第41話:「俺たちがなにをしたっていうんだ!」と脱走奴隷は絶叫した。
馬の背にゆっくりと揺られること1時間ほど。
「数は5。いずれも元魔法奴隷だ」
「元……というと……?」
「当然、今は脱走奴隷ということになる。彼らは『ビィン=セインツ血誓同盟』の名で近くの村から食糧などを手に入れていて、『招集』に応じようとした魔法奴隷に危害を加えた。さらに、『招集』に向かった騎士1名を撃退している。……あの谷が見えるか?」
街道のすぐわきを広がる深い森は一部がえぐれているように見えた。
その部分だけ地面が低くなっていて、つまりそこが谷なのだろう。
「『腐葉土の谷』と呼ばれている。日光も届かず、風も吹かないから、深い森の落とす葉が積もって、光をそれほど必要としない植物が成長している。視界は最悪で、罠もしかけやすい。彼らはそんな谷の1番奥に拠点をつくっている」
「……やっかいな相手、ということですか」
「ここまでの情報だけなら、やっかいな相手ではない。騎士の小部隊だけで対応できるだろう。だが……彼らはわれわれの部隊が移動するのを事前に知ることのできるなんらかの連絡手段を有しているようだ。こちらの動きに対応して、森の中へ逃げこまれれば追うことはできなくなってしまう。――そのため、今回は2班で対応する」
「追い立てる1班と谷の出口をふさぐ1班、ですね」
騎士団長は満足げにうなずいた。「我々は後者だ。質問はあるか」
「任務の目標を教えてください」
「重要な質問だ。目標は、『血誓同盟』の壊滅。彼らは騎士だけでなく、招集に応えようとしたべつの魔法奴隷に危害をくわえた。よって、5名の生死は問わない。彼らを脱走奴隷と認定し、その無力化を目標とする」
「挟撃の戦力としては少ないのではないでしょうか」
「残念ながらそれは愚問だ」
肩をすくめて騎士団長が言った。
「…………」
ミスリル武器の貸し出しを受けた時点で、簡単な任務ではないと予想はついていた。
けれど、1年目の従騎士である僕が脱走奴隷狩りに連れていかれるなんて思いもしていなかった。早くても2年目の後半、と言われているほどに危険度の高い任務だ。
騎士団長の腰につるされたレイピアは、おそらく騎士団長の特注品。一方の僕は剣術をほとんど使えない。従騎士ならばだれでもそうだ。できるのは素振りくらい。
「ミスリル武器を振るう必要はない」
僕の心を見透かしたように、騎士団長が言った。
「従騎士タカハは自らの身を守ることに集中しろ」
「し、しかし」
「奴隷の5人程度、私1人でも問題にはならない、と言っている」
ほんのすこし前まで魔法奴隷だった僕に返せる言葉はなかった。
森の入り口に馬の手綱をくくりつけ、ここからは徒歩になる。
僕は騎士団長に続いて、『腐葉土の谷』へと続くゆるやかな傾斜を下った。
森の質が次第に変わってくる。鮮やかな緑ではなく、どこか不気味な深い色の植物が増えてきた。境界があるわけじゃないけど、はっきりと区別ができる。そんな感じ。
獣道のようなものが薄暗い谷の奥のほうへ続いていた。
「ここで待機する」
騎士団長の言葉に、僕はゆっくりと頷く。
同時に、そのときが来なければいいと願っていた。
――
最初の違和感は、羽虫が耳のそばに近づいてきたときのような音だった。
――――森の奥から。
くぐもってはいるが、自然の音ではないなにかが伝わってくる。
火属性の魔法が爆発し、土属性の魔法が大地を切り裂く――そんな音だ。
そして、その音は次第に近づいてきていた。
「来たか。――――抜剣して待機」
緑のローブをはためかせて、騎士団長はミスリルのレイピアを抜き放った。僕も慌てて続く。しゃらん、と澄んだ音を聞きながら、僕は白刃を正眼に構えた。
騎士団長は金色の視線を一瞬だけ僕に送る。
「従騎士タカハは火属性の使い手だったな。では、魔法で正面の植物を焼き払え」
「……はっ」
僕は脳内の魔法書から単位魔法を探す。
正面を焼き払う魔法……そんなに、迷う必要はなかった。
「”火―4の法―広範なる1つ―今―眼前に 対価は14”」
『火の4番』。
消費マナは6の中級単位魔法。
発動する現象は、炎の絨毯というのがまさにふさわしい。発動起点の周囲、地面に沿って、半径10歩の範囲を燃やす魔法だ。さらに、4マナの修飾節『広範な』を追加して、その範囲を広げる。
一瞬で、火の海が広がった。
不気味な色をした植物が紅蓮の炎に包まれ、その身をよじらせる。ゴムを焼いたときのような異臭が鼻をついた。ぱちっぱちっと音が連続する。
数秒間つづいた炎は、僕と騎士団長の正面にぽっかりと地面が露出したスペースを作りだして、消失した。
「――――”風―6の法―今―付与 対価は14”」
騎士団長の詠唱は素早い。バヂィッと大気を切り裂くような音とともに、一瞬の閃光が僕の網膜を焼く。電撃の痕が赤く僕の視界に焼き付いて――――
騎士団長はミスリルのレイピアを胸の正面で構えていた。
その細く鋭い白銀には、飛び散る紫電がまとわりついている。騎士団長がレイピアを動かすのに合わせて、忠実な猟犬のように雷が身震いするのがわかる。
魔法の武器への付与は、それだけでいくつもの流派が生まれるほどに奥が深い、騎士の戦闘技術の1つだ。
疾さと気体を司る風魔法の裏の顔は――不安定さ。
近づいたすべての物に遠慮なく掴みかかり、衝撃を与え、走り抜けていく。気まぐれな破壊。『穏やかな風の流れ』と『不安定な雷の怒り』の対比こそが、風属性の真髄だ。
「従騎士タカハは回避、支援に専念しろ」
「はっ」
「ゆめゆめ忘れるな。……敵は魔法を使うぞ」
その瞬間だった。
「――――騎士だあっ! 2人っ!」
僕が焼き払った空間に、みすぼらしい恰好をした魔法奴隷が1人飛びこんできた。
妖精種の、若い男だった。
ぼろぼろのティーガはもとの色が分からないほどに汚れ、ぼさぼさに金髪も土埃にまみれている。
やせていた。頬もこけていた。
でも、杖は上等だった。
そして、その瞳に宿るぎらついた光も、本物だった。
僕はいつかの脱走奴隷を思い出した。
同じ、目だった。
妖精種の魔法奴隷は杖を僕につきつける。
「”水―6の法――――”」
だが――彼の詠唱はそこで途切れた。
緑のマントと、背負った巨大な鷹を翻しながら、騎士団長がその懐に飛びこんでいる。
「――――――ッ!!!」
言葉にならない叫び声が、魔法奴隷の喉から放たれる。青年の体は騎士団長のレイピアから流しこまれた大量の電流でガクガクと不規則に暴れまわった。一瞬だった。白目をむいた魔法奴隷が地面に倒れ伏す。
騎士団長はその体から、レイピアを引き抜いた。
紫電がレイピアの表面を走り、魔法奴隷の血液を瞬時に焼き尽くして、蒸発させる。
おぞましいほどに美しいミスリルの輝きがすぐに戻った。
「……ッ」
……覚悟はしていたつもりだった。
でも――なんのためらいもなく、騎士団長は魔法奴隷の命を奪った。
「集中しろ。従騎士タカハ」
騎士団長が冷静な口調で言った。
「魔法は2秒あれば唱えることができる。脱走奴隷の討伐では怯んだ者から死んでいく。命を落とした従騎士はみなそうだ。魔法使いたちは『鉄器の国』の兵隊などとは比べものにならないほど、強いぞ」
……なんだよ。
……それ。
「――――”土―2の法”」
「――――”空―7の法”」
「――――”火―3の法”」
背筋が凍える。
木々の間から、3つの詠唱の声が重なった。
魔法奴隷たちだ。
数ヶ月前の僕と同じ魔法奴隷たちが、僕に、敵意を向けて――――
僕はみっともなく地面に身を投げ出した。数瞬前まで立っていたその地面から、両手剣のような地面の槍が突き上がった。
「”火―1の法―2つ―今―眼前に ゆえに対価は14”」
転んだままの姿勢で、僕は2つの小火球を放つ。
『腐葉土の森』ではありえない火球が声の方向へ疾走した。
火球は不気味な色をした植物たちを貫通し、そこで炸裂して――木々の間に隠れていた魔法奴隷2人の姿があらわになった。
僕は……攻撃をしたくない。
でも、何もしないわけにはいかない。
そうして選んだ『火の1番』は――――
「――――最高の支援だ、従騎士タカハ」
色のない黒い球と巨大な炎球をあっさり回避した騎士団長は、すばやい動きで魔法奴隷たちとの距離を詰める。
2人の魔法奴隷は次の呪文を唱えることすらできなかった。
紫電をまとったレイピアが閃く。
2度。
騎士団長の体の向こうで、2人の魔法奴隷が崩れ落ちる。
「……ビィンッ! レイルッ!」
もはや、姿を隠すことをやめた4人目の魔法奴隷がふらふらと歩み出てきた。
「セインツ……ッ。くそぉ……ッ」
僕の魔法が焼きつくしたスペースに躍り出た魔法奴隷は、虚ろな瞳をしていた。猫人族だ。まだ若い。もしかしたら僕と同じくらいの年齢かもしれない。
その瞳が、僕をつかまえる。
――――僕の世界が凍りつく。
「……俺たちがなにをしたっていうんだ……騎士様、なあ、答えてくれよ。俺たちの村にはもう食べ物もなかったんだ。みんな飢えて苦しんでいた! 招集に行けば死ぬ! だから抵抗した!」
「――――招集を拒めば、国が死ぬ」
猫人族の少年のそばに立った騎士団長は淡々と言った。
「国が死ねば、我らは真の意味での奴隷となる」
「……はっ、はっ、はっ――――」
猫人族の少年はミスリルのレイピアを見た。
白銀の表面を、紫電が踊る。
その輝きが少年の絶望の表情を照らし上げる。
「愚かなことだ。君ほどの使い手であれば、招集で死ぬことなどあり得ないといっても過言ではなかった」
「……ッ」
「だが――君たちは我ら騎士団だけでなく、招集に応えようとした他の魔法奴隷も傷つけた。我らの敵になったということだ。『魔法の国』の、敵に」
騎士団長はレイピアを掲げた。
少年は大きく目を見開いて、その白銀を見る。
僕は――とっさに動いていた。
「待ってくださいッ!!」
騎士団長と少年の間に、僕は割り込んだ。
「騎士団長、どうか! まだ少年です!」
「……下がっていろ。従騎士タカハ」
「きけません!」
「…………」
騎士団長は黄金色の瞳でしばらく僕を見下ろして――レイピアを鞘におさめた。
「…………え?」
「必要がなくなった」
見ると。
ラフィアの体の向こうで、猫人族の少年は意識を失っていた。
僕は体をゆっくりと起こした。自分の体じゃないみたいに動きが鈍い。
「負傷者に治療を行う」
「……分かりました」
「よし。始めよう」
『腐葉土の森』の奥のほうから数名の騎士がやってきた。
彼らが1人を拘束。
こちらで3人を拘束。
騎士団長が1人を死亡させた。
事前の報告にはなかった6人目のメンバーが逃走中だと言う。
撤収作業のことを、僕はよく覚えていない。
猫人族の少年の目が脳裏にちらついていた。
あの目はきっと、奴隷印を刻まれた日の僕と同じ目だ。
ラフィアの回路を奪った脱走奴隷の目と同じ。
絶望し、足掻いて、それでもなお絶望した目。
「……先ほどの魔法は見事だった」と騎士団長は言った。「基本中の基本ともいえる魔法で、最大限の効果を引き出す。私に敵を視認させれば勝敗は決したようなものだ。ゲルフ殿の指導が花を開いたというわけだな」
騎士団長は熱を帯びた口調で僕に言う。
「今はまだ、奴隷たちを従えることに馴染まない気持ちの方が大きいだろう。だが、君ならば理解できるはずだ。魔法の国に忠誠を誓い、魔法の国のために尽くす。ゲルフ殿を救うほどの力を活かす道は、ここにしかない。これが――騎士なのだ」
「――――」
その瞬間。
僕は、もう1度、決めた。
「はい、騎士団長。僕は騎士の価値を理解しました」
もっといろんなものを見たい。
騎士団がどこでどんなことをしているのか、もっと知りたい。
だって、僕は――――
やっぱり騎士のこのやり方を、認められそうにないのだ。




