第4話:僕は右腕に奴隷印を刻まれる。
「かっわいい~!」
目の前にお姉さまがいた。
尖った耳、極上の絹糸のような金髪、緑の瞳……ここまでは妖精種の標準装備だけど、目の前のお姉さまは驚くほどの美貌をお持ちだった。
しかも、それだけではない。お姉さまはすさまじくスタイルがいい。森の緑よりも深い色のローブの下にぴっちりした茶色のティーガを着てるからよく分かった。『へえ、すごいな、異世界には天使も居るんですね。もちろん貴女のことですが』とか言いながら話しかけたい。無理だけど。
「兎人族の女の子に、人間の男の子ですか? ゲルフ様?」
「……うむ」
「だ」
僕は、そう言った。
絶妙なアクセントで『タカハといいます、年齢は0歳と13日です、あなたのことがタイプです』という意味を表現した。
「ゲルフ様! この子、私のことタイプだって!」
通じた……!?
僕はエルフのお姉さまの目を凝視する。
「か、かわいい!」
お姉さまの両手が僕を抱きかかえた。
ま、マジで?
当然、目的地は1つ。
ふかふかで、ふわふわだった。
温かくていい匂いがした。
僕は赤ん坊であるという事実を最大限利用して、お姉さまの胸元で暴れまわった。感動で涙が出そうだ。すごい。異世界転生マジですごい! ブラボー! ハラショー!
「ゲルフ様、この子もらっていってもいいですかっ? わりと前向きにっ! すごい魔法使いにしますから!」
も、もらってください!
「ダメに決まっておろうが!」
「だってさー。お父さん怖いねー。怒られちゃった。……えへへー、それにしてもかわいいなぁ」
「いぅ」と僕は言った。絶妙なアクセントで『いえいえ、あなたほどではありませんよ』という意味を表現した。
「ふふっ」とお姉さまは笑いながら僕の頬をつついたり、おでこにかかった髪の毛をよけたりしている。完全に僕にデレデレだった。相思相愛とはまさにこのことだろう。お姉さまからは夏の太陽のようないい匂いがした。脳みそが溶けそうだ。
「メルチータ、授業をするぞ」
僕は拾ってくれたご恩も忘れてゲルフを睨みつけようとしたのだけれど、まだ僕の首はすわってなかった。無念。
「はぁい。……じゃ、またね、タカハくん」
僕の身体はカゴの中に戻される。
「今日はどの魔法ですか?」とメルチータさんがゲルフに言った。
「火属性じゃ。性状展開から始める」
「えええっ!? またですかぁ?」
「ラクセン殿の愛弟子とはいえ、今はわしに学ぶ身。つべこべ言うな」
「はぁい」
2つの声が遠ざかっていく。
僕は頭の中までふわふわとしていた。
……ん?
視線を感じる。チリチリと。側頭部のあたりに。
僕は同じカゴの中の同居人を見た。
青い大きな瞳が、僕に向けらていた。
僕と一緒に拾われた兎人族の女の子、ラフィアだ。
怒っている。不機嫌に見える。なのに、ラフィアは泣かない。頭の中までお花畑な僕をただ見ている。凝視している。
たらり、と嫌な汗が流れた。
「……むん」とラフィアは言って、僕に背中を向けた。
いやだってどう考えたってお姉さまが悪いんだ待ってくれラフィア話を――――と思ったところで、強烈な眠気が襲ってきて、僕の意識は強制的にシャットダウンされる。
――
僕が転生をして数ヶ月が過ぎた。
この世界にも四季はあって、今は冬。
――しんしんと雪が降り続けていたその日のことを、僕は生涯忘れないだろう。
木組みの家は作りが粗くて、冷たい隙間風が吹きこんでくる。同じカゴにいる僕とラフィアは身体を寄せあってその寒さに耐えていた。
寝息を立てるラフィアに密着しながら、考える。
僕の身に起こっているこれは、夢でもなんでもないみたいだ。
意識というか魂のようなものが、間違いなくこの世界に移動している。僕は前世の記憶を保持したまま、この異世界の現実を認識している。それは、カミサマの言うとおりに。
ハードウェアとソフトウェアみたいに簡単な話ではないと思うけど、そのたとえが分かりやすい。僕という魂が、この赤ん坊の身体にインストールされているのだ。
ほんと、とんでもファンタジーだとしか言いようがない。
他の人たちはどうしているのだろう。
カミサマは僕たちを戦わせると言っていた。彼らも同じ説明を受けてこちらに来たのだろうか? そもそも、本当に6人来たのか? そこから確かめる必要がある。
いずれにせよ、赤ん坊の肉体に収められてしまった以上、この先の数年はこういう日々が続く。赤ちゃんになった中澤さんを想像して、僕は無理やり笑った。
――――奴隷の立場なんて言われているのは僕くらいかもしれない。
ひたり、と冷静な思考が忍び寄ってくる。
この村の人は全員、奴隷のようだ。
ゲルフの家を訪ねてくるいろんな人の会話を聞けばわかる。
でも……奴隷だということを僕は認められない。
ゲルフもソフィばあちゃんも日々の生活を何も縛られていないように見える。そうだ、メルチータさんはどうなのかな。話を聞くかぎりメルチータさんはこの村の出身ではないらしい。出身でない人が村に来て、自由にゲルフから魔法を教わっている。その身分が本当に奴隷と言えるのだろうか。
きっと、呼び名だけだ。
きっと――――
ばんっ……! と。
誰もいなかった家の扉が開いたのはそのときだった。
大きな音に、僕は驚く。
ゲルフが帰ってきたようだ。
「…………」
ゲルフは獣の毛皮のコートを羽織ったまま、ゆっくりと僕とラフィアのほうに近づいてきた。とんがり帽子とコートの肩には雪が乗っている。
「起きておったか……」
「……う?」と僕は言う。
ゲルフは動きを止めた。
小さな黒い瞳が、僕を見る。
「――――騎士様が来た。今年生まれた子どもを、記録してもらわねばならぬ」
騎士……って。
僕の心臓はきゅっと縮む。
「この村の人間と記録される。お前は魔法奴隷となるのじゃ」
「……だ、うあ」
「嫌か? しかし……」
ゲルフはゆっくりと首を横に振った。「こればかりは……すまぬ」
「……ぅゎぁぁぁぁあああああんッ!」
僕は泣いた。大声で泣いた。これは僕の意志じゃない。赤ん坊の身体が僕の制御を離れて暴れまわっている。
うるさいうるさいうるさい――ッ。
泣き声が頭のなかに反響して、邪魔で、冷静に考えることができない。
ゲルフは毛布をとり、僕とラフィアのいるカゴにかけた。
カゴが持ち上げられるのを僕は感じる。僕はいつまでも泣いている。
――
僕が連れて行かれたのは、村の中で集会場と呼ばれている大きめの建物だった。丸太で組まれた粗雑な建物には、ゲルフと僕たちの他に、2つの家族がいた。
「今年は4人か……多いな」と、騎士が言う。
騎士は銀色の鎧の上から緑色のコートをまとっている。
受ける印象はエリート警官みたいな感じだ。職務に忠実で冷酷。
「リリムの家の娘、名は?」
「……マルムです。今年の春に生まれました」
羊皮紙の上を羽ペンが滑る音が響く。
名を呼ばれた猫人族の赤ちゃんはすでにつかまり立ちをしていて、自分の名が呼ばれたことに首をかしげている。茶色の猫耳が揺れる。
「次、ゾリンの家の息子」
「プロパと言います、騎士様。ほんの、数週間前に」
人形のように可愛らしい妖精種の少年が母親の胸元に抱かれて、寝息を立てていた。
「今年の冬、と。……最後、ゲルフの家」
「はい。ラフィアとタカハです。いずれも、今年の秋に」
ゲルフがカゴの中の僕たちを示しながらそう言った。
騎士が鋭い視線で僕たちを睨む。ラフィアが眠っていてよかった。間違いなく泣きだしてしまっただろう。
「……お前の本当の子どもか?」
「わしの歳を考えてくだされ。拾い子です」とゲルフは答える。
「拾い子だと? 2人もか? ……そんな嘘が通じるとはよもや思っていないだろうな?」
「嘘が通じるなどとは思っておりませぬ。事実ですゆえ」
「どこで拾った?」
「『眠りの国』との国境近く、『北の果ての森』を通ったときに見つけたのです」
「ますます信じられぬ」
騎士の声が固くなっていく。
「本当のことを話せ。おおかた他の村人の隠し子を貴様が引き受けたのだろう」
「騎士様、失礼ながら、わしは先ほどから真実しか申し上げておりませぬ」
「それを信じられないと言っている」
「今までわしは子どもを育てたことはありませぬ。別れた妻との間には子を授かりませんでした。そんなわしがこの歳になって村人の隠し子をもらうなど……あり得ませぬ」
「……」
「では、あえてこう言いましょう。騎士様が作る書類がわれらにとっての真実。そして――――それを書く指先を少しだけ狂わせるものを、お持ちしました」
ゲルフはどこからか瓶を取り出した。
麦の穂先の色をした液体が中で揺れている。
騎士の目の色が変わる。
「先日の騎士団本部での会議に参加させていただいた折、公爵閣下より賜った品です。領都で大流行している蒸留酒とのこと。これほど強い酒精であれば、騎士様のお手元が狂ってしまうのも、まあ、致しかたないことかと」
「…………ふん。いいだろう。2人は貴様の子どもだ」
騎士はそくさくとゲルフの手から瓶を受け取った。
ゲルフがついた小さなため息を、僕は聞き逃さない。
「――――では、奴隷印を刻む」
そう言って、騎士は大きな金属の道具を取り出した。
騎士が何かを呟くのに合わせて、その端が光を放った。それは記号のようだった。いや、数字だ。この世界の数字。『2―8―6―7』。それが正方形に配置されている。
「四大公爵がおひとり、ライモン=ファレン=ディード閣下のもとにお前たちは奴隷である。9年後、魔法を使えるかどうかに応じて、魔法奴隷と肉体奴隷の待遇を分ける。……では、左腕を差し出せ」
「……すまぬ、タカハ」とゲルフが囁いた。
ずい、とゲルフの大きな手が僕の左腕を掴む。
ゲルフの両手は万力のように僕の腕を固定していた。
「ゲルフの家の息子、タカハ」
騎士が金属の道具を近づけてくる。
そのとき、僕はようやく気付いた。
――光を放つその部分が驚くほどの熱を持っていることに。
「……だぁ……うぅ、あぁ――!」
その意味を、僕はようやく理解した。
息が詰まる。冷や汗が吹き出す。なのに右腕はぴくりとも動かすことはできない――――
「お前はこれより、奴隷だ」
肩の近くだった。
じゅ、と音がした。
「ああああああああああ――――――ッ!!!!」
太陽のような熱が柔らかい肌を焼き尽くし、さらに深いところまで灼熱が刻まれる。
痛みではない。それは絶望で、拷問だった。
僕は数秒間、絶叫した。
気絶するまでのその数秒は、永遠だった。
――
刻まれた奴隷印の痛みで目が覚め、疲れるまで泣きつくし、気絶するように眠る、という生活を僕は数日間続けることになった。
痛みを我慢できるようになった頃には、奴隷印のところに出来たかさぶたは落ち、太いミミズがのたうち回っているような跡が残った。隣で眠るラフィアの左腕にも同じものが刻まれている。ラフィアは肌が白いから、それが際立って見えた。
怒りの炎はもう消えていた。今の僕は言葉を使うこともろくにできない。不満を言葉にすることも許されない。
……泣きそうだった。
わけもわからないまま死んで、異世界に飛ばされて、拷問と同じ苦痛を味わわされた。
高望みしていたわけじゃない。普通の人でよかった。もう1度やり直せるってだけで僕は満足していたんだ。なのに、よりによって奴隷だなんて……。
……やっぱりこんなものだ。
異世界で人生をやり直せるなんて、そんな美味しい話があるはずがない。
僕は、ゆっくりと息を吐き出して、――期待することをやめた。
僕には逃げることもできない。
もう異世界に来てしまったのだから。
じくりと左肩の痛みがよみがえってきて、僕は顔をしかめた。
そのとき、僕はふと気づいた。
「…………あぇ?」
0歳児の頭の中を一筋の電流が走り抜ける。
僕は異世界に居る。
異世界に前世の魂をもってやってきた。
僕のこの肩に刻まれた数字は、異世界の数字だ。
でも、僕は読めた。
前世のアラビア数字とは全然違ったのに。
いや、待て。
そもそも、どうして僕は最初からこの世界の言葉を聞き取ることができたのだろう?
今まで疑問を抱かなかったけれど、この世界の人たちが使っている言葉は日本語じゃない。日本語じゃないのは間違いないのに、僕は彼らの言葉が分かる。
なんだ、これ……?




