第78話:「もう無理だ、グラスリー!」と肉体奴隷が叫ぶ。
エクレアはたぶん、忙しいんだろう。
エクレアの夢は『肉体奴隷たちが魔法使いに立ち向かえる武器を作る』こと。
騎士の立場なら止めなければいけないような願いだけれど、でも、僕個人としては別だ。僕はその夢がたどり着く果てを見てみたい。生まれた時から、あるいは、魔法の失敗のせいで、回路がほとんど0に近い肉体奴隷たちを、この国は便利な労働力として扱ってきた。
そして、今のままでは彼らは最低身分であり続けてしまう。
エクレアの挑戦は肉体奴隷たちの価値を爆発的に変える可能性を秘めているはずで――――
「……ティーガ、久しぶりに着たけど、動きやすいな」
僕は1人呟く。
応える声は、ない――――
エクレアはたぶん、忙しいのだろう。
それは僕が導き出せる常識的な推測だった。
ただし、違和感がある。
エクレアは約束を忘れるような子ではない。ああいう口ぶりながら、絶対に集合時間には遅刻しないし、きっちり『ワリカンにしよーぜ』と言うタイプだ。
忙しいのなら――忙しくて約束の時間が難しいと分かったのなら、僕になんらかの手段で連絡をよこしてくる……んじゃないかな。
エクレアが約束をすっぽかしたという事実には、ささくれみたいな何かが隠れていて、僕はそのわずかな痛みに突き動かされている。
久しぶりのティーガを着て、僕は魔法奴隷のふりをしながら、肉体奴隷たちの作業場へ向かった。
「……」
見えてきたのは、コロッセオ。
エクレアが僕に決闘を挑んできたその場所は――――数ヶ月で見慣れない光景に変わっていた。
「よおし! ティアラド、お前は明日からもう1割多く作業をしろ! 材木運びだったな? 5セットから6セットに増量だあ!」
1割じゃない!
2割増えてる……!
計算間違いをしたのは、人間大のヒキガエルがしゃべっているみたいな、潰れて掠れた低い声だった。
「ま、待ってくれ! 先月も増えたばっかりだろう! もう無理だ、グラスリー!」
不穏な言葉に、僕は眉をひそめる。
路地のかげから、僕はコロッセオ――肉体奴隷たちの作業場の中を見る。
ムーンホーク領の各所から運び込まれた石材や木材がうず高く積み上げられ、肉体奴隷たちがそれを移動させている。中央には木材がピラミッドのように並べられていて、その上に、ヒキガエルの声の男がいた。
でかいな、というのが男の第一印象。
2メートル、超えてるだろう。人間。上半身のティーガは、とくに二の腕のあたりがパンパンで、体幹も筋肉がすごい。茶色の瞳は血走っていて、妙に小さい口元から歯並びの悪い歯がのぞく。手負いの鮫といった雰囲気。
「あのなあ、ティアラド。無理だと思ったら無理になるんだ。できると思ったらできるんだ。俺が決定した! 俺はお前らが選んだ代表者! 俺の命令は絶対だ! そうだろ? ああ?」
「……そう、だけど……」
「分かってくれたか。さすがティアラドだ。話が早え。――――もう1つだけ言っとく。こっちは小さなことなんだがな」
グラスリーは血走った瞳で、哀れなティアラドさんを睨みつけた。
「グラスリー様だ。……な?」
グラスリーの大きな手の平が、ティアラドさんの顎をつかむ。
ぎゅう、と頬の肉に指が埋まっていく。
「小さな見落としが大きな事故につながっちまう。俺たちはよく切れる斧や、重てえ岩を扱う。しかも、代表者様はほんの少しだけ怒りっぽい。それが俺たちの仕事場だ。いいよな?」
「~~ッ! ッ!」
「オッケーだぜ。明日からよろしくたのむ」
ティアラドさんが逃げるように去っていって、その場は終了。
……ふむ。
グラスリーは自らのことを『選ばれた代表者』と言った。
エクレアの名前は1度だって出なかった。
魔法奴隷と戦う娯楽『コロッセオ』を運営して、エクレアは領都の肉体奴隷たちからかなりの支持を得ていたはず。……っていうか、エクレアがほとんど代表なんだろうなと思っていた。影武者とか使ってたし。
僕が駐屯任務に打ち込んだ半年間。
いったい、ここで、なにがあったんだ……?
――
「エクレア、ね……まあ、仕方ないと思うよ。おれは」
「ちっこいだろ、あいつ。だからグラスリーが来たとき、戦わずに逃げちゃったんだよな。俺も無理はないと思う。あんな化け物みたいな男と戦いたいやつなんていないよ」
「我々はエクレア様に徹底抗戦を主張しました。けれど、エクレア様は首を縦に振られなかった。……それどころか、我らを見捨てられたのです」
「グラスリー……? うーん……。すごく……手際……よかった……。あっという間に……オレたち……言いなり……で……」
「行き先……? 実家だと思うけど。……え? そこまでは知らないなあ。実家が残ってる肉体奴隷って、年に1月だけ、帰省が許されてるんだよ。それで帰ってるらしいのは間違いない。けど。戻ってくるのかな……」
…………。
……。
聞きこみの結果、分かったことは3つ。
エクレアがもう領都にいないこと。
エクレアはグラスリーと戦わずに代表のポジションを明け渡したこと。
グラスリーがその後手際よく肉体奴隷たちを支配した、ということ。
僕のなかで、ますます違和感が広がっていく。
エクレアは肉体奴隷を相手にビビッて逃げ出すような子じゃない。
だって、ニンセン徴税官の不正を暴いたあの日。僕らと一緒だったけれど、エクレアは20人以上の魔法使いを前に、一歩も引かずに戦ったのだ。
――――不意に。
僕は右腕を掴まれた。
「――――あんときの従騎士様、ですね」
その声にどこか聞き覚えがあった。
「……」
僕は目を瞬かせる。
「あなたはエクレアの近くに居た……」
親衛隊(?)のメンバーだった気がする。
「フィオヌ、と言います」
青年と中年の間あたりにいる狼人族のフィオヌさんは、瞳孔が小さい黄色の瞳で、僕をじっと観察している。
「今、お話、いいですか」
「ええ。もちろん」
フィオヌさんは僕が聞きこみで仕入れた情報と同じようなことを言った。肉体奴隷たちの1人が言っていたとおり、1ヶ月間の帰省という制度を利用して、実家に戻っているらしい。
僕の疑念は晴れていない。
……単刀直入にいこう。
「フィオヌさん」
「はい」
「エクレアはどうしてグラスリーから逃げてしまったのですか?」
フィオヌさんは目をそらした。
「分かりません、タカハ様。俺は、それが悔しい。あんだけ近くにいて、なのに、俺は……ッ」
「なにも言い残していなかった?」
「はい。置き手紙だけで……」
らしくない。
本当に、エクレアらしくないぞ。
「…………」
「……フィオヌさんはどうしてエクレアを手伝っていたんですか」
黄色の瞳が、すっと僕に向き直る。
「純粋に、ついていきたいと思ったからです」
「……」
「俺は『9歳の儀式』に失敗したクチでして。領都に出てきたエクレア様に会うまでは、本気で魔法奴隷を殺すことばかり考えていました。魔法を使わせなければ、俺には力もあるし、爪もある。肉体奴隷の仕事にもイライラしていました。……そこへ、エクレア様が現れた」
『――――お。面白そうなこと考えてるんだ』
「『ガキが何を言ってるんだ』とそのときは思いました」
『――――でも、要領が悪いね。ボクだったらもっとスマートに出来る』
「けど、エクレア様はほんとうに魔法奴隷をコテンパンにしてしまった。従騎士様にやったような方法でしたが、あっさりとエクレア様は魔法奴隷に勝ってしまった。そして、言ったんです。『ボクは肉体奴隷が魔法使いに立ち向かえる力を探してるんだ』って」
「……最初から、そうだったのか」
「ええ。……同じ時期、俺と同じように魔法使いへの攻撃を考えていた肉体奴隷の1人が、ほんとうに殺してしまいましてね、むごたらしい方法で処刑されたんです。エクレア様は俺たちをスカッとさせながらも、決して魔法奴隷たちに大ケガをさせてない。ものすごいバランス感覚だったって、今だから分かります。……もしエクレア様と会わなければ、俺はたぶんこの世に居ないでしょうからね」
フィオヌさんが頭を下げた。
「あなたは従騎士様で、俺にはこんなことを言う権利なんてどこにもありません。それでも……お願いがあります。エクレア様を助けてやってほしい」
助ける……ね。
エクレアは領都ではなく、実家に居る。
「俺は肉体奴隷です。領都を動けねえ。……エクレア様は実家に帰ったことなんてなかったんだ。5年前にここへ来たときから、ずうっと地下の工房で頑張ってきてた。だっから、帰っちまうのは変なんです。妙なんですよ。俺たちにも置き手紙だけで……」
そういう事情なら、迷うこともない。
僕がゆっくりと口を開いた――――
そのときだった。
「おう! フィオヌ! てめえそこでなにしてやがんだ?」
人間大のヒキガエルの、トマトをつぶしたような声が、路地に反響した。
まるで路地の入り口を肉体だけで塞ごうとするかのような大男、グラスリーが、フィオヌさんを睨みつけている。鋭い視線は僕にも向けられた。……たぶん、僕の表情は変わっていないと思うけれど、嫌な感じの汗が出た。高い位置にある血走った瞳にはそのくらいの圧力があった。
「グラスリーさん。こちらは馴染みの魔法奴隷のかただ」
人食いサメを前に、フィオヌさんの口調は一歩も引いていない。
「んお? 魔法、奴隷……」
のそのそと近づいてくるグラスリー。その小さな瞳が珍しいもののように、僕を見る。
唐突に、グラスリーはペコペコと頭を下げた。
「魔法奴隷の……そうですか。そりゃあそりゃあ。俺としたしたことが早とちりしちまっていけねえや。肉体奴隷同士で良からぬことでも企んでるんじゃないかと思ってよ」
「俺がそんなこと考えるわけないじゃないですか」
「分かってるぜ。お前えが義理堅い、信頼できる男だってのは、よーくな。……けど、お前はあの青い髪のちんちくりんの部下だった。1番のな」
グラスリーは醜い口元を引きつらせるように歪め、言った。
「フィオヌ。俺の言うことを繰り返せ。――――『エクレア様はクズでバカでノロマだ』」
「…………ッ!!」
すっとフィオヌさんの表情が消える。
僕も、首の後ろが一瞬で熱くなった。
踏み絵だ。
僕はグラスリーの言葉だって許せないし、その腐った性根だって許せない。
けれど、必死に感情を抑えこむ。僕よりも数倍、数十倍の怒りを感じているフィオヌさんが、表情を変えていないのだ。それは、今のフィオヌさんがこの場所で生きていくのに必要なことだから。エクレアがいつか戻ると信じるこの場所に存在し続けるための。
「『エクレア様はクズでバカでノロマだ』。……これでいいですか、グラスリーさん」
フィオヌさんは淡々と言い切った。
「おう。だんだん慣れてきたみてーだな」
「あんたも趣味が悪い」
「お前えが強情なのがいけねえ。さっさとこっちへ付きな。……そのほうがお前のためだぜ」
言いたい放題に言って、グラスリーは路地から出て行った。
ふぅぅぅ、と狼人族の男は震える吐息を吐き出す。
「野郎……絶対ぇ…………。くそっ……!」
ずん、とフィオヌさんは地面を蹴った。
耳に残る音だった。
「……てなわけでだ。今はあいつが仕切ってるんです」
「ひどいな」
「まあ、あれで、身内には優しいんです。だからさっさと付いちまったやつも居る。けど――」
フィオヌさんは黄色の瞳で遠いところを見る。
「エクレア様がやってくれてたときは、上下関係なんてめちゃくちゃで、だれが指示を出すのかわけわかんなくて、それはそれで大変でした。……でも、仕事を変なふうに押しつけたりってのは全然なかったんです。あの雰囲気が俺は好きだった。少なくとも、俺は納得できてないんだ。なのに、俺はここを動けねえ。肉体奴隷だから」
「分かりました。行ってみます」
「ほんとうですかい!? ありがたい! お仕事は……?」
「ああ。夏休みなので」
「そいつは都合がいいや!」
「それで、エクレアの実家っていうのは……?」
「あ……」
フィオヌさんはばつの悪そうに、口を1度つぐんだ。
……ん?
「その実家ってのが、もう1つの問題でしてね」
「はい」
「南東域最大のフレーズ村にあるらしいんですが、ご存知でしょう?」
僕は顔をしかめた。
よりによって、あのフレーズ村か。
「フレーズ村には『裏』の顔があります。まあ、どっちが表かっていったらよく分かりませんがね……。エクレアの実家はどうやらその『裏』の部分に関わってるみたいで。どう関わってるか、ってことまでは、俺には分からないんですが」




