第71話:魔女は孤児院で、戸惑う。
招待状と書かれた羊皮紙の導きに従って、僕とメルチータさん、村長の3人は、孤児院の外にやってきた。
放火が行われた部分の火災はほんとうに最小限に収められていて、焦げ付きはあるものの、壁の張替えは必要ないだろう。ルドルフとレイチェルの目をみはるような対応の結果だった。
「……ッ」
それまで僕たちと同じペースで歩いてきたメルチータさんが、孤児院へ走った。子どもたちのことが心配なのは当然だ。深緑のローブが揺れ、金色の長髪が乱れるのも構わず、メルチータさんは孤児院の扉に駆け寄る。
そのまま、一気にノブを引いた。
「みんなっ!」
大広間。
僕がメルチータさんと再開し、子どもたちと騒いだ思い出のスペース。
招待状というから、僕はパーティのようなものを想像していた。
僕の予想は少し外れることになる。
「「「「先生、おかえりなさい!」」」」
扉を開けてすぐ。
孤児院の大広間で待ち受けていたのは。
整然と並んだ子どもたちだった。
全員がいつもより少し上等なティーガを着て、小さい子どもから順番に大広間に整列している。くりくりとした瞳は全部、メルチータさんに向けられていた。
1番小さい子どもですら列を乱していない。
いつもの賑やかな孤児院とは、まったく違っていた。
「ふ、え……? みんな、どうしたの? そんなビシッとしちゃって……」
メルチータさんはきょろきょろと子どもたちを見ている。
「先生」
子どもたちの真ん中から一歩踏み出したのは、レイチェルとルドルフの2人だった。どこからか調達したイエルを着ている2人は、領都に行っても恥ずかしくない、立派な大人に見えた。
「今日は大事なお願いがあって、気取った招待状なんてものを書かせてもらいました」
ルドルフは淡く微笑んで言う。
「どうか――――この孤児院を、僕とレイチェルに譲っていただけないでしょうか」
「…………え?」
「僕たちはもう16歳。1年もしないうちに大人になります。仕事をしなければいけないと思っていまして」
「だ、大丈夫だよ……? パルム村の狩猟団にお願いしてもいいし、ビーノ村のほうにツテがあるから探してきてもいいし……」
「いえ。僕は、この孤児院で、レイチェルと一緒に、先生をやりたいんです」
ルドルフはレイチェルを見て、レイチェルがそれに頷き返す。
「僕とレイチェルは、子どもたちに魔法を教えることができます。
畑や牧場の仕事も問題なくこなせます。
村長さんにも実は前々からお願いをしていました。
そして……もしまた火事が起きても、次からは僕たちだけで火を消し止めることができます」
ルドルフの瞳はどこまでも真剣だった。
いや、ルドルフだけじゃない。その向こうで並ぶ子どもたちもそうだ。
対する妖精種の先生は、オドオドと視線をさまよわせる。
「わ、私は……」
「メルはインタイだ!」と、リュック君が大声で言った。
つられて他の子どもたちも思い思いのことを言い始める。
「……お休み?」「……お昼寝?」「あっそーだセンセー、食べ物だけたまに持ってきてくれればいいよ」「あと、毛布」「あと……羊皮紙」「あと羽ペン!」
「私は金づるかッ!」
わあああ! 怒ったあああ! と子どもたちは喜ぶ。
一連の流れとして洗練されてると僕は思った。
そのときだった。
「……ッ」
うつむいたレイチェルがメルチータさんに駆け寄った。赤毛を揺らした少女は、勢いそのままに抱きつく。「わっ……」と言ったメルチータさんの深緑のローブが揺れる。
「れ、レイチェル……?」
赤毛の少女は、先生の髪に顔をうずめて言った。
「私……最近のメルちゃんのことが苦手だったの!」
――――初めて僕が孤児院を訪れたとき。
たしかにレイチェルはメルチータさんを避けているように見えた。
たぶんメルチータさんのために、僕に紅茶を出してくれたのに、肝心のメルチータさんが来たとき、逃げるように離れていった。印象的だったから覚えている。
メルチータさんはその言葉にびくりと肩を揺らした。
けれど、ゆっくり少女を抱きしめ返す。
「……メルちゃんはときどき、すごく寂しそうな顔をしてた! みんなの前では元気に振る舞ってるけど、ほんとうに1人のときは違った! 私、私は……その理由が分からなくて、でも、どうやって聞いたらいいのか、分からなくて、遠く感じるようになって……!」
「……うん」
「なのに、従騎士様が来てくれたときのメルちゃんは、ほんとうに楽しそうだった……。男の人が来たからだって、勝手に思ってた……!」
「うおい」
「でも、違う」
レイチェルは一歩離れると、目元を強くぬぐって、メルチータさんを見る。
「メルちゃんは、魔法の研究がしたいんだよね?」
「…………あ」
「……先日、僕とレイチェルは、先生と騎士様との会話を盗み聞きをしてしまいました。どうしても先生の真意が知りたかったから……。ごめんなさい、先生」
ルドルフがレイチェルの隣に来て言う。
「でも、それでようやく、僕たちも実行に移す決心することができました」
ルドルフは整列している子どもたちを腕で示した。
すらりと背の高い16歳の少年の振る舞いには、孤児院を守る決意と覚悟が宿っている。意外とがっしりしているその腕の向こうに、子どもたちの真剣な瞳が並んでいた。
「みんな、僕とレイチェルが先生になること、認めてくれました。先生は、いえ……メルチータさんは思う存分、残りの人生を魔法の研究に充ててほしい」
「だから。メルちゃん。お願いします」
レイチェルとルドルフは並んで、頭を下げた。
「「――――孤児院を、私たちにください」」
「……ぅ……ぁ……」
メルチータさんは手のひらを口元に当てた。
呆然とした表情のメルチータさんの目元に、どんどんと光の粒が溜まっていく。鼻や耳の先が真っ赤になり、ひくひくと喉が震え始める。
「み、んな……あり、が、とう……」
メルチータさんは両手で顔を覆って、その場に崩れ落ちた。レイチェルがもう一度その身体に抱きつく。
「メルちゃん……」
「……私より、さきに、男と、くっついちゃって……。幸せに、なら、なかったら、許さない、から……!」
「……うん!」
列になっていた子どもたちも先生をとり囲む。孤児院は一気に騒がしくなった。子どもたちの熱量みたいなものを僕は強く感じて、自然と頬がゆるむ。
「騎士様」
ルドルフが僕に近づいてきた。
「ほんとうにありがとうございました。騎士様がいなければ、僕たちはいつまでも二の足を踏んでいた気がします」
「……僕は、なにもしてない」
「いいえ。先生の心を解いてくれた。それは、生徒であった僕たちにはできなかったことですから。……どうか、先生をよろしくお願いします」
「2人はほんとうにすごい。僕は、尊敬してるよ」
それは紛れのない本心だった。
「いえ」と、すらりと背の高い青年が苦笑する。「こと僕に関しては、レイチェルの前では愚痴を言ったり、泣いたり、赤ん坊のふりをしたりと散々に発散していますので。……今のこれは仮面です」
「あははっ」
レイチェルに泣きつくルドルフを想像して変な笑いが出た。
ルドルフも応えるように微笑む。
だが、彼はすぐに、なにかを思い出して表情を一時停止させた。
「それと、もう一点」
「ん?」
ルドルフは僕の耳元に口を寄せて、囁いた。
「……先生を踊りに誘うお手並みは見事でしたが、もしお遊びのつもりでしたら、あれ以上は許しませんので」
「う。以上って、あれも含めてる?」
「余裕でアウトです。今回は特例です」
壁に耳ありだなあ、ほんと。
「もちろん、本気でしたら世界の果てまで連れていっていただければと思いますが」
「……身の振る舞いについて、真剣に検討させていただきます」
政治家の答弁みたいになってしまった。
「ご無礼をお許しください」
そう言って、ルドルフは身を引いた。
僕は首を横に振って、穏やかなルドルフの瞳を見る。
「僕はまだ従騎士だけれど……必要ならいつでも訪ねてきて。力になれることなら、精一杯協力するから」
「ありがとうございます」
僕はメルチータさんのほうを見た。涙で顔をぐちゃぐちゃにしたメルチータさんは妖精種のリュック君に『エルフの女はモテない』という主張をたやすく論破されていた。
孤児院はいつもの賑やかさをとりもどしている。
いや、いつも以上の賑やかさというべきだった。
終わりを知っているからこその――――
いかん。
僕はこの雰囲気を受け止めきれる器じゃない。
「……村長」
「ええ、騎士様」
村長は目を細めて子どもたちとメルチータさんを見ると、外へ続く扉を開けてくれた。
「騎士さま!」「村長さん!」
「「ありがとうございました!!」」
子どもたちの声に送り出され、僕と村長は連れ立って、孤児院を後にした。互いに無言のままパルム村までの道を歩く。
途中で僕は振り返った。
雄大な北限山脈が、ぽつりと荒野に立つ孤児院を包んでいるように見えた。
――
「えっと、改めて」
んん、と咳払いをしたメルチータさんは、緑の瞳で僕を見た。
「タカハくんの特殊な能力を分析して、魔法の研究っていう形でサポートさせてもらうことになったメルチータです。よろしくお願いします」
メルチータさんはぺこりと頭を下げた。
「つまり……タカハは実験台だと……ッ! いかがわしいぜ!」
「エクレア……? それってどう、いかがわしいの……?」
「ラフィア、オマエわかんないのか……? この恐ろしい状況がさ……ッ」
「う、うん……。わかんないよぉ……」
僕は2人をとりあえず無視して、メルチータさんに歩み寄る。
「こちらこそよろしくお願いします、メルチータさん」
僕は妖精種のお姉さまの手をとって、握手をした。
「え……? あ、」
メルチータさんの、顔が赤くなった……ッ!
僕は瞬時にルドルフの忠告を思い出し、その手を離す。「ごめんなさい!」と僕は言った。ぶんぶんと首を横に振ったメルチータさんは……なにもフォローの言葉をかけてくれない。
うん。
これでは普通のコミュニケーションにも困るかもしれない……。
いや、魔法の知識や考察力は素晴らしいはず。
そっち方面でしっかりと頼っていこう。
「ああいうリアクション、ボクは出来ないからな」と、エクレア。
「顔を赤くするの練習しようかな……?」と、ラフィア。
「あんまり……イジメないで……」
メルチータさんが肩を落として、僕たちは笑った。
――
――――思えば。
僕の2度目の人生で1番穏やかだった日々が従騎士の時期だった。
ときどき思い返して、バタバタとしていたその時間を懐かしむことがある。
僕の姉にして、優れた双剣使いでもある兎人族の少女、ラフィア。
肉体奴隷たちとの強いつながりをもつ、自称クラフトマンの人間、エクレア。
僕の知らない魔法を知り、魔法の研究を求める妖精種のメルチータさん。
僕が進んでいく長い道のりで、ともに戦い続けてくれた大切な3人に出会ったのが、僕の従騎士時代のすべてだと思う。
僕の『騎士団に反逆する』という決意は次第に大きな潮流となっていく。
『魔法の国』のすべてを巻き込み、
そして、この大陸を盤に、カミサマが仕組んだ歪なゲームへと――――
このときの僕は、まだ、自分の未来を知らない。




