第58話:「申し訳ありません」と孤児院の少年は拒絶する。
「飲めるわけないです」とメルチータさんに冷静に返事をしてから数時間後、孤児院の中は狂乱の様相を呈していた。
「ついにメルちゃんセンセーにもカレシができるんだね……」
「おあいては騎士さまだから、あたしたちもみとめざるをえないね……」
と幼女たちが妄想を繰り広げ。
「いっけー! センセー!」
「もう一杯! もう一杯!」
と少年たちが唯一の保護者に酒を飲ませ。
「どうせ私は魔法ばっかりのガリ勉女だよーーッ! 言われなくても分ってるっつーーのぉッ!」と酒におぼれたメルチータさんが吠える。
7歳以上の子どもたちが作ってくれた美味しい木の実料理は、きれいに全員の胃袋に収まり、夜は深まっていく。うつらうつらし始めた小さな子どもたちをルドルフとレイチェルがせっせと部屋まで運んでいた。うん……メルチータさん、要らない子なんじゃないだろうか。ポンコツなんじゃないだろうか。
ちなみに僕は。
孤児院の子どもたちとの間で繰り広げられた筆舌に尽くしがたい戦いの結果として、両手両足を椅子に縛り付けられていた。
僕の心は湖面のように落ち着いている。
首だけを回して、レイチェルに声をかける。
「いつもこんな感じなの?」
「半年に1回くらい、だけど。メルちゃんは飲むと、おバカさんになっちゃうから……みんな喜んでるの」
「教育上よろしくないんじゃ……?」
「大丈夫。みんな分ってるから。メルちゃんみたいなオトナにはならないって」
僕は吹き出した。いい反面教師というやつだ。
「…………あら?」と声がした。
ぞわり、と僕の背筋が凍える。
僕はゆっくりと、テーブルと、その上に立つ、妖精種のお姉さまを見た。
「あらあ。いい男がいるわぁ」
瞳にハートマークを散らしたメルチータさんに、先生と呼ばれる資格なんてないだろう。絶対にない。
「はーい、みんなー、ここからは15禁だよ~」とレイチェルが子どもたちに声をかけた。
反論する声が上がるが、この時間まで起きていた子どもたちは数えるほどしか無く、その全員をルドルフとレイチェルが手際よく大広間から追い出していった。
「すみません、騎士さま」ルドルフが言った。「あとは頼みます」
「…………2人とも、1つだけいいかな?」
大広間の扉を閉めようとしていた2人の動きが止まる。
「僕、14歳なんだけど」
「あ……」
無情にも。
扉は閉められた。
……いや、確信犯じゃん。
僕はため息をついた。
「ため息も、でちゃうわよね……」
さっきまでテーブルの上に立っていたメルチータさんは、いつの間にか普通に椅子に座って、手のひらを顎に添えて、憂いを湛えた表情をしている。流し目。
僕は冷静に対処することを決定した。
「えっと、さっきまでおもいっきり酒に呑まれてましたよね?」
「はっちゃけ過ぎちゃった」
てへ、と続けなかっただけ救いがあるな、と僕は関係ないことを思った。
「男性とお付き合いされたこと、ないんですか?」
「ばっ、ばっ、ばば、馬鹿なこと言わないで! あ、あるに決まってるでしょ!」
「今は?」
「い、今はいないのよっ。そういう人がねっ」
うまい言い訳を思いついた子どものような表情で、メルチータさんは言い切る。僕は理解した。大人は、余裕で、それを見切っているのだ。
「それにしても、モテない理由が分からないですね」
「うああああ~~!」
メルチータさんは髪をかき乱した。ティーガとローブの隙間に、白くて柔らかそうな二の腕が見える。
「仕事だと思うの、原因! 聞いてよタカハくん! この前なんて酷かったのよ! パルム村の人たちとしゃべる機会があって、そのときにね、『お子さんはおいくつなんですか?』って言われて……」
「……詰んでますね」
「孤児院をやってるだけなのに、自分の子どもがいる認定っておかしいよね? おかしくない!?」
「おかしいと思います」
僕は真剣に考えてみた。
見た目は悪くない、どころか、かなり良いの部類だろう。美人だし、スタイルもいいし、金髪だし。まあその辺は関係ないけれど、やっぱり、それを上回る感じで仕事が大変なのか。孤児院の管理人というイメージに加えて、忙しすぎて外に出て行く時間がないのかもしれない。
「タイプだって言われることはあるんじゃないですか?」
ぴくり、とメルチータさんの長い耳が反応した。
「…………ない、よぉ……」
泣かせた、の1歩手前だった。
こんなおっきな地雷、僕には処理できません……!
そして本当にごめんなさい……!
この世界の理不尽を僕は垣間見た気がした。
メルチータさんは1人で孤児院を切り盛りしているのだ。男手が必要なことも多いだろう。
少し話せば、メルチータさんがとても素敵な女性であることは理解できるはずだ。見た目ももちろん、性格や、頭の良さも。てか、関わる男が少なすぎるのか?
うーん、僕の前世だったら間違いなくモテモテだと思うんだけど。
「うう……」とメルチータさんは僕から目を背けた。
……マズったようだ。
僕は話題を変えることにした。
「素敵な孤児院ですね。子どもたちが明るくて」
顔を上げたメルチータさんは、それまでと違った穏やかな微笑で答える。
「大変なんだよ? みんな言うこと聞いてくれないし、いつの間にか『メルちゃん』なんて言われてるし、ご飯を確保するのも大変だし、雨漏りもするし……」
食料か……。ほんとうに、毎日が戦いだろう、と僕は思う。パルム村の狩猟団ですら一杯一杯なのだから。
「でもね、楽しい。……うん。ほんとうに楽しくて、この場所が大好きなんだ」
メルチータさんは、やっぱりそれまでと違った表情で、照れた。僕はどきりとする。変に自虐なんてしないで、こういう表情を自然にしていればいいのに。
そのまぶたがゆっくりと落ちてくる。
メルチータさんは両腕をテーブルにつく。
「あふ……そうね。これは、わがままなんだけど……」
「……」
「1つだけ……できたら……」
メルチータさんは完全にテーブルに突っ伏した。金色のつやつやした髪が、眠りに誘われた妖精種の横顔を、幻想的に縁取る。
「ふぁ……魔法の研究をして……みたかったなあ……」
……。
…………。
いつか、ゲルフは、『メルチータが1番の弟子だった』と言っていた。
回路がある程度太く、精霊言語の記憶力に優れることは、ゲルフにとっての前提でしかない。
ゲルフと同じように単位魔法の性質を研究し、整理し、分類し、それを実践の場で応用できる魔女だったのだろう。
古い木が軋む小さな音を響かせて、大広間の扉がゆっくりと開いたのはそのときだった。
扉の向こうから、赤毛の少女と背の高い少年が顔を出した。
「レイチェル、ルドルフ……」
「すみません、解きます」
少年が僕を椅子に縛りつけていた縄をほどいてくれた。
静かに先生に近寄った少女は、手に毛布を持っている。
「メルちゃん、お酒を飲んで眠ったら、起きないから……」
優しい手つきで先生の背中に毛布をかける少女を、僕は見つめる。
「――――盗み聞き?」と僕は言った。
レイチェルは一瞬、手を止めた。
けれど、僕からすれば、そう言わざるを得ない。僕とメルチータさんの会話が終わり、メルチータさんが眠りに落ちた瞬間に、2人が一緒に戻ってきたのだから。
「申し訳ありません、騎士さま」
ルドルフの言葉は穏やかではあったが、硬かった。
「先生はもちろん、騎士さまにも、パルム村にも、迷惑をかけません」
「やりたいことがあるの」とレイチェルが言った。「だからお願い。メルちゃんには黙っててください」
「それが理由で、メルチータさんと上手くいってないの?」
「……申し訳ありません、騎士さま」
ルドルフはもう一度言った。
メルチータさんに負い目を感じるようななにかを、2人が進めている。けれど、僕にそれをあっさりと打ち明けてくれた。
どういうことだろう……?
大きな問題になることはないと思うけれど……引っかかるのは間違いない。
「泊まっていかれますか?」
僕は首を横に振る。
「村長さんの家に部屋を借りているから。メルチータさんに、また出直すって伝えてもらえる?」
「はい。帰り道はお気をつけて」
ぺこり、と2人が頭を下げた。
僕は立ち上がる。入り口の扉に手をかけて、僕は振り返った。
孤児院の少年と少女はそのままの位置で、僕を見ていた。
「困ったことがあったら、いつでも僕を訪ねてきて」と僕は言った。




