第80話:「あとを頼むよ」と女マスターが言った。
「お、お姉ちゃんを探して領都からっ!?」
オレンジ色の髪の少女が、カウンターの向こうから、ずいと僕に顔を近づけてきて言った。……コロネちゃん、といったか。
どうやらエクレアの妹らしい。
白いすべすべした肌と、柔らかそうな頬と、大きな瞳と、ちんまりした身長は、姉妹で共通。妹は橙色の目尻が垂れていて、さらに、エクレアのほうがやせているから、コロネちゃんのほうがふんわりしたイメージだ。
「ふわあぁ。ロマンスですぅ~」
餅のように形の崩れた頬を自分の両手で支えながら、コロネちゃんが言う。隣で、女マスターのシフォンさんが肩を揺らして笑っている。よし。悪ノリしよう。
「――――それはそれは長い道のりだったんだよ」
僕は重苦しい口調で言った。
それを聞いたコロネちゃんの目が輝きはじめる。
「……エクレアは約束の日に姿を見せなかった。『手遅れなのかな……』って僕は諦めかけていたんだ。『もう会えないんじゃないか』って」
「すれ違う2人っ!」
「僕は知り合いをたずねて歩きまわって、エクレアの痕跡を探して探して探して……最後の最後、ついに僕は希望を見つけた。エクレアがいなくなったことには事情があったんだ」
「2人を引き裂く現実っ!」
「でも、僕は…………エクレアのところに行かなくちゃいけない」
「乗り越える勇気っ!」
「――――という感じで今に至る」
「きゃああああっ! お姉ちゃんのばかあああああっ!」
こーん、と僕の頭からいい音が響いた。
クリティカルに僕の側頭部を撃ちぬいたのは、エクレアが持っているトレーだ。
「人の、話題で、勝手に、盛り上がるな」
両手を腰にあてたエクレアは、どうやらわりと本気で怒っているようだ。
「う、嘘は言ってないよ。エクレア」
「本当も言ってないだろ。タカハ」
「もう、お姉ちゃんってばぁ、素直になればいいのに」
コロネちゃんは両目を閉じて、人差し指を立てている。
「タカハさんが来てくれてうれし――」
「コロネ」
エクレアの手には縄で縛られたボロ雑巾のようななにか。
あ、あれはまさかっ!
魔法使いだけじゃなく、おそらく騎士であっても封殺できるエクレアの最終兵器!
コショウ爆弾かっ!
……僕は少し酔っているようだ。
15歳の肝臓だからね。
死刑を執行する人のような口調で、エクレアが妹に言った。
「――――くしゃみ、したいか?」
「お姉さまそれだけはほんとうに勘弁してくださいコロネが悪かったですコロネが全面的に悪いですおねえさまはなにも悪く無いですコロネはタカハさんからなにも聞いていませんしなにも言いませんから――」
「分かればいいんだよ。分かればさ」
にぃっとどこか獰猛な笑みを――――エクレアはすぐに消した。
途端、ふんわりとセットされた髪のせいで、エクレアが別人のように見えてしまう。
「……」
黙々とエクレアはグラスを洗いはじめた。
「……」
僕は店と同じ名前のカクテルを傾けた。
柑橘っぽい香りのせいで飲みやすいけれど、どこか最後には苦い。そんな味だった。
「コロネちゃ~ん、ごちそうさま~」と酔った声が響く。
「はーいっ!」
とててっ、とコロネちゃんは最後の客から硬貨を受け取り、送り出した。
「また来るからね~」
「お願いしまーすっ!」
コロネちゃんは終始ニコニコしていた。
うん、なかなかにタイプの違う姉妹だと思う。
「あとを頼めるかい? コロネ、エクレア」
女マスターのシフォンさんはエプロンを外し、首をぽきぽきとやりながら2人に言った。
「今日はガレットさんへの報告の日だからね。出てくるよ」
――――僕はエクレアを見ていた。
その、急激な変化に、釘付けになっていた。
『ガレット』。
シフォンさんがそう言った瞬間、エクレアの肩が小さく揺れた。直後、薄青の瞳は焦点を失い、グラス洗う手元も止まってしまった。とぷん、と洗い桶から水の揺れる音が響く。
シフォンさんは目を細めて、エクレアを見つめる。
「心配すんな。あんたが帰ってきたことは言わないよ」
「……ありがとう、シフォンさん。ボク、もう少しだけ時間がほしい。そうしたら、ボクから挨拶に行くから」
「無理だけはするんじゃないよ」
…………事情がありそうだな。
僕は聞こえなかったふりをして、グラスを傾けた。
エプロンを脱いだシフォンさんがカウンターから出てくる。
とん、と僕の肩に手の平の感触。
「あとを頼むよ。あんたは騎士様みたいだけど、なんだろうね、信頼できる感じがする」
僕、なにか漏れてるのだろうか。騎士っぽいオーラみたいなものが。基本的にすぐにバレる。
……まあ、市民っぽくはないのだろう。
身体も鍛えているし、頭の片隅には常に敵の襲撃を警戒している部分もある。そういうピリピリしたものって伝わっちゃうのかもしれない。交渉力に優れた人は握手をしただけで相手の欲しいものや性格が分かる、と聞いたこともある。
シフォンさんの囁きが風のように僕の髪を揺らした。
僕は振り返らない。
しばらくして、『コンラド』の入り口の扉にくくりつけられたベルが女店主の外出を知らせる。
「あっ!」
コロネちゃんはなにかを思い出したようだ。
ものすごくわざとらしい。
「いたたっ! お腹がいたくなってきちゃったっ! お姉ちゃん、ちょっと片付けしててもらっていいっ!?」
しかも腹痛ですか。
内心で笑ってしまった僕を許してほしい。
「お、おい。コロネ――」
「お願いねっ!」
カウンターの奥の扉にオレンジ色の髪が消えていく。
「ったく。要らない気遣いしやがって」
がりがりと頭をかくエクレアに僕は声をかける。「エクレア――」
「タカハ、ごめんな」
僕がひるんでしまうくらいには。
突き放すような口調だった。
「――――ボク、約束を守れない」




