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算数で読み解く異世界魔法!  作者: 扇屋悠
騎士団編・第1部
31/164

第30話:13歳の僕は故郷の村を旅立つ。




 ゲルフとともに領都へ旅立つ日があっという間にやってきた。


 数枚のティーガと羊皮紙を編んだ魔法書、わずかな保存食とナイフを収めた背負い袋を背負い、この日のためにソフィばあちゃんが仕立ててくれたコートを僕は身にまとう。村長兼狩猟団長のガーツさんに挨拶を終え、僕はピータ村の門に立った。


 ピータ村は朝もやの中にある。そのせいで、どこか神秘的だ。思い出をこの景色のどこにでも見つけることが出来た。水汲みで往復した砂利道、プロパと木登りの競争をした広場の木、騎士が馬に乗って現れた広場、ゲルフとともに帰ってきたこの門――――


「……やってられないね」


 ばあちゃんの口調を真似て言ってみると、鼻の奥がつんとした。


 前世で一人暮らしを始めたときもそうだったけれど、僕は旅立ちというものが苦手だ。行くことが不安というよりも、それまでの場所との別れが辛い、と僕は感じる。こじんまりした人間なんです。ええ。


「……あ。私、見てないからー」


 それは相変わらずの、冗談なのか本気なのか分からない声だった。


「マルム、おはよう」


 僕は鼻の下をこすって、まばたきを数回してから、顔をそちらに向けた。


「……みっともないとこ見られちゃったな」


 マルムにとって、朝の早いこの時間はやや辛いらしい。いつもよりさらに眠そうに見える。茶色のボブカットみたいに見える髪型も、同じ色の耳も、どこか元気がなさそうだ。


 ――――と、油断していたせいか僕の反応は遅れた。

 す、と足音もたてず、マルムが僕の至近距離に接近したのだ。


「へ?」


 吸血鬼が不幸な村人から血をすするときのように、マルムの顔は僕の首筋近くにある。「すんすん」と声を出して――マルムは僕の匂いを嗅いだ。


「ちょ、な、なにしてるんだよ!」

「驚いたー」

「え?」

「本当に、ラフィアにー……手を出していないんだねー?」


 手を出す……って。


「出すわけない!」

「旅立ちの夜ー。燃え上がる2人ー……」

「ニヤニヤしながら意味深なこと言うなよ!」

「タカハの精神力を、見くびっていたかもー」

「そもそも疑ったのはそっちだからな!」


 ぜえぜえと僕は荒い息をつく。「これだから思春期の猫は」


「タカハ――また、会えるよね?」

「なに言ってるのさ。また会えるに決まって――――」


 その一瞬は映画のフィルムのように分断されていた。

 マルムの顔が近づいて、き――て――――


 右の頬の端っこのあたりに。

 熱のようで電撃のような感覚が走った。


「――――」


 間違いない。

 右の頬に、マルムの唇が触れた。

 マルムはそういうつもりで僕に顔を近づけて、目標を達成した。


 僕の全身の筋肉は1つ残らず硬直していた。


「……姉さまにはー……内緒だよー……?」


 耳元でささやかれた少女の声。

 耳介を揺さぶる吐息。

 ぞくりと甘い痺れが背中を上ってくる。

 透き通った茶色の大きな瞳と、小悪魔の微笑が至近距離に。


「……えっと」


 ここまで純粋な好意を向けられているのに、すぐに言葉を返すことができなかった。

 だって、僕たちは家族だ。義理の、だとしても、僕はマルムを家族として大切にしてきた

 そして、何より少しだけ引っかかっているのは、マルムが精神的に弱っていたことだ。弱っていた少女の心の隙間に僕が偶然に入りこんでしまっただけで――――


「お守り、なんだー」


「…………え?」


「父さんが死んじゃった日は……お守り、しなかったからー」


 …………。

 ……つまりこれはあれですか。

 家族的な。家族のお別れ的なあれですか。

 僕の勘違い乙ということですか。


 埋まりたい。

 土になりたい。


 いや、言葉にしなかっただけまだマシだったと思うことにしよう。


 純粋に家族の無事を祈るという想いからの行動だった――そう思えば、僕の右の頬に残るこの感触は、本当にお守りのような気がしてくる。


「というのは――――」


 マルムが何かを言いかけた。

 その瞬間だった。


「タカハー!」


 声。

 別の、少女の声だった。


 朝もやの中から、大きく手を振りながら近づいてくるシルエットが見える。もこもこの防寒着を着たその人影の輪郭がクリアになってくる。ラフィアだった。


 ラフィアは僕の目の前に、包んだばかりの布袋を差し出してきた。


「はい。今日の昼ご飯と夕ご飯」

「おお! この匂いは!」

「そう、タカハの大好きなお餅だよ。お昼に食べてね。夕方の分は火を通すだけで食べられるようにしてるから」

「しばらくはラフィアの料理ともお別れか。辛いな」

「帰ってくるときはすごい料理を作るから! ね? マルム」

「うん。楽しみにしててー」

「あ。そうだタカハ、薬草は足りてるの? 羊皮紙は? 羽ペンの予備は?」

「え? 大丈夫だよ。今朝も確認したから」

「朝ご飯、もうちょっと食べてきた方がいいんじゃない? 今から何か持ってこようか?」

「だ、大丈夫だってば……!」


 僕とラフィアは互いに顔を見合わせて、どちらからともなく笑う。


「疲れたら、いつでも帰ってきて」

「うん」

「疲れてなくても、たまには帰ってきてね」

「分かった」


「――――そろっておるな」


 朝もやの向こうから、黒いローブに黒とんがり帽子の老魔法使いと、全身が真っ白なティーガに身を包んだ老魔女がゆっくりと姿を見せた。


「では、ソフィ、2人を頼む」

「はいよ。任せておきな」


 たぶん、言葉なんて要らないレベルで通じ合っているゲルフとソフィばあちゃんは、そんな感じの会話だけで終了した。


 老魔法使いがゆっくりと僕に顔を向ける。


「ゆくぞ、タカハ」


 たぶん僕も、ソフィばあちゃんと同じ程度には、ゲルフと通じ合っている。


 僕たちは並んでピータ村の門をくぐった。

 細い道が蛇行をしながら、森の中に吸い込まれていく。


「――――タカハ!」


 13年間、ずっと隣で聞いていた声が、背中から聞こえた。ラフィアとマルムがずいぶんと遠くなったピータ村の門の下で、大きく手を振っていた。


「気をつけてね! 頑張ってね!」

「行ってらっしゃい!」


 僕も叫んだ。「ラフィアも、マルムも、元気で!」


 ――――それが、13歳の秋口。


 僕ははじめて、ほんとうの意味で、ピータ村を出た。




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