第38話:犬人族の少年が「おっ、食いついた?」と言う。
従騎士試験の課題は2部制だった。
まず、唱えられる魔法の数を問うのが第1段階の試験。ここで、希望者が100人程度まで絞り込まれることになる。僕もプロパもリュクスも難なく突破したけれど、僕に絡んできた狼人族の少年は落ちたみたいだ。
2つ目の課題が、結構すさまじい。
残された100名の希望者である僕たちは、昼食をはさんだ後、訳もわからないうちに転移座でムーンホーク領のどこかの森に転移させられた。
課題は『隊舎に戻ってくること』。
早い者勝ちで採用ということだろう。
そもそも転移魔法が初めてでそれに酔ってしまう人もいたり、帰る方法の見当もつかないのがほとんどだった。
途方に暮れる希望者たちで地獄絵図のようなその森を僕はサクッと後にした。
同じく動き出してるのも何人かいる。
時間は誰にも平等なのだ。
「…………で、なんでリュクスが付いてくるのさ」
「ん~? だって、タカハについてったら受かりそうだから」
「プロパと一緒にいたほうがいいと思うけど。僕はこの試験のこと何も分からないよ?」
リュクスはにやりと笑って、後ろのほうを指さした。
僕は目を凝らす。
森の木々の影に――ちらりと金髪が見えて、すぐに隠れる。プロパだ。
「こういうコト」
「……ま、それも作戦か」
正直、気分はよくない。
「その代わり俺は道中の楽しい話でタカハを和ませるからさ」
「まったく……」
「あははー」
僕はとりあえず、周辺を探索した。
幸い、人の集落が近くにありそうな跡がすぐに見つかる。
「こっちだ」
村を発見して、僕はリュクスを差し向けた。リュクスは持ち前の人当たりの良さで警戒されることなく領都への道を聞き出してきた。
「方角が分かれば後は簡単だ」
僕は太陽の方角から森の中を進み始めた。
「タカハはすごいな。獣道が見えてるみたいだ」
「慣れだよ。慣れ」
「……じゃあ、俺の慣れてる話をさせてもらおうかな」
自分の宣言通り、リュクスの話は確かに面白かった。とくに女の子の口説き方とか。
そして、彼の身の上話も衝撃的な内容だった。
「――朝、プロパがリュクスのことを『普通じゃない』って言ってたよね?」
「ああ。俺はいつもスペシャルってことかな」
ふぁさ、と黒髪をかきあげるリュクス。僕の脳みそは勝手に犬人族の少年の周囲にロゼの花を咲き散らかせる。髪をかきあげる仕草が似合う人間を僕は2回の人生で初めて見た。
「――とまあ、それは冗談でさ」
「うん」
「れ、冷静だなー」
リュクスは肩をすくめた。「ライモン=ファレン=ディードって名前、分かる?」
「もちろん。ムーンホーク領の領主の公爵様だ」
「そうそう。俺、あいつの七男なんだー。リュクス=アルベルト=ディード」
「へー」
……………………。
「ええええええええええっ!?」
「おっ、食いついた?」
「き、貴族なの?」
全然そんな感じがしなかった。普通、貴族って言えば偉そうにしてるもんじゃないのか……?
「いきなり1番痛いトコついてくるね」
「……え?」
「俺の母さんはいわゆるメイドだったんだ。ライモンのおっさんも俺を七男だとは認めてるんだけど、勘当って形でディードの家から追放されてる。母さんは俺を産んですぐに流行り病で死んじゃったから孤独の身ってわけ。……ま、贅沢はさせてくれてるし、門限もないし、そもそも闇に葬られなかっただけで感謝しないとだよな」
重い!
口調の軽さが際立つほどに話が重い……!
「みんな知ってんだよ」とリュクスは言う。
「大変、だったんだね」
「どうだろ。今の俺の環境は恵まれてるんじゃない?」
リュクスは一旦言葉を切った。
「だから――――すっげえ色々が嫌だったって言うのは俺のワガママ」
「……」
「みんな、ライモンのおっさんと俺の微妙な関係に触れたくないみたいだしさ。でも、ほら、公爵の七男っていう肩書きに市民の師弟は近づいてくる。気付いたら、だれかと仲良くなったと思ってもその裏を考えるようになってて、さ」
「……」
で、と強い口調でリュクスは言った。
「そういうときは、全部忘れる」
「……忘れる?」
「魔法を唱えたり、女の子と遊んだり、いろいろで」
「そうしているうちにプロパと出会って」
「恋に落ち……ないけどさ。まあ、あいつは思ったこと思ったとおりに言うから、気楽なんだ」
確かに。あの自信家で皮肉屋な妖精種の唯一僕が認めているところは、自分に素直なところだ。素直すぎると言ってもいい。嘘とかつかないだろう。
「それはそうとさ。タカハのお姉さんと妹ちゃんの話、教えてよ?」
「……やだ」
「兎人族と猫人族でしょ? 血がつながってないって聞いたけど、田舎だとそんな美味しいイベントがあるの? 1つ屋根の下ってすごくない? ぶっちゃけた話、どっちが――――」
「置いてくよ?」
――
街道に出た僕たちはジョギングのペースでムーンホーク領都を目指した。
プロパはもはや後をつけていたことを隠そうとはしなかった。仕方ないから、混ぜてあげることにした。体力が無くて1番つらそうにしていたけれど、僕たち3人は日が落ちる寸前になんとか緑色騎士団の本部までたどり着くことが出来た。
どうやら僕たちの先に着いた希望者たちは居ないようだった。
呆気なかった、というのが正直な感想。
……いや。
…………。
…………。
「タカハ……?」
息苦しそうにリュクスが呼ぶ声で、我に返る。
考えれば考えるほど、この試験は弱点という弱点がない。魔法の技量、こうして長距離を走る体力はもちろんのこと、方角を見定める知識や、森を歩く技術も必要だ。
『お前が誰に仕込まれたと思っておる』
『あれに落ちることなど月が落ちるよりもありえぬ』
ふと、思う。
これは、ゲルフが教えてくれた生存術そのものじゃないか……?
緑色騎士団本部、団旗が掲げられた門の前に3人で立つ。
荒い息をつく2人が足を止めて、なぜか僕を見ていた。
「ッ……。タカハから入りなよ……ッ」
「……そうだ……ッ」
僕は無言で頷いた。
敷地に、踏み込む。
「――――今年は優秀な者が多いようだ」
僕はその声に顔を上げて、息を呑む。
出迎えてくれたのは緑色騎士団長その人だった。
緑のコートにはびっしりと金色の徽章が並んでいる。妖精種の騎士団長は、演説のときとは打って変わった穏やかな微笑を浮かべていた。金色の瞳が順に3人を捉える。
僕たちは慌てて身体を起こした。
「何人目、ですか?」と僕は訊いた。
「1人目だ」
おめでとう、と騎士団長が言う。
「リーヴァ庭園のリュクスに、君は……ゼイエル殿のところのプロパ、そして、ピータ村から来たタカハか」
ん? と緑色騎士団長は眉をぴくりと動かして、僕を見た。
「ピータ村……そうか。あのときの魔法奴隷か」
「はい。その……あのときは、ありがとうございました」
魔法を失ったゲルフが招集されたあの戦い。
緑色騎士団長がいなければ、僕は転移座を使わせてもらうことも出来なかったはず。
つまり、ゲルフがあの戦いから帰ってくることができなかったかもしれない。
「感謝の必要はない。君は宣言通り価値のある行動をした。……期待している。今度は従騎士としてな」
騎士団長は残りの2人を見た。
「諸君は今宵より緑色騎士団の従騎士となった。歓迎しよう。息を整えて隊舎まで来なさい」
騎士団長はカツカツと足音を響かせて隊舎のほうへ戻っていく。
「……なっちゃった」とリュクスが沈黙を破って言った。
プロパが言葉にならない歓喜の声をあげる。
ああそうか。これって、すごいことなんだ。500人の中から17人が選ばれる試験なのだから。そのうち、1位、2位、3位が僕たち。伝染するみたいに、僕の中にもじわじわと喜びの感情が広がってくる。
「この借りは必ず返すよ。タカハ」とリュクスが言った。
プロパも無言で僕を見ている。
僕はゆっくりと首を横に振った。「2人とも、これから、よろしく」
瞬間、隊舎の方から若手の騎士たちの雄叫びが響いた。
10数人の騎士たち走ってくる。――こっちに。
「恒例のやつか……」とプロパが言った。
「恒例?」
「よく分からないけど、まあ、投げられたり食べさせられたり……オモチャにされるらしい」とリュクスが笑う。
「新入りーッ!」「うおらぁ!」「これより2次試験を開始する!」「選抜だぁ――ッ!!」
僕は土煙をあげて迫り来る騎士たちを見た。
その目には獲物を見つけた狩人の光が宿っている。
「やば。逃げなきゃ」
「……リュクス」とプロパが真顔で言った。「違うんだ。決して、疲れすぎたわけじゃない。なんらかの妨害魔法のせいだと思うんだが……足が動かない。手を貸してほしい」
「ひ弱だなあ」と僕は笑う。
「タカハは黙れ。くそっ」
「ケンカしてる場合?」
「じゃ、ないね。……もう間に合わなさそうだけど」
隊列を組んだ騎士たちがすぐそこにまで迫っていた。
「……ぶっ」
身構えた直後。
僕たちは星空の方向へ弾き飛ばされた。




