第21話:「もう、魔法を使えない?」と僕は呟いた。
マルムの家の中は時間が止まっているみたいだった。
お兄さんが数年前に都へ出てから、マルムはリリムさんと2人暮らしだったらしい。整理整頓されたキッチンはマルムの仕事場だったのだろう。狩りに出るリリムさんをマルムはそこから見送っていたに違いない。
マルムは泣き疲れて眠っていた。
ラフィアがそばについてくれている。
「話、って……?」
僕はソフィばあちゃんと向き合っていた。
「そう、だね……」
ソフィばあちゃんは言葉に迷っている様子だった。頭が良くて、歯切れのいいばあちゃんらしくない。ばあちゃんはいつもニコニコとして優しげだけど、本当は得意の稲妻の魔法のような性格なのだ。僕は知っていた。
「ゲルフは……」とばあちゃんは切り出した。「精霊様に『召される』という話はしたかい?」
僕は記憶の森をさらった。首を横に振る。「『召される』?」
「そうかい。じゃあ、その話からしよう」
ばあちゃんは丸太を切った椅子に僕を座らせると、自分もその向かいに座った。窓の外はしとしとと雨が降り続いている。
「魔法は便利な力だろう?」
「うん」
本当に、そう思う。あれほどの力を言葉だけで引き出せるのだから。
「でも、そんな魔法にも当然、限界があるんだ。それが『召される』ってことだよ」
「えっと……死んじゃうの?」
「いいや。精霊様は命まではとらない。……魔法には何が必要だと思う?」
「呪文と……マナ?」
「それに、魔法使いの体だ。呪文は精霊様への願い。そして、マナは力のかたまり。マナは人間の身には受けとめきれないものすごい量の力で、魔法使いは、それを自分の体を通して精霊様に納めている。
だから――短い時間にマナを通しすぎると、精霊様への回路が途切れてしまって、魔法を使えなくなるんだよ。それが『召される』ってことだ。『焼きつく』のひどい状態だね。回路が0になって、魔法使いとして死んでしまうのさ」
魔法の、オーバーロード。
電流を通しすぎた回路は焼きついてしまう。
それを繰り返せば――いつか断線するのは道理。
僕は唾を飲み込んだ。
「……この前の招集で僕は『水の8番』の呪文を――」
「数えきれないほど唱えていた。回路は使えば使うだけ太くなるが、今のタカハにとっては膨大なマナだったんだよ」
あのときの詠唱の対価は10だった。僕はそれを連続で詠唱し続けた。
僕の17秒あたりの回路は83マナ。かなり早口だったから、その限界を超えて僕は詠唱し続けてしまったのかもしれない。
精霊様の声みたいなのも聞こえたし……。
どくり、どくり、と心臓がペースを上げる。
僕はばあちゃんの歯切れの悪さの意味を推測した。
「……ッ」
結論は1つしかなさそうだった。
「僕はもう『召され』て、魔法を使えない?」
「本当ならね」
「…………え?」
「マナは視えるだろう?」
集中する。
ぼわんという光のような粒を知覚できる。
つまり、マナは視える。
「マナが分かるならば、精霊様への道は途切れていないよ」
…………待って。
じゃあ、ばあちゃんは何を言いたいんだ?
「1度ほつれて、破れてしまった『道』を編みなおす。基本4属性はそんなことできないからね。上位2属性の組み合わせの魔法だったよ。膨大なマナを精密に制御して、呪文の詠唱だって1日中は続くくらい長かった。そんな芸当が出来るのはきっと、『魔法の国』に数えるほどしか居ない」
まさか。
「…………ゲルフ、が?」
ばあちゃんはゆっくりと頷いた。
呼吸が浅くなる。
「2日間、ゲルフは僕を助けるために、詠唱し続けた?」
「ああ」
回路が『焼きつく』感覚は、『胸に焼きごてを突っ込まれるような感覚』と教えられる。痛覚と熱感を合わせたようなその感覚は、常人であればのたうち回るほどなのだという。
――ゲルフはそれでも魔法を唱え続けた。
自分の回路が削り切られる、その最後まで。
「じゃ、じゃあ、ゲルフは――――」
「『召され』ちまったみたいだね」
ゲルフの回路は成人の平均をはるかに上回る太さだ。いったい、何度『焼きつき』を起こせば、自分の回路を削りきることができるのだろう――?
それに――その瞬間の苦痛だけじゃない。
暁の大魔法使い。
ピータ村の至宝。
ゲルフは、もう、魔法を使えないのだ。
僕の回路を救うために…………ゲルフは魔法を失った。
「…………なんで」
それ以外の言葉が見つけられなかった。僕には、僕の回路を編みなおすと決めた老魔法使いの表情すら、想像できなかった。
だって……僕のことが嫌いなんじゃなかったのか。
「これは、私の勝手だ。きっと知っておいたほうがタカハのためだと思ってね」
「僕は、どうすれば……?」
「どうもしなくていいさ」
呆然と顔を上げる。
ソフィばあちゃんはニコニコと笑っていた。
「若い者の回路を救ったんだ。最高の使い道じゃないか。どうせ5年もしないうちに本当に召されちまうんだから、気にしなくていいよ」
「僕、ゲルフのところへ行くよ……ッ!」
「ああ」
マルムの家の扉に手をかける。
「タカハ」とばあちゃんが言った。
「なに?」
「少し、腹を割って話しておいで。……言いたいことは、もう持ってるだろう?」
「うん!」
僕はばあちゃんに頷き返し、雨が降りしきるピータ村に飛び出した。




