第81話:「タカハは」と僕の言葉を遮った彼女の声は震えていた。
「――――タカハ、ごめんな。約束、守れない」
僕がひるんでしまうくらいには。
突き放すような口調だった。
グラスを洗い終えたエクレアはゆっくりとカウンターを回ってきて、僕の隣に座った。
「ボク、もう、領都の奴隷たちをまとめるのはムリだ」
「……グラスリーっていう人がいるから?」
知ってるのか、とエクレアは乾いた笑いをこぼした。
「トーゼンだろ? ボクよりグラスリーのほうがよっぽど適してる。ボクなんて、年齢不詳のかわいいボクっ娘なだけだからさ」
「見た目や性別は関係ない。エクレアは『魔法使いと戦える』ってことを肉体奴隷たちに示せる」
「まやかしだよ。あれがガス抜きになってるだけで、なにも変わってない。グラスリーみたいな奴がまとめたほうが、ほんとうは上手くいくんだ」
「じゃあ……。エクレアはこれからどうするの?」
「こっちでしっかり働いて、目いっぱい奴隷の休暇権を買うよ。シフォンさんとコロネにはもう頭を下げてお願いした。向こうで働く時間は最低限にしたいんだ」
エクレアの決意は固いようだ。
僕は……納得できない。
違和感と言ってもいいだろう。それはまだ、解消されていない。
「エクレアはあれほど、『肉体奴隷が魔法奴隷に立ち向かう力を見つける』って言ってた」
「もういいんだ。だって、ボクは、その肉体奴隷に怯えてるんだぜ?」
「怖いってこと……?」
エクレアは薄青の瞳を僕に向けた。
かげったその目を見た瞬間に分かってしまった。
エクレアは、どうやらほんとうにグラスリーが怖いらしい。
血走った瞳、圧倒的な巨躯、手負いの鮫のような男――比べてしまえば、エクレアはほんとうに小柄で、か弱い、少女でしかない。
「でもさ――――」
エクレアが肉体奴隷たちの心を束ねていたのは事実だ。
だって、エクレアがやろうとしていたことには、可能性がある。
肉体奴隷たちだって魔法使いと対等でいられる。
小さいけれど、輝いている、可能性が。
「タカハは――ッ」
僕の言葉を遮ったエクレアの声は、震えていた。
「ボクが肉体奴隷のリーダーだったから、ボクに仲良くしてくれてたんだろ?」
言葉を失う。
その間をエクレアは肯定と受け取ったのか。
エクレアは目の前のテーブルを砕こうとするかのように、言葉を重ねた。
「だってタカハにはやりたいことがあるし、それを実現できる力もある。だったら、ボクに関わっているようなムダな時間はないはずだぜ。ここにいたっていうジジツが他の騎士にバレたら、評判が悪くなる。そのくらいフレーズ村は最低な村なんだ。ボクはそこで生まれて、魔法使いになり損ねて、でも、結局、最低だって思ってるこの村にしがみつかなくちゃ生きていけない」
「……」
「笑えるだろ? みっともないだろ? 哀れるだろ? ボク、最近はこんなことばっかり考えてる。もうダメなんだ。ぐるぐる回って。タカハみたいに前に進んでいけない。だからさ――――帰ってくれよ、騎士様」
僕は目を閉じて自分の心の底を探った。
エクレアは肉体奴隷だ。肉体奴隷を束ねていた。その力はもしかしたら僕の役に立つかもしれない。切り離して考えることは、僕にはできない。
「たしかに、僕は、奴隷を束ねるエクレアに用がある」
「……ッ」
ばっと顔を上げたエクレアの薄青の瞳は、少しだけ充血していた。
「でも、それは最初のきっかけだよ。きっかけでしかない。僕がニンセンとファラムを捕まえたとき、エクレアはずっと手伝ってくれた。エクレアにとって僕を手伝うのはムダな時間だったはず。そうだよね?」
「……それは」
「なら。今の僕だって同じ気持ちだ」
「…………あ」
「僕が知ってるエクレアは生半可なことじゃ自分の決意を変えない。なら、今のエクレアは生半可じゃない問題にぶつかってるってことになる。……エクレアが1人じゃ越えられないなにかにぶち当たってるのなら、僕はそれを手伝いたいんだ。だから、この村まで来た」
「……」
「それでも帰れっていうなら、帰る」
「タカハ」
「ん? ――――」
とんっ、と軽い衝撃。
エクレアが僕のティーガに顔を埋めていた。
「……ッ……」
発熱する身体が小さく揺れている。
エクレアは声も上げずに、しばらく泣いていた。
僕は……その涙の理由を知らない。
けれど、エクレアの性格だから、シフォンさんにはもちろん、コロネちゃんにだって、こういうのを打ち明けていないのだろう。
たぶん、短い時間だったと思う。
素早く僕の体から離れたエクレアは僕に背を向けて、ぐいっと目元をぬぐった。
振り返ったエクレアは目を赤く腫らして、はにかむ。
「疑ったり、して、悪かったよ」
「ううん」
「へへっ。やっぱり、タカハはイイヤツだな!」
エクレアは満面の笑みを浮かべる。
……う。
目元が潤んでいて、ふんわりした髪型のエクレアは、女の子っぽい服装だ。スカートから見える白い膝を僕はちらりと見てしまった。……この変態め、と僕は自分を罵倒する。
「あーサイアクの気分だぜ、まったく。ボクらしくない」
エクレアはカウンターの向こうへ行くと、慣れた手つきで、僕と同じカクテルを作り、戻ってきた。
くい、とグラスを傾ける。
「聞いてくれるか、タカハ」
薄青の瞳は澄んでいて――――けれど、どこかに影があった。
「どこにでもあるような昔話なんだけどさ」




