第49話:「カクシンしてるって言っただろ?」と少女は笑む。
「なー。タカハー。ターカーハー。悪かったって。ほんとにボクが悪かったよ。今回のことでさ、部屋の中で乱射しちゃいけないってボク気付いたんだよ。それってボクにとってスゴイ進歩だぜ? ……いや、気付いたんじゃない。気付けた。気付かされた。タカハのおかげで分かったんだって」
「エクレアもちゃんと片付けたんだし、許してあげたら?」
「……ラフィアが怖かったからやっただけなんだけどなー」
「なにか言った?」
「な、ナンも言ってないぜ! ……とにかく、タカハ。悪かったよ。この通りだ」
「…………」
僕はマスタードの臭いに顔をしかめながら、腫れぼったいまぶたをエクレアに向けた。
「……もう2度と、僕にアートを向けないで」
「もちろんだぜッ。今回は仕掛けをあっさり潰されて、ボク、気が動転しちゃったんだよ。いつもならもっとボクは冷静だって」
「ちなみに最初のあのビンは何だったんだよ?」
「ああ、これ」
エクレアは小さい手のひらで、紐で縛ったビン、と言った感じのその道具を持ち上げた。
「ここを掴んで、この紐が引かれると、中で火がついて、すっげーうるさい音がするんだ。音爆弾、ってとこかな? びびるぜー。何人か気絶させてる」
けらけらと笑いながら危険すぎるアートの説明をされて、僕は肩から力が抜けた。
「……はぁ。分かった。今回のことは大目に見る」
「タカハ! やっぱりオマエ、イイヤツだな!」
「そもそも、エクレアはなにしに来たんだよ?」
「言っただろ? ボクはタカハにココロを奪われたんだって」
「はい?」
エクレアはちょこんと床に座ると、僕を見上げて、言った。
「――――頼みたいことがあるんだ」
今まで見たことがないほどに真剣な表情にだった。
「でも、この頼みごとをする前に、訊いておかなくちゃいけないこともあってさ」
「……要領を得ないな」
「ああそーだな。ボクだって回りくどいのは好きじゃないしメンドーだ。つまり、そのくらい大事な質問を、これからしたいてことさ」
僕は少し、身構える。
エクレアが早口でまくしたてながら、にぃっと笑った。
それは、あの日見たのと同じ、獣じみた笑みだった。
「タカハは、従騎士になって、どうするつもりなんだ?」
エクレアの言葉は、どこか浮ついていた心が着地するくらいには、硬質だった。
「どうって?」
「あのあと、ボクは使えるだけの人脈を使って、調べてみたんだよ。『火属性の魔法みたいに見える風属性魔法』のことをな」
「――――」
「カクシンするのは大変だったぜ。ボクはそもそも肉体奴隷だからさ、魔法使いたちの最新の情報なんて分からない。だから、1年もかかった。結論はやっぱりこうだ。
――タカハ、オマエ、2系統以上の魔法の使い手だろ?」
『魔法の国』で天才とうたわれたゲルフでも、2系統の発音を使いこなせるようになったのは成人直後――つまり、17歳を過ぎてからだ。
僕は14歳。
『魔法の国』の17人に訊けば17人が全員、あり得ないと答えるだろう。
それは、僕が『対訳』という反則的な力を持っている、から。
「……繰り返すけど、僕は風属性の使い手だ。それに、どのみち今の質問に対する返事はノーだよ」
「ボクと同じだぜ。ボクもタカハの返事はどっちでもいい。だから、カクシンしてるって言っただろ?」
「なにを」
「おいおい。ジブンの設定を忘れないでくれよ。
従騎士タカハ様は火属性の使い手じゃなかったのか?」
…………迂闊、以外のなにものでもない。
完全に僕の失敗だ。肉体奴隷のエクレアが、騎士団になった後の僕のことを調べ上げるなんて思っていなかった。
1年前の戦いでも、僕は火属性の魔法だけでエクレアに立ち向かうべきだったのだ。
「それに、こんな話もあるぜ? 『暁の大魔法使い』ゲルフ様が弟子をとったっていう話だ。黒髪で黒目の、ちょーどタカハくらいの男の子で、そいつは、ずっと、招集の戦場では土属性の魔法を使っていた」
「――――」
「そんな顔すんなよ。他のダレにもしゃべってない。断片だった情報を集めたのはボクだけだ。紙に残したりもしてないから安心して――――」
「エクレア」
そう言ったのは。
僕ではなく、ラフィアだった。
硬質な声。
そして、普段のニコニコした雰囲気との落差にちょっと驚いてしまうくらいの、無表情だった。
「んだ? ラフィア、今ボクはタカハと――」
「もう黙ってられないから話を遮ったの。分からないかな? ほら、そこ、座って」
「え? あ、はい」
「あのね」
有無を言わさぬ語気に、強制的に正座をさせられるエクレア。呆然とする僕の目の前で、事態は刻々と予想だにしなかった方向へ進んでいく。
「エクレアはタカハに『お願い』をしようとしてるんでしょう?」
「い、いや、そーだけど――」
「その言葉遣いはなに? 『こういう事情で、こういうことをお願いしたいんです』って正直に言うのがお願いでしょう? いきなり相手を非難することから始めるのはお願いじゃない」
「……そんなタテマエの話をしてるんじゃねーだろ」
「そう? 建前だって言っちゃうんだね。だったら、訂正してから続けて。これからするのは『お願い』じゃありません、『喧嘩』ですって。――喧嘩なら、わたしも、タカハに加勢するから」
「……」
エクレアが唾を飲みこむ音が聞こえた気がした。
理性的な話し合いだと思ったから見守っていたのだ、とラフィアは言った。
それは裏を返せば――いつでもこの場を収める実力がある、と宣言したのに等しい。
ラフィアが手を伸ばせば届く距離にペーパーナイフが1本、入口の近くには果物ナイフと僕の鍛錬用の木刀が置かれている。
ラフィアの短剣術はピータ村でもっとも武術に精通したガーツさんを圧倒するほどだ。さっき、エクレアもラフィアの動きを見たはず。言葉の意味が、分からないはずはない。
「……スゲエな。どうしたらそうなれるんだよ?」
「色々、あったから。色々教えられて、色々考えて、こうなったの」
「……イロイロ、ね。……ああもう。これは予想外だったぜ……」
エクレアは降参だと言わんばかりに、両手を上げた。
「なら、手の内を明かすしかないな。……タカハ、姉さんにボクと会ったときの話をしてくれよ」
「……あのときの?」
「そうだ」
僕はラフィアにかいつまんで事実を説明した。
エクレアが肉体奴隷たちに娯楽を提供するコロッセオを運営していること。エクレアはその決闘者の1人で、さっきみたいな武器を使って魔法奴隷たちと戦っていたこと。そのコロッセオで利益を得ていること。
ラフィアは無言で、エクレアに先を促した。
「あのとき、ボクはタカハに1つのウソをついた」
「嘘……?」
「『ボクはお金が欲しいからコロッセオをやってる』って言ったけど、それはウソだったんだ」
「……どういう、こと?」
「だって考えてもみろよ、タカハ」
エクレアの笑顔は、ひび割れて、乾いていた。
「ボクたちは肉体奴隷なんだぜ? どうしてボクたちがお金を手に入れられるっていうんだ? ボクたちは残飯みたいなメシをもらって、壊れるまで働き続ける、虫ケラと同じなんだ。アイツらが賭けてたのは、石ころだよ。あのコロッセオでしか意味をなさない通貨だ」
「……ッ」
ラフィアが痛みを堪えるような表情をした。
「虫ケラが虫ケラを脱却するためには、力しかない。魔法使いの言葉を奪う武器、魔法使いの視界を奪う道具……それがボクのアート。クラフトマンとしての作品だ。そういうのがあれば、ボクたちは虫ケラじゃない」
ボクがしてたのはビジネスなんかじゃない、と青髪の少女は言い切る。
「ボクは――あそこで魔法使いをぶっ倒す技術を磨いてたんだ。ボクみたいな腕力のない肉体奴隷でも魔法使いに立ち向かえる技術、理論、戦闘法――それを作り上げて、広める。そうすれば、ボクたちはこんな立場で終わらない。サイテーな立場で人生を終わる必要なんてない」
コショウ爆弾、煙幕ビン、マスタード弾を連射する筒、音爆弾。
どれもが魔法使いを無力化するための武器で、しかも、恐らく有効だ。
コロッセオでエクレアと戦ったときに確信した。魔法使いの致命的な弱点は、詠唱時間があることだ。どんな魔法使いでも2秒くらいはマナを知覚し詠唱するために動きを止める必要がある。
そこを突けば、肉体奴隷にも十分に活路はある。
エクレアの青い視線はむしろ静謐な光をたたえて、僕に注がれていた。
「カゲキな思想だろ? ……だから、ボクには領都以外にも仲間がいるんだ。たくさんの仲間がいる。いちばん多いのは南西域だな。材木を運び出して領都に持ちこむ仕事をしてる奴隷たちの中に、ボクと同じ考えをもってくれてるやつがたくさんいてさ。南東域にも、北東域にもいる。北西域にも……いたんだ」
エクレアはそこで視線を落とした。
「北西域の奴隷たちとレンラクがつかなくなった」
「……それって」
「でも、北西域を束ねてたのはバカなやつじゃない。地方の騎士たちは基本的にマヌケだから、肉体奴隷たちが密会してたってどーでもいいと思ってるハズなんだ。だから、レンラクがつかなくなるのは妙なんだよ。……それで、お願い、なんだけどさ」
エクレアはちんまりした正座の背筋をぴんっと伸ばして、それから、頭を下げた。
「ボクを北西域に連れて行ってほしい。これは従騎士のタカハサマにしか頼めないことなんだ」
「……」
「せめて、状況を知ることさえできれば、ボクは納得できる。あいつらが……もし、騎士に殺されちゃったんだとしても、ボクにはその事実を知りたい」
「エクレア」
僕は言った。
「どうして従騎士である僕にその話をしたの?」
「決まってるぜ」
顔を上げたエクレアは、にぃっと唇を歪めた。
「ボクがこれまでの人生で会った魔法使いの中で――イチバンのイイヤツだからだ」
「そんなこと、で?」
「ん? それ以上のコンキョが要るか?」
いや、要ると思うよ?
もっとたくさん。
「それに……ベツにバカにしてるわけでもないんだけどさ。ボクがこれまでの人生で会った騎士サマの中で、タカハは、イチバンにヘンなヤツだからだ」
「……変?」
「タカハは『暁の大魔法使い』の弟子だ。14歳なのに2つ以上の系統の魔法を使えるケタ外れの魔法使いでもある。フツ―なら、騎士になんてならずに、招集の戦場で武勲を立てる道を選ぶだろ? 『大魔法使い』になれば騎士のメンドーな仕事をしなくても偉くなれるんだからさ。ゲルフ様のあとを継ぐのも、そっちの道だ。……だから、従騎士としてすごくヘンなんだよ」
「……」
「もう1つはラフィアのこと。姉だったとしても、なんで奴隷が自由に出身の村を出歩いてるんだ? ……うん。やっぱりオマエらの行動はヘンだ。そこに賭けてみようと思ったんだ」
エクレアの側から見れば、これは、かなりリスクの大きい説得だ。
僕がこの1年で騎士団の思考に染まっていたら――僕は容赦なくエクレアを騎士団の本部に連行していただろう。
反乱分子を処断するのは騎士団の重要な任務の1つに入っているのだから。
「エクレアの仮説は全部面白かった」
「…………そうか。ボク――」
「だから、今の僕に言えることは1つだけ」
薄青の瞳が吸い寄せられるように僕に向けられる。
「僕は騎士になりたくて騎士になったわけじゃない」
「――――ぁ」
「それに僕は従騎士だ。正騎士ほどの権能があるわけじゃない。たぶん、できて、北西域までの馬車に乗せてあげるくらいのことだと思うけど――――」
「いいのかっ! マジでっ!? やったーっ!」
エクレアがものすごい勢いで飛びついてくる。抱き止めた少女の身体は、これが全部だと思えないくらいに小さい。
そのまま、じゃれつく子犬のように、エクレアは僕の胸元に顔を押し当ててきた。
「タカハー! サイコーだぜ! やっぱりボクの見立ては正しかった! もうなんてお礼をしたらいいかわからないくらいだ! もうこれはあれしかない! ボクの全部をやるよ! ご褒美はワタシってやつだぜ!」
「……名ゼリフなんだから、後ろに『だぜ』はちょっと……」
「ん、そーか。じゃあ、やり直して」
あぐらをかく僕の膝の上に飛び込んできたエクレアは顔を僕に向ける。
透き通る薄青の瞳で僕の目をのぞきこんで、たっぷりためを作ってから、言った。
「ご褒美は、ボクだよ?」
うお。
今のは破壊力があった。合格。
――と、その瞬間、ぺちり、と額を押される。ラフィアだった。眉の付け根がきゅっと寄っている。プチ怒り状態だ。ちなみにマジ怒り状態だとラフィアは満面の笑みを浮かべる。
「タカハ、顔がいやらしい」
「……お恥ずかしいかぎりです」
「お? 効いた? もしかして効いた? よし、じゃあもう1回――」
「エクレアもそういうことばっかり言わないの――ッ」
「きゃー! ラフィアが怒ったー!」
すでにこなれた距離感になった2人の声が、従騎士の宿舎の一室を転がっていく。
「そもそも北西域に行くのはついでなんだからね」
ラフィアの言葉にエクレアの眉がぴくりと揺れた。
「え? そーなのか?」
「僕、もともと北西域に行く予定だったから」
「えええっ。ナンだよそれ! さっきまでのボクの必死のお願いを返せよ……! てかやっぱりヘンだぞ、タカハ。フツ―従騎士サマはほとんど領都から離れないはずだろ?」
「そんなことないそんなことないエクレアの勘違い勘違い」
「バカにすんなよ! あはははっ!」
コロコロと少女は笑う。
だれがどう見てもエクレアは小さな女の子だ。
間違っても、オトコじゃない。
こんな小さな少女が自分の居場所を確保するために戦っている。
戦わなくちゃ、いけない。
純粋に……それって、おかしいだろ。
それとも、こんなのは、この世界ではありふれていて、僕の考え方こそが甘いのか。
瞬間、思い出したのは。
『――――われらは、この緑の領に革命を起こす』
老魔法使いのしゃがれた声と、朝日よりもなお鮮烈な瞳の光だった。
ゲルフは、僕の何倍もの人生を歩んできて――僕と同じ結論に達したんだ。
もっといろんなことを知りたい。見たい。
僕が間違っているのか。
世界が間違っているのか。
確信できるようになるまで。
僕たちは、その後しばらく真剣なトーンでいくつかの相談をした。
知識を交換し、助言をしあい、約束をいくつかして。
「タカハ、ラフィア、またなッ」
フードを深く被ったエクレアが夜の領都へ消えていった。




