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第15話:「……騎士様だ」と猫人族の少女が呆然と言った。




「タカハッ!!」


 夕方、獣の毛皮運びを終えて、クタクタになって家に戻った僕を迎えたのは、老魔法使いの怒声だった。

 腕を組むゲルフが土間に立っている。


「こっちへ来い!」


 ゲルフの高圧的な口調に、感情が蛇の鱗のように逆立つ。こめかみのあたりに熱が生まれる。

 僕は睨み返すようにしながら、ゆっくりとゲルフのそばまで歩いた。


「……」


 ゲルフは無言で僕を見下ろしていた。お前は悪いことをした。なにをしたか思い出せ――目がそう言っていた。僕は、答えない。実際のところ、ゲルフが怒っている理由には見当もつかなかった。


 沈黙に耐えかねたのか、ずんずんと歩んできた老魔法使いが、僕の胸ぐらをつかんだ。その顔がぐい、と近づく。普段は理性的なはずの黒い瞳は怒りに燃えている。


「今日、マルムに家の水汲みをさせたじゃろう?」

「させた」


 答える僕の表情はきょとんとしたものだったはずだ。


「馬鹿者!!」


 炎のような怒りが僕の全身を打ちすえる。

 いきなりの大声が不愉快だった。こめかみの熱がぶくり、ぶくりと膨れ上がっていく。


「タカハ、人が生きるために必要なものはなんじゃ?」

「は?」


 知らないよ。


「人の話を聞いておらんのか。水は一番重要なものと言った。生存術の基礎じゃと教えた。他人に任せるなどあってはならぬ。そんなことも分からぬか」


 ゲルフは僕の胸ぐらをつかんでいた手を離すと、水瓶を抱え、窓からその中身を外へぶちまけた。


『大きな水瓶だねー。お願いするまではー、よかったけどー……すこし後悔してるかもー』――そう言いながら、額に汗を浮かべたマルムがその水を汲んできたのだ。彼女でも運べる小さな樽を使って。何度も、川とこの家を往復して。そして、その後には自分の家の水汲みをしたはずだ。


「汲んでこい、タカハ」


 視界の隅にラフィアが映る。兎人族ラビテの少女は青ざめた顔でこちらを見ている。無視する。


「いやだ」と僕は言った。ゲルフの目を真っすぐに見て、言い切った。「納得できない」


「……なんじゃと?」

「水を捨てたのはゲルフだ。ゲルフの失敗だ。ゲルフが汲んでくればいい」


 ずんずんとゲルフが距離を詰めてくる。


「殴るんだ?」

「当たり前じゃ」


 右から殴られた。なんの遠慮もなく。吹きとばされて、土間に落ちて、身体ががくりと力を失う。右頬がじんじんと痛みはじめる。僕はわざとらしい舌打ちをしていた。

 たしかに生存術に関することをゲルフはしつこく言っていた。

 でも、こんな大きい地雷だなんて思いもしなかった。


「今すぐ川に行け。今すぐ」

「行かない。ゲルフの言っていることは、滅茶苦茶だ」

「なにがじゃ?」


 どくり、どくり、と熱が頭に上っていく。

 ……ああ。もういいや。

 僕は、なにを我慢しているのだろう。


「水は一番重要なもの? 生存術の基礎? 他人に任せるなどあってはならぬ? ……その時点でワケわかんないけど、それは置いておくよ。他人に任せちゃいけないなら、どうして僕がゲルフの分の水を汲んでこなくちゃいけない?」


 ゲルフの顔に、一瞬で血が上る。


「決まっておる。わしが家長で、お前はわしから魔法を教わる身だからじゃ」

「それとこれとは関係ないって言ってるんだ。僕の魔法のお師匠様のありがたぁいお言葉は、滅茶苦茶で支離滅裂で本末転倒で理解不能だって言ってるんだよ。ゲルフは僕の汲んできた水を使うんだろ? 他人に任せてるじゃないか! 生存術の基礎をさ!」

「師匠と弟子は他人ではない! よいか。お前の意見に価値などないぞ。口答えしたところで、わしがお前を放り出せば、お前は野垂れ死ぬだけじゃ」


「一つ言っておくよ、ゲルフ」僕は獣のような荒い息をつきながら、老魔法使いを睨みつけた。「僕は、マルムが汲んできてくれた水は飲むけど、ゲルフが汲んできた水を飲むつもりはない」


 はっ、とゲルフは馬鹿にするような笑いを吐き出し、馬鹿にするような表情で僕を見た。


「なら、マルムから魔法を教わることじゃな。頭のよい娘っ子じゃ。優秀な魔法使いになるじゃろう。その弟子の、お前もな!」


 視界が狭くなって、心臓のあたりがすぅっと冷えこんだ。

 なのにこめかみが熱い。燃えるようだ。


「……そうさせてもらうよ」

「なに……?」

「だって! ゲルフは! ゲルフの魔法は――ラフィアを守れなかったじゃないか!」

「――――」


 老魔法使いは大きく目を見開いた。


「魔法は力。騎士の剣と同じ。振り回すのに覚悟がいる――なんてカッコいいこと言ってるけどさ」僕は精一杯の皮肉を言葉に乗せる。「実際、ゲルフの魔法って大したことないんじゃないの?」


 ゲルフのひげがぶるぶると震えた。


「言わせておけば!」


 一気に僕との距離を詰めてきたゲルフが左腕を振り上げている。僕はとっさにゲルフの右方向に避けた。ゲルフの拳は空を切る。そうしてできた空白――ゲルフの腹をめがけて、僕は思い切り頭突きをした。


「ぐぅっ!?」


 動きが鈍ったのも一瞬、すぐにゲルフの腕が僕を捕まえようと伸びてくる。僕の胸にゲルフの肩が強く当たって、息が詰まった。その隙に僕は左膝に反撃をしている。すばしっこい子どもと衰えた老人の戦闘力はほどよい感じに拮抗ていた。当の本人たちはもちろん全力だったけど――


 ついにゲルフが僕のティーガの胸ぐらをつかんだ。ずい、と引き上げられて、僕のかかとが宙に浮かぶ。けれど、僕は視線を決してそらさなかった。顔に貼りつけた皮肉の表情を引き剥がすことはしなかった。


 ゲルフが腕を振り上げる。僕は「……殴れば?」と笑う。


 衝撃が左頬に走る――その一瞬前だった。


 そこで、僕とゲルフは静止した。


「……ッ……。……お願いだから……」


 声が聞こえたのだ。この場に居る、もう一人の、心優しい少女が涙を呑む声が。


「……やめてよ」と俯いたままのラフィアが言った。「お父さんもタカハも! やめてよぉっ!」


 聞いたこともないほどの大声だった。痛々しいほどの叫びだった。僕の深いところにくさびが打ち込まれる。冷たい楔だった。それがこめかみの熱を奪って、僕は徐々に冷静になっていく。ラフィアが泣き腫らした目を僕とゲルフに向けていた。


「もう、いやだよぉ……けんかはしないで……」


 自分の体を引き裂くように、ラフィアは喉を震わせた。そのまま自分の身体を抱きしめるように両腕で包み、そのまま地面に座り込んでしまう。


 けんか、していたのか。


 ……え? 僕が? ゲルフと? ……なんで? 


 記憶を淡々と追いかけて、それがどうやら事実であることに気付いて、僕は自分に呆れる。


「タカハ、お前は外に出ておれ。頭を、冷やしてこい」



――



 外はしとしとと雨が降っていた。

 夕方が近いせいであたりは薄暗い。気が滅入るような雨だ。家の軒先は小さく、僕の身体の半分が次第に濡れていく。


 さっきの僕は冷静じゃなかった。たしかにそうだ。


 でも、同じくらいゲルフだって冷静じゃなかった。


「……」


 さすがに、今日のは理不尽にすぎた。

 普段はここまでヒドくない。

 ……言われてみれば、ここ最近のゲルフはなにかに苛ついているみたいな印象がある。よく家を空けていることとなにか関係があるのかもしれない。


 そろそろ本格的に家出の算段を立てようか、と思う。そこで僕は途方に暮れる。ピータ村は閉鎖的だ。外との交流はほとんどない。家出した先でなにが待ち構えているのか。この世界のことを僕はなにも知らないのだ。闇の中に船を出すような、そんな光景を幻視する。


 僕は首を横に振った。


 僕は奴隷だ。9歳の僕は魔法だってまだまだだし、1人で生き抜く術も中途半端。森の底にへばりついたようなこの生活を僕は続けなくちゃいけない。

 なにより。

 僕はラフィアをおいて逃げ出すことはできない。


 そんなふうに、僕は考えに没頭していた。


 だから――「やあ」という少女の声に、少なからず驚いた。


 顔を上げると、茶色の瞳と目が合う。


「マルム」


 猫人族カティの少女は森でとれる大きな葉っぱを傘にして僕の家の前で立っていた。

 小さな耳が湿気のせいでくたりとして見える。いつものように眠そうだけれど、それ以上に、悲しそうな印象だ。

 マルムは無言で軒先の下に入ってきた。

 僕は視線を外して、雨のピータ村を眺める。森の中の斜面にいくつかの家がぽつぽつと見える。寂しい光景だ。


「ごめん、タカハー」と小さな声が聞こえた。

「どうしてマルムが謝るのさ?」

「水汲みのことー、私が言いださなければ……よかったかなー」


 僕とゲルフが大喧嘩をしたことは村人の間で広まっているようだ。まあ、あれほどの大声で罵りあっていれば、聞くなって言うほうが無理か。


「薬草を持ってきたよー。染みるけどー、よく効くんだ」


 僕は右の頬に触れた。じんっ、と電流のような感覚が走って、僕は表情をしかめる。


 マルムは悲しそうな表情をしていた。

 その表情のまま、茶色の耳の少女は笑う。

 笑って、言う。


「これ、使って」


 精一杯。そういう感じがひしひし伝わってくる。


 すごいな、と僕は思った。

 9歳の女の子って、こんなにも他人の気持ちに共感できるのか。


「マルム」

「――――え?」


 僕は思わず、マルムの頭に手を置いていた。そして、遠慮なく、ぐしゃぐしゃっとやった。茶色の髪の柔らかさと、ねこ耳が手の中で跳ね返るくすぐったい感触。


「きょ、許可なく、女の子の耳を触るのは、よ、よくないと思うよー……っ」


 マルムは首をすくめている。怒っているのか顔は赤い。けれど逃れようとするわけではない。


「いつかマルムだって僕の腕をぺたぺた触ったでしょ? そのお返し」

「……むー。タカハの腕ほど安っぽくはない、かな」


 マルムは肩をすくめて、両手で髪を整え始めた。「まったく」とか「もう」とか「これだからタカハはー」とか、ぶつぶつ言っている。けれど、ときどき『にへら』というあの笑みも混じっている。

 こっちのマルムの方がよっぽど良かった。僕とゲルフが喧嘩をしたことまで背負いこんでしまった精一杯の表情よりは、よほど。


「珍しい薬草だね。どうやって使うの?」

「……仕方ないなー、特別に教えてあげよう」


 マルムは僕を見上げるようにして微笑んだ。雨を吸い込んだ茶色の髪も、ぴょこりと小さく見える耳も、すごく女の子って感じだ。眠そうにしてるせいでふだんは分からないけど、茶色の目はキラキラとして大きい。


「茎の下のほうが太くなってるから、そこを噛み潰すんだ。こうやって……」


 マルムは首を傾げて、薬草を噛んだ。白い歯と唇を伝って、薬草の成分があふれる。透明で少しとろっとしたそれが、マルムの頬から首へ伝う。


「出てきた汁が傷に効くからー。やってみてー」


 薬草を受け取る。茎の膨らみの一つはマルムによって潰されているが、二つ残っている。噛み潰した汁は苦く、僕は顔をしかめた。

 言われるままに腫れ上がった頬に塗りこむ。


「いっ……」

「大丈夫……?」


 最初は沁みたものの、ひんやりとろっとした感触が気持ちいい。


「あ、効いてきたかも。……ありがとう」

「どういたしましてー」


 僕とマルムはなんとなくお互い言葉をなくして、雨のピータ村を見る。雨粒が草や屋根に跳ね返る音が僕たちを優しく包んでいた。足を止めると、この世界はいつも森の匂いがする。土の気配が近くにある。


「……マルム」

「なにー?」

「マルムは気になったりしない? ピータ村の外に、なにがあるか」

「へえ……珍しいねー」

「珍しいかな?」

「タカハにしては、だね。……私はすごく気になってるよー」


 マルムは雨雲を見た。

 むしろ、その向こうの青空を見ているようだ。


「気になって眠れないんだー。私は世界中を旅してみたい。……正直、プロパが羨ましいかなー。親戚を頼って、領都に出ていけたからー」

「マルムはこの村を出たあとどうしたいの?」

「……まずはー、『魔法の国』を歩きまわって、それから、『蒼海の国』へ行きたいんだー」

「『蒼海の国』?」

「商人たちの国だよー。世界中の物と人が集まる、海の上の国なんだ。……行商人のおじさまたちのうわさでしかー……聞いたことがないんだけど」


 そんな国の存在を、僕は知らなかった。

 ゲルフは言わなかったし、そもそも、この村を出たことすらない僕は、この国の都がどこにあるのかすら、よく分かっていないのだ。


 だが、今のマルムの言葉だけで僕の想像はふわりと膨らんでいく。

 海の上に作られた綺麗な街、青と白のコントラスト、入り込んだ下町の商人たちの熱気、美味しい食べ物――


「ん……?」


 ふいに、マルムが耳をそばだてた。

 その声で我に返る。


 現実の僕が見ているのは、雨でぐしゃぐしゃに滲んだ、森の中の小さな村だった。


「マル――」


 唇を人差し指で塞がれた。マルムの耳と尻尾がぴくぴくと動き、あたりの音を探っている。雨は続いている。雨が葉っぱと屋根を打つ――その音に優しい混じって、確かに聞こえた。


 金属と金属がぶつかり合う雷鳴のような音。

 大地と平穏を引き裂く、蹄の音。


 僕は村の入口を見る。数は四。

 全員が騎乗し、緑色のコート・・・・・・を羽織っている。


「――……騎士様だ」


 マルムが呆然と言った。




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