第57話:「どういう用件かしら?」とエルフのお姉さまが言った。
「久しぶりだね、タカハくん」
そう言ったメルチータさんは、正直、14年という年月をまったく感じさせない。メルチータさんの美しさは14年前に完成していて、今でも継続しているようだ。
「せ、センセー、知りあいなのかっ?」
その足元で、妖精種の少年リュックくんが『北限山脈が倒れてきたああああッ』と言わんばかりに驚いて、動揺している。
「知り合いっていっても10年以上前のね。それからは全然会えなかったけど」
「いや、ちがうよ。センセー」
「ん?」
「オトコじゃん! オトコの知りあいじゃん! ヨクボーとカツボーがとまんな――もがもが」
…………え?
欲望? 渇望……?
「リュック!」
メルチータさんは顔を真っ赤にしながらリュックくんの口をふさぐと、そのまま扉の向こうにひょいっと放り込んだ。じつにコミカルな動きだった。そのまま、後ろ手に扉を閉めて、僕に愛想笑いを向ける。
扉の向こうでは「オトコだ! センセーの知りあいのオトコが来たあッ!」とリュックくんが絶叫し、どよめきが伝播している。
「あいつら……」とメルチータさんは握ったこぶしをプルプルさせた。「第一印象が大事だっていうのに」
僕は驚いた。メルチータさん、本気で怒ってる……。
ふ、と。
メルチータさんは肩の力を抜いた。
「ま、最近はこんな感じなんだよね。……タカハくん、若いうちにしっかり遊んでおくんだよ? 間違っても孤児院の管理人になんかなっちゃだめだよ?」
メルチータさんは、僕の10数歳年上だ。
そして、生徒たちには弄られている……。
ふざけた言葉をいくつも思いついた。たぶん、それを投げかければ、メルチータさんは顔を真っ赤にして僕に反撃してきて、笑わせてくれるのだろうと予想までつく、そんな言葉を、いくつも。
「…………」
……けれど、僕はそうしなかった。
微笑むメルチータさんの瞳の奥のほうに、どこか脆いなにかが見えたような気がしたのだ。ゲルフの諦念とも、ラフィアの絶望とも、エクレアの後悔とも違う、なにか――――
「……あ、ごめんごめん、私ったら。上がって?」
メルチータさんはちょっと困惑したような表情を浮かべていた。
……ふむ。
僕の考え過ぎだろうな。
メルチータさんに促され、孤児院の中に入る。1階は大きなテーブルが置かれた広間と、大きなキッチン。廊下の先と2階が子どもたちの部屋になっているみたいだ。建物中からどたどたと子どもたちが走り回る音が聞こえる。
「ちょっと待っててね。リュックと少しだけ話してくるから」とメルチータさんは表情を引き締めて2階へ上がっていった。
少し遅れて、「きゃー」とか「うぎゃー」とか意味のない大声が連鎖して聞こえてくる。
「ほんとうに、男の人なんだぁ……」
キッチンに立っていた赤毛の少女が僕を見てそう言った。とりあえず僕は「お邪魔します」と返しておく。
「レイチェル、失礼だろ。大事な先生のお客様なんだから」
15、16、いや、もう少し年上にも見える落ち着きをまとった少年が、レイチェルの淹れたお茶を運んできてくれた。
「すみません、騎士さま。少しお待ちください」
「そんなにかしこまらないでいいですよ」
「いえ。……申し遅れました、僕はルドルフ。このレイチェルと同い年で、孤児院の子どもでは最年長です」
キッチンのほうでレイチェルがぺこりとお辞儀をした。
僕は感動した。モヒカンを筆頭とするパルム村狩猟団の構成員とは比べものにならないくらい、しつけが行き届いている。
「ちなみに、何歳なんですか?」と僕は訊いた。
「16ですね」
…………待てよ。
メルチータさんは14年前、ピータ村に居た。そこからパルム村に来て、『賢者』の力を借りて孤児院を建てた。だとしても。
「僕は5歳のとき実の両親に手放されそうになりました。それを救ってくれたのが、先生だったんです。冷夏で食べ物が足りなくなって、両親は税を払えそうになかったから……」
つまり、孤児院を建てたときから、ここにいるということか。
「設立した当初は……2人だけ?」
「いえ。全部で5人だったので、もう3人いました。今は3人はパルム村で生活しています。……あ。騎士さま、へんな髪形をしてる若い男がいませんでしたか? こう、真ん中だけ残して、左右をそり上げる、みたいな……」
モヒカンのことか。
「あいつも、この孤児院の出身だったんですよ。……僕とレイチェルは、なんというか、帰りそびれてしまって……」
「でもね」ぽやんとした口調で、レイチェルが言った。「わたし、先生が来てくれてほんとうによかったと思う。ほんとうの家族だって、思ってるから」
メルチータさんが階段を下りてリビングに戻ってきたのは、ちょうどそのときだった。
「あ。お茶を淹れてくれたんだ。レイチェル、ルドルフ、ありがとう」
「……っ」
レイチェルはなぜか俯いたまま、メルチータの横をすり抜けて2階に上がっていってしまった。
「こら、レイチェル! し、失礼します……!」
ルドルフがあわてて続いていく。
「…………あまり、うまくいってないんですか?」
メルチータさんは一瞬だけ僕に視線を投げて、ため息をついた。
「そうね。……そうかもしれない。べつにケンカをしてるってわけじゃないんだけどね、なんだかギクシャクしちゃって。あのくらいの歳の子どもはやっぱり難しい、かな。自分がそのくらいの歳だったときを考えれば、当然な気もするけれどね」
「僕もいずれ、メルチータさんとって面倒な存在になるということですね」
「可愛かったタカハくんがひねくれちゃったわねー」
メルチータさんは小さく笑った後、表情を引き締めた。
「それで。今日はどういう用件かしら?」
「メルチータさんに会いにきました」
「あんまり大人をからかうんじゃありません」
びし、と額を打たれる。
オトナ……いい響きだ、と僕は思った。
「従騎士タカハ様として来たの? それとも、タカハくんとして?」
僕はしばし黙考する。
「魔法使いのタカハとして、です」
「…………ウィード様の魔法が目当て、ということ?」
違う。
本当は、ウィード様本人に用があった。
メルチータさんに『軍団』の話は――するべきではない。
「はい」と、僕は言った。
メルチータさんも、しばらく沈黙した。
「ゲルフ様は、お元気?」
「はい。ぴんぴんしています」
「それは……良かった」
魔法のことは、教えてくれないようだ。
忘却の彼方に消えゆこうとしていた1歳のころの記憶を、僕はゆっくりと取り出していく。
僕はあのころから『対訳』によって精霊言語を使いこなしていた。ゲルフが第7系統――時属性の魔法を僕に授けると決意したあの瞬間に、メルチータさんはその発音を知ることができなくなった。
そんな僕がウィード様の魔法を教えてくれ、というのは、ムシがよすぎる話だ。
「メルチータさんは、どうして孤児院を?」
「ピータ村を出たあと、ウィード様に魔法を教わって、それで私は魔法修行の旅を終わりにしようと思ってたの。ほんとうは実家がある南東域に帰るつもりだったんだけど……ちょうどその年に冷夏があってね」
「村長から事情はききました」
「そう……。子どもたちが路頭に迷うのが見てられなくて、ウィード様と一緒に孤児院を建てちゃったのが運の尽きよ。もう10年以上になるわね」
「相変わらず、素敵です」
「い……ッ!」
ばふ、という擬音が聞こえそうなほどに、メルチータさんの顔が一瞬で赤くなった。
「お、おとなをからかうんじゃありません!」
20代もギリギリ後半に差しかかった美女が少年の言葉を真に受けている。はぁっはぁっとメルチータさんは息を整えた。その所作のすべてが相変わらず素敵ですとは言わないでおこう。
「……えっと、タカハくんはウィード様の魔法を教わりたいのよね?」
「はい。……ですが」
トゲのように、僕の胸には引っかかる。
「あ。交換条件とかを気にしてる?」
「……そうです」
「ていうことは、第7系統、使えるの?」
「使えます」
「そっかー、うー、気になるー。……けどね、いいの。ウィード様は優れた使い手に会ったらどんどん知識を広めるようにって仰っていたから」
「いいんですか?」
「もちろん。それがお言いつけだから。……あ、でも」
「でも?」
「その話は、そうね、ちょっとあとにしましょうか」
メルチータさんはローブの内側から、金属製の容器を取り出した。とぷん、と揺れる音とともに、わずかに酒精の香りがした。
「――――で。タカハくん、飲めるんだっけ?」




