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第22話:「それを言わせるのか?」と老魔法使いはかすかに笑む。




 家までの道を全速力で僕は戻った。眠り続けていた身体は弱っているけれど、心臓が張り裂けるほどに僕は走る。雨が頭を冷ましてくれる。


 家のドアを開けた。


「ゲルフ!」


 返事はない。1階に人影がない。靴を脱ぎ捨て、僕は2階に駆け上がった。そこにもゲルフはいなかった。


 いや。

 部屋の中央に、羊皮紙が置いてある。


『しばし、家を空ける。 ――ゲルフ』


「…………また!」


 僕は、靴を履き、ふたたび雨のピータ村へ飛び出した。


 広場へ続く道を僕は一気に駆け下りる。広場には人だかりが出来ていた。人だかりの中心には銀色の鎧の騎士が2人、そして――ゲルフが居た。騎士はゲルフと言葉を交わし、馬にまたがる。ゲルフが空いているもう1頭に乗り、ピータ村に背を向ける。


「タカハじゃないか」「タカハ……!」と村人たちが声をかけてくるが、僕はそのすべてを無視して走った。ぐちゃぐちゃの広場と人だかりを突っ切り、叫ぶ。


「ゲルフッ!!」


 黒衣の魔法使いが馬の足を止めさせた。ゲルフはゆっくりと振り返る。


「タカハか? そんな大声を出して……。どうした?」


 しゃがれた声は聞きなれたトーンで。

 そのせいで僕の動揺が浮き彫りになるみたいだった。


「……ど、どこへ行くのさ?」

「招集じゃ。騎士団長直々の指名でな」

「ぼ、僕も行く! 僕は従者だ!」


 ゲルフは黒く小さな瞳でしばらく僕を見た。

 肩をすくめ、先へ行く2人の騎士へ視線を送る。


「よろしいですかな?」

「むろん、構わぬが……」と騎士は言った。

「乗りなさい」


 ゲルフが手を差し出してくる。大きくてがっしりとした手をつかみ、僕はゲルフの後ろに座った。


「まったく……ろくな服も用意せずに……」


 ゲルフは苦笑して、鞍にくくりつけた黒い予備のローブを僕の身体にかけた。


 数時間、僕とゲルフは馬上で揺られた。言葉はなかった。

 雨はやまず、体力を容赦なく奪っていく。

 僕は何度も睡魔に襲われたけれど、ゲルフの大きな背中が山みたいに僕を支えていた。



――



「――――『暁』。道は分かるな?」と騎士が言った。


「もちろんです」

「……逃げれば、分かっているな?」

「そちらも、もちろん」

「魔法を失ったなど、妙な戯言ざれごとを団長の前で言うなよ。全軍の士気にも関わる」


 騎士は冷たく言い捨てて、二又の道を僕たちと別れた。ゲルフはその背をしばらく見送り、手綱を引いて、騎士とは反対の道へ馬を向けた。

 僕は、呆然としていた。


「ゲルフ……?」

「全く、これだから騎士は嫌われるのじゃ。少しは人の話を聞けばよいものを……」


 ゲルフは、今回も魔法使いとして・・・・・・・招集されているのだ。


「そんな! 無理だよ! 行っちゃダメだ!」

「……なぜ?」

「だって! ゲルフはもう魔法が……」


「…………ソフィがしゃべったか」


 ゲルフは深くて長いため息を吐き出した。


「案ずるな。そうやすやすと死ぬつもりはない。そもそも、戦いではわし個人の力など小さなもの。それよりも、『暁の大魔法使い』という二つ名の方がよっぽど大きい。その名に従ってくれる魔法使いたちを束ね、その力を限界まで引き出すことが出来るからな」


 ここで僕が何を言おうと、ゲルフは行かなければならない。

 それはゲルフが奴隷だからだ。

 騎士の招集は絶対だからだ。


「……もう少し進む。野営に適した場所があるのじゃ」


 ゲルフは目を細めて空を見た。


「夜には雨も止みそうじゃな」



――



「……リリムのことは、気にするな」

「でも……ッ!」

「奇襲されたことがすべての原因じゃ。それを許した騎士団の作戦と、そして、わしに非がある」

「僕だけだったんだ! 僕だけが、リリムさんを助けられた!」

「それはお前がまだ魔法を唱えて1年も経っておらぬ新米だからじゃ。……これを飲みなさい」


 ゲルフがたき火で沸かした湯でお茶を淹れてくれた。イーリの香りがふわりと辺りに広がる。


 たき火、イーリの紅茶、粗末なテント、そして、黒衣の老魔法使い――何度も繰り返した、修行の日々と同じ光景だった。なのに、今日はなぜが全く違う雰囲気に感じられた。言いたいことは持っているはずなのに、言葉を見つけられなかった。


 ゲルフは木製のカップを覗きこみながら、言葉を続ける。


「お前は、お前の大切なもののために魔法を使える。先の戦いでそれを確信した。単なる『水の8番リリーフ』の連続詠唱でありながら、お前の魔法は転移座で帰還するまであの状態のリリムの命を長らえさせた。……素晴らしい魔法じゃった」


 ……初めてだった。魔法のことでゲルフが僕を褒めるのは。

 僕は戸惑う。なぜ今、僕を褒めるのだろう、と思う。


 老魔法使いはカップを手に持ったまま、晴れ上がった星空を見上げた。


「……お前に魔法の才があると確信したのは1歳くらいのころか。覚えておらぬじゃろうが、あの頃、わしのもとには優秀な妖精種エルフの魔女が魔法を教わりに来ていた」


 名前は、メルチータさん。


「その頃から、お前は単なる子どもではなかった。意志が強く、思考に優れ、理解を苦にしない。そして何より、すべての属性の精霊言語の発音を操ることができた。それは『精霊に愛されし者』と言っても過言ではないほどの祝福じゃ」


 ゲルフはゆっくりとカップのふちをなぞる。


「メルチータはお前に幼いころから魔法を授けることを最後まで勧めていた。しかし、わしの考えは違った。選ばれることは、呪われることの裏返しじゃ。無自覚な力は必ず人生を翻弄する。正しく歩む者の歩みを歪める力がある――」

「……よく、分からないよ」

「そうか」


 肩をすくめたゲルフは、いつかこんな話をした、と明るい口調で言った。


「幼いころから魔法を使い、その力で母を焼き払ってしまった魔法使いの話じゃ。覚えているか」

「……うん」


 魔法の教えが始まったあのとき。

 ゲルフが僕たちに語った、幼い子どもに魔法を与えない理由。


「なんのことはない。――それはわしのことじゃ」

「――あ」

「幼い頃より、わしは精霊言語の暗記が得意じゃった。発音もすぐに出来るようになった。母は優しい人でな、せがんだことには全て応えてくれた。掟を破ってまでわしに魔法を教えてくれたのは母じゃった」


 老魔法使いは見たこともないような弱々しい表情を作った。


「有頂天になったわしは、母の静止を振り切って、魔法を唱えた。『火の4番』。それはそれは美しい魔法じゃったよ。じゃが、わしの制御を離れたその炎は――母の両目から光を奪った」


 ゲルフは魂のような吐息を一つ吐き出す。


「……なんでゲルフは、僕の回路パスを直してくれたの?」

「それを言わせるのか?」


 かすかに微笑んだゲルフは、笑顔を見られたことが恥ずかしかったのか、僕の頭を強く撫でた。力ばかり強い、不器用な手つきだった。


「魔法を深めよ。そうすれば――お前はこの国の歪みをもっとよく見ることができるかもしれない」


「……歪み」


 僕の脳裏を、いくつかの記憶がちらつく。


 ゲルフが僕とラフィアの戸籍を認めさせるために手渡した酒瓶。

 ラフィアを誘拐しようとしたあの男。

 脱走奴隷。

 いつかの招集で、魔法奴隷同士の密会をしていたゲルフ。


「――――騎士様のこと?」


 ゲルフは一瞬、視線を外した。

 ためらうように。

 あるいは、覚悟を決めるように。


 かつてゲルフは言った。ソフィばあちゃんも言った。

 『騎士に逆らってはいけない』と。


 だが――それはゲルフの本心ではなかった。

 再び僕をとらえたゲルフの瞳にたき火が映り込んで、燃えている。


「騎士、騎士団、貴族、王族――我らの上に立つ者、すべてじゃ。すべてが歪んでいる。もはや、この体制は限界といえよう。騎士団も王族も腐敗が進み、魔法使いたちには不満が募っている。それだけではない。国境を接しておる『鉄器の国』と『火炎の国』の国力は近年ますます強大となっておる。魔法使いたちがこのままであれば、攻め落とされるのも時間の問題かもしれぬ」


 この話をもっと続けたかった。


「もしかして、ゲルフは――――……あ、れ……?」


 だが、その瞬間。

 荒れ狂う獣のような眠気・・が僕を襲った。


 重すぎるシャッターのように、まぶたが落ちてくる。ぼやけた視界に映るゲルフは今まで見たことがないくらいに穏やかな表情をしていた。

 なんで、そんな顔をしてるんだよ。

 そう問いかけたいのに、僕の喉は意味不明なうなり声を発するだけだ。


「タカハ、右の食料箱の1番底を探りなさい。各地の有力な魔法使いたちへの推薦状をしたためておいた。メルチータと同じ制度を使うことで、彼らに魔法を習うことができる」


 ゲルフは……。

 何を、言ってる……?


「もしものときは、その者たちに学べ。わしの授けた魔法を超えることができるはずじゃ。……そして……頼んだぞ……」


 ダメだ……。

 僕は自分のまぶたを制御できない。


「……ラフィア……を――――」



――



 小鳥のさえずりで僕は目を覚ました。

 木組みに布をかけただけの質素なテントの天井が見える。


 僕は、どうして――――


 乾いた大地が水を吸い込むように、僕の脳は急速に覚醒していった。


「――――ゲルフ!」


 僕はテントから転がり出る。

 たき火の跡が朝日に照らされている。馬は枯れた木の根元につながれたままだ。


 ゲルフの姿はどこにもない。


 ゲルフとの生存術の訓練の中で、僕は深い睡眠の中でも周囲の気配をうかがうことができるようになっていた。ゲルフがテントから出たことに僕が気付かなかったはずはない。それよりも妙なのは眠る前の記憶がないことだ。昨夜はゲルフと会話をして、そして――――


 僕はある可能性に思い至った。

 たき火の中央、昨日、湯を沸かしていた鉄製の容器のふたを開ける。


「…………なんで……」


 そこには、白い花びらが浮かんでいた。

 イーリの花。

 花びらだけ睡眠作用を有する、美しい花。


 ゲルフは最初からそれを飲ませるつもりだったのだ。


 僕を連れていかないために。


「…………なんでだよッ!!」


 いつもそうだ!

 大事なことは、なにも言わない……!


 厳しい戦いだって気付いていて、だから僕を連れて行かない。子どもだから、僕を連れて行かない。子どもの僕のために回路パスを犠牲にして、子どもの僕のためにわざと厳しく当たってきて…………そんなの、勝手だ。

 振り回されるこっちの身になってみろ。

 僕の気持ちを、少しだって想像してみろよ……ッ!


「……………………なら」


 そっちがそのつもりなら。

 その目論見を打ち破ってやる。


 僕が。

 ゲルフを。

 助けに行くんだ・・・・・・・


 僕はものすごいスピードで撤収作業を実施した。テントを畳み、木組みを鞍にくくりつけ、たき火の跡を自然の中に隠した。ものの数分もかからなかった。僕は馬に飛び乗って――そこで途方に暮れた。僕はゲルフの行き先を知らない。昨日の僕はそれを聞くこともしなかった。


 恐らくムーンホーク領都へ向かったはず。

 けれど、僕はその道に自信を持てない。


「くそっ!」


 自分の太ももを強く叩く。馬がいなないて、その衝撃に文句をつけてくる。


 …………ピータ村に戻るしかない。


 胸を焦がされるような思いで、僕は馬の鼻先をピータ村へ向けた。




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