第17話:「はい処刑」とイケメン中年が言った。
「――――で、娘とはどういう関係なんだい? んん?」
背筋が凍えた。イケメン中年な猫人族、マルムの父親であるリリムさんが、にっこりした笑顔で僕に問う。冷たい笑顔ってあると思うんだ。まさにそれだった。というか、顔、近いです。ふつーに怖いです。
「最近のマルムはタカハくんのことをよーく教えてくれるんだよ。算数を教わったことだとか、一緒に草原で遊んだことだとかね。昨日は薬草を持って行くと言って飛び出したりして――父親としては、そう、すごく気になるところなんだな、マルムとタカハくんの関係ってやつが」
でも。
あえて、抵抗する。
その笑顔で全員がビビると思ったら大間違いだ。
「僕とマルムは、そうですね、端的に言うと……」
「うんうん」
「水汲みをお願いしてお願いされる仲です」
「はい処刑」
「えええええええッ!」
「ゲルフ様、コキッとやっちゃっていいです? コキッと」
腕を組んだ老魔法使いは重苦しい口調で言った。「……よかろう」
「そこの保護者! よかろうじゃないでしょ!?」
「大丈夫だよタカハくん。痛くはないから」
「痛みを感じなくなるわけですよね!?」
「にぎやかでいいねえ」とソフィばあちゃんが穏やかな口調で言った。いや、殺されかけてるんです。イケメン中年が指ポキしてるんです。そのターゲットが僕なんです。
今日は狩猟団の鎧ではなく質素なティーガを着ているガーツさんが僕とリリムさんのやりとりに「がはは」と笑った。
「ゲルフがあまりに喋らないから、タカハは喋るように育ったんだろうな。親子には、そういう側面もあると思うぜ」
「む……」
ゲルフが黙っている。むっとしてるな。いい気味だぜ。
一行は森の中の道を徒歩で進んでいた。
招集に呼び出されたのは4人。5人目の僕はゲルフの従者、という扱いになる。村人たちは感謝の言葉を口にしながら送り出してくれた。
だが――その輪の中に居たマルムは悲しげな表情だった。
招集への参加は順番になっていて、マルムは次に父親が行かなければならないことを知っていたらしい。
だから、騎士たちが村に来たとき、あんなに動揺していた――――
「これを見てくれよタカハくん」
リリムさんは白い卵を取り出した。
「エゼリの卵ですか?」
「そうだ。マルムが私のためにゆでてくれたんだ。君にはあげないけどね」
煽ってくるなあ……。
「……とまあ、冗談はさておき。マルムは少し変わっていてね。タカハくんにはどうか仲良くしてあげてほしい」
「もちろんです」
「……あ。ごめん。やっぱ今のなしで。俺、そこまで大人になれない」
「どっちですか!?」
「どっちも俺なんだ。これぞ矛盾だね! そう思うだろう!?」
……うわー。なんかマルムパパめんどくさいよー。
「そろそろお昼にするかい?」と背負袋を下ろしながらソフィばあちゃんが言う。
干し肉と甘いビムの実を昼食にして、僕たちは歩き続けた。
いくつかの森を抜け、山脈を迂回し、平原を進む。足がじんわりと棒のようになっても、僕たちは歩き続けた。
到着は3日目の夕方だった。
日がとっぷりと暮れる寸前、先頭を歩くゲルフが足を止めた。
「着いたぞ」
暗くなった足元だけ見ていた僕はゲルフにぶつかりそうになった。
顔を上げる。
僕たちは丘の上にいて、それを見下ろす形になった。
「うわ……」
石造りの外壁がぐるりと囲む街だった。
いや、城塞都市って感じか。
立派な外壁と水のたまった外堀が印象的。その中心には背の高い城が立っている。全体として大きすぎず、翼を広げた鷹のような品のある城だった。当然、石造りのようだ。
それどころか、町の中の家にも石造りのものがある。
不揃いな丸太で作られた家ばかりを9年間見てきた僕からすると、すさまじいほどの都会に見えた。
これが――――ムーンホーク領都。
僕たちが暮らす緑の領、ムーンホーク領の、首都。
そういえば、プロパはここにいるんだっけ、と思い出す。
「中に泊まるの?」
「期待しちゃうけど、残念。俺たちはあっち」
リリムさんが町の城壁の外を指さした。平原にテントがいくつも立ち並び、それ以上の数のかがり火が燃えている。招集に応えた魔法使いたちの仮宿といったところだろう。
「皆は先に休んでいてくれ」とゲルフ。
「おや? どうするんだい?」
「わしとタカハは遅れていく。魔法を教える」
「はいよ」
僕はゲルフと居残りらしい。こっそりため息。
ソフィばあちゃん、ガーツさん、リリムさんが丘を下りていく。
「ここならばよかろう」とゲルフは言った。
僕は返事をしない。尋ねもしない。殻に閉じこもるようにする僕――だが、全くゲルフは気にしていないようだ。メンタル強いんだよな、この人。
「タカハ、お前は火属性を学んだ者としてこの場にいる。よいな?」
「もちろん分かってるよ。人前で他の属性の魔法を見せなければいいんでしょ?」
「そのとおりじゃ。……ただし、例外もある」
ゲルフの瞳が一瞬だけ、鈍い光を宿した。
「それは、お前の命がかかったときじゃ」
「え?」
「呆けるでない。危険度が低い時期での招集だったからこそお前を連れてきたが、明日、我らが向かうのは戦場じゃ。『鉄器の国』と『魔法の国』の軍隊同士ぶつかり合う最前線。……なにが起こっても、文句は言えぬ」
胸の中に氷を押しこまれる。
手足がすぅっと冷え込んでいく。
そんな感覚がした。
それでも、僕は奥歯を噛みつぶすようにして答えた。
「……脅してるつもり?」
「ああ。そのとおりじゃ。戦場では傲慢に呑まれた者から命を落とす。新米など、怯え切って魔法の詠唱などできぬくらいでちょうどよい」
「僕だっていつか招集に行かなくちゃいけないんだ。遅いか早いかでしょ」
「繰り返すが、冷静さを失うでないぞ。よいな」
その後、ゲルフは戦場のイメージを教えてくれた。
敵国の兵士たちは、鎧と槍で武装した一般的な兵士たちがほとんど。彼らに接近されないように魔法を放ち続けるのが、おおよその展開だ。
とはいえ、敵も馬鹿じゃない。塹壕を掘ったり、魔法への抵抗力がある盾を構えたりして接近しようとしてくる。
また、『鉄器の国』には敵兵の数千人に1人くらいの割合で、『神秘使い』と呼ばれる異能使いが居るらしい。
「我らムーンホーク領の担当戦域には強力な神秘使いは差し向けられないはずじゃ。……とはいえ、もし万一にも神秘使いが戦場に姿を見せたのなら、お前は決して相手をしてはならぬ」
返事はしないけれど、心の中で固く決めた。
雑魚敵をすっ飛ばしていきなりラスボスに挑むのは、さすがに冷静じゃない。
「隊はわしが指揮をとることになるじゃろう」
「……ゲルフ、そんなに偉いんだ」
「まあな」
少しだけ得意げに老魔法使いの眉が揺れた。
「攻撃魔法は火属性の中から好きなものを放てばよい。いざとなったときの防御魔法は『堅牢なる』や『巨大なる』の修飾節を加えた『土の11番』、回復魔法は『水の8番』にせよ」
土の11番。地面から土の壁を素早く生み出す。
水の8番は一番簡単な回復魔法といったところか。
いずれもゲルフとの修行の中で教わった呪文だった。
「必要ならばここに残って練習していきなさい」
――どれほど動揺しても呪文を誤ることのないように。
ゲルフはそう言い残すと、丘を下っていった。
僕はゲルフの黒い背中が見えなくなるまで見送ってから、『対訳』のモードを土属性の発音に切り替えてから口を開いた。
「”土―11の法―巨大にして堅牢なる1つ―今―眼前に”」
単位魔法は『土の11番』、3マナ。
『巨大なる』と『堅牢なる』がそれぞれ4マナ。
『今』と『眼前に』が2マナずつ。
3+4+4+2+2。
「”――ゆえに対価は15”」
ばくり、と僕の真正面に土の壁が起き上がる。けっこう大きい。数人くらいなら余裕で隠れられる防壁だった。いざというときに物理的な遮蔽物をすぐに生み出せるのは大きいだろう。
回復魔法は……使ってみたことがなかったな。
『対訳』を水属性のモードに。
「”水―8の法―今―眼前に ゆえに対価は10”」
淡い光が僕を包み、ほんのすこし身体が熱くなった。ふくらはぎの筋肉痛がほんの気持ちだけ軽くなった気もする。……こっちは、気休め程度だろう。ゲルフの魔法書にも『自己修復能力の活性化』としか書いてなかった。HPバーが伸びる感じで回復するような魔法ではない。
その後しばらく、僕は呪文をいくつか頭の中で組み立てたり、実際に唱えたりを繰り返す。頭がぼんやりと疲れる感じになったところで僕は鍛錬を切り上げた。
丘を下りていく。
野営地はすさまじい広さだった。ムーンホーク領の全域に招集がかけられているらしい。魔法奴隷たちの天幕は規則正しく整列していて、その間を、たいまつを持った騎士や魔法奴隷たちが行き交っている。
僕はピータ村の紋章が刻まれた旗がはためいている1つを見つけて、そこに向かって進んでいく。
「…………ん?」
そのとき、僕は気付いた。
――他の村の天幕に入る、黒ローブの老魔法使いの姿を。
招集に集まった魔法奴隷たちは全員、あまり上等ではないティーガの姿だ。その中で、古典的な黒いローブはよく目立つ。とんがり帽子までおまけされているから、なおさらだった。
間違いない。
あれはゲルフだ。
周囲をきょろきょろと警戒するようにして、ゲルフはさっと他の村の天幕に潜りこんだ。
ゲルフが警戒していたのは、たぶん、騎士だと思う。緑コートが巡回していないまさにそのタイミングで、ゲルフは天幕に入ったからだ。
「……なんだろう?」
僕は不審がられないように気をつけながら、その天幕の前を往復した。
その間にも、何人かの魔法使いが同じく警戒するようにしながらその天幕にすべり込んでいく。犬人族の老人、年若い猫人族の女性、目つきがするどい妖精種の中年――全員がきょろきょろしながら入っていく。
あ、怪しい……。
しかも露骨に怪しい。
気になるな。
天幕にもうちょっと近づけば、会話を聞き取れるかもしれない。
「む」
「あっ……!」
そんなことを考えていたから、問題の天幕からゲルフがいきなり姿を見せて僕は驚いた。
「なにをしておる、タカハ」
「いっ、いや、通りかかっただけ……」
ゲルフは確かめるように僕を見つめた後、右手の人差し指でピータ村の天幕がある方向を指さした。
「東に3列分進めば、ピータ村の天幕がある。明日に備えて休んでおきなさい」
「……はい。おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
ゲルフはさっと天幕に引っ込んだ。
電話を素早く切られたときのような、ぽっかりした感覚が胸の真ん中のあたりにある。
後ろ髪をひかれる思いだったけれど、僕はピータ村の天幕へ向かうことにした。




