第31話:「ゆこう、タカハ」と老魔法使いが僕の背を押した。
2日目の昼だった。
「…………すまぬな」
領都へ向かう道中、ゲルフが唐突に言った。生存術と狩猟術に精通した僕たちは、あまり鍛えていない人と比べれば倍に近いペースで街道を歩き続けていた。
ゲルフは――そのペースについてこれなくなった。
それは僕が生まれて初めて聞いた、ゲルフの泣き言だった。
「ほら、水筒」
「……うむ」
ゲルフは黒い杖を自分の体の横に置き、街道のそばの大樹に寄りかかるようにして座り込んだ。額には汗がにじんでいて、その仕草はいつもより緩慢だった。故障する寸前の機械をいたわるように、ゲルフは膝や肩や太ももをほぐしていく。
「ちょっと。膝が熱をもってるじゃないか。それに汗もひどい……。なんでこんなになるまで言わなかったのさ」
「若者と張りあいたいときもあるのよ」
ふっふとゲルフは自嘲めいた笑みを浮かべた。「タカハにはまだ分からぬじゃろうがの」
「無理しないで。結果的に遅くなったら、そっちの方が迷惑なんだから」
僕は愕然とした。
これ、完全にツンデレのセリフじゃないか……!
僕のデレとか誰が得をするというのだろう。
ゲルフはいつもの不敵な笑みを浮かべる。
「お前の言うとおりじゃ。忘れておったが、最近、大きな夢ができてな。こればかりは宣言しておく。わしは5倍した17歳まで生きるぞ」
は、85歳……!
この世界の基準でいえば妖怪に近い。
「その心は」
「決まっておろう。ラフィアを嫁にとる男をぶん殴らねば、おちおち墓にも入れぬ」
「……その調子なら、ほんとにいけるかもね」
10分くらい休憩をした後、ゲルフはすくっと立ち上がった。ローブの下では膝が笑っているのかも知れないけど、それを感じさせない仕草だった。結局のところ、僕もゲルフも頑固なのだ。
相変わらず、僕とゲルフは2人でいるときはほとんど会話をしない。でも、いつかのような居心地の悪い沈黙ではなくて、お互いがお互いの存在を認めている、気心知れた友人同士のような沈黙だった。
僕たちは徒歩で2日をかけてピータ村から領都の近くまでたどり着いた。
――
『魔法の国』の北方を占めるムーンホーク領は、深い森が面積の大部分を占める人口密度の低い領だ。その中央には――森ではなく草原がおおっている台地がある。
ムーンホーク領都はそこに建設された城塞都市だった。
立派な正門と連続する外壁。取り囲む水のたまった外堀。壁の中の街並みは石造りの建物が多い。その中心には背の高いムーンホーク城が立っている。全体として巨大すぎないけれど、翼を広げた鷹のような品のある城だった。もうすぐ、その右側の翼のあたりに夕日が落ちようとしていた。
正門もまた立派な石造りだ。
そして、そこには通行を管理する衛兵が居る。
「ゲルフ様……!」
「おお。誰かと思えばリデノラのところの。父上は元気か」
「はい。おかげさまで。ゲルフ様でしたら書状は必要ありません! どうぞお通りください!」
か、顔パス……。
この目で見たのは初めてだ。
「一応書類を渡しておこう。それから、この者を連れて入りたいのじゃが」
強面の衛兵の視線が僕に注がれた。
「……ゲルフ様」
「ああ。分かっておるよ。それがお主の仕事じゃ。タカハ、出しなさい」
僕は衛兵にピータ村長の署名がされた羊皮紙を提出した。
「目的は従騎士試験の受験……と」
強面の衛兵は僕の持参した書類を上から下まで読んでいる。
「よし。通行を許可する。通行証をしたためるから待っていなさい。こいつは期間限定だ。試験に通ったのなら、騎士団から正式な物が発行される」
試験に通らなかったら、領都から追い出されるというわけだ。
「ありがとうございます」
「今年も志望者は多いぞ。ほとんどは、貴族や市民の子弟たちだが……」
「……そうですか」
「まあ、気負うなよ」
衛兵は何を思ったのか、左腕の袖をまくった。
息を呑む。
がっしりした左の上腕――。そこには、僕のよりも醜い奴隷印が刻まれていた。赤ん坊のときの小さな奴隷印は、当然、皮膚と同じ縮尺で成長していくのだ。
「地方の魔法奴隷は、順当に出世をしても衛兵がせいぜいさ。ゲルフ様ほどのご活躍をされるか、従騎士試験にでも通らない限りな。わりのいい仕事は何一つ奴隷には回ってこない」
「ん……? 待ってください。騎士でも奴隷でもない人がいるということですか?」
衛兵は一瞬、顔を上げた。
「そうか。村を出るのが初めてなのだな。……覚えておくといい。『貴族』『騎士』『奴隷』に加えて、領都には『市民』っていう身分階級があるんだよ」
「市民……?」
「ああ。
1つ、貴族と縁のある者、
1つ、騎士の家族、
1つ、騎士団に大量の贈り物をした者。
公爵の名のもとに、市民の称号を与える。
……ってな。彼らは0歳の奴隷印を押されない。招集には呼ばれないってわけさ」
「な……ッ」
招集以外の仕事があるのは理解できる。商人。学者。城務め。巨大なムーンホーク領を運営するのに、そういう仕事はごまんとある。
でも、招集がなければ――――命を落とすことなんてほとんどないはずで。
その1番危険な仕事を地方の魔法使いたちに押し付けて、自分たちはのうのうと暮らしている、というわけか。
しかも『市民』になる条件が、身内か金の力だ。
騎士団の強大な力を背景にした利権。横領。腐敗。
それが、こんなに平然と。
「…………滅茶苦茶だ」
「市民は基本的に裕福だ。幼いころから魔法と勉学をみっちりやらされるからな。従騎士も最近は貴族出身、市民出身がほとんどを占めている。領都の中でも市民様専用のスペースが増えてきてるんだ」
衛兵が羽ペンを置いた。
そして、羊皮紙の隅に大きな印を押す。
三日月の下を飛ぶ鷹をデザインした、領都の正式書類の証だ。
「通行書だ。がんばれよ」
「……ありがとうございます」
このときの僕は、この言葉を深く考えていなかった。少しでもその意味について考えたのなら、すぐに予測できたはずだ。
魔法奴隷が、領都でどのような扱いを受けているのかを。
「うわ……」
僕はついに、ムーンホーク領都に踏み込んだ。
目の前にある家々はほとんどが石造りで、荷物を乗せた馬車が行き交っている。
北東域最大のブリズ村とはケタが一つ違う都会っぷりだった。
通りを行き交う人々の服装は華やかで、目が慣れていないせいかくらくらする。石造りの建物では商人たちの賑やかな声が交わされ、目の前の大通りは馬車が二列ずつ行き交っていた。大通りは僕が今さっき通ってきたばかりの正門と、優美に翼を広げた鷹のようなムーンホーク城を結んでいる。
「ついてきなさい。今宵の宿は決まっておる」
そう言って。
ゲルフはすぐに暗い裏路地に折れていった。
――
――――裏路地を進むこと15分ほど。
石造りの家は大通りのそばにあるだけだと気付いたのはすぐだった。1歩裏路地に踏みこめば、木組みの家が互いに背の高さを競うように密集している。ピータ村と違うのは、2階建てや3階建ての建物が当たり前、ということだろう。
ここに住んでいるのは一般的な領民――つまり、奴隷たちのようだ。正門の近くで見かけた鮮やかな服装の人々と違って、みんなみすぼらしいティーガを身に着けている。
落ちきる寸前の夕日が照らし上げる領都の裏側は、饐えた臭いがした。人口の密度と、整備されていないインフラ……文明レベルの低い異世界なら必然の雰囲気だった。
ゲルフはとんがり帽子を深くかぶって歩き続けた。それでも、ゲルフだとバレて、魔法奴隷たちに包囲されることが2回ほどあった。
「ゲルフ様……!」「領都にお越しだったのですね!」「息子に魔法を授けてください……!」「大魔法使い様!」「どうかご加護を……!」
そのたびに、ゲルフはひどく申し訳無さそうな表情を作り、包囲の輪を断ち切った。僕に向けられる視線にまで懇願が織りこまれている。僕は慌ててゲルフの後を追った。
次第に街並みが上品になってくる。
木組みであることに違いはないけれど、比較的裕福な魔法奴隷たちが住んでいるエリアに移動しているようだ。裕福な奴隷ってワケ分かんないな、と思いつつ、僕は進む。
「ここじゃ」
ゲルフは、1つの建物の前で足を止めた。
両側を宿屋で挟まれた、小さな家だった。サイズ感はピータ村の僕たちの家が近い。でも、塗料を塗ってあるのか、木製の外壁はつやつやとした輝きを放っているし、ガラスで作られた燭台が扉の上にはかけられている。まるで童話に出てくるような家だった。
ゲルフがノックをしようとしたまさにその瞬間、扉が内側に引かれた。
顔を見せたのは、上品な老魔女だった。
「――――お待ちしておりました、ゲルフ様」
そう言って、ふんわり、という擬音がぴったりな微笑みを浮かべる。
13歳の僕よりもさらに背が小さいのに、凛とした存在感のある人だった。都の人々が着ているような襟付きの服に白い手袋。宝石のブローチがよく似合っている。美しく色が抜けた白い髪をシニヨンのように結っていた。
「ヴィヴィ殿、世話になる」
「長旅おつかれでしょう。ゆっくりなさってください」
「お言葉に甘えるとしよう」
老婦人の赤みがかった茶色の瞳が僕に向けられた。
「そして、あなたにもお会いしたかったわ。タカハさん」
「はじめまして。ピータ村のタカハです」
「まあ、礼儀正しいのね。ゲルフ様とは大違い」
「……ヴィヴィ殿」
「そのままの意味ですよ?」
微笑んだまま、ヴィヴィさんは首をかしげる。その仕草には小鳥のような愛らしさがあった。……うん、こういうおばあちゃん、前世にも居たな。
「ヴィヴィといいます。お見知りおきを」
「ピータ村の、タカハです。よろしくお願いします」
「タカハ、ヴィヴィ殿もわしと同じく二つ名持ちじゃ。『白光の繰り手』と言った方が世間ではとおりがよい」
相変わらず、二つ名シリーズかっこよすぎる……。
「白光、というと……?」
「ヴィヴィ殿は水属性の中でも氷魔法の卓越した使い手なのじゃ。機会があればお前も話を聞くとよい」
「そんな怖い名前、お断りしたかったんですけどね……」
ヴィヴィさんは困惑したようにまつげを伏せ、だが、すぐに顔を上げる。
「では、ほんとうなのね? タカハさんがすでに全ての系統の精霊言語を発音できる、というのは」
「はい。得意なのは火属性と土属性ですが、水属性の精霊言語も発音できるはずです」
「まさに、精霊に愛されし者ですね。とっても頼もしい」
ヴィヴィさんはなにかを確かめるように数度うなずいてから、ゲルフに顔を戻した。
「みな、奥にそろっております」
ヴィヴィさんはそう言うと、扉を開けたまま、家の中に戻っていった。上質な木材と洗濯したばかりの布の匂いが扉の向こうから漂ってくる。そして、かすかに、人の気配も。
「…………タカハ」
背中からかけられたゲルフの声はいやに重苦しく聞こえた。
「その扉をくぐれば、もう引き返すことはできぬ。もしお前が心変わりをしたとき、我らはお前の敵とならねばならぬ。『軍団』の秘密はまだ知られるわけにはいかぬゆえ」
振り返る。
そして、にやりと笑ってみせた。
「僕はもう『夜明けの軍団』の一員のつもりだったんだけど?」
肩をすくめたゲルフは、いつかの魔法使いの目になって、言った。
「我らはこの緑の領に革命を起こす」
思えば。
最初からそうだった。
「騎士団を倒し、市民を排除して、貴族と王族を支配下におき――我ら奴隷が自由と権利を獲得するのじゃ」
ゲルフが僕とラフィアの戸籍を認めさせるために手渡した酒瓶。
ラフィアを誘拐しようとしたあの腐れ外道騎士。
脱走した奴隷。
いつかの招集で、魔法使い同士の密会をしていたゲルフ。
それに、魔法の修行の中で、ゲルフはいつも仮想の敵として『騎士』を使っていた――
ゲルフは、騎士による支配を、これっぽっちも認めてはいなかった。
それどころか、優秀な魔法使いとしての信頼を獲得しながら、その牙を研ぎ続けてきた。
半年前。
僕はゲルフからこの事実を聞き出し、『軍団』に協力することを決めていた。
同時に僕は従騎士となることを決めた。
そう。
つまるところ、僕はスパイだ。
僕は革命を企図する地下勢力の密偵として、騎士団に潜り込む。
「ゆこう、タカハ」
ゲルフに続いて、ヴィヴィさんの家の扉をくぐる。
外から見ているだけでは分からなかった熱気が、小さな家の中に押し込められ、渦巻いている。たくさんの魔法使いたちの気配。彼らはゲルフを――『軍団』の盟主である、暁の大魔法使いの到着を待っていたのだ。
その日、僕はたくさんの魔法使いたちと言葉を交わした。
騎士団の支配に不満を持つ魔法使いたちが無数にいること。必要以上の徴税が生活を苦しめていること。貴族や騎士団だけに許された特権の存在。そこに取り入り、癒着することで自分の立ち位置を向上させつつある市民たちの存在――――
ムーンホーク領にあるのは特権階級による支配だった。
一方的な関係だ。
僕の目から見れば、そう見える。
「計画は、数年の内に動き出す。そのとき、騎士となったお前の力が必要となるじゃろう」
密会の最後にゲルフはそう言った。
ゲルフだけでなく、ヴィヴィさんも、その他の全員が、僕をじっと見ていた。




