第83話:「エクレアがカギなんだ」と僕は言う。
まさか……こいつが『支配人』なのか……?
髪やヒゲも整っていて、こちらの方がグラスリーとは比較にならないほど上品だ。
でも、こいつがしてきたことを思えば、その上品さすら醜い。
こんなやつに、エクレアは――――
「ん? ……ああ。少し太ったからね。だから分からないのか」
「…………ぁ」
「パパだよ。ガレットパパだ。君を育てた男。忘れたなんて言わせない。……ああ、かわいいエクレア、私は君のことならなんでも知っているんだ。5年間、よくがんばったね。ちょっとグラスリーは怖かったかな?」
「…………う、あ」
グラスリーを送り込んだのはこいつか。
視界が真っ赤になるような感覚がする。
けれど、僕の思考回路はびっくりするくらいに冷静だった。
木張りの床に地面はない。土属性は無理だ。
閉鎖空間。風属性は『雷撃系』も『風系』も効果が薄い。
シフォンさんの酒場。燃やすわけにはいかないだろう。
――――水だ。
ジェット水流の14番か。氷の槍の6番か。小範囲の急速凍結、16番でもいい。
果たして。
僕が魔法を使う必要はなくなった。
「ガレットさん!!」
この店の女マスター、シフォンさんが蹴破るようにして店に飛びこんでくる。
「ああ、シフォン。すまない。行き違いになってしまったようだ」
「……時間ぴったりにこっちに来といてなに言ってるんですか」
「報告書は受け取っている。相変わらず、地味だけれど堅実な素晴らしい経営だ。……欲しいものはあるかい?」
「肉の仕入れをもう少し安定させたいんですが」
「お。ちょうどいい。アテがあるから聞いてみよう」
ガレットは上質な帽子をかぶり直すと、のそりとこちらに背を向けた。
目だけが、舐め回すようにエクレアを見ている。
「また来るよ、エクレア。いつでも帰っておいで。……そこのかげで聞いてる、コロネもね」
「あっ! バレたっ!」
カウンターの向こうから、コロネが姿をあらわす。
コロネはニコニコしながら言った。
「パパ。私もお姉ちゃんも、パパのところに行くから――――ここには来ないで」
ガレットの表情が凍りつく。
「……どうしてだい?」
「がんばって働いてるのに、『コネでしょ』って言われるのがいやなのっ!」
それは完ぺきなカウンターだった。
一拍遅れてガレットは、たはは、と笑う。
「分かった。2人の頼みだ。もうここには来ないようにしよう」
大男がゆっくりと扉を出て行く。
「もちろん、館に来てくれたら……の話だがね」
僕は見た。
その外には、ずらりと整列した男たちが居る。
あれが、ガレット・ファミリー。
フレーズ村の『裏』の支配人――――
「……エクレアッ!?」
僕はとっさに手を伸ばした。
小さな身体が一気に脱力し、薄青の髪が舞う。
僕はエクレアを受け止める。
相変わらず、その体重は軽すぎた。
――
カーテンからこぼれた朝日がかかり、薄青の瞳がぱちりと開いた。
「んあ……? あれ……ボク……」
小さな手が目元をこする。
ぱちぱちとまぶたが開いたり閉じたり。
ややあって。
焦点が僕に合う。
「た、たたた、タカハッ!」
エクレアは身体をかばうように毛布をかき集めた。
「おはよう。具合はどう?」
「ぐ、具合……? な、なにをしたんだよ、タカハ。まさか」
「大したことはしてない。寝顔を凝視してただけだ」
つやつやした頬と、きれいな薄青の髪は、見ていて飽きなかった。かああっ、とエクレアの顔が赤くなる。
「訴えるぞ! タカハ! ボクは女の子だ!」
「そんな……ヒドいよ……。僕はエクレアの体調にもし万一の変化があったらと思って、真剣に寝顔を凝視していたんだ」
「むしろ怖いだろ! むしろ今の説明で不安になるだろ!」
「おはようっ! お姉ちゃんっ! 朝から楽しそうだねっ! 私も混ぜてっ!」
コロネちゃんも参戦し、酒場『コンラド』の2階の一室は混沌の底へ。
数分後、エクレアは荒い息をついて、言った。
「……お前ら、息合いすぎ」
「あっ!」
オレンジ色の髪を揺らして、コロネちゃんはその場でターンした。
「お姉ちゃんに朝ごはん持ってくるつもりだったのに、忘れちゃった。てへへ」
軽やかな身のこなしで、コロネちゃんは部屋を出て行く。
「……はああああっ」とエクレアは長いため息をついた。
直後。
エクレアはびたり、とけっこう大きな音をたてて、自分の頬をはる。
僕は驚いた。
そのまま真剣な視線を僕にぶつけてくる。
「タカハ、昨日はメーワクかけた」
「……僕はエクレアが倒れたのを受け止めただけだ」
「じゃ、命の恩人だな」
エクレアは笑う。
その笑顔がゆっくりと消えていく。
エクレアは自分の両手を閉じたり開いたりしながら、それを見ている。
「……タカハ」
「なに?」
「ボク、やっぱり、作りたいよ」
「……うん」
「肉体奴隷のためにあいつらだって使える武器を作りたい。これは、ボクの存在する理由みたいなものだ。たぶん、『わたし』の最後の願いだったから」
「出来るよ、エクレアなら」
「アートを作るなら、やっぱり、領都にいるのがいちばん合理的だ」
「……そうだね」
「でも、グラスリーとボクは戦えない。怖いんだ……。だから、ボクはこのフレーズ村を拠点にしようと思う。ここでアートを作り続ける。それがいい」
エクレアは自分に言い聞かせるように頷いた。
僕には――――引っかかっていることがある。
火事につながるのが明らかな火の不始末。
不安定な足場に上る子ども。
土台の傾いた塔。
予感よりは明確で、直感よりは漠然とした、未来へのイメージ。
薄青の髪の少女の小さな背中が、暗い闇に飲み込まれていく。
そんな幻視は一晩中続いて、僕は眠ることができなかった。
ゆっくりと息を吐き出す。
言葉を選ぶ。
「エクレア」
「ん? なんだ?」
「フレーズ村を拠点にするなら、僕に提案が1つある。エクレアにはやらなくちゃいけないことが1つあると思うんだ」
「……?」
「あの『支配人』、ガレットをやっつけるしかない」
エクレアはしばらく表情を停止させた。
言葉の意味が分からないとでも言うかのように、僕の目を見ている。
けれど、それは僕が一晩、眠らずに……いや、眠れずに考えた結論だった。
「な、なに言ってるのか分かってるのか!」
エクレアははっきりと狼狽えた。
「あいつが命令すれば、この村のほとんどの人間が動く。動かされる! ……しかも、領都にも騎士団にもかなりの金を納めてるから、文官はもちろん、騎士団だって直接手を出すことは難しいはずなんだ! いくらタカハが手を貸してくれたって――」
なるほど、反撃のための正当な回路は、きっちりと潰されているってわけか。
「ガレットっていう人と領城や騎士団の関係は重要じゃない。あの人が仕切ってることで、少なくとも現時点のフレーズ村は回ってるんだよね? だったら、それを全部相手にするのは現実的じゃないし、無理だ」
「全部、じゃない……?」
「エクレアがカギなんだ」
僕はベッドに腰掛けるエクレアの前に膝をついて、その手をとった。
「どういうことなんだ……っ?」
小さな手は熱い。
「人間の性質はそうそう変えられるものじゃない。しかも、ガレットには力がある。自分の欲望を満たすのに十分な、力がね」
僕はエクレアの手を握りしめる。
「間違いなく、――――エクレアと同じ境遇の子どもたちが今も居るはずだ」
きゅ、と小さな手が僕の手を握り返してくる。
「エクレアがフレーズ村でやっていくなら。いつか避けられない問題になると思う。赤の他人だって見過ごせるならいいよ。でもきっと……エクレアは近い将来にそれを見過ごせなくなる。自分のことのように苦しく感じて、この村にだって居たくなくなるはず。
エクレアの願いには、場所が必要だ。それは領都でもフレーズでもいい。落ち着いて物を創ることに打ち込める場所。エクレアがもしフレーズ村を選ぶなら、不安の芽を、潰さなくちゃいけない」
エクレアはうつむいた。
うつむいて、2、3回、呼吸をした。
「……手伝ってくれるのか?」
「もちろん」
「……」
「僕だって個人的にガレットのことが許せない。夏休みをもらってちょうど暇だったんだ。悪党をぶっとばすってのも、悪くない」
「そう……だな……。ゼッタイにあいつのことだ……。ボクみたいなのが……」
「……」
「ボク、やるよ。それは、ボクにしか出来ないことだから」
エクレアは顔をあげて、ぎこちなく笑った。
「――――話はまとまったかい?」
クールな声が部屋の中に響く。
遅れて、こんこんと開きっぱなしの扉をノックしたのは、酒場の女マスター、シフォンさん。無造作にまとめられた髪と腕まくり。今朝は頭に三角巾を巻いているけれど、それすらカッコよく見える不思議。
「……」
シフォンさんはゆっくりとエクレアの近くに歩み寄った。
「騎士様の予想はビンゴさ。最近、年端もいかない子どもを働かせる店が増えてる。ガレットさんがテコを入れてる店もいくつかあるみたいだ。気に入らないと思ってたところだからね、その計画、あたしも噛ませてもらうよ」
「シフォンさん……」とエクレアが言った。
「あたしの手にかかれば、フレーズの大抵のことは分かる。酔っ払った市民様からの情報はとくにね」
これは心強い。
「では、シフォンさんとエクレアは情報収集をお願いします」
「タカハは?」
「僕? ああ……。領都で、仲間集め」




