第82話:僕は青髪の少女の過去を知る。
――――わたしが生まれた村は普通じゃなかった。
酒や賭け事、金と欲望が、身近にあった。
幼いわたしには残酷なくらい身近に。
最初にその実害を受けたのは、両親のことだ。
両親は、幼いわたしにとってなんの脈絡もなく、殺された。
賭博場で仕事をしていた両親は上前をはねたという疑惑をかけられて、最後まで認めなかったことを理由に、上司にあたるだれかに殺されてしまった。消えてしまった額は膨大で『だれかが泥をかぶらなければいけなかった』らしい。
……その日から、わたしは泥が怖くなった。
私たちの前に『支配人』が現れたのは、そのときだった。
フレーズ村の影の王様、ファミリーの首領。
支配人は、『泥をかぶった』ことで「けじめがついた」と言って、わたしと妹を義理の娘にして、とても優しくしてくれた。実際、妹は支配人のことを父親だと思っていたみたい。
支配人の子分の人たちにもずいぶんと喜ばれた。「最近の親父はちょっとのことじゃあ怒らなくなった」「2人が来てくれたおかげだ」って。わたしは支配人より子分の人たちとよく遊んでいた。ちょっと怖い顔をしているけれど、お願いすればすぐに肩車をしてくれたし、魔法を見せてほしいと言えば知っている呪文を唱えてくれた。
魔法。
わたしは魔法が大好きだった。
使うための精霊言語を覚えるのは大変だけど、だれもが簡単に火や雷を操れる。わたしはキラキラした派手な魔法が好きで、魔法で空に文字を描くことを夢見ていた。
物覚えのよかったわたしは精霊言語を次々と覚えていった。
妹は全然覚えることができなくて、わたしは気分がよかった。
けれど、世界はわたしにもう1度、残酷だった。
いくら経っても、わたしはマナを感じることができなかったんだ。
妹が「ここ」と指差す場所は、いつもなにもない宙の1点だった。
そのまま、わたしは9歳に。
肉体奴隷になった。
村の人たちは、支配人のおかげで楽な生活をしているのに魔法を使えないわたしに、陰口を言うようになった。村に出たとき1度聞こえてしまっただけなのだけど、わたしは怖くなって、館に引っ込むようになった。
妹は同い年の友だちと遊びに行く。願えば、魔法だって使える。空に文字だって書けるのかもしれない。妹はわたしにいつも変わらず接してくれて、それが私の支えだった。
10歳になったある日。
妹は館を出ることになった。
魔法奴隷としての未来が決まり、支配人が斡旋した仕事先に泊まりこみで手伝いを始めることになったらしい。
支配人と妹はニコニコしながら言葉を交わし、別れた。
安心して送り出せる自信と、いつでも帰ってこられる気楽さが交差した、気持ちのいい別れだった。
わたしは館から出ることすらできないのに、と内心に呟く卑屈なわたしは、1人だけ、家族じゃないみたいだった。
わたしは支配人に、働かせてほしいと言った。
支配人は冷静だが優しい口調で、「肉体奴隷の女の子であるお前に紹介できる場所はないんだよ」と答えた。わたしは泣きそうになった。支配人は慌てて私を慰めてから、ぽつりと言ったんだ。
「……そろそろいいかもしれないね。では、明日から始めよう」と。
わたしは、なにかが始まる予感に胸を踊らせた。
シゴトを教えてくれるらしい。
子分の人たちにテキパキと指示を出す支配人のことを、この頃のわたしはカッコいいと思っていた。わたしは魔法はダメだけれど、支配人だってふだんのシゴトの中で魔法を使うことはない。もしかしたらわたしも『支配人』になれるかもしれない。
夢はふくらんだ。
支配人はいくつも店を持っている。どんな店を作ろう。
アイデアが次々とあふれてきた。
想像するのは楽しかった。
魔法を使えないわたしは、なにかを想像することで、その埋め合わせをしていたから。
だから、支配人の言葉が、心の底から嬉しくて――――
けれど、その期待はあっけなく粉砕された。
細切れにされて、泥にまみれた。
シゴトを教えてもらえる最初の日。
わたしはいつものように服を脱がされた。
支配人はわたしと妹と3人でいるとき、いつもわたしたちに服を脱ぐように命じていた。館での唯一のルールだった。でも、ルールとも思っていなかった。それは5歳から支配人の言葉だけが世界のほとんどだったわたしにとっては当然のことで、「まだお昼なのに眠るの?」と支配人に訊いた。
支配人はゆっくりと首を振って「ちょっとだけ、違うよ」と答えた。
シゴトっていうのはそういうこと。
1年くらいそんな日々が続いて、両親を失い、魔法には届かなくて、人間としての誇りまで奪われた。あまり記憶も残っていない。
最後の日、支配人が「ダメだね」って言ったことだけは覚えている。
わたしはもう、笑えなかったのだ。
教えこまれた言葉をただ繰り返す、歯車みたいになってしまった。
――――わたしが壊れて、身体だけが残っていた。
――――身体には中身が必要だろ?
そうして生まれたのが、ボクってワケ。
だから、ボクは肉体奴隷が魔法使いに立ち向かう力を見つけなくちゃいけなかった。
人に言うことを聞いてもらうための技術は支配人からたっぷり盗んでいた。アートのアイデアを閃きはじめたのは8歳のころだったから、それを実現するための環境が必要だった。肉体奴隷たちの声を聞かなくちゃいけないと思ってた。
結論は――――領都の肉体奴隷たちの作業場に飛びこむこと。
支配人には黙って、ボクは騎士サマに領都で働きたいって言った。そのときの騎士がとんだクズ野郎だったから、ボクは騎士にいいイメージを持ってないんだ。結局、そいつは無視して、自分の足で領都へ行った。
で、それから5年経って、今。
――
「――――なのにさ」
立ちくらみすら覚えている僕を前に、エクレアはいつもの口調で言う。
「ボク、グラスリーから逃げちゃったんだよな。あいつ、すごいんだよ。力が。ふつうのやつの3倍くらいはある。それであの顔だろ。参っちゃったね。ろくにしゃべったこともないのに本気でビビってるんだ。理屈で考えたら、ボクにだって勝機は十分にあると思う。魔法使いを相手にしようとしてるのに、力が強いだけの肉体奴隷から逃げてちゃしょうがない。頭ではわかってるんだけどなあ。心臓がきゅってなって、逃げ出したくなった……」
「……うん」
「いずれにせよ。みっともないから、領都には戻りたくないんだよ。なんでかなあ。どうしてボク、グラスリーのことが怖いんだろ……」
「エクレア」
「ん?」
「辛かったら無理にとは言わない」
「ははっ。ボクとしゃべるときにホケンかけるなって」
「『支配人』の見た目を思い出せる?」
「…………」
瞬間。
僕は強く後悔した。
覚悟はしていたけれど、押し込んだスイッチが世界を破滅させる――そんな嫌な感覚。
一瞬で、エクレアの瞳がかげった。
虚ろな瞳だった。
電源を抜き去られたロボットのような、意識の落ちた人間のような。
「覚えてるわけないよ。だって、ボクは、わたしじゃなくて、ボクなんだぜ? ボクが覚えてたら、意味ないじゃん」
「じゃあ、『ボク』は『支配人』のことをどう思ってるんだ?」
「ん~? 変なこと訊くなあ」
エクレアは笑う。
「なんとも思ってないぜ?」
僕は目を閉じた。
問題の根は、深い。
僕になにが出来るだろう。
『エクレア様を助けてやってください』
側近の狼人族の言葉を思い出す。
酒の苦い後味が舌によみがえってくる。
僕に、なにが出来る……?
「気にすんなってタカハ。ボクはなにか別の手を考えるよ」
エクレアの瞳には輝きが戻っている。照れたような苦笑だ。僕も微笑み返す。
店のベルが鳴ったのは、そのときだった。
エクレアが気付き、立ち上がる。
「ごめんなさい。今日はもうお店、閉めてしまっていて――」
「――――ああ、ほんとうに。エクレアじゃないか」
声がした。
低く、べたついた声は、尊大な口調。
すべてを手中におさめているかのような余裕の雰囲気。
エクレアが動きを止めていた。
その瞳が――虚ろに堕ちていく。
「会いたかったよ。5年ぶりに帰ってきたんだね。……あんなことの後だから、私のところに会いに来るのは難しかっただろう。だから私は考えたんだ。会いに来てしまえばいいんだってね」
酒場『コンラド』の入り口に立っていたのは、人間の大男だった。
上背はかなりある。
上等なイエル、上等な革の靴、上等なコート、上等な帽子――テンプレートなマフィアのボス、といった雰囲気だ。横にも大きい。太っているだけに見えるけれど、少し観察すれば分かる。若いころに鍛え上げた筋肉の上に脂肪が乗っかっているだけだ。体積だけなら、エクレアの4人分くらいありそうだ。
エクレアが怯える肉体奴隷、グラスリーによく似ている。
まさか……こいつが『支配人』なのか……?
髪やヒゲも整っていて、こちらの方がグラスリーとは比較にならないほど上品だ。でも、こいつがしてきたことを思えば、その上品さすら醜い。
こんなやつに、エクレアは――――
「ん? ……ああ。少し太ったからね。だから分からないのか」
「…………ぁ」
「パパだよ。ガレットパパだ。君を育てた男。忘れたなんて言わせないよ」




