第36話:「人違いじゃないですか?」とエルフの少年は眉をひそめた。
僕は石造りの門に立っていた。
「ここか……」
水で満たした堀と石造りの外壁で囲まれたムーンホーク領都の全体を円だとすると、その端のほうにもう1つ小さな円が収まっている。
その小さな円が僕の目の前にある緑色騎士団の本部だ。団員たちの隊舎や馬屋が並び、正面には練武場――広い運動場のようなスペースもある。
入り口に掲げられた団旗には、金色の刺繍で鷹と三日月が描かれていた。
何度も招集に来た緑色のコートの騎士たちの本拠地に自分がいる、と思うと、不思議な気分がする。
――――それよりも。
「おい……あいつ……」
「……地方からか……?」
「やめてほしいね……」
「魔法なんてろくにつかえないだろ……」
僕と同じくらいの年格好の少年たちが、まるで僕の足元に地雷でも埋まっているかのように、避けていく。みんな、僕のティーガや布の靴とは比べるのもおこがましいほどの立派な服を着ていた。色鮮やかで、襟がついていて、そう、舞踏会のような。
みんな『市民』だろう。
奴隷を超える特権階級。その、子どもたち。
「歩けって、田舎者。邪魔だろ」
「っと」
僕は背中側から棒のような物でこづかれた。
バランスを崩し、緑色騎士団の本拠地の敷地へ、足を踏み込む。
後ろをにらみ返すが、犯人は分からない。
……いやな感じだな。
僕と同じ魔法奴隷も少なからず混じっているはずだった。けれど、僕ほどに質素な格好は1人もいない。ここがこういう場所だとみんな知っていて、服を用意してきているのだろう。
ゲルフは余裕って言ってたけど、本当に大丈夫なんだろうか。服装のアドバイスくらいしてくれてもよさそうなものなのに――と考えて、ゲルフの普段の服装を思い出した。
ボロボロのローブ、とんがり帽子、伸び放題の髪とひげ……。
訊くだけ無駄だ……。
「従騎士試験を希望するものは、こっちだぁ!」
大柄な騎士が隊舎のほうへ少年たちを誘導している。僕もその流れに乗ることにした。相変わらず、周りからは距離をとられてしまっているけれど。ここまで分かりやすいといっそ楽しい。
「……ん?」
その流れの中で、見つけた。
僕の少し後ろのほうをうつむきがちで歩いている少年がいる。
つるんとした金髪、キラキラとした青の瞳。肌の色はどこか作り物めいて白いのに、とがった耳の先と頬には少年らしい血の色が見える。
10人いれば9人が振り返るような美少年。
エルフの王子様。
見間違うはずはなかった。
振り返って、足を止めて、少年の名前を呼ぶ。
「プロパ!」
プロパはうつむきがちにして隠してた不安の表情を一瞬でひっこめて、僕のほうへ完璧な微笑を向けた。青い瞳が僕を捉えて、その微笑が一瞬で消え、プロパはすたすたと近づいてくると――そのまま僕のわきを通り過ぎた。
奥義、聞こえなかったふり、発動。
なるほど……プロパはもう田舎者じゃなくて、田舎者の僕と関わりあうのはごめんだ、ってことか。
……なら、なおさらだよね。
「ねえ、プロパだよね? プロパ?」
僕はプロパの横に並んで、その顔を見続ける。間違いない。プロパだ。びっくりするほど都会人っぽい格好をしてるけれど、ラフィアへのプロポーズを断られて滝壺に飛び込んだプロパだった。
「……人違いじゃないですか?」
プロパは顔に仮面を貼りつけて言う。
「ムーンホーク領都は妖精種が多いですし、オレと同じような見た目の人はいくらでもいるんです。そうやって田舎のほうから出てきたばっかりの人によく間違えられるから、正直迷惑なんですよね。田舎の人は田舎にいてくれればと思います。まして、従騎士試験なんて――――」
「プロパ! おはよ!」
別の声がして、プロパは頭痛をこらえるみたいにこめかみに触れた。
プロパの斜め後ろから近づいてきたのは犬人族の少年だった。長い黒髪をきっちりとセットし、切れ長の黒の瞳には穏やかな光が浮かんでいる。かなりのイケメン……なのに、笑顔は人懐っこい。ぱたぱたと揺れる尻尾が彼の向こうに見えるようだった。
すらりとした体格に見せかけて、身体運びを見るに武術の心得もあるみたいだ。
服装もプロパよりさらにいい。
「……この人は? 知り合い?」犬人族の少年が言った。
「こんにちは。ピータ村から来ました、タカハっていいます」
「ああ、ピータ村ってプロパの……。はじめまして。俺はリュクス。魔法の系統は火属性で、趣味は女の子を口説くことで――」
「リュクス、挨拶なんてしなくていい」
プロパは僕の手をぐ、と掴んで、リュクスから引き離した。
あまり力が強くなくて、剣を振るえるんだろうか、と僕は心配する。
プロパは僕の耳元で、鋭い声で、囁いた。「……何をしに来た?」
「従騎士試験を受けに」
「なぜ?」
「魔法奴隷出身の僕は騎士になるしかない、って、思った」
「……」
プロパは透き通った湖面のような青の瞳で僕をじっと見る。
そして、腕を掴む力を緩めた。
「あのな、忠告しておくぞ。従騎士試験はそんなに生易しいものじゃないんだ」
「どう生易しくないの?」
「魔法と体力の両方が問われる。どっちも厳しい試験だ。オレは4年間おじさんのところで修行をしてきたから間違いなく受かるけどな」
ふふん、とプロパは鼻で笑った。僕はとりあえず「おめでとう」と言う。明らかに皮肉だと伝わったのだろう、プロパは顔をしかめた。
「それに……ティーガなんて領都の人間は誰も着ない。都ではイエルが基本だ。……ここでは、魔法奴隷の出身だとバレることはデメリットしかない」
「だからみんな着飾ってるんだ」
襟のあるシャツのことをイエルと言うようだ。確かに、ティーガに比べて作るのは難しそうに見える。布を多く使う形をしていた。
プロパは低い声で続けた。「……いいか? わかったか? わかったら2度とオレに話しかけるなよ」
「うーん……理由はわかったけど、実際、手遅れじゃないかな」
僕は両手を広げた。貧相な服を着た僕から周囲はしっかりと距離をとっていて、つまり、プロパと僕の2人だけが流れの中から浮かんでいるみたいだった。
「あ、ああ――ッ!?」
「落ち着きなよ。プロパ。目立って気分いいじゃない」
リュクスが歌うようにその空白に躍り出てきた。
なにをしてもサマになる星の下に生まれてきたのだろう。リュクスは流れの中に居た少女たちにウインクを送り、黄色い声をお返ししてもらっている。
おかしいな。ウインクってあんな破壊力あるのか。
僕がやっても「目にゴミが入ったの?」とすら言ってもらえないに違いない。
「オレは目立ちたくないんだ」
「だからプロパはモテないんだって」
「うぐ……か、関係ないだろ」
「おっと……タカハはいい感じの人がいるみたいだ。しかも……2人?」
気付くと。
いつの間にか距離を詰めてきたリュクスが、すんすん、と僕のティーガやコートの匂いを嗅いでいる。
……なんで僕の周りにはこんなのばっかりなんだよ。
「ね、姉さんと妹だよ。家族なんだ」
「ふーん。猫人族と……兎人族の女の子であってる? どっちもタカハと同い年くらいでしょ? しかも、猫人族の子の方はかなりべったり――」
「ばっ、リュクス!」
「あははー。ごめんごめん。俺の家系は鼻が利くんだ。利きすぎかな?」
僕が口を塞ごうとするのをひらりひらりとかわしながら、リュクスがそう言った。
「……」
プロパが刺すような視線で僕を見ている。
その視線に、リュクスも気付いた。
「プロパ、スマイルだよ!」
「そんなものは不要だ、リュクス」とプロパは息を吐き出した。「お前たち相手に媚びを売っても仕方ないだろうが」
「……いや、笑うと媚びるは明白に違うと思うけど」と思わずつっこんでしまう。
「ふんっ、いちいちうるさいやつだ」
鼻を鳴らしたプロパはさっと僕に背を向けて――そこで足を止めた。
「ついてこい、タカハ。どうせ会場もよく分かっていないのだろう?」
ひゅう、とリュクスが口笛を吹いた。
「俺、プロパのそういうとこ、いいと思うよ。俺は好きだな~」
「気持ち悪いことを言うな。そもそも、『いい』とはなんだ『いい』とは。なぜリュクスに評価されなければならない?」
「感想を言っただけだってば。怒んないでよ~」
ずんずんと2人が隊舎のほうへ歩いて行く。
「タカハ~、マジで遅れるよ~」と振り返ったリュクスが言った。




