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算数で読み解く異世界魔法!  作者: 扇屋悠
魔法の国編・第1部
158/164

第157話:「分かりますか?」と使用人は瞳をうるませる。




 太陽の光がまぶたの隙間をこじ開ける感覚がした。

 それで僕は目を開けた。


「あ……」


 すべてが真っ白。そう感じるほどにまぶしい。乾ききっていた両目に涙がにじみ、部屋の全体像をまだはっきりと捉えることができない。


 ここは、部屋……?

 どこの部屋だろう……?


「……タカハ、様……?」


 ふるえる声が聞こえたのは、そのときだった。


 まぶしすぎて涙がにじんだ視界の中に、白黒のシルエットが飛び込んでくる。全身を包む黒いティーガと白いエプロン。犬耳をおおうメイドキャップ的ななにか。


 ああ、知っている人だ。

 とてもよく知っている人。

 ティルさん。


「分かりますか? ティルです。タカハ様」


 普段は淡々とした無表情の使用人さんは、透き通る黒曜石のような大きな瞳にうっすら涙をにじませて、僕の目を覗き込んでいる。


 あれ……?

 珍しいな、ティルさん。

 もしかして、もしかしなくても、泣いてるのか。


「……おはよう。ティルさん」


 カラカラに乾ききった喉のせいで、声がかすれたけれど、たしかに僕はそう告げることができた。


「~~ッ!」


 その瞬間、だった。


 ――身構える時間もなく、僕は温もりに抱きとめられる。


「よかった……。本当に、ご無事で……よかった……っ」


 首に回されたティルさんの腕はかすかに震えている。首にさわさわと触れる髪からは石鹸のような優しい匂いがした。僕はちょっと以上に驚いていた。ティルさんがこんなに僕を心配してくれるなんて。


 ティルさんは僕に首に回していた腕を解くと、確かめるように僕の目をのぞきこんだ。


 そのころには、使用人はいつもの無表情に戻っている。


「痛むところはありませんか?」

「うん。大丈夫」

「体は動かせそうでしょうか」


 両手、両足……大丈夫そうだ。ベッドの感触もよく分かる。


「タカハ様はまる1日、お目覚めにならなかったのです。未知の魔法的な現象の直撃を受けた、と聞いています。そのせいで、目覚めない可能性もあるのではないかと想像して、とても不安でした」


 ぼんやりと記憶が蘇ってくる。が、苦い後味が残っているだけで、状況がいまいち思い出せない。断片的な情報ばかりだ。戻ってこなかった革命軍の兵士たち。マナを閉じ込める鳥かごのような球。『大魔法防護』。無番採石場。篝火の灯された広場。広場と、そして――


「心配、かけた。僕はやられちゃったんだな……」

「こうしてお目覚めになったのです。その事実だけで、ティルは嬉しく思います」

「そんなに深く眠ってたの?」

「はい。ですので、お声がけをしたり、手に触れたり、いろいろと手をつくさせていただきました」

「……手をつくした?」


 その言い方だと、かなりいろんなチャレンジをしたかのように聞こえてしまうのだけれど。


「冷たい水を手に触れさせたり、香草を鼻の近くにもっていったり……。あとは、童話に従って接吻させていただいたり。それでもお目覚めにならなくて――」

「…………は?」


 接吻。

 接吻。

 接吻。


 腹を自分でかっさばくあれではなく。

 半分に分けましょうっていうあれでもなく。


 口づけってこと、だよな?


「…………ちょ! ちょっと待って!」

「はい」


 僕はティルさんの唇を凝視した。この世界の言葉で「はい」と言ったその唇の動きに、視線のすべてが奪われる。ほんのりと桜色の唇がまるで至近距離にあるように思える。そのくらいの凝視。


「ほ、ほんとにしたの?」

「あの……申し訳ありません。冗談です」

「…………」


 …………返してほしい。

 なにを、と言われればわからないけどさ。

 うん。


 いずれにせよ、意識はしゃっきりと覚醒していた。


 そのおかげで――僕は昨日の出来事を急速に思い出していく。


 広場に姿を見せた旧市民代表。想いを伝えるための会話と、その結末。姿をみせた黒仮面卿。白い石の部屋。放たれたマナの光と始まった戦闘。動けなくなった自分。そして、そんな僕をかばった――


「メルチータさんは!? ごほっ、ごほっ……!」


「タカハ様! どうか落ち着いてください!」


 毛布を払いのけるようにして身を起こした僕を、ティルさんがベッドに押さえつけようとする。


 からからに乾いた喉を咳き込ませながらも、僕はその力に抵抗した。


「そういうわけにはいかない! あの戦いの最後、メルチータさんは僕が食らうはずだった変な魔法を撃ち込まれたんだ……!」

「メルチータ様はすでにお目覚めになられています! 目に見えるお怪我もありませんし、お話しもできます!」

「本当?」


 ティルさんの瞳がぴたりと僕に向けられる。

 白黒の使用人は、きっかり2秒、沈黙した。

 そして、いつもの完ぺきな無表情で、こくりと形のいい顎を引いた。


「はい。嘘では、ありません」


 思考がまとまらなかった。

 少なくとも、メルチータさんは無事だ。生きている。

 ひとまず安心する。


「ティルさん。状況を教えてほしい。領都や、アーム村は、無事?」

「そちらもご安心ください。今回の騒動で、独立領の側に人命の損害は出ていません。行方不明になっていた革命軍の小隊のみなさんも、無事、発見されました」


 安堵の吐息をつく。

 さすがにここで冗談を炸裂させるティルさんではないだろう。


 だが、それだと妙な話になってしまう。


 『大魔法防護』、あるいは『大魔力爆縮』――あの未知の魔法を振るい、黒仮面卿は『領都を破壊する』と言った。あれは、僕を動揺させるためだけの盛大なはったりだった、ということになるのだろうか。

 ……そうは思えない。あの男の行動や態度は『大魔力爆縮』の破壊力を確信していたようだった。


「……となると」


 あの戦いの最後。

 『大魔力爆縮』の中核だった白石の円柱に触れることができた者は1人しかいなかった。


 マッカスさん。


 黒仮面卿の放つ炎熱魔法に焼き尽くされる寸前、彼はたしかにあの円柱に攻撃していた。その攻撃が、狙いを変えさせたのだろうか? 彼が命にかえて領都を救った――?


「……失礼」


 扉がノックされ、僕はそこでまとまらない考えを止めた。


「確認。……タカハ、少年……」


 ゆっくりと木の扉が開かれ、その向こうから紫色の魔女が姿を見せる。


「ナイアさん……!」

「元気そう……。安心した」


 全身を黒いローブで包む彼女は、一瞬だけ微笑を浮かべると、ゆっくりと僕のベッドのそばに近づいてきた。


「具合は……どう……?」

「僕は大丈夫そうです。ナイアさんは?」

「私は……2撃目のマナの奔流で……気絶した……。肉体的にも……魔法的にも……被害はない。……万全の状態」


 ナイアさんが僕の肩に手を置く。イーリの花と同じ優しい匂いが僕を包んだ。紫色の瞳は真剣な色をたたえて、僕に注がれている。なにかを問いかけるように。


「メルチータさんも、万全の状態ですか?」

「…………」


 ナイアさんは、僕から視線をそらした。


「メルチータさんは大丈夫なんですか」


 語気がわずかに荒くなるのを止められなかった。ティルさんも、ナイアさんも、やはり僕になにかを隠している。嫌な予感に心臓がテンポを上げていく。


「……隣の、部屋……起きてる……」


 僕はかけられていた布団を跳ねのけて立ち上がる。ひどい頭痛がした。ぐるぐると頭を回された後のように平衡感覚もおかしい気がする。でも、そんなことはどうでもよかった。


 揃えられていたブーツに足を通し、立ち上がる。


「会う……?」

「もちろんです」

「……そう。……あなたには、たぶん……その義務がある」


 ナイアさんに続いて扉を出る。


 廊下に出て僕は気付いた。ここはアーム村の集会場のようだ。丸太組みの質素だが大きな建物。その廊下に人の気配なくて、すぐのところにあった扉をナイアさんはノックする。


「はーい。どうぞー」


 中から聞こえてきたメルチータさんの声は明るくて、いつもどおりだった。

 かえって僕の不安が浮き彫りになるようなくらいに、いつもどおりで。


 僕は、ナイアさんが開けてくれた扉のすき間に飛びこんでいた。


「メルチータさん!」


「あ! タカハくん! 目が覚めたのね? おはよう」


 メルチータさんはベッドで身体を起こしていた。

 淡い色の清潔なティーガに着替えて、1本にまとめた長い金髪を右肩に流している。

 緑色の瞳も、穏やかな微笑も、いつもどおりだった。


「メルチータさん、大丈夫で――」

「いやー、完全にしてやられちゃったね」


 僕の言葉に重ねるように、メルチータさんは妙に明るいトーンで言った。


「負けるはずはないと思ったんだけどね、やっぱり慎重じゃなかったのかもしれない。彼らの作戦も巧妙だったし……タカハくんはもう大丈夫?」

「……僕は大丈夫、ですが」

「私たちの動きを封じたあれはすさまじい密度のマナだね。坑道の奥から噴き出してきた。たとえるなら、マナの間欠泉、って感じかな? 回路パスをもつ私たちは、『大魔法防護』の膜を乗り越えるときと同じ状態になってしまったの」


 マナの間欠泉。

 放出された大量のマナ。


 ――――儀式、と敵は言っていた。


「……領主様、報告することが、ある……」


 振り返ると、ナイアさんは『学舎』の研究者の顔をしている。


「昨夜から、アーム村一帯のマナが枯れている・・・・・


「…………え?」


 ナイアさんは一瞬だけメルチータさんに視線を送って、それを僕に戻した。


「……回路パスを、開いてみて……」


 指示に従う。

 目を閉じて、昨夜さんざん揺さぶられた魔法使いとしての第六の感覚を解放する。


「…………あれ?」


ない・・、でしょう……?」


 ナイアさんの言うとおりだった。


 いつもなら、このくらいの部屋には2、3粒程度の密度で漂っているマナが、どこにもない。


 僕はその感覚を維持したまま廊下を視た。――ない。窓に駆け寄る。外の木立のすき間、はるか遠くに1粒のマナを視ることができた。でも、それだけだ。普段なら、もっとたくさんのマナが世界中に満ちあふれているはず、なのに。


「あいつらの儀式の結果、なのでしょうか」

「……そう考える、べき……」


 マナを閉じ込める『大魔法防護』の中で行われた何らかの儀式。その結果、今は――アーム村のマナが枯れ果ててしまっているのだ。


「なにが起こってる……?」


 仮面の彼らの儀式。その目的は、これだったのか――?


 頭の中はぐちゃぐちゃとしていた。

 思考回路が混線して、まとまらない。


 いや。

 今は、そんなことよりも。


 戦いの最後に黒仮面卿が放った謎の魔法。『魔法を忌むための魔法』と言ったそれを受けたのは、メルチータさんだった。そして、今のメルチータさんは強がっているようにしか見えない。


「メルチータさんは大丈夫ですか?」


 言った瞬間、部屋の空気が緊張した。


 ナイアさんが、ティルさんが、なにかを言いかける。……やっぱり2人は僕になにかを隠している。2人はメルチータさんの身体に起こった異変を知っているのだ。


「ええと。大丈夫……って言いたかったんだけど」


 緑色の魔女は困ったような微笑を浮かべる。


 そして、いつもどおりの、優しい口調で言った。


「私、魔法が使えなくなっちゃったみたいなんだ」




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