第40話:「力ない者の言葉をだれが聞く?」と騎士団長は言った。
その春が終わり。
初夏の風が近づいてきて、僕たちは1年目の総決算になる『試し』も終えた。
隊舎の廊下に張り出された結果を見て、僕は苦笑した。
従騎士タカハ――
『実習』の評価:17人中10位。
『講義』の評価:17人中9位。
「ふんっ……!」
となりで鼻息荒いプロパ様の成績はもっと悪い。
「……おっと」
一方のリュクスは実習で1位、講義で3位の評価だった。
話は、実にシンプル。――僕たちの上には騎士団にお金を積んだ貴族や市民の子弟たちの名がずらりと並んでいたのだ。リュクスは王族出身だから正当に評価されたのだろう。
従騎士は、つまるところ見習いに過ぎない。正騎士に任命されることで、真の意味での騎士となれる。
この『試し』の結果は正騎士を任命する上での重要な評価基準だ。
それすらもどうやらお金で買えるらしい。うん。お金ってすごいね。
「ああ。従騎士リュクス」「さすがの成績ですね」「先日の模擬戦のお手並みは見事だったからなあ」「炎撃の騎士のようだった」「君とともに学ぶことができて光栄だよ」
いつの間にか、リュクスの周囲を貴族や市民の子弟たちが取り囲んでいる。もちろん魔法奴隷の出身である僕とプロパはガン無視で。
「――――」
一瞬だけ顔を伏せたリュクスは――次の瞬間、誰もが虜になるような魅力的な笑顔を浮かべた。
「それを言うならアーノルドだって『講義』で2位じゃないか! これでも俺は結構がんばったつもりなんだけど、アーノルドの博識には敵わなかったみたいだ!」
続けて、リュクスは隣の人間に近づき、その手をとった。「それに、イラムも。お父様は元気?」
「ああ。元気だ。気にかけてくれたなんて――」
「サルドラ、お母様の新しい絵画、拝見したよ。素晴らしかった」
「そうかい? それは母も喜ぶはず――」
「ボームも、おじいさまによろしく伝えて欲しい。……やはり名家の子弟たちはさすがだよ。来年もいろいろと学ばせてもらいたいと思っているんだ。どうかよろしく」
「それで、従騎士リュクス」
最初に話しかけた従騎士アーノルドが穏やかな微笑とともに言った。
「1月の休暇が始まるわけだが、どうだろう? 晩餐会に招かれてもらえないだろうか。こうして同じ従騎士となったのも何かの縁、親交を深めたいと思っていてね」
リュクスはあいまいな微笑を浮かべた。
「ああ。もちろん、無理にとは言わない。機会はいくらでもあるだろうからね。……それともう1つ」
従騎士はこちらをちらりと見てから、意味深な口調で言った。
「これは忠告だが――友だちは選んだ方がいいんじゃないかな」
他の従騎士たちのあざ笑うような視線がプロパと僕に向けられる。
もしかして、と僕は思った。
もしかしてなんだけど――こいつ、本当に僕たちの成績が悪いと思っているんじゃなかろうか。模擬戦であれだけボコボコにされて、集団討議で口はおろか手も足も出せなかったくせに。ここに書いてある成績の数字で僕とプロパのことを見下しているのだ。
ため息を吐き出す労力すらもったいない。
「……間抜けもここまでくるとすがすがしいな」とプロパが僕の耳元でささやいて、僕は吹き出すのを必死に我慢しなければならなくなった。
「ありがたい話だけれど、大丈夫」
リュクスは完璧な笑みのまま、目だけ少し細めて、そう言った。
「友だちなら自分で選べるから」
「……ええと?」と従騎士アーノルドが首をかしげる。
「それから、食事会の件はお断りしなければならないみたいだ。この休暇の間は本当に忙しくてね。またぜひ誘ってほしい。……それじゃあ、アーノルド、レイラム、サンドラ、ボーム、いい休暇を」
市民の子弟たちが二の句を継ぐひまも与えず、リュクスはきびすを返して、僕たちの方に歩み寄ってきた。そして、あっさりと言った。
「じゃ、ご飯でも食べにいこっか」
――
「従騎士第1階、タカハ。今日の『実習』は騎士アーベルンに同行し、近隣の村で『招集』を行う。奴隷拠出率の高い、まあ、有り体に言えば、やりやすい村だ。騎士の行動をしっかりと見て学ぶこと。馬の貸し出しを受けて、6の鐘の時間に正門に集合。……質問は?」
「……ありません」
休暇の直前。
従騎士第1階としての最後の『実習』だった。
その日、僕の心に今までで1番大きな暗雲が立ち込めた。
ついに、奴隷を招集をする側に、僕は回るのだ。
覚悟はしていた。
僕はゲルフの野望に手を貸すことを決めた。
そのためには、従騎士として、騎士団の本質を見極めることが必須だ。
歯を食いしばってでも、この実習をこなさなければならない。
ムーンホーク領は『魔法の国』の中でも北方に位置する。そのため、『鉄器の国』『火炎の国』と直接の接触はない。南方のサンベアー領がまさにその最前線だった。
なら、ムーンホーク領は戦わなくてもいいのか。
もちろん、そういうわけではない。王都からの命令やサンベアー領の赤色騎士団から要請があれば、ムーンホーク領の緑色騎士団は一定の戦力を前線に送らなければならないのだ。
それが、招集の正体。
今回は赤色騎士団が南の国境深林の奪還作戦を立案した。
その要請に応えるための招集を僕は見習い騎士として手伝う。
「よし。では、騎士アーベルンに話を通して――き、騎士団長っ!?」
僕の目の前に居た実習担当の騎士が直立した。
言葉の意味を理解するのに少し時間がかかったけれど、僕もあわてて振り返り、両足を揃える。
妖精種の騎士が僕を見ていた。
少し生え際が後退した金髪と、理性的な光をたたえた金色の瞳。腰につるした剣はレイピア。見間違えるはずもない。緑色騎士団長その人だった。金色の瞳が鋭く僕を捉えている。
「ネイザー、その従騎士を借りる」
「はっ! …………い、いえっ、団長、従騎士タカハはこれから実習があります」
「『招集』の実習だな? 私がその分に関しては指導しておく。特例的だが、出席の扱いとする」
「……はっ!」
「では行くぞ、従騎士タカハ」
くるりと騎士団長は背を向けた。大きな鷹の刺繍が背中に刻まれた緑のコートは、騎士団長の証。
僕はあわててそれを追う。
騎士団長は隊舎を出て、厩舎の前を素通りした。てっきり馬を出しに行くと思っていた僕は拍子抜けして、同時に、その先に何があるのかを思い出した。
ミスリル武器庫。
騎士団長は武器庫の見張りについていた衛士に合図を送る。すばやい動きで衛士が武器庫の扉を開けた。頑丈なカギと金属で補強された扉が音をたててゆっくりと開く。
小さめの倉庫といった様子のその空間には――――ずらりと、ミスリルの輝きが並んでいた。
「好みの武器をとれ」
小剣、長剣などの一般的な武器から、両手剣、戦斧、鎚、長槍といった使い手を選ぶ武器まで。
「しかし、自分は……」
「『従騎士はミスリル武器の装備を許されない』、か?」
「はい」
「建前だ。そうでもしなければ、市民出身の従騎士は自らの財力でミスリル武器を購入してしまうからな。それでは正騎士の示しがつかない」
言い捨てた団長はどこか遠いところを見ている。
僕は思わず「団長は……魔法奴隷の出身なのですか?」と質問してしまった。
鋭い視線が、答えそのものだった。
「私が従騎士となったころ『市民』という身分階級は存在しなかった。……あれは、前公爵閣下が最後の最後に産み落としていった、まさに呪いだよ」
僕はしばらく続く言葉を待ったが、団長はそれっきり沈黙した。
僕はミスリル武器の並ぶ棚の前に立ち、一般的な長さよりやや短い両刃剣を手に取る。吸い込まれそうなほどに美しい白刃だった。すぐわきに立てかけられた木製の鞘はよく手入れがされていて、収めるのに抵抗はない。
僕はそれを腰のベルトに通す。
ずっしりとしたその重量が、僕をふらつかせた。
――
「騎士団長」
ムーンホーク領都を出て、しばらく。
2騎で並走していた僕は意を決して沈黙を破った。
「どちらへ?」
「任務だ。ついて来れば分かる」
取り付く島もない口調。そこまでは予想済みだった。
「では……なぜ自分をお連れに?」
ゆっくりとこちらを見た騎士団長は苦笑に近い笑みを浮かべていた。
「気まぐれだ。今日は休日でな。1日持て余していたところに、ちょうどいい任務と、ちょうどいい従騎士を見つけた。将来、正騎士と任ずるにふさわしい者かどうかは任務をともにすれば分かる。……まして君は、ほかの従騎士とは比べものにならないほどの実戦経験がある」
僕が初めて騎士団長に会った、あの戦い。
9歳のとき、僕はゲルフを救うために『鉄器の国』と戦った。
その戦いを許可してくれたのが、この人だったのだ。
「騎士団はゲルフ殿の勧めか?」
僕は少し、迷う。
「半分は父の勧めでした。ですが、最後に決めたのは自分です」
「なぜ、騎士の道を選んだ?」
「それが、このムーンホーク領のためになると思ったからです」
騎士団長は目を細めてから――口元にかすかな微笑を浮かべた。
「よし。いいだろう。授業をするぞ」
「じゅ、授業ですか……」
「目的地まではしばらくかかる」
騎士団長が腰につるしたレイピアを抜剣する。
日差しに輝く純銀の鋭利が、僕の視界で景色を両断した。
「ミスリル武器は王都にある王立工房でしか精製できない騎士の象徴だ。魔法奴隷が魔法を使える以上、騎士と魔法奴隷の違いは、このミスリル武器にしかない。では、ミスリル武器の強さは何か」
『講義』の1科目、『騎士の戦術論』。
その基礎の基礎。
答えはすらすらと出てきた。
「白兵戦での、優位です」
緑色騎士団長は頷く。
「相手が普通の金属しか持たなければ、剣であればそれをなまくらにし、盾であればそれを切り裂きます。ミスリル武器と切り結ぶことができるのは、ミスリル武器のみです」
「他には」
「加えて、魔法使い同士の戦いでは必ず呪文の詠唱が必要となります。その時間に、騎士はミスリル武器で致命傷を与えることができるのです。……だから、騎士は魔法奴隷を支配できる」
魔法使いと魔法剣士。
攻撃の種類が1つでも多いだけで、戦いの有利不利は一気に変わる。騎士も例外なく魔法を使えるから、距離を詰められてしまえば、ミスリル剣を持たない単なる魔法使いにほとんど勝機はない。『騎士様は強い』とかつてソフィばあちゃんは言った。その言葉の意味がよく分かる。
騎士団長が僕を見ていた。
「支配……そうだな。だが、従騎士タカハ」
「……はい」
「力ない者の言葉をだれが聞く?」
「それは……」
「戦わなければ国が亡びるときに、必要な数の魔法奴隷を招集する。それが我々の任務だ。そのためのミスリル武器であり、そのための必要な力が与えられているのだ」
「……」
僕は返事をしない。
『講義』の1科目、『騎士の職務』。
それは必要な力の説明からはじまる。
僕がこれまでなんども目にしてきた現実を裏付ける力だった。公爵閣下の所有物である奴隷たちはもちろん、領都のために尽くす市民でさえも有することのない、騎士だけの権利。
騎士団長はその言葉に自信と決意を乗せて、言い切った。
「もちろん、さまざまな決まりごとはある。だが……魔法使いの命を奪うことすらも公爵閣下から許可されているのは、騎士だけだ」




