第47話:「大丈夫」と猫人族の少女は頷いた。
ムーンホーク領都を囲む草原には風が吹いていた。
夏が終わり、季節は秋に移ろうとしている。そんなときに吹く、どこか寂しいような風だった。
領都の正門。その外。
小高い丘に立って、僕は、待っていた。
「……来た」僕は小さく呟く。
向こうの丘のむこうに2つの人影が見えた。
ぴょこりと上に伸びたベージュ色の耳、質素なティーガ、背負う木組みの荷物は想像していたよりも少ない。
その隣には、少しだけ高い位置にある猫耳が並んでいる。
兎人族と猫人族の少女だ。
2人とも僕に気付いた様子で、その歩みのペースが少しだけ上がって――数分もしないうちに、2人は目の前にいた。
「長旅ご苦労様」
「やっほー、タカハー」
「お迎えありがとう」
2人がライモン公爵と謁見して以来、約1ヶ月ぶりの再会だった。
「早速だけど、マルムを馬車停まで案内するよ」
3人の家族はすぐに2人と1人に分裂する。
マルムはこのまますぐに、領都から旅立つことが決まっていた。
「タカハー……あのねー、ソフィばあさんとゲルフさまがね……大喧嘩してー――」
「あー! あのときわたしも――!」
そんな別れの雰囲気は感じさせず、2人はピータ村の近況を面白おかしく語ってくれる。僕はときに笑って、ときに相づちを打ちながら、領都の正門の前にある馬車停に向かってゆっくりと歩を進めた。
そんな僕たちの様子を馬車を操る御者たちがもの珍しい様子で見ている。この若さで領内を自由に歩き回れる奴隷は少ないからだ。
――――特別許可証。
それが、公爵閣下から2人がもらった書状。ムーンホーク領の中を自由に歩き回り、自由に旅することを許可する――という奴隷にとっては異例の命令書だ。
そして、それは2人が求めるものとぴったり一致していた。
ラフィアは狩猟術と武術の道を究めるため、ムーンホーク領の各地に居る優れた使い手たちに師事することを決めた。しばらく領都で僕と一緒に行動してから地方に向かう。
一方のマルムはすでに商人としての実力を北東域の商人たちに認められていたため、ライモン公爵の強い後押しもあって、国外に派遣されることが決まっていた。
「マルムは、本当に『蒼海の国』へ行くんだね」
『蒼海の国』。
海の上にあると言われる商人たちの国。
世界中の珍しいものが集まり、それを取引することでどんどん豊かになっている、らしい。また、戦争をしない国としても有名だ。国境線の位置をめぐってしょっちゅう喧嘩をふっかけてくる『鉄器の国』や『火炎の国』とは大違い。
まあ、商人たちはお金儲けにしか興味がないのだろうけれど。
「……本当は、魔法使いは『魔法の国』を出られないんだけどー……公爵さまの特例でー……」
「北東域の交換商の人たちが推薦状を書いてくれたんだよね」
「……いつか、お礼をして……ジェルおじさまたちを、儲けさせてあげるんだー」
「そっか」
「うんー……」
それきり、僕たちは言葉を失う。
多くの馬車が行き交い、押し固められた土の道を、まだ13歳の僕たちは慎重に歩く。すぐに領都の正門が近づいてきて、その足下にはマルムの目的地である馬車停がある。ムーンホーク領の紋章が描かれた、高級そうな馬車がいくつか待っていた。
マルムは足を止めて振り返った。
「ここで、……大丈夫」
眠そうな茶色の瞳は、未来への希望よりも、やっぱり不安で揺れているように見えた。
ねこみみは小さくたたまれ、ティーガの裾から見えるしっぽも、心なしか元気がない。
「ラフィア、タカハ」
でも、その表情は――13歳の少女とは思えないくらいに、決然としていた。
「数年、会えないからー……」
「……ッ」
飛びつくようにラフィアがマルムを抱きしめた。
強く、少女が少女の肩を抱く。
本当なら僕もついていってあげたい。ラフィアだって同じ気持ちだろう。僕もラフィアも知っている。
マルムは、10歳のあの日からほんの数ヶ月前まで――まだ本当の意味で立ち上がっていなかった。
でも、この旅立ちはマルムが決めたことだ。
そして、僕にも、ラフィアにも、このムーンホーク領でやるべきことがある。
「タカハもー」
「……うん」
家族を抱きしめる。日本にはなかった文化だからなのかもしれない。
僕の胸を埋め尽くすのは、自分の半身を取り出されるような切ない感覚だった。可愛い子には旅をさせよっていうことわざは、送り出す側にとっても大きな試練なのかもしれない。
今、僕の腕の中で静かに目を閉じる猫人族の少女は、数月前まであった脆さを少しも感じさせない。本当は辛いのだとしても、それを胸の底に押し込めて、堂々と振る舞っている。
「……ん。……ありがとー」
僕から離れたマルムは、にへら、と擬音が聞こえそうな笑みを浮かべる。
「みんな、いけるところまで行きたいねー」
僕は頷く。「マルム、――」
たぶん、いつでも帰ってきて、みたいなことを言いかけて。
止められた。
マルムの人差し指が、いつかのように、僕の口を封じている。
「ありがとう、タカハ。……でもー、大丈夫」
震えるため息を吐き切った少女は、いつもの眠い目に戻っている。その瞳の底に、強い1本の芯が見えるようだった。
なら、僕が渡せるものなんて、もう残っていない。
「行ってらっしゃい、マルム」
「…………はい、いってきます」
マルムはくるりと僕たちに背を向けた。僕たちはその背中を見送ったけれど、最後まで猫人族の少女は振り返らなかった。
小さくなった背中が馬車の前に立つ大人たちと会話をして、馬車の1つに吸い込まれていく。
ラフィアが一度だけ鼻を鳴らした。




