第64話:「あ、悪魔の味だ」と狼人族の村長は言った。
「うわああああッ!」「なんだこれえええッ!」
集会所に入ってきた子どもたちが、目をキラキラさせて叫んだ。
集会所の中は、村人たちが持ち寄った秋を感じさせる色の布で各所が飾られている。
立食ができるテーブルが並べられ、その上にはきれいなテーブルクロスと様々な料理が置かれていた。いつもは乾燥させただけでそのまま食べることも多い各種の木の実は、中身を取り出して香草と混ぜあわせたり、煮込んだりと手が込んでいる。
鹿肉は香辛料を豪快にふりかけただけのシンプルな調理から、スープでじっくりと煮込んだものまで。
極めつけは、狩猟団が獲ってきたスィラシァ――イノシシの丸焼きだ。テーブル1つを占拠する存在感はすさまじいの一言。
僕の無茶苦茶なプロデュースに付き合ってくれた村人たちは、入ってきた子どもたちの様子を見て微笑んでいる。
「では諸君。冬の前に、蓄えるとしよう!」
村長が大声で言い、村人たちの歓声が集会所の中を包む。
そのままの勢いで――――収穫祭は幕を開けた。
村人たちはそれぞれに食器を持って、談笑をしながらそれぞれのテーブルの料理を楽しんでいる。
「騎士さま~!」
茹でたクロッカの実を和えたサラダに手を伸ばそうとしていた僕の足に、可愛らしい衝撃がぶつかる。声を聞いただけで分かった。
「ミーネちゃん、こんばんは。……さっきはお手伝いありがとう」
「コジインの子どもたちはーお客さんだから~。トーゼンだよね~」
「えらい」
僕は柴犬幼女の頭を撫でた。「んふふ~」と嬉しそうなリアクション。僕はこのリアクションが返ってこない世界を想像した。視えたのは果てしなく広がる暗闇だった。やばい。やばいよこれ。依存性を感じる。
「あら、騎士様」
ミーネちゃんのお母さん、ネイエさんが、赤ん坊を胸に抱いて近づいてくる。母親に抱かれたミーネちゃんの弟はすやすやと眠っている。その頬を優しく撫でたネイエさんは、僕にいたずらっぽい表情を向けた。
「騎士様が計画したんでしょ? この収穫祭」
「……はい。面白いかなと思って」
「いやー、あたしの見込みどおりのすごい人だったわね、騎士様は」
「おかーさん」ミーネちゃんは少し不満げだ。「最初にそう言ったのわたしー」
「そうだ騎士様、ミーネをもらってくれないかしら?」
「……へ?」
と、唐突すぎる……ッ。
「だって騎士様14でしょ? ミーネは6つだから、歳の差は8つ。そのくらいいけるわ。うんいける。全然問題ない。しかも、この子、あたしの小さいころに似てるわよ?」
チャーミングにネイエさんは言い切る。
しょ、将来がめっちゃ楽しみです!
だが、当のミーネちゃんはぷいっとそっぽを向いていた。その頬は……わずかに赤い。
「あらあ? なに? あんた照れてるの? あははっ。聞いてくださいよ騎士様。この子ったらね。私たちが精霊言語を教えてもこれっぽっちも覚えないのに、騎士様にきいたことはぜんぶ覚えてるの」
「お、おかーさんっ! 知らないから~!」
顔を両手で覆ったミーネちゃんが走り去っていく。
「んー、我が娘ながら、可愛いっ!」
ネイエさんは満足げに言って、そして、なにかに気付いた様子で、視線を別の方向へ向けた。
僕とネイエさんに近づいてくる人影は小柄だった。
「あ。村長!」
「……やあ、ネイエ」
村長は苦笑しつつ、ゆっくりと言った。「あまりミーネを子ども扱いしないことじゃ」
「分かってますって! あら、キーロじゃない!」
「これ。聞いておるのか――――」
発電機のように自分の中からエネルギーを生み出し続けるネイエさんは、あっさりと別の友人を見つけて、そちらに引き寄せられていってしまった。村長がもう1度苦笑してから僕を見た。
「騎士様。オウロウ村の村長がお見えになりました」
「あ……はい。すぐに行きます」
僕は持っていた食器をテーブルに置き、歩き出した村長の後ろに続いた。
集会所の入り口には、人だかりが出来ている。
パルム村の人ではない顔がいくつか並ぶ。特徴的なのは狼人族の割合がかなり多いことだろうか。狼人族は犬人族よりもわずかに毛深く、皆一様に髪が黒く、瞳は明るい。僕はその境界はすごく曖昧だと思うけれど、人族同士の間には当人たちによる線引が存在する。
いずれにせよ。
そんな肉食系のみなさんの中で、ぴょこりと見えるベージュ色のうさみみは、明らかに浮いていた。
てか、狩るものと狩られるもののように見えた。
「……」
オウロウ村の派遣員に同行してきたラフィアは僕に微笑みを向けて小さく手を振った。僕は頷きで返す。
「ガフロウ様、お久しぶりです」
「アーレン様も、お変わりないご様子」
パルム村長に答えたオウロウ村の村長は、なかなかに歳をとっていた。ゲルフよりさらに上、くらいのイメージだろうか。黒い髪には白いものがまじり、肌の皺も多い。だが、その背筋はすくっと伸び、足運びは武術を愛する者の雰囲気があった。
そしてなにより、オウロウ村の村長は隻眼だった。頬のあたりから伸びた傷跡が左目を縫い付けてしまっている。開くことはなさそうだった。
……ラスボス臭を通り越して、完全に裏ボスだった。
「こちらが、我が村にて駐屯の任にあたっておられる、従騎士タカハ様です」
「ほう……想像していたよりも、顔立ちがお若いな」
鋭い隻眼に僕は少しひるみつつも、1歩前に出た。
「従騎士タカハです。ラフィアがお世話になっております」
「立ち話もなんでしょう」パルム村長が言った。「座れる席を用意しております。……若衆のみなさんは、どうぞパルム村の食事を楽しんでいってください」
「お言葉に甘えますぞ、アーレン様。……お前たち、お言葉に甘えろ」
軍隊のように整然とした返事をよこした狼人族の若者たちは、だが、その後は砕けた雰囲気になってそれぞれのテーブルに散っていく。
騎士ファラムが渋りに渋ったこともあって、他の村の奴隷を招くための書類上の手続きは大変だったけれど、その価値はありそうだ。
僕とガフロウさんはパルム村長にうながされるまま、集会所の隅にあるテーブルについた。ラフィアがその後についてくる。大柄な狼人族の村長に続く少女。印象は完全に誘拐されたウサギだった。
「村長、キライなものってありましたっけ?」
ラフィアが明るい口調でガフロウさんに訊いた。
ガフロウさんはドラゴンの群れに襲われたかのように表情を渋らせた。
「……シーハの実が、少し」
「分かりました。適当にお料理をお持ちしますね」
ラフィアは食器をいくつか手に持って、テーブルのほうへ消えていく。
「ラフィアは失礼をしていませんか?」
ガフロウさんはゆっくりと首を横に振り、口角を吊り上げた。傷が引き伸ばされる。微笑んでくれたのだろうが、プレッシャーがすさまじい。
「気さくですが、超えてはならない一線は超えてこない。頭のいい娘でしょう」
「……ありがとうございます」
「われわれは偏屈な集団でしてな。兎人族のことは、基本的にはバカにしているのです。怯えと不安のせいで周りとの足並みを揃えることしか考えていないのが兎人族、我ら狼人族は群れますが、目的のために群れている。……とまあ、なんら根拠のない仲間意識を持っているわけです。そういった感情を、あの娘に打ち砕かれました」
「打ち砕いた……?」
不穏な言葉だ、と思う。
「ええ。あの娘の剣術の才は圧倒的です」
「……そうなのですか」
「一瞬を17に分割したよりもまだ短い時間で行う判断力、剣筋の記憶力……それは前提として、あの娘はすさまじいほどに器用なのです。器用すぎて、どのように動かせば1番効率よく目標まで剣を運べるか、すぐに飲み込んでしまう。鋭さがあれば重みは要らない。双剣術はあの娘にあっていると思います」
僕は絶句した。
そこまでの適性が、ラフィアには眠っていたのか。
「わしも双剣術には自信があります。まだまだ若い者に遅れをとるつもりはないし、ラフィアにもまだ負けることはないでしょう。しかし……あの娘が見ている世界は我々と違う。そう確信させるだけのものをあの娘は持っている」
というわけで、とガフロウさんは苦笑した。
「我らオウロウ村狩猟団はみごとに兎人族の小娘に鼻っ面をへし折られたわけです。……騎士様、どうかラフィアにもうしばらく修行をつませてあげてほしい。あの娘が収める武の果てを、わしは見てみたい」
ガフロウさんの隻眼はどこまでも真剣に、僕を見ていた。
「……分かりました。僕もラフィアのことは頼りにしていますから」
「お話しできてよかった、騎士様」
「あ、まだ本題が……」
ガフロウさんは目をぱちくりさせたあと、ぴしりと額を打った。
「歳をとりました。耄碌しておるようです」
「少年のように目が輝いておりましたよ」
パルム村長がツッコミを入れた。おお。
「これは手厳しい。武のこととなると心が踊りましてな。……ここはいったん収めましょう」
「お料理をお持ちしました」とラフィアが食器を運んできた。
各種の料理がバランスよく盛りつけられていて、食欲をそそられる。
「ラフィアも座らせてよろしいですかな?」とガフロウさんは僕らに言った。
もちろん。
ラフィアは静かにテーブルについた。ベージュ色の髪からふわりと甘い匂いがする。
どこか誇らしげな青い大きな瞳はキラキラと輝いていた。
「……」
「……」
僕たちは無言の視線を絡ませる。
姉さんはほんとうにすごいな、と僕は純粋に考えていたのだけれど。
「姉弟ときいていましたが……」
ガフロウさんが首をかしげる。
「それ以上に熱い視線ですな、アーレン様」
「ええ。まるで想い人同士のような」
「村長はすぐにそういう話にするんですから」
ラフィアがコロコロと笑う。
なんてたって姉弟だからね。
「それはさておいて、騎士様。その本題は解決しているようなものです」
ガフロウさんは僕を見て言った。
「ラフィアから騎士様の人柄は聞いております。しかも、われらはどうも、物を蓄えたり、先のことを見据えて食糧を使っていく……ということが苦手なようでしてな。このように素晴らしい祭を開催できる騎士様の実力は折り紙つきだ。ぜひオウロウ村にも来ていただいて、そういう部分を指導してほしい」
僕は立ち上がった。
ガフロウさんもつられて立ち上がる。
「では、近いうちに、必ず」
「お待ちしております」
僕は狼人族の老人の大きな手を握った。
握り返す力は強く、だが、固い手のひらは温かい。
「みんな~! 騎士様が植えてくださったプナン芋の料理が出来上がったよ~!」
集会所の中央のほうで大皿をもったネイエさんが叫ぶ。
「ほう……芋ですか」
意外そうに言ったガフロウさんに、僕は微笑を向けた。
「公爵閣下の大好物、揚げ芋を作ってもらったんです。ぜひ食べてみてください。きっとご満足いただけると思いますよ」
いつの間にか席を立っていたラフィアが、揚げ芋を食器に持ってきてくれた。少し色が黒っぽいけれど、ポテトチップスがかなりの精度で再現されている。パルム村の奥様方のスライス技術のたまものだ。
待ちきれず、僕も手を伸ばした。
揚げたての熱と香ばしい匂い。
「では……」
ガフロウさんは古武士のような厳粛さで揚げ芋を口に含んだ。
僕も食べる。
うおおおおおおおおおおッ!
これは、美味しい! 塩味が絶妙だ!
パリッとしてるし、文句はない。
前世の僕はこんな旨いものを食べてたのか……。
「…………あ、悪魔の味だ」
ガフロウさんは手のひらを震わせて、右手にわずかに残った塩と油を眺めている。
「騎士様、これは危険なものです。…………ぜひ我が村にも」




