第7話:「ま、大きくなったご奉仕だけど」と外道騎士が笑う。
「なんと、目を覚ましたウサギが後ろを見てもカメの姿はありません」
「え……っ?」
目の前の少女が瞳を輝かせた。
童話でこんないい反応が返ってくるなんて。
「『カメのやつはまだ麓に居るのか』。自信たっぷりにウサギは笑って、旗の方向へ歩いていきます」
僕が語り聞かせているのは童話だ。ウサギとカメ。
もちろん兎人族の彼女への皮肉ってわけではない。
「そして、ウサギは旗のそばでゆっくりと手を振っているカメの姿を見つけます。びっくりするウサギにカメは言いました。『ウサギさんがあんまり気持ちよさそうに寝ていたものですから……』。こうして足の速いウサギはカメに負けてしまったのでした。……おしまい」
この世界にも童話はある。『魔法を使いすぎて精霊様の怒りを買った魔法使いの話』はテンプレそのままって感じだったけれど、『山と雷の大喧嘩を収めた森の話』なんかは聞いたことがないタイプで面白かった。
同じように、僕の前世の童話はこの世界の人々にとって面白いらしい。
「わたし、カメさんみたいにがんばる」
目の前の少女が小さな両手をきゅっと握りながら言った。うんうん、と大きくうなずくのにあわせて、ベージュ色の柔らかそうな髪と同じ色のうさみみが揺れる。青い大きな瞳はやけにキリッとしていて、決意の大きさがよく分かる。
6年前――一緒に拾われた兎人族の少女、ラフィアだ。
紹介しましょう。
姉です。そしてメインヒロインです。
でも、まあ……。
正直、僕の心境は完全にパパのそれだった。
6歳になるまで、それはもう大変だったのだ。唐突に大泣きしたり、目を離したすきに居なくなったり、なんでも食べようとしたり、予測不能な行動のオンパレード。兎人族のラフィアは人間の僕よりもかなり足が速くて木登りも得意だったから、まさに鬼に金棒だった。家を空けがちなゲルフに代わって僕が何度ラフィアを探し回ったことか。
結論――子育てって大変だ。
恋愛経験すらまともにないのに僕はこの真理に至ってしまいました。
最近になってようやく面倒を見る必要性が無くなってきたと言えるだろう。
それどころかラフィアが、あのラフィアが、童話から教訓を得るだなんて――
「えらいえらい」と僕はベージュ色の髪を撫でる。
「えへへー」
うさみみが標準装備の時点で反則だと思うけれど、大きな青い瞳とマシュマロのように柔らかい頬はまさに天使。しかも、いつも笑顔が絶えない。
そんなラフィアは――けれど、なにかを思い出したかのように目を見開いた。
「タカハ!」
ラフィアは僕の手を払いのけ、ぷりぷりと怒り始めた。
「わたしはおねえちゃんなんだから、頭をなでるのはダメなの!」
「えー? どうして?」
「だっておねえちゃんだから! タカハはおとうとだから!」
ここ最近のラフィアは自分がお姉さんであることを強く主張していた。少し前にゲルフが『ラフィアを先に見つけた』という話をしてからだった。『先に拾われたから私はおねえちゃん』ってわけだ。ほんとに6歳女児かわいい。
「でも、ラフィアはお姉さんって感じじゃないんだよね」
「もう! タカハなんて知らない!」
ぷい、とラフィアは顔を背けた。
僕はわき上がる笑みをかみ殺して、できるかぎり申し訳なさそうな表情をつくった。
「ごめん、謝るから許して。お願いだよ」
ラフィアは薄目を開けてこちらを見る。「……わたしのことおねえちゃんってみとめる?」
「ふつう、お姉さんはそんなこと言わないと思うよ?」
反射でからかってしまう。ラフィアが頬を膨らませてなにかを言いかけたそのとき、「安心しな」と穏やかな声がラフィアを援護した。
「ラフィアはすぐにいいお姉さんになるよ。料理も掃除も上手だからねえ」
ぷちん、とハサミで糸を切ったソフィばあちゃんの手にはゲルフの黒いローブがある。洗濯をしているとき穴が開いていることに気付いたラフィアが、修繕をお願いしていたのだった。
「はい。出来たよ。ゲルフ、びっくりするだろうねえ」
「ありがとう、おばあちゃん!」
「お安い御用さ。……じゃあ私は帰るけど、2人で留守番できるかい?」
「できる!」
ラフィアが元気いっぱいに答えた。ばあちゃんは完ぺきなウインクを僕とラフィアに投げかける。僕にはある確信があった。若いころのばあちゃん、絶対モテモテだった。オーラがあると思うんだ。
白いティーガがゆっくりと扉をくぐって、ぱたりと扉が閉まった。
さて、今日の手伝いはもう終わっているし、なにをしようか。
「それじゃあ」と言いかけて――僕は言葉を切った。
「ねえ、タカハ……」
ラフィアも不安げな表情で耳をぴくぴくとさせている。
どうやら聞き間違いではないらしい。
どこか不気味などよめきが、木組みの粗末な家を包んでいた。
どよめきは村の中心部の方からだ。村人たちが広場に集まっていく足音、連鎖する大人たちの大声――なんだろう。夏の日差しが色あせていくような嫌な予感を僕は感じている。ひしっ、とラフィアの小さな手が僕の服の裾を掴んだ。僕はその手を握り返して、土間に下りる。
家の扉を開けて、外に出た。
――――いや、出ようとした。
「2人とも」
まるでもう1枚の扉のように、ソフィばあちゃんが立っていた。
ばあちゃんはこれっぽっちも笑っていなかった。
「もうしばらく出ちゃいけないよ。いいね?」
有無を言わせぬその口調にしたがって、僕たちはふたたび家の中に戻る。ばあちゃんはそんな僕たちの仕草をじっと見ている。
「ばあちゃん、何があったの?」
「『招集』だよ。5年ぶりのね。……いいかい。絶対に、ここに、いるんだよ」
ばあちゃんはすぐに扉から離れていく。どよめきは次第に大きくなってきていた。
招集。
それは僕たち奴隷に課せられた義務だ。
僕がまだその内容を知らない、もう1つの義務。
5年ぶりってことは、僕が転生したあのとき以来なのかもしれない。
「……きしさまだった」ラフィアがぽつり、と言った。
「え? 見たの?」
こくりとラフィアはうなずく。
「広場のほう、見えて。みどりとぎんいろの、よろい? おじさんが着てたよ。3人くらい。馬にのってたし……」
「ラフィア」
少女の青い瞳には影が差し込んでいる。怯えという名の影だ。
「家で待ってて」
「……! タカハ! ダメだよ! タカハもまってなくちゃ! おばあちゃんがそう言ってたもん!」
言うことを聞くべきだ。それは、よく分かる。
でも、興味が理性を大きく上回っていた。
様子を見て、見つからずに戻ってくればいいのだ。
「ごめん、ラフィア。僕は見たいんだ」
『招集』の真実は僕の未来にも直接関わってくる。
だから、僕は今のピータ村の広場にすごく興味がある。
「だめだよ! おねえちゃんの言うことがきけないの!?」
僕は首を横に振る。「きけない」
「……ッ」
ラフィアは驚いた顔をして指をもじもじとさせた。
「わたしも……わたしもいく。だって、おねえちゃんだもん」
ラフィアの表情は固い。説得する時間が惜しい。
「……いこう」
僕はラフィアの手をとった。
錆びた金属のドアノブを回す。扉が開くのと同時に、広場のほうから聞こえてくるどよめきがぐっと大きくなる。
僕たちは気圧されながらもゆっくりと小道を進んだ。家に近い林に潜りこんで、僕とラフィアは広場を見た。
そこから見る村の中央の広場はすりばち状だった。人で埋めつくされている。仕事に出ていなかった村人たちのほとんどが集まっているみたいだ。
そして、ピータ村の入り口付近に騎乗した3人の緑コートの姿があった。
「布告――ッ!!」
緑のコートの下には銀色の鎖帷子。
彼らは威圧するように村人たちを睨みつける。
「布告――ッ!!」
3人のうち、右の端の騎士が獣の皮の巻物を引きのばしながら、声を張った。
「四大公爵ライモン=ディード閣下の名のもとに招集する! ムーンホーク領北東域ピータ村より5名! 戦地はサンベアー領内、国境深林帯! 集いは4日後の夕刻、ムーンホーク城の城前とする!」
読み上げた騎士は慣れた手つきでその皮を広場の掲示板に打ち付けた。
その様子を見守る村人たちの間に、怯えるような雰囲気が広がっていく。
「まさか……そんな……」
その日、僕は初めて知った。
『招集』の正体。
「ラフィア……今のきこえた?」
騎士はたしかに『戦地』と言った。
「兵士として戦争につれていかれるってこと?」
僕たちは奴隷だ。『魔法の国』の、ライモンなんとか公爵に所有権がある奴隷。そして、騎士たちは公爵の代理人として、僕たちを管理している。
その目的は――戦争に動員する兵力だったのか。
ラフィアの返事はなかった。
その異常に僕はようやく気付いた。
「ねえ、ラフィア……?」
振り返るが目は合わない。
ラフィアもまた首を後ろに向けて、その体と視線を凍りつかせていたからだ。
「ん~? ガキか~?」
じゃらり、じゃらり、と音が近づいてくる。
銀色の鎖帷子、腰の直剣、緑色のコート。くすんだ金髪と整った顔立ちが印象的な人間の騎士。だが、その表情はどこか緩んで、目だけが据わっていた。
……あいつだ。
少し前、徴税をごまかしていた腐れ騎士。
従騎士、アーボイル。
「ガキに用はねえんだよなあ。ああくそ。引っこんでんのか。女がいねえぞ。……って、お?」
腐れ騎士はラフィアに目をつけた。びくり、とはっきりと分かるほどにラフィアの身体が震え、その大きな耳の毛が全部逆立つ。
「おお? おお?」
どこかふわふわとした足取りで騎士アーボイルは僕たちに近づいてくる。
「珍しいなあ。お前、兎人族か?」
ぶるぶるぶるとラフィアの身体は震えている。
僕は咄嗟にラフィアをかばうように前に出た。
「ナイト気取りか? ガキが」
「うぐっ、あ……ッ!」
騎士が軽く右腕を振っただけで僕の身体は数メートルの距離を一気に吹っ飛ばされる。
「へ~、かわいいな。将来はべっぴんだな」
僕を吹き飛ばした騎士アーボイルはにやにやと笑いながらラフィアに近づく。風に乗ってその体が放つ香水と酒のにおいが僕のところまで届いた。反吐が出そうだ。
「さわるなッ!」
「いやいやうっせーからな」
気付いたときには僕は宙を舞っていた。
鈍くて強くて重い痛みが僕の身体の芯を貫通していく。蹴り飛ばされた……?
「づぅッ!」と、うめき声を漏らしながら僕は地面を転がる。
騎士アーボイルはこちらを見向きもしない。
ラフィアだけを見ている。
「お兄さんとこ来るか? こんなヘボい村よりいいもんいっぱい食えるぞ。ま、大きくなったらご奉仕ご奉仕だけど、それもそれで楽しいだろ? な? どうよ? え?」
「い……」
「い?」
「いかないもん! そんなとこ!」
すうっと騎士の目が細められる。唇が喜悦に歪む。
「おっけー。連れてく」
その手がラフィアに伸びていく。僕は歯を食いしばって立ち上がった。飛びかかって騎士の腕にしがみつけば時間を稼げる。その間にラフィアを逃がして、僕は――
だが、騎士の腕は、ラフィアに触れる寸前で止まった。
「――――これは騎士様」
響いた声は、しゃがれていた。
「このような村の外れでどうされましたかな?」
黒くてボロボロのローブ。
同じ色のとんがり帽子。
老魔法使い。
気配を感じさせずに現れたゲルフは、まるで騎士の影のように立っていた。
そして――黒く長い杖を騎士の首筋に突きつけている。
「村の娘が失礼を申し上げましたでしょうか?」
ゲルフの丁寧な口調はまるで板のようだった。感情が見えない。
「……うん。失礼を言ったな。俺を侮辱したぞ」
騎士は身体を少しも動かさず、そう答えた。動くことは出来ないのだ。ゲルフが突きつけている杖は拳銃に近い。拳銃を突き付けながら、ゲルフはどこまでも淡々と、謝罪する。
「それに関してはこのわしがお詫びをさせて頂きます。この娘もまだ6歳です。どうか寛大なお心を頂ければと」
瞬間、あっさりと騎士は身体を動かした。緑色のコートを翻しながら、ラフィアから離れてゲルフと対峙する。その手は腰のミスリルの剣にかけられている。ゲルフは真っすぐに騎士の目を見たまま、わざとらしいため息をついた。
「奴隷相手に、ミスリル剣に手をかけるとは……。その意味がお分かりか」
「お、お分かりだと!? 今、貴様は俺を侮辱した!」
「……」
ゲルフは鋭い視線のまま黒い杖の先端を騎士に向けている。くたびれたとんがり帽子が落とす影のせいで、ゲルフの表情はよくわからなくなった。
「その娘は俺が連れて帰る! 決めたことだ。俺は、騎士だ。そして、貴様は魔法奴隷だ」
ゲルフはため息を吐き出した。「やはりお分かりではありませんか、騎士様」
その視線が騎士を射抜く。
「――――その剣を抜けば殺すと言っておるのじゃ」
ど、と音がしたかと思った。ゲルフの黒い小さな瞳はむき出しのナイフのように鋭い光を湛えている。戦いを覚悟した魔法使いの瞳に、僕の首筋が凍えた。
騎士は明らかに及び腰になる。その額に汗が浮かんでいる。
「ぶ、無礼なッ」
「はてはて、魔法への無理解はいけませんぞ、騎士様。すでにわしは詠唱を終えておるのです。『待機』の修飾節を呪文に編みこんで」
「なっ、き、貴様! 卑怯だぞ!」
「卑怯、とは……くくく。どの口が、というやつですな。6歳の娘を連れ去ろうとした騎士様が卑怯とおっしゃる。……おっと失礼。今のは当然、騎士様のユーモアたっぷりなご冗談でしたな。『もしやこの若造は本気で卑怯と言ったのでは』などと失礼な勘違いを」
「ぶ、ぶぶぶ無礼だろう!」
「お強い騎士様がガタガタ震えられるのも無理はありません。この老いぼれ、いつ手が滑って伏せてある魔法をぶっ放してしまうか分かりませぬからな。最近は数もろくに数えられぬ始末。あと10秒、7秒、5秒……」
「覚えておけ! 騎士団長に報告する!」
「ご随意に。真の騎士たるロイダート団長は我が盟友ですゆえ。彼が奴隷の誘拐を認めるはずなどありませぬ」
「ぐっ……」
「ああ、この件、ご報告されるのでしたな。私はピータ村の魔法奴隷ゲルフと申します。……騎士様のお名前を教えていただけますか。私にも多少確かめたいことがあります」
「……ッ」
騎士は最後まで名乗らなかった。がちゃがちゃと鎧を響かせながら、森の奥に消えていく。
ゲルフは杖を振るって小声でなにかを囁いた。
マナがわずかに動いて、どこかに消えていくのを僕は感じた。
黒い小さな瞳が僕とラフィアをとらえる。
もう、あのぞっとするほどに鋭い光は宿っていなかった。
「……来なさい」
僕とラフィアはゆっくりゲルフの足元に近づいた。ラフィアの身体はまだガタガタと震えていて、僕はその体を支えた。そうしなければ立っていることが出来ないほどだったのだ。
「ソフィは家の中にいるように言わなかったか?」
「……言われた」と僕は答える。
「では、なぜそうしなかった?」
「……招集を、みたかった」と僕は答える。
瞬間――がっ、と大きな音が頭の中に響いた。緑と赤の火花が視界に飛ぶ。
「騎士が来た。ソフィが外に出るなと言った。……その意味が分からなかったのか!! 馬鹿者!!」
「……ッ」
視界がじわりと滲む。断じてこれは僕の意志じゃない。6歳の体のせいだ。僕は歯を食いしばる。
「ラフィア、は、……ぼくが、つれだした」
「そうか。ラフィアの分もお前がもらうのか?」
「……」
「ラフィア、見ていなさい」
うさみみの少女が、目を見開く。
――もう一度、僕の視界で星が飛んだ。
「……馬鹿者が。老いぼれを心配させるでない」
ゲルフは両手で僕とラフィアを抱きしめた。老いぼれと言っておきながらものすごい力だった。苦しい。ラフィアがわんわんと泣きはじめる。
「いたいよ……ゲルフ」
抱きしめる力がふっと緩んだ。
「当たり前じゃ。痛くしておる」
「……ッ」
その瞬間の僕の行動や衝動は、よく分からない。22年間を生きてきた前世の魂と6歳の身体が反発して、混ざり合う。悔しかったのか、恥ずかしかったのか、居たたまれなかったのか。それとも……なにかに負けたくなかったのか。たぶん、その全部で、そのどれでもなかった。
僕はゲルフの腕を全力で振りほどいて、2人の家族に背を向けて、森の方へ走った。僕は僕の名を呼ぶ2人の声に押されるようにして深い森の中へ逃げ込んだ。
森の木に登って、夕日を見つめる。
――どんな顔して帰ろう。
22歳の魂がとびっきりの解決策を教えてくれるわけではない。
盛大に僕はため息を吐き出した。
「ああもう。なんていうか…………最悪」




