第27話:月明かりの下、僕は老魔法使いと契約する。
2つの月明かりがゲルフの驚いた顔をくっきりと浮かび上がらせた。
「…………まったく」
たっぷり数秒は硬直した老魔法使いがため息交じりに言う。
「お前が身内であったことを喜べばいいのやら、恐れればいいのやら……」
ゲルフ、痩せたな……と、関係のないことを僕は思う。
僕の計算が正しければ……ゲルフはもうすぐ64歳になる。今でも現役バリバリで狩猟団に顔を出しているし、子どもたちに魔法の教えを授けたりしているけれど、平均寿命が50歳程度のこの世界では、かなりの年長者だ。
「良かったんじゃない? 少なくとも敵にはならないんだから」
「その傲慢さはだれに似たのじゃ」
ゲルフに似たんだと思うよ、とは言わなかった。
そのゲルフが先に口を開いた。
「なぜ、分かった?」
「…………状況証拠はいくつか持ってた。そこから予測できる1番可能性の高い結論がそれだったんだ」
「ふむ」
「そして、もし僕のこの仮説が正しければ――僕はゲルフに大きな借りがあることになる」
「わしがお前の回路を編み直したことか?」
「ゲルフが、自分の魔法を犠牲にして、ね。……だって、そうでしょ? ゲルフがしようとしていることは、魔法がなかったら、どうしようもできないことじゃないか」
「……わしは――――」
「だから、僕もそれに手を貸すよ」
ゲルフの小さな黒い瞳が、まるでなにかを確かめるように僕に向けられている。
「名前はあるの?」
「……さまざまじゃな。『反同盟』『防衛協会』『連合』……。じゃが、多くの者には『軍団』と呼ばれておる。『夜明けの軍団』じゃ」
連想したのはゲルフの二つ名だった。暁の大魔法使い。暁とは、夜が朝に移り変わる時間の、さらに少し前の時間のことだ。火属性と空属性の優れた使い手であるゲルフに贈る称号としてこれ以上はない。
「それはゲルフがリーダーだから?」
「まあ……そういうことになる。ソフィのやつが言い出したのじゃ」
「ばあちゃんも?」
「いや、ソフィはもう抜けておるよ。いろいろとあってな」
ゲルフはゆっくりと数回、首を横に振った。
「1つだけ問う。――『手を貸す』というのは『借りがある』ことが理由なのか?」
「……」
「だとするなら、父親代わりとして、わしは止めよう。あのときも、そして今も、わしはお前の魔法の師じゃった。戦場に連れ出す以上、お前の回路を守るのは当然のこと。そこに貸し借りなどそもそも成立せぬ」
「……それは理由の全部じゃない」
「では、真の理由はなんじゃ?」
これから僕が加担しようとしていることは――壮大だ。夢物語と言われたらそれまでで、『借りがある』という理由だけで始めるには大きすぎるくらいに。だから、僕のいちばんの理由はそれじゃない。
魔法を始めて唱えたあの日から僕の心は1つだ。
――あの日、僕の目の前で涙を流した少女がいた。
――この世界の理不尽に打ちのめされ、うち捨てられた少女が。
「だってそれは――ラフィアのためになる」
「――――な」
ゲルフの表情が蝋人形のように固まった。
1秒。
2秒。
3秒。
「……………………くっ」
まるで、蝋人形の中から本物のゲルフが飛び出してくるのを見ているかのように。
ゲルフは表情を砕いて、笑った。
「あっははははは――ッ!」
膝を打ち、老魔法使いは2つの月に届きそうな大声で笑う。……そんなにおかしなことを言っただろうか。居心地が悪くなった僕は頬をかく。
しばらく笑い続けたゲルフはごほごほと咳払いをした後、真顔に戻した。
「負けたよ。負け負け。完敗じゃ。こうなればもう構うものか。……正直に言おう」
僕は息を呑んだ。
ゲルフがくたびれた黒いとんがり帽子を脱いで、右手を差し出してきたからだ。
黒い小さな瞳とまっすぐに視線を合わせる。
「――――タカハ、どうか手を貸してほしい。
我らには、信頼できる優秀な魔法使いが1人でも多く必要じゃ」
目の前に差し出された節くれだった右手を僕は呆然と見る。13年前、赤ん坊になった僕を拾い上げてくれた手が、今、目の前にある。
それは対等な存在としてゲルフが僕を認めたということの証左に他ならない。
首筋の毛が逆立つような、肌が熱くなるようなその感覚は、緊張と興奮が半分。
僕はなにも言わずにその手をとった。口を開けば、いつものように減らず口を叩いてしまいそうだったのだ。節くれ立ったゲルフの右手が確かな熱と力で、握り返してきた。
「その決意に、わしは深く感謝する。……そして同時に確信もしておる。お前こそが我ら『夜明けの軍団』の切り札となるということをな」
ゲルフは大量の敵兵に囲まれた歴戦の戦士のように不敵な笑みを浮かべた。
「魔法の才ももちろんじゃが、それだけではない」
「……どういうこと?」
「お前は若い。13歳になったばかりじゃ」
……ああ。
そういうことか。
「タカハ、お前は――――騎士になりなさい」




