第60話:「騎士さまッ!!」と孤児院の少女が僕を呼んだ。
夕方、馬を駆り、北西域最大の村、ビーノ村に戻った。
一応の指導者である騎士ファラムへの報告と、いっしょに北西域に来た2人との再会が目的だ。
「――――に、ニンセン様がパルム村の視察にっ!?」
その報告の途中で、騎士ファラムはひどく取り乱した。
「そ、それで! なんと言っていたのだ! ええ? ニンセン様は!?」
「いえ……騎士ファラムもご存知のように『パルムの税を2割減らす代わりに労働力を提供する』という連絡があったくらいで……」
「違う! 違う違う! 従騎士……えっと、なんだったかな?」
「タカハです」
「そうだ! そうそう! 従騎士タカハ! 個人的になにか言われたのだろう!? その内容だ……ッ!」
たぶん。
孤児院のことは伏せておいたほうがいいだろう。
「ほんとうに世間話でした。自分が駐屯任務に真剣だと認めてくれて、領都の最新事情を少し話してくださったくらいで……」
「……うむ。そうか。……分かった」
ばふ、と騎士ファラムは椅子に身を沈めた。
そのまま、手の甲を僕のほうに向ける。出ていけということだろう。こういう後輩へのぞんざいな態度はよくないんじゃないだろうか。気分はすごく良くない。
「失礼します」
僕は執務室を出た。
めずらしく今日は北西域に駐屯している騎士が多く集まっているようで、建物の中は緑のコートを着た正騎士たちで賑わっている。僕は全員に目礼をしながら建物を出た。
「よっ、タカハ」
「久しぶり、だね」
扉の外には2人の少女が居た。
珍しい薄青の髪を後ろに縛ったエクレアは、額にゴーグルのようなものを乗せて、大きな筒状の武器を背負っている。
ラフィアはふつうのティーガを着ているのように見えたけれど、ところどころに特徴的なスリットが入っており、動きやすそうだ。腰には1対の双剣をぶら下げていた。
「2人とも印象変わったね」
「双剣術が面白くて」ラフィアが微笑み。
「いろいろあったからさ」エクレアもふふんと笑った。
――
宿屋で従騎士が奴隷たちと話し込んでいるのは、あまりいい状態ではない。
2人にそう説得されて、僕たちは野宿をすることにした。
テントをたて、たき火を囲む。
他愛のない話題が尽き、エクレアが少し真剣な表情で言った。
「ココの肉体奴隷たちの待遇はすごくいいみたいだ。みんないいものを食ってる。ていうのも、ニンセン徴税官っていう人がさ、ビーノ村と領都をぶち抜く大街道をつくるケーカクを進めてるらしくて、仕事がすごいんだよ。魔法奴隷の間でも噂になって、出稼ぎにきてるやつもいるくらいだ」
「じゃあ、大丈夫だったんだね?」
エクレアがこの北西域に来たのは、大切な知人との連絡が取れなくなったからだ。
「ああ。モンダイはなさそうな感じだったぜ。ただ、外の奴らと連絡をとることだけが禁止されてるみたいでさ。それも妙な話だと思うけど……まあ、アイツらが無事だったらボクはそれでいいんだ。よかったよかった」
言って、エクレアは笑う。
悪ガキみたいに、純粋な笑顔だ。
「その街道は、領都からビーノ村までだけじゃないよ。ビーノ村からもっと伸ばして、北限山脈のほうの小さな村まで届くような計画をしているらしい」
僕の言葉にラフィアが相づちを打った。
「オウロウ村にも『税が軽くなる代わりに人を出すように』っていうお達しが来てたよ」
「ラフィアはそれ、大丈夫なのか? レンコーされたりしないの?」
ラフィアもエクレアも肉体奴隷だ。
エクレアは上手にビーノ村の肉体奴隷たちに紛れこむのだろうが、ラフィアが向かったオウロウ村は人口が少ない。目立ってしまう。別の村で狩猟術を教わるというのは肉体奴隷に許されていることではない。
普通の肉体奴隷ならば。
「わたしは……公爵様の特別な許可証があるから。領内のどこに行っても、どの騎士様に足を止められても、大丈夫なの」
「へー。トクベツ許可証ねー……」
そのとき、ぴこん、とエクレアの瞳に電球が灯った。
「そうだっ!」
エクレアは僕の右腕にぐい、と密着してきて言った。
「タカハ、ボクの権利を公爵サマからもらってくれよ」
「え?」
「ボクは便利だぜ~? 領都と北西域の肉体奴隷たちとはかなり仲良くなったし、だれでも扱える武器を作れる」
「く、下さい、って言って貰えるものじゃないよ?」
「でも、カツヤクしたら貰えるかもしれないだろ? そしたらさ、ボクの権利をもらってくれ」
どうなのだろう。
実際に活躍をしたらそういうことがあるのだろうか。
ありそうだ。あの公爵のことだし。『ん? 肉体奴隷がほしいの? いいよいいよ! 3人くらい持ってって』とか言いそう……。
「なんだか……奴隷の女の子の権利をもらうって、イヤな感じだね……」
ラフィアが目をそらしながら言った。
ラフィアは実際にその危険にさらされたことがある。
「え? なに言ってるんだよ? ボクはオトコだぜ? ほら、一人称がボク」
「その設定はもうムリだから!」
わいわいと。
にぎやかに夜は更けていく。
――
翌朝、眠い目をこすりつつ、僕はパルム村に戻ってきた。
「おはようございます! 従騎士さま!」
「おはようございます」
すれ違う村人たちの態度は、ずいぶんと柔らかくなった。
今日もいつもどおり狩猟団の訓練に顔を出して、畑の様子を見てから……そうだ、ミーネちゃんが算数を教えてほしいって言ってたな。どっちを先にしようか……。
そう考えていたとき、僕は広場のほうが騒がしいことに気付いた。
「ん?」
馬上から首を伸ばして見る。
村人たちが数人、集まっているようだ。なにごとだろう。
その人だかりの中央に居たのは――少女。
それも、顔見知りだった。
「騎士さまッ!!」
パルム村の広場に、切り裂くようなその声が響き渡る。
「レイチェル……?」
僕は首をかしげる。
孤児院の少女がどうしてパルム村に……?
レイチェルはつんのめるようにしながら僕の近くに走ってきた。僕は馬を降りる。レイチェルは赤毛を振り乱しながらすごい勢いで僕に飛びついて、倒れかかってくる。
少女の額には大粒の汗が浮かび、発熱し続ける身体は小刻みに震えていた。限界を超えて走り続けたのか。
「こ、こっ……が……」
「落ち着いて、レイチェル。深呼吸をするんだ」
僕は赤毛の少女を抱きとめながら、その目を見た。
電撃のように、嫌な予感が首筋を走り抜けた。
荒い呼吸を繰り返す少女の目は――怯えきっていたのだ。
「孤児院が、燃えてるんです……ッ」
僕は自分の呼吸の音を聞いた。
1度、2度、3度。
真っ白になった頭が機能を回復するのに、そのくらいの時間がかかった。
「だれかッ!!」
僕は叫んだ。
近寄ってきてくれた村人に少女を頼み、僕は飛び乗りながら馬を疾走させた。
森の細い道を全力で走り抜ける。
馬が衝突への恐怖にいななくが、手綱と太ももでそれを強引にねじ伏せた。
風がまぶたと耳を打つ。だが、視線だけは前に向け続けて――――
森が切れた。
「……ッ!!」
視界いっぱいに広がる、北限山脈と荒野。
朝靄はとぐろを巻いた蛇のような黒煙に汚れて。
その根本で、孤児院が――――紅蓮の炎に包まれていた。




