第48話:「やっぱりそのつもりか!」と僕は声を荒げる。
「うう……物の値段が違うなぁ……」
ぱたぱたと揺れるうさみみは、でも、楽しそうだ。
「ビムの実はここが最安、かな……。じゃあ、こっちをメインにして……。はぁ……お金って難しい……」
「あのー、ラフィアさん?」
「ん、ちょっと待ってねー。わたし、計算遅いから」
「いや、計算の前にさ、確認しないといけないことがあって」
「え?」
魔法奴隷たちでにぎわう、領都の中の商店通り。日常の食料品を扱う店を順に回り、交換の比率を羊皮紙にメモっていたラフィアが、小首をかしげながら振り返る。
「なにをされているんでしょう?」
「買い物だよ?」
「かいもの……」
「ん?」
「量が多いようにお見受けしますが」
「もう。ふざけてるの? 2人分だからに決まってるでしょう?」
「ふたりぶん……」
僕は腕を組んで少しだけ考え込んだ。
前提の部分にどこか致命的なすれ違いがある気がする。
「ラフィアはしばらく領都でガーツさんの知り合いの人に武術を教えてもらうんだよね」
「うん。武術全般を教えてる人がいて、ガーツさんがお手紙を書いてくれたから」
「どんなことをするの?」
「その人は、ほとんどの武術を幅広く使うことができるから、適正っていうの? それを見極めてくれるんだって」
なるほど。
才能を見抜く才能ってことか。
「つまり、住み込みで?」
「ううん。アリエスさんは貴族様にも教えに行くくらいだから、全然関係ないわたしが住み込みは迷惑だと思って」
「たしかにね。じゃあ、ヴィヴィさんの家の部屋を借りるのか」
「え? そんなこと、おとーさんには言われてないよ?」
「……」
買い込もうとしている2人分の食材。
領都に生まれ育った少女のように堂々とした振る舞い。
泊まる場所への不安の欠如。
これはもう……。
「あ! そういうこと!」
ラフィアの額のあたりに電球がともったように見えた。
やっと僕の懸念にたどり着いてくれたようだ。
「安心して。騎士団の宿舎のルールは調べてきたから。魔法奴隷出身の騎士が宿舎を借りている場合、戸籍上の家族ならば一緒に暮らすことができる――って書いてあったよ。団則13部、2章の4に」
「…………やっぱりそのつもりか!」
予感は的中した。
しかも、絶妙に手回しがいい。
「ちょっと待って! 僕のあの部屋に来るってこと!?」
「え? 泊めてくれないの?」
「せ、狭いんじゃないかなぁと……」
「散らかってるだけでしょう? うちよりも間取りが広いっておとーさんに聞いたんだから」
「う……」
「それに……さっきから気になってたんだけど、イエルは洗濯の仕方を変えるんだよ? ほら、襟のところが型くずれしてる」
「うぐ……」
「騎士団ではお昼のご飯しか出してくれないって聞いたのもびっくり。ちゃんと朝ご飯は食べてる?」
「た、食べてるけど……」
「ああ、できあがった物を買ってるんだ? お給料がもったいないから、買い食いは禁止……っていうのは言い過ぎだけど、毎日はダメだからね」
「……はい」
「宿舎はお料理できる場所があるの?」
「ええと、共同キッチンがあるから、僕たちの家以上の環境なのは間違いない。薪と水は使い放題だし、調理器具も全部金属製だし」
「ほんと……っ!?」
ぴきーんっとラフィアの目が輝いた。どこに反応したのか分からないけど。
「タカハ、今日はお休み?」
「うん。夏休みだから」
「じゃあ、今日は買い物をして、お掃除をしよう」
鼻歌を歌いながら歩き始めたラフィアを僕は慌てて追いかける。
いいのか?
あの狭い部屋で2人暮らし。
「……ま、いいのか」
僕とラフィアは、そう、姉弟だし。
――
騎士団本部の門をくぐり、従騎士の宿舎が見えてきた。
「ここが……騎士様の……」
石造りで、大きくて、シンプル――そういう建物をイメージしたら、従騎士の宿舎になる。そのくらい面白みのない建物だったけれど、中は十分以上の生活環境が整えられていた。
領都出身の従騎士はほとんどが実家ぐらしだ。だから、僕の同期でここに部屋を借りているのは4人。従騎士2、3年目の先輩もおおよそ同じくらいの人数がいる。
みんな元魔法奴隷で、事情はあっさりと受け入れられた。
「僕の姉のラフィアです。よろしくおねがいします」と僕が言って、「今日からこちらでお世話になります」とよそ向きの顔でラフィアがお辞儀をするところまでがテンプレート。
これを数回繰り返し、ラフィアの紹介はすんなり終わる。
反応としては「へー」っていう感じが半分。
残りはラフィアの立場に同情してくれたり、「綺麗なお姉さんだ」と褒めてくれたり、前向きな印象だった。市民出身が1人でも混じっていたら、もしかしたらこうはいかなかったかもしれない。魔法奴隷ですら完全に見下している彼らだ。ラフィアの立場が未来の肉体奴隷だと分かったらなにを言われるか……。
「あ。そういえば。タカハにお客さんが来てたぞ?」
同期の、リュクスではない犬人族君が教えてくれた。
「お客さん?」
ぺにゃっと低い鼻が印象的な彼は「うん。人間の。市民じゃなかった。かな。カギかけてなかったみたいだから。部屋に上がってもらってるけど」と言った。「女の子だったかも」
「ん? どんな見た目?」
「いや。分かんないなあ。なんか。フードかぶっててさ。ぱっと見た目は男だったけど。おれ、匂いわかるから。匂いは女の子だったなって。……伝えたよ。じゃあね」
犬人族君はさっと自室に引っ込んだ。
「お友だち? ご挨拶しなくちゃ」
この圧倒的なまでの社会性は心底見習いたいと思う。
だが、当の僕は首をひねる。
「女の子の、知り合い……?」
こっちで僕を訪ねてくるほどに親しい女の子は……残念ながら居なかったと思うのだけれど。
「騎士団の人じゃないの?」
「いや。同期は全員男なんだよ。……ええと」
僕は犬人族君の言葉を思い出した。
市民ではない。つまり、奴隷。
フードをかぶって、ぱっと見た目は男。
だけど、女の子。
「…………あ!」
思い出した。
1年前。
僕が領都に来たばかりのころ――僕はいきなり決闘をしたのだ。
あの、薄青の髪の肉体奴隷の少女と。
「会えば分かるよ。ね?」
「そうだね。部屋で待ってるって言ってたから……」
僕は廊下を歩いて自室のドアに手をかけた。
ノブをひねり、引く――――
寸前。
「――――待って」とラフィアが鋭い声で言った。
ラフィアが開きかけた扉を手で押さえている。
「このまま」
買い物袋を廊下に置いたラフィアはドアのすき間を覗き、取り出した果物ナイフをそこに突っ込んだ。つん、と細い糸が途切れる音がわずかにして、ドアの向こうになにかが落ちる鈍い音が響く。
「なっ。バレたっ」ドアの向こうの人物が言った。
瞬間、ラフィアはまるで本体から離れた影のように素早く部屋の中に滑りこむ。
開いたドア。
僕の足元には切れた細糸と、ぐるぐると紐を巻き付けられたビンが転がっている。
窓を背に居たのは――――やっぱり、いつかの肉体奴隷の少女、エクレア。
「人様の部屋に罠なんて信じられない……!」
トラップを潰し、加速したラフィアが迫る。
だが、エクレアはにぃっと笑っていた。
薄青の瞳が爛々と輝いている。
フードを取り払ったエクレアは――腰だめに抱えていた筒状の物体を、こちらに向けた。
一瞬で、僕はそれが飛び道具だと認識した。
次の一瞬で、その射線にドアがあり、ドアの向こうは寮の廊下があると気付いた。
僕は。
僕にできたのは。
部屋の中に飛びこんで、そのドアを閉めることだけだった。
近所迷惑だけは避けたいという純粋な心。
和を尊ぶ日本人の魂。
13年たっても失われていない美しい心が選んだ、自己犠牲の選択。
…………あ。
気付く。
それなら、僕は外からドアを閉めるだけでよかったんじゃ――――
あとの祭りだった。
「食らえッ!」
だだだだだ……っ、と連射された何かは黄色だった。
1発が僕の胸で弾け、酸っぱい臭いを拡散させる。顔にべっとりとついたそれは、ところどころにオレンジ色の粒が混じった黄色いペースト状の物体。これはまさか。
「…………マスタード、的な?」
次の瞬間、2発目が僕の顔に着弾した。
そして――地獄が始まった。
「うわああああああああああッ!」
目がああああああッ。
奴隷印を刻まれたときのほうがマシだった、っていうレベルの痛みが、両目を突き刺す。
「おらおら……ッ! スゲエな、アンタ! なんで当たんないんだよッ!」
「……これがっ、精一杯っ、だからっ」
「タマが切れる前に決着をつける!」
「避けきって、みせるっ」
楽しんでるなって目があああああッ。
びたびたびた……っ、とマスタードの海は広がり続ける。
僕は目を開けることもできないまま、その海に溺れていった。




