第32話:青髪の少女が言った。「よろしくな、タカハ」
次の日、ゲルフとは別行動をすることになった。
老魔法使いは今日はムーンホーク城に呼び出されていて、それが表向きの目的だったらしい。
明日は従騎士試験だから、ゲルフとはこれでお別れになる。
「1、2年は、なにもかもを忘れて、騎士として生きよ」
別れ際にゲルフは僕の肩に手をおいて言った。
「『軍団』は動き続けておる。計画が動き出すとき、わしかヴィヴィ殿のいずれかがお前に会いにゆく。逆に、なにかがあればいつでもヴィヴィ殿を尋ねるとよい」
「従騎士試験に落ちる可能性もあるよ?」
ふんっ、とゲルフは鼻で笑った。
「お前が誰に仕込まれたと思っておる。あれに落ちることなど月が落ちるよりもありえぬわ。……そんなことよりも、騎士とはすなわち、戦場の最前線を担う役職じゃ。せいぜい自分の体は大切にせよ」
ぽんっ、と僕の肩に手をおいたゲルフは、振り返ることなく、あっさりと領都の雑踏に消えていった。
――
そんなこんなで、僕は1人、領都の中を歩き回っていた。
昼ころ、だろうか。いい匂いに誘われた僕は、石畳や建物や売られている物が豪華な通りに迷い込んでしまった。
……それは、失敗だったらしい。
「……………………」
「…………」
人通りは多く、にぎやかで、たくさんの人々が買い物を楽しんでいる。食料店、服、宝飾品、杖の専門店……様々なものが売ってあるみたいだ。
「…………」
「……………………」
僕は、少し前から、視線を感じていた。
その感覚は次第に大きくなっていた。
さっと振り返る。
「…………ッ」
数人が慌てて僕から目をそらした。
間違いない。ここにいる人たちは、僕を見ている。
「なにか……ミスってるのか……?」
首をかしげた。コートはソフィばあちゃんに仕立ててもらったばかりだし、ティーガも上等な素材のものを着ている。荷物を背負っているから野暮ったく見えるのだろうか。
「……おい……ッ」
次第に、周囲の人がはっきりとした行動を示し始めた。
僕の周囲にはぽっかりと人通りのない空間ができたのだった。
「……見て、あれ、魔法奴隷よ」
「どうして……このリクセン通りに……」
「田舎から……」
「……邪魔なんだよなあ」
「…………おいッ。……荷物を背負っている、人間の……」
「怖い怖い」
「奴隷は奴隷らしくいてほしいね」
「ここは市民だけの特権区なのだから」
「安全が売りじゃなかったのか」
「騎士を呼ぼうか。私はつながりがある」
「――オマエを呼んでるんだってばッ」
僕は囁く声の1つの方に、身体を向けた。
リクセン通りから葉脈のように伸びていく細い路地。フードを深く被った影が、鋭い視線で僕を見ていた。つまり――この通りに存在する人とはじめて目があった。
僕は人影がいる細い路地へ滑りこんだ。
市民が道を開けてくれるみたいに避けたのが、妙に可笑しい。
路地は薄暗かった。
僕の目の前に居る、フードをかぶった人影はずいぶんと小柄だった。
決して背が高いとはいえない僕の、肩よりも低いだろう。
「……ったく、騎士を呼ばれてたらヤバかったんだぞ?」
フードから聞こえるのは、声変わりをする前の少年の声だった。
「オマエ、田舎から来たんだろ? 魔法奴隷だよな? ダッソーした肉体奴隷じゃないよな?」
「魔法奴隷だよ」
「ああよかった。肉体奴隷を助けたら、ボクまで罪に問われるからさ。魔法奴隷なら問題ない。むしろカンゲーだ。大事な大事なお客サマになってくれるのは魔法奴隷だからな。よかったよかった」
「お客サマ?」
警戒する。
杖を取り出す時間はない。使う魔法を決めておく。
フードの人影は顔を上げた。
僕は、少し、驚いた。
「ボクはエクレア。肉体奴隷だけど、クラフトマンなんだ」
僕が驚いたのは、その自己紹介でも、青空のような色の瞳でも、それと同じ色の髪でもなくて。
にかっと笑うエクレアが女の子だという事実に、だった。
髪型はボーイッシュな感じだし、口調も男っぽいけれど、間違いない。
この子は女の子だ。
僕はそう確信していた。
「……タカハ。領都の外から来た魔法奴隷だ」
「珍しい名前だな。ま、いいや。よろしく。……で、タカハの選択肢は2つある」
「選択肢?」
エクレアは2本の指を立てた。
「1つはこのまま立ち去る。同じ奴隷として、このリクセン通りには近づかないほうがイイっていう忠告もオマケしておくけど、それっきりボクたちはお別れだ。たぶん、2度と会うこともないだろ。グッバイ相棒、元気でな、ってヤツだ。コワーイ領都の歩き方を知らないままタカハは生きていかなくちゃいけないけど、まあ、ダレだって始めはそういうもんさ」
「もう1つは?」
「急かすなって。もう1つの選択肢ではまず、タカハに損が出る」
「ふむ」
「今日の、晩メシだ」
「は?」
「タカハがボクにオゴるんだよ。1食だけいい。ボクの胃袋が領都くらいデカいとか、そういう罠はないぜ? 実は2日ほど食ってなくてさ。3度のメシよりはクラフトマンの仕事を優先できるボクだけど、さすがに6度のメシと天秤にかけるとメシのほうにココロが傾いちゃうのはわかってくれるだろ?」
「……そりゃあ、まあ」
うん……。
変な子につかまってしまったかもしれない……。
「けど、タカハに損はさせないぜ。午後いっぱいをかけて、ボクがドレイ的領都の歩き方をばっちりレクチャーするよ。市民じゃないボクたちでもふんだくられない店や、歩きやすい通り、宿を紹介するし、逢引きに使える場所も1、2、3……うん、17個くらい知ってるから、それも教えてやる。ベンキョーって意味で、肉体奴隷の仕事場や騎士団の本拠地も」
「おお……」
「そして、最後にボクの店」
「店?」
「ああ、店。ショップ。工房。穴ぐら。地下室。なんとでも呼べよ。ボクのアートを見せてやるからさ」
肉体奴隷でクラフトマン、という説明がよく分からない。どういう仕事?
それはさておき、僕は肉体奴隷の人々の生活に興味があった。
昨日、ヴィヴィさんの家にたどり着くまでに通った場所には魔法奴隷しかいなかった。彼らの生活環境も決して良好とはいえない。ピータ村の方が環境という意味ではよっぽど良かったはず。
では、それよりも一段待遇の低い肉体奴隷の生活は――――
「さて、どーする?」
迷う必要性はなさそうだった。
「じゃ、よろしく。エクレア」
「お? いいのか?」
「夕食をご馳走するだけでいいんでしょ? 口に合わなかったらごめんね」
「いいぜいいぜ。空腹はサイコーのスパイスっていうだろ? ボクの身体が勝手にサイコーのスパイスをかけまくってくれてるからさ、タカハは食べものを出してくれるだけでいい。……じゃ、ケーヤク成立だ」
エクレアは再び、にかっと笑って、僕に手を差し出した。
「よろしくなッ、タカハ」
――
珍しい薄青の髪をフードに隠した少女は、確かに領都に精通していた。
紹介してくれた店や宿のオーナーとはほとんど知り合いで、大通りをつなぐ細い通りも知り尽くしていた。宣言通りデートスポットを17箇所教えてくれたときには感動すら覚えた。
「よく誘われるの? 逢引き」
「あ? ナニ言ってんだよ。逢引きってのはオトコがオンナを誘うもんだろ?」
「そうだけど……だって、エクレア、女の子だよね?」
瞬間――エクレアの目が、泳ぎまくった。
「ば、ばか言ってんじゃねえよッ。一人称考えろよッ。どこの世界に自分のことをボクって言うオンナがいるんだよッ?」
「目の前に」
「じゃ、じゃあ、どこの世界にこんな言葉遣いの悪いオンナがいるっていうんだ?」
目の前に。
とはいえ、事情があるのかもしれない。
肉体奴隷という立場のことを僕はあまり分かっていないし。
「確かにね。想像もつかない」
「だ、だろ? ったく、びっくりしたなあ。タカハあれか、あれなのか、オトコ好きなのか?」
そこまで強気にくるのか。なら……。
僕はぐい、とエクレアに近づいた。
「そうだよ、僕は男好きなんだよ。で、エクレアのことがタイプ」
「…………マジ?」
「もちろん冗談」
「てっ、てめーッ!」
エクレアは顔を真っ赤にして怒っている。
マルムがラフィアをからかう気持ちが、少しだけわかった気がした。




