第16話:「僕には謝らないのかよ」と子どもの僕は思う。
「布告――――ッ!!」
ピータ村の門をくぐった騎士たちの先頭が、馬に乗ったまま叫んだ。
その声を聞いた村人たちが家から出てくる。夕食の時間で、ほとんどの人が家にいたようだ。ゲルフの家は村の中でも奥の方にあるから、その全容を見渡すことができる。
「布告――――ッ!!」
僕は家の軒先で、騎士の大声を聞いている。
マルムも広場のほうを見ていた。
……いや。
マルムは肩を震わせていた。
茶色の眠そうな目には怯えの色が混じっている。
「四大公爵、ライモン=ディード閣下の名のもとに、招集する!」
騎士は雨の中、羊皮紙の巻物を引き伸ばした。
「ムーンホーク領ピータ村より4名! 戦地は南の国境深林! 集いは4日後の夕刻、ムーンホーク城の城前とする!」
先頭の騎士は書面を後ろに控えるもう1人に手渡した。慣れた手つきでもう1人がそれを広場の掲示板に打ち付ける。と、騎士たちはあっさりと村から出ていった。
「――――タカハ」
びくり、とした。
それがマルムの声ではなくて、ゲルフの声だったからだ。
振り返る。
家から出てきたばかりのゲルフの黒い瞳は、マルムを見ていた。
「マルム……」
「こんにちは、ゲルフ様」
眠そうな目のマルムは物怖じしていない。
騎士がいたときのほうがよっぽどビビってたくらいだ。
「……なぜ、わが家の水汲みを引き受けた?」とゲルフが言う。
「はい、ゲルフ様」
マルムは招待を受けた客人のように堂々と答えた。
「私はソフィ婆様から機織りを教わっています。……最近はずいぶんと上達し、手順が難しくなってきました。1日をかけてじっくりと教わりたくて、タカハと交代でお互いの家の水くみをまとめてすれば、その時間が手に入ると思いました。……だから、私からタカハにお願いして引き受けてもらいました」
「……そうか」
一瞬、ゲルフは沈黙した。
「マルム、すまないことをした。お主が運んできた水を、わしは捨てた」
「はい」
「じゃが、その交代の約束は、ならぬ。わが家の水はわが家の者に。老人の偏屈じゃが、これを曲げることはできぬ」
「……分かりましたー」
「ちょっと待っておれよ」
ゲルフは家の中に引っ込んで、すぐに出てきた。
「これをやろう」
白くて丸いものがゲルフの手のひらに乗っている。卵だ。
「これはー……エゼリの卵ですか?」
「うむ。ソフィのやつが分けてくれたものじゃがな」
「……ありがとうございます」
「今日は帰りなさい。大人たちが会議をするじゃろうから」
マルムはぺこり、と頭を下げると、「またねー、タカハー」と言って、雨の中へ飛びこんでいった。
……しと、しとしと。
うわー。
すごい嫌な沈黙。
僕はピータ村を眺める。ふりをする。
だってこっちから話しかけたくはない。
「タカハ、……行くぞ」
「へ?」
間の抜けた声になってしまった。
ゲルフの黒いローブは、すでに雨の中へ歩き出している。
…………。
……。
なんだよ。
僕には謝らないのかよ。
僕が悪くないって分かっただろ。
ゲルフの大きな背中は、もう遠い。
大人の1歩は大きいのだ。
急がないと、追いつかない。
……ここに居続けるのは、ガキみたいだ。
「…………ッ」
僕は走ってゲルフの背中を追いかけた。
雨が熱をもった頬を打って、痛い。
ゲルフの斜め後ろを僕は歩く。
沈黙のまま、僕たちは村の広場に着いた。雨なのに大勢の村人たちが出てきていて、全員が不安そうな表情をしている。
「全員いるか?」
ゲルフが村人たちに言った。
瞬間、村人たちが一斉にこちらを見て、僕は緊張する。
「はい。すべての家長がこの場におります、ゲルフ様」
低く落ち着いた声で猫人族の中年男性が答えた。中年とは言うものの、茶色の瞳は力強い光を湛えている。瞳と同じ茶色の耳は小さいが、顔立ちはくっきりとしていて、正直にカッコいいと思う。理性的で頼もしい感じだ。
名前はリリムさん。
マルムの、お父さんだった。
「先の布告では、4人じゃったな。わしは行こう。残り3人」
うわ。
僕は驚く。
集まった全員の間に、緊張感が広がるのが分かった。
静電気みたいなのが流れたかと思った。そのくらい、くっきり。
「それじゃあ……私もいこうかねえ」
ソフィばあちゃんが言って、はっきりとどよめきのようなものが広がった。ゲルフは平然とやったけれど、招集を買って出るのは異例のことらしい。
「持ち回りの順では、誰じゃ?」
ゲルフの声に応えるように、村人たちの輪の中にいたリリムさんがわずかに肩を落とす。「わが家と、ヴィンの家です」
「ヴィンはいるか?」
若い男の妖精種が輪の中からゲルフの前へ出てきた。その顔は青ざめている。
「そうか……。お主は最近結婚したばかりか」
「はい、ゲルフ様」
若エルフが震える声で答える。
僕は、ここへきてようやく、ことの重大さを再認識した。
招集は戦いに行くってことなんだ。
命を落とす可能性のある場所に行くってこと。
「誰かヴィンの代わりに引き受けてくれるものは?」
ゲルフは村人たちを見渡す。
「――――俺が行こう」
低い声が響いた。
兎人族の大男が輪の中に進み出た……と思ったら、狩猟団長のガーツさんだった。どよめきがさらに広がる。4人中3人が代役というのはあまり前例がないことなのかもしれない。
「ガーツ……よいのか?」とゲルフが問う。
頬に傷のあるガーツさんは、にやり、と凄みのある笑みを浮かべて、妖精種の青年を見た。
「先日、娘をそこの若造にとられたばかりだからな。魔法でもぶっ放して憂さ晴らしをしなければやっておれん」
「お、お義父さん!」
「ええい。くっつくな暑苦しい。……さっさと孫の顔でも見せろ」
半泣きでが抱きつこうとする青年をガーツさんは引き剥がす。
……ガーツさんかっこよすぎなんだけど。
こんな歳のとり方したい。
「リリム、お主はよいか?」
「……はい」
「では、明朝一番で発つ。従者を連れ行くものは指名しておくようにせよ」
さっぱりと会合は終わった。
雨も降り続いているし、村人たちはそくさくと家へ帰っていく。
「明日の朝に備えてよく寝ておけ」と、ゲルフが言う。
大きな手が僕の肩に触れた。
言葉の真意を確かめようと振り返ったときには、ゲルフの背中は遠かった。
イライラする。
いつもそうだ。
思わせぶりなことを言って、すぐに遠くへ行ってしまう。
いや。
さすがに分かるよ。
――――僕も、その招集についてこいってことだろ。




