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第1話:人間は誰でも数字を持っている、と僕は思う。




 僕の目の前には電卓があった。


 黒の本体に白いキー……だったはずのそれには、店長の使い込んだあとがしっかりと刻まれている。0と+のキーの印字はかすれて、=は完全に消えていた。


 1のキーを押してみる。電卓の画面がまばたきをして、すぐに数字が浮かび上がった。すごい技術だと素直に感心する。けれどこのご時世、スマートフォンにだっておまけみたいに電卓機能がついてる。相棒よ、お前も生きづらい時代か。


 ……とまあ、こんな感じで、個人経営のコンビニのレジに突っ伏し、物言わぬ電卓に同情するダメなアルバイトが、僕。


 お客さんは今のところ1人だ。

 窓際のコーナーで、普通の見た目の女子高校生が雑誌を読んでいる。常連ではないし、むしろ見たことのない子だ。当店のトイレで休憩を挟むほどの本気ぶりには少し呆れる。けれど、まあ、邪魔になっているわけでもない。声をかけるのはやめておこう。


 僕の注意は電卓に戻る。


 さらに7のキーを押す。

 17。

 意味のない数字だった。

 それと同じくらい関係のない考えが泡みたいに浮かんでくる。


 ――――人間は誰でも数字を持っている、と僕は思う。


 その人を表現する、たくさんの数字。

 つまりロールプレイングゲームのステータスやスキルポイントと一緒だ。この分野で、あなたは4点です。でも、そこの彼は9点です。そういうのが、決まっている。


 例えば、僕自身を分析してみよう。

 10点満点で、5点を平均とする。


 見た目や雰囲気から導き出される僕の人間的な『魅力』は10点満点で言うなら3点くらい。『体力』――ちょっと背伸びして、4点。常に平均点を外さないこの頭脳が持つ『知力』は5点。


 以上より僕の持っている数字は平均して4点、だ。

 実に平凡と言えるだろう。


 でも、僕はそれでいい。

 ていうか、目立たないこの能力値がそこそこ気に入っている。

 ドラマを演じるのは決まってどこかのパラメータに10点を持っている人だ。生まれついて容姿がいいとか、たとえ才能がなくても凄まじい努力家だとか、天才的な数学者だとか、そういう人が世界を動かしてきたし、これから先もずっとそう。

 平均して4点の自分に満足している僕はそこに出演するチケットを持ってない。けれど、観客になることはできる。僕は思うんだ。そういうドラマは遠くから見ているから楽しいんじゃないかな、って――――


「……高橋くん、ちょっと」


 ささやき声が聞こえて、僕は考えを中断させた。

 振り返る。

 バックヤードの方で、店長帽をかぶった中澤さんがちょいちょいっと手招きしていた。


 店長の中澤さんは僕のおじいちゃんくらいの歳だ。目は細く、しわも多いけれど、笑顔にはなぜか他人を引きつける魅力がある。『魅力』には7、いや、8点をつけてもいいかもしれない。本当に不思議な雰囲気をまとった御仁だった。

 全国チェーンのコンビニが近所に進出してきたにも関わらず、さまざま企画を打ちだし、ぼろっちい個人経営の店舗で黒字をキープしている『知力』も高めな人だったりする。

 ただし、完ぺきな人なんてそうそう居ないわけで、中澤さんにもこの歳にしてはかなりの女好きという弱点があった。


 そういえば、中澤さん、どうしてささやき声だったのだろう。

 自分の城で、店長がささやく理由――


 答えは1つしかなさそうだ。


 ただ1人のお客さん、つまり、あの女子高生に聞かせたくない話なのだ。

 となれば、万引きなんかを連想してふつうのアルバイトは身構えるところだけど。


「……」


 こと中澤さんに限ってそれはない。

 どうせしょーもない・・・・・・話に決まっているのだ。おおかた、『心眼』を使ってあの子のスリーサイズを測定でもしたんだろう。それは中澤さんの得意技の1つで、驚くべき精度をほこる。


「高橋くん、これは忠告だけどね」中澤さんは真剣な表情と口調で言った。「あの女子高生に手を出すのはやめておきなさい」

「えっと……どこからツッコミを入れればいいでしょうか」

「高橋くん……」中澤さんは顔をしかめた。

「は、はい」

「怒るよ?」

「えっと……?」

「私は真剣に、あの子と関わるのはやめておきなさい、と言ったんだ。つっこむなど――」

「下ネタですか……」


 中澤さんがニンマリと笑って、僕はため息をつく。


「あのですね、僕はあの子に興味なんてこれっぽっちもありません。何度も言っていますが、バイト中にそういうことを考えたことはないですから」

「ならいいんだ。高橋くんの鑑定眼のとおり、あの子は前髪を上げれば相当な美人だが……うん。関わるのはやめておきなさい」

「はあ……」


 あいまいな返事をして、レジに戻った。そんなにかわいい子だったか……? 僕は女子高生をなにげない仕草で観察する。


 ほう、と思わず感動のため息が漏れた。


 制服のサイズが合っていないのだろうか、そのせいで分かりづらいけど、たしかに背も高いし、すらっとしていてモデル体型だ。しかも、長い前髪に隠された目は大きくて可愛らしい感じ。『印象』がやや暗いのを補うように、『容姿』がかなり優れている。総合的な『魅力』は9点を超えるかもしれない。さすが中澤さん。


 ――――ん?


 僕の中に違和感が芽生えたのはようやくだった。


 中澤さんが、女の子に絡むことでストップをかけたのは今回が初めてだった。


 口を開けば「あのお姉さんと世間話をしろ」だの「おつりを渡すときにこっそり手を添えてみろ」だの、このご時世あまりよくない指令を乱発するのが中澤さんだ。その中澤さんが『関わるのはやめておきなさい』……だって?


 僕はもう一度、女子高生を盗み見た。

 ぱらりとページが繰られる。

 普通の女性誌の、普通の1ページ。


 ……中澤さんの関係者かなにかだろうな、と適当に考えて、僕はそのことを忘れた。

 自動ドアに影が差していたからだ。


 チャイムのような音が店内に響く。


「いらっしゃいませ~」と僕はセンサーみたいに言う。


 そこで僕の表情は凍りついた。


 ご来店されたお兄さんの全体の印象は、なんだろう……楽園、とか、パラダイスみたいな感じだ。服の生地と髪の色はどぎつい明るさで、ベルトは想像を絶する低さにある。耳には、まるで呪いを刻まれているかのように、恐ろしい数の銀色のピアス。最大射程5メートルの香水攻撃が僕を襲う。


 こんな人、イマドキいるんだなあ、と僕は逆に感心してしまった。


 その瞬間、視界の隅で女子高生の肩がわずかに揺れた。……苛烈な香水攻撃のせいか。たぶんそうだろう。その匂いに懲りたら、そろそろ何か買って帰ろうよ。ね?


 ――チャイムのような音が再び響いた。

 お客さんが続くときはこういう風に続く。


「いらっしゃい――」


 ――ませ、と言い切れたかどうか。

 僕には自信がない。

 僕は入店してきた2人組の――カップルの客に意識を完全に奪い取られていた。


「お」


 男が僕に気付く。 

 男はメガネをかけ、少し明るい髪の色をしていて、全身に絶妙なオシャレのちりばめられた服装をしていた。顔は印象が薄い感じだけれど、なぜかカッコいい雰囲気があって、……しかも会話が抜群に上手い。


 僕はこいつを知っていた。


 男は淡々とした口調と視線を僕に向ける。


「1年ぶりだな、高橋」


「……鈴木」


 そして、僕は鈴木の隣に立つ彼女を見た。


 1年。

 たった1年なのに――。


 彼女は、記憶の中の姿よりもさらに綺麗になっていた。


「…………佐藤さん」


 わざと苗字で呼んだ僕の声の冷たさに、彼女の小さな肩が震える。


 そんな仕草をしてもなお、彼女の『魅力』がかげることはない。伏せられた長いまつげも、大きな黒い瞳も、白い頬も桜色の唇も、「この子は神様がひいきしてるんだ」と言われれば「ああなるほど、神様にひいきされているんですね」と納得してしまうくらいに整っている。そんな容姿を、どこか消え入るようなはかなげな雰囲気が補強していた。


 まとめると、佐藤さんは超絶美少女だ。10点満点の容姿を持つ、ドラマの主役を張れる女の子。

 ちなみに僕の幼なじみ。

 ……まあ、いろいろあって、現在に至る。


「大学が休みだから帰ってきたんだ」と鈴木が言った。


 ため息をつきそうになる。

 マジで、興味ない。


 僕は精一杯、バイトの声で応えた。


「本日のナカザワショッパーズのおすすめは、『お好み焼きソース風栄養ドリンク』です。なんと税込み100円ちょうど。一般的な栄養ドリンクよりかなりリーズナブルにお求めいただけます。テスト前の追い込みにぜひ!」


 僕のおどけた口調に、くすり、と佐藤さんが笑った。それはとてもまぶしい笑顔に見えた。結局男って単純だと思うのはこういう瞬間。


「……行こうよ」


 佐藤さんのほうに手を伸ばした鈴木は、やや乱暴にその手を引いた。


「店員さ~ん、そのドリンク、どこで売ってんの~?」


 ちょっぴり頭の悪そうなお兄さんが店内の対角線から大声で言う。


「右手前の栄養ドリンクコーナーにございます」

「うはっ。すげー! ホントに『お好み焼き味』って書いてあんのか! しかも100円って安いな!」

「当店は全品、税込み価格表示となっております」

「買うわ! てかむしろ買い占め! 的な!?」

「ありがとうございます」


 根っこから明るいこういうお客様は、アルバイトとしてはとてもやりやすい。僕はお兄さんの評価を上方修正した。


「あの……」


 声に振り向いて、僕はびっくりする。

 いつの間にか、雑誌を読んでいたはずの女子高生がすぐ近くに居た。


「……どこかから、聞こえませんか?」

「え?」


 小さな声だったし、唐突な言葉の意味も分からなかったから、僕は聞き返す。


「と、いいますと?」


「なにか……音が」

「音、ですか?」

「はい。えっとその、カチ、カチって――」


 僕は耳を澄ました。……あ、ほんとだ。

 だが、それを出来たのは一瞬だった。


「お客様――――!」と僕の背後から中澤さんが鋭く言った。


 どうしたんだろ? と思う。


 次の瞬間だった。


 僕の目の前で、リノリウムの床が閃光を放った。


「え――?」


 身構える時間も理解する時間も無かった。

 強烈なフラッシュのように膨れ上がった光が僕を襲う。

 全身を引き裂かれる痛みは一瞬。

 飛び散った床の欠片にミキサーされた後、爆炎にきれいさっぱり焼き尽くされて、僕の肉体は消滅した。


 ちなみに、享年22歳。



――



 僕が目を開けた・・・・・そこは、ただ果てしない暗闇だった。


「…………は? なに?」


 どんなときでも冷静さを失ってはいけない、と思う。

 まずは冷静に事実を確認しよう。


 僕はコンビニでバイトしていたとき、死亡した。


 …………ちょっと待て。

 すでにおかしいだろ。

 だって、死んだはずの僕がまだ思考する・・・・・ことができる・・・・・・んだから。

 哲学者もびっくりな矛盾だ。


 けど、同時に確信する。

 僕が死んだのは間違いない。思い出すのもおぞましいほどの痛みを僕は覚えているのだ。肉体がバラバラに切断される瞬間の感覚を――――


「――――高橋さん、聞こえますかぁ?」


 絶妙に他人をイラッとさせる声が聞こえたのはそのときだった。




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