの順だった。
僕がエクレアに追いついたのと、エクレアがコロネちゃんの右腕をつかんだのは、ほぼ同時だった。
「はぁっ……捕まえたぜっ……コロネ……」
コロネちゃんは振り返らない。
「店に戻ろう。な?」
「どうして……? どうしてなのっ?」
「なにが?」
「――――どうして私を責めないのっ!? お姉ちゃんっ!」
もし、自分の胸を切り裂いたなら。
きっとこんな声が出るのだろう。
「私はっ! 魔法を使えるっ! 私はっ! パパにヒドいことをされる前に館を出たっ! お姉ちゃんが居なかったら、私がそうなっていたのにっ! なのにっ! お姉ちゃんは1度だって私を責めなかったっ! 許せないはずなのにっ! 私のことなんてっ! だって――――」
「もういいよ。コロネ」
薄青の髪の少女が、後ろから妹を抱きしめる。
「わりーな。ボク、そーいうの、あんまり考えないんだ。自己中心的だからさ。知ってるだろ?」
「うん……知ってる……っ」
「魔法が使えなかったのはボクの問題。ガレットにヒドいことをされたのだって同じ。……だって、コロネが居なかったって仮定しても結果は同じじゃないか」
「……私はっ、お姉ちゃんがいなければ『コンラド』で働けなかったっ。この場所が大好きだからっ、大きくなってきてどんどん気がついていった。お姉ちゃんがどれだけ苦しんでいたのかっ」
「コロネ――――」
「ずっと言いたかったのっ。ごめんなさいっ、ほんとうに、私……」
「そんなこと言うな。ボクたちは姉妹だろ?」
「……ぁ」
「大丈夫だって。だからさ、責めるとか責めないとか、ごめんなさいとか、そういうのはナシ。な?」
「…………うん」
コロネちゃんはエクレアの腕を解くと、1歩前に出て振り返った。
瞳を少しだけうるませたコロネちゃんは、男をダース単位で気絶させられるような満面の笑顔で言った。
「ありがとうっ、お姉ちゃん。……大好きっ!」
そのまま、オレンジ色の髪の少女がエクレアに抱きつく。
エクレアは身体をびくりと硬直させる。
「こらっ、バカ! 匂いをかぐな! すんすんするな! くすぐったいだろ……ッ」
「……お姉ちゃん」
「おっ、おい、それ以上はマジで――――ってタカハ、見てないで助けてくれ!」
僕はエクレアの言葉でようやく我に返る。
お互いが照れている姉妹たちを連れて、僕は酒場『コンラド』へ戻った。
開口一番、エクレアが言った。
「決めたよ。コロネも、今回の作戦に協力してもらう」
「……そうか。分かった。では、戦力としてカウントするぞ」
「よろしくお願いしますっ!」
「ああ。……では、オレの提案を始めさせてもらう。座ってくれ」
プロパは、穏やかな表情で場を見守っていた女マスターを見た。
「シフォンさん」
「はいよ」
「働かされている未成年の総数は分かりますか」
「……はっきりとは分からなかったね。すまない」
「いや、当然だと思う。シフォンさんが触れられる情報は店に行った市民からもたらされる情報だ。総数を掴めるはずはない。表に出てきていないだけで、ガレット氏の手元に数人いる可能性もあるわけだし……。次に、そういった店は『ガルニの園』という1店だけですか」
「確実なのはそこだけ、っていうことだね。他にも怪しい店は4つほどある」
「つまり、不特定に分散した、総数も位置も不明な対象を保護したい、というわけだ」
プロパはどちらかというと僕とリュクスに言った。
「話し合いが進まないのも無理はないと思うが」
た、たしかに……、と僕は舌を巻く。ほんとうに口の中で巻いてみる。バカにしているみたいだったのですぐに止めたけれど、僕は心の底から納得していた。
「なら、どうすればいいと思うんだ……?」
どこか戸惑ったような声のエクレアに、プロパは温かくも冷たくもない視線を向けた。
「エクレアなら、分かってるんじゃないか?」
「……ッ」
「どういうこと?」と僕は思わず問う。
「簡単なことだ。先ほどまでの話は全部、『部外者』から見た状況に過ぎない。外から見れば、目標は『不特定に分散した、総数も位置も不明な保護対象』だ。しかし、――ガレット氏の側からなら」
エクレアは薄青の瞳に決意の光を宿して、言う。
「単なる従業員ってことか。働き方も、人数も、所在地も、全部わかる。管理してるんだから、当然だ」
「そっか……っ!」
「そして、義理の、とはいえ、エクレアとコロネは『支配人』の娘だ。敵の総大将が心を許す人物が味方なんだぞ? それを活かさない作戦など考えられない。すべてが2人にかかっている。エクレア、コロネ……できるか?」
「やるよ、ボク」
「はいっ」
プロパは頷く。
「オレの立てた作戦は3段階で構成される。1段階目は、オレたちが全員で『支配人』の館に入ること。2段階目は、未成年を不当に労働させている『帳簿』や『記録』を盗み出すこと。3段階目は、盗み出した情報をもとに騎士団を代表してガレット氏に交渉を持ちかけること。重要なのは2段目までだ。3段目は消化試合に近い。……これに対抗できるような提案は?」
「……」
「……」
「よし。大筋はこれで決定して、詳細を詰めるぞ」
ぷ、プロパ……カッコいいんですけど。
「エクレア、コロネ、館の内部構造をこの羊皮紙に書き起こしてくれ」
「ああ」「はいっ!」
「タカハは館の外観の偵察に行ってきてほしい。警備のレベルが気になる。オレたちの退路にも関わる部分だ。詳細に頼む」
「了解」
「リュクスはシフォンさんと打ち合わせをした後、数時間適当に遊んでこい。もちろん、ガレット氏に出来るだけ近い店でな。実際に働いている人間からお前はたいていのことを聞き出してくるはずだ」
「そういう仕事なら任せて!」
「……シフォンさんは、2人が勝負のときに着る、とびっきりの服を用意してほしい」
「はいよ。任せておきな」
沈黙が場を支配した。
全員が言葉を無くして、プロパを見ている。
「ん?」と当のプロパは首をかしげた。「どこかに漏れがあったか?」
違うよ、と僕は内心に呟く。
なんとなく言葉にできなかった。
全員が、プロパの鮮やかな手腕に感心していた、なんてさ。




