第156話:「”ゆえに対価は 14.315”」と仮面の男は詠唱する。
「ああ。そうだ。君を、君だけを待っていた」
歓喜に満ちた微笑を浮かべ、黒い仮面の男は両手を広げる。
「問答をしよう。私たちは言葉を尽くさなければならない。疑問を言葉にし、答えを重ね続けることで、私たちはたがいを理解することができる。そうだろう?」
「同意は、します。僕とあなたにその必要があるかはさておき」
「安心するといい。どのみち、もう時間切れなのだ。君は間に合わなかった。それは、時間はいくらでもあるということと同義であるはずだよ」
「だったら――ッ!」
「……タカハくん。今は、刺激しない方がいい」
囁いたメルチータさんが僕の肩に手を置いた。
……そう。こいつの言葉をすべて信じるなら、僕たちは間に合わなかった。『大魔力爆縮』の発動権限はすでに黒仮面卿の手中にある。
今すぐに戦闘をしかけるべきだろうか。……ダメだ。メルチータさんの言うとおり。敵の言葉が真実なのかもしれない以上、僕たちは強引な手段に出ることができない。
それに、『大魔法防護』のような魔法を使われてしまえば、近接戦闘の手段を失った僕たちに勝ち目はない。
くそ、と僕は内心に吐き捨てた。
そうやって僕たちの行動を縛っておいて、問答もくそもあるか。
僕はなにげなく周囲に視線を走らせる。そこで、はたと気づいた。先ほど僕たちが飛び出してきたような坑道が、もう何本かこの白石の空間に接続されている。狩猟団員たちが駆けつけてくれれば、この状況を打開できるかもしれない。
「さて。なにから話したものだろうか」
黒仮面卿はどこかうっとりした口調で続ける。
……時間稼ぎだ、と僕は自分に言い聞かせた。そのための会話なら、乗ってもいい。
「君とは語り合いたいことが星の数ほどにもある、が……そうだな、今日の話題は『独立領』にしようか」
「独立領……?」
「ああ。それはすなわち、君そのものへの問いかけでもある。
君はなにを目指して、あの革命を引き起こした?」
いつか、僕に託した人がいたから。
それは僕にしかできないことだから。
対訳という圧倒的な力があったから。
その全てが真実の理由だけれど、中心じゃない。
「僕は、すべての奴隷と呼ばれる民を救う」
「ほう……?」
「今の『魔法の国』のあり方は、間違っている。戦争をするにしてももっと上手なやり方があるし、人々の生活をもっと豊かにすることができる。僕なら、それを実現できる。そう確信したから、僕はあの日、旗を掲げた」
「――――素晴らしい」
ぱち、ぱち、ぱち、と。
黒仮面卿は力強く両手を数度、打ち合わせた。
「素晴らしいよ、君は。やはり我々はたがいを深く理解するべきだ。なぜなら、私も君とまったく同じことを願っているのだからね」
「同じ……?」
「ああ。――今のこの国は、忌々しいほどに、致命的なほどに、間違えている」
瞬間、黒仮面卿の両腕にかすかな力がこもった。
口調ににじむ感情は、怒りのような、なにか。
「魔法使いは本来、もっと強いのだ。間違っても、周囲を取り巻く蛮族の国々に侵略を許していいはずがない。そもそも、侵攻しようとさえ思えないほどに、我らには圧倒的な力がある」
「……」
たしかに魔法使いたちは強い。言葉だけで現実に干渉できる僕たちは、それを持たない人たちと比べて、戦闘力に大きく優れている。……でも、僕たちは人数が少ない。そして、他国もそれを理解した上で侵攻してきている。
その程度のことは、この男だって理解しているだろう。
でも、黒仮面卿の口調には、単なる魔法への信頼以上のなにかがある……気がする。
「失敗した『魔法の国』に変革を呼び、今は奴隷と呼ばれるこの国の民を救う――私もまた、そう願っている。君と私の根幹は同一なのだ。だからこそ私は問いかけなければならない」
まるで生徒の成長を待つ教師のような、すべてを受け止めつつも、こちらを確実に見下した表情で、黒仮面卿は続けた。
「君はすべての知識を民に開示することで、革命を成し得た。だが、そうしなくとも、革命は達成できたはずだ。違うかな?」
「……なにを言っている?」
「分からないとは言わせない。君は『魔法の教科書』などを作らなくとも、奴隷たちを焚き付け、扇動し、あの戦いで勝利することができたはずだ」
…………。
……。
……その可能性は、あるのかもしれない。
たしかに、あれほどの人数の奴隷たちを領都の前に集めることができれば、それはすなわち革命軍の勝利とイコールだった。僕が広めた魔法は、そんな彼らを少しだけ、後押ししたのにすぎない。
「君はこれから先も知識を民に広め続けるのか?」
「もちろんです。民の全員が知らなかったことを知り、自らの意思で正しいと思う方向へ向かっていけば、すべての奴隷と呼ばれていた人を救うことができる。僕はそう信じている」
「ああ、やはりそうだった。君は、そこでつまづいてしまっているんだ」
「……なに?」
「――――本当に残念だが、その方法は完全に間違っている」
同情をうわべに塗りたくった口調で、黒仮面卿は言った。
「すべての民に、すべての知識を授け、すべての魔法を授けたとしよう。一部の民は、君のように他者のために振る舞うだろう。他者を願い、他者を慮り、独立領の未来につながる選択肢を選ぶことができるのかもしれない。だが、それはごく一部の者だけだよ」
「いいや、それは違う。あなたのように自分のために振る舞う人間の方が少ない」
「君が作る独立領という理想郷は、民の多くに良心があることを前提としている時点で、致命的に間違っている。人間はそこまで完成された生き物ではない。
何度でも繰り返そう。
ほとんどの民は、君が授ける力を自分のために振るう。
もっといい生活をしたい。もっといい食事をしたい。名誉がほしい。地位がほしい。金がほしい。他者を見下したい。……そういった願望が、この国に再びあふれかえることになる。貴族たちの支配する時代となにも変わらない結果となる」
「奴隷として抑圧された過去を持つ僕たちが! そんな道を選ぶことはない!」
「果たしてそうかな? なぜ、かつての支配者であった騎士たちもまた、君たちと同じ人間だった、という単純な事実に気づかない?」
「――――ッ」
「騎士団に所属していた君ならば知っているだろう。騎士の多くは教養に優れ、礼節を重んじる人格者だ。そんな彼らですら、他人を奴隷と名付け、抑圧し、踏みにじった。今のまま進めば、君が進む革命の道はかつての騎士団と同じ結末をたどる。
君の革命は、必ずこの『魔法の国』のすべてを覆い尽くすだろう。
だが、その先に待つのは、以前の支配体制となんら変わることのない混沌だ。
その可能性には目をつむっているのか?
それとも、意図的に目を背けているだけなのかい?」
「そうならないと信じているからこそ、僕は革命を進めてきた」
「信じる。信じる、か。実に心地よい言葉だよ。心地よすぎて、喉がむず痒いほどだ」
吐き捨てるように言った黒仮面卿は、青い瞳をまっすぐ僕に向けた。
「真に信頼に足るものは集団ではない。強い意思と感性を磨き上げたたった1人の人間だ。――君こそがその存在としてふさわしい、と私は考えている。精霊が君に『対訳』という名の祝福を授けたのは必然だ」
はっとした。
僕はついにこの黒仮面卿の真意に気づいた。
「……協力、しろと?」
「いかにも。賢王の治世によって民のほとんどが幸せに暮らした国、時代は枚挙にいとまがない。この激変の『魔法の国』が目指すべき未来はそれだ。私に手を貸すのだ、タカハ=ユークス。そうすれば、私はこの国を手中に収め、いずれ君にこの国の未来を手渡そう」
「…………」
まったく無価値な話だった、とは思わない。『魔法の国』を変えていく方法として知識を無条件に広めることが必ずしも正解とは限らないし、たしかに、独立領の人だって全員がいい人じゃない。
でも、そんなの、分かりきってることだ。
その上で、黒仮面卿は言ったのだ。
――国を手渡す、と。
それがまるでなにかの所有物であるかのように。
その言葉だけで、こいつを拒絶する理由は十分だ。
僕が預かった独立領は、そんな軽いものじゃない。
部屋の鍵を手渡すように手軽に移譲できるものなんかじゃ、決してない。
たくさんの、無数の、魔法使いたちの犠牲の上に、僕たちが勝ち取り、そして、僕が預かっているだけのものだ。
「今の君には辛い話なのかもしれない。だが、それも理解できる。なに、時間は十分にあるとも。私は何度でも君と対話をするつもりだ。その果てに、君は必ず私の隣に立つこととなるだろう」
「わけの分からない魔法を独立領内で使っておいて、そもそもこれが対話だと本当に思っているのですか?」
そのとき、だった。
僕の視界の端に、たしかに動く気配が見えた。
右奥の坑道、こちらの様子を伺うように顔を見せた彼らは、アーム村の狩猟団員たちだった。小坑道を迂回し、この小部屋に到達した彼らは、音を消し、気配を殺し、ゆっくりと武器を構える。
「私としてもこのようなやり方は不本意なのだ。だが、我らにも譲れないものがある。君がいつか必ずたどり着くと確信した上で、私はこの状況を利用させてもらう」
黒仮面卿は部屋の中央にある円柱に手を触れた。
「我ら『結社』に手を出さないと約束してもらおう。
――そう確約しなければ、この破壊の奔流を領都に向けて解き放つ」
「……ッ。あなたは、何をしようとしている!? 望みはなんだ!?」
「取り戻そうとしているだけだとも。魔法使いたちの尊厳を。そのための力が私にはあり、そのための方法を私は知っている。そして取り戻した全ての力は、いずれ君に引き渡されることとなる」
「だったら、その方法を教えてくれてもいいはずだ」
「残念ながら、時間だ。邪魔も入りそうだからね。――――返答は?」
口先だけでも『協力する』と言う――それはありな選択肢なのかもしれない。
だが、少なくとも独立領の領主となった僕が、そうやって屈することは、間違っている。
小さく息を吸い込み――僕は『対訳』の力を起動した。
「”土―7の法―5つ――”ッ!」
単位魔法は『土の7番』。岩塊を射出する土属性の攻撃魔法。
黒仮面卿を攻撃しつつ、部屋の中央にある円柱を粉砕する。そのための選択。
早口の詠唱を見て、黒仮面卿はため息をこぼした。
僕の詠唱を聞いて、坑道から狩猟団員たちが飛び出す。同時に放たれた矢が黒仮面卿に向かって疾走する。メルチータさんが、ナイアさんが、同時に詠唱を始める。
黒仮面卿は放たれたすべての矢を回避し、円柱に手を触れた。
「若さだな。……少々、失望した」
その瞬間。
――――――僕の世界が、ひび割れた。
「――――――――――――ッ!!?」
黒仮面卿の足元から、太陽が炸裂したかのようなエネルギーが押し寄せてくるのが分かる。
マナだ。
圧倒的なマナの奔流だ。
密度で言えば、さっきまでのさらに数倍。『大魔法防護』の膜を通り抜ける、あの瞬間と同等のマナ。
それは濁流となって、一気に僕に襲いかかった。
僕はその瞬間、詠唱のためにマナを知覚していた。回路を開いていた。そこに、先ほどまでをさらに上回る、圧倒的な密度のマナが叩きつけられた。
結果――――僕の第六の感覚は完全に暴走した。
心臓の横のあたりに、まるで『噛みつかれた』ときのような鋭い痛みが走る。僕の視界は白で埋め尽くされた。目を焼くような光量が脳髄を揺さぶる。それは僕の第六の感覚がみせる錯覚だ。濃密すぎて固体のようになったマナの感覚が僕を襲う。
僕はすぐに回路を遮断した。
だが、いつもの五感が戻ってこない。視界がぐにゃぐにゃに歪んで、立っていることすらできない。
僕は膝をついた。詠唱を続けなければ。そう思うのに、舌が、喉が、肺が、僕の言うことを聞かない。
「立ちなさい」
「く……っ、はな、せ……っ」
目の前に黒仮面卿が立っている。
襟首をつかみあげられた。
それが分かる。
なのに、視界と平衡感覚はめちゃくちゃなままだ。
「君の決断に従い、領都を攻撃する」
「……!」
すぐ近くに、血走った瞳があった。黒仮面卿の瞳だ。瞳孔の小さな目には幾本もの赤い筋が浮かび上がり、怒りに燃えている。それはまるで禍々しい宝石のように見えた。
「詠唱をしようとは思わないことだ。今なら、君の喉を潰すことすらたやすい」
胸倉をつかまれ、持ち上げられている。
もうすぐ足が離れる。
息が、できない。
「安心するといい。君は殺さない。私は君に期待しているのだ。……ただし、罰を受けてもらおう。独立領主タカハ=ユークスは民を焼かれ、魔法使いタカハは魔法を奪われる」
どさり、と僕は後ろ向きに地面に叩きつけられた。
視界の真ん中で、黒い仮面の男が、まるで亡霊のように笑う。
「これは魔法を忌むための魔法。伝承はそう伝えている」
逃げなければ。
立ち上がって、走って、なんとかその魔法を回避する。
けど――ダメだ。重力の方向が分からない。両足にも両手にも力が入らない。そもそも、敵が、見えない。
黒仮面卿は息を吸い込むと、詠唱をした。
「”単独展開する――”」
それは。
「”現象は想起変動9式――契機は共通通貨処理――強度は5――“」
僕の知らない。
「”形状は付与弾丸――継続は自動で無制限――”」
精霊言語。
「”――ゆえに対価は 14.315”」
黒仮面卿の右手に、黒っぽいもやのようなものが形成される。不気味にうごめくそれは卵の大きさだった。だが、その表面では雛鳥になりそこなった汚泥のような蠢きが見える。
僕は必死に立ち上がった。理由はない。本能が訴えていた。あれは危険だ。
でも。
避けられ、な、い――――
「――――精霊の祝福を、呪いなさい」
黒仮面卿が嘲笑を混ぜた口調で言った。
――――その、瞬間だった。
「タカハくん――ッ!!」
僕は横に弾き飛ばされた。
視界の真ん中に金色の髪と緑色のローブが映る。
……メルチータ、さん。
「きゃあああっ!」
悲鳴を上げたのも、僕の目の前で糸を切られた操り人形のように崩れ落ちたのも、メルチータさんだった。
「なぜあのマナの中で動けた――?」
黒仮面卿がゆっくりと手のひらを天に掲げる。その手のひらに、周囲のマナが渦を巻いて密集していくのが分かる。すぐにマナの群れは規則的な動きに変わり、中央の円柱に吸い込まれていく。
なにかが始まろうとしている。
身動きさえできない、僕の目の前で。
「……まあいい。これも一興か。すべてを救うと誓った君への罰だ」
「く、そ……っ」
僕はゆっくりと立ち上がる。
止めなければ、あれを。
だが、震える唇は、精密な精霊言語の詠唱を許さない。
剣を構えることさえ、できない。
「――――させるものか!」
その瞬間、強い声が僕の鼓膜を揺らした。
坑道の分岐から飛び込んできた狩猟団員たちの中心。彼らに守られるようにして走るのは、ぼろぼろのローブを身にまとった旧市民会議の初代議長。マッカス、さん。
「タカハ=ユークス! 我ら市民会議の希望、すべて君に託す! 領都は、この私の手で守る!」
「……っ! 貴様ッ!!」
「うおおおおお――ッ!!」
慌てた様子で黒仮面卿が火属性魔法の詠唱を開始する。
が、それよりも、マッカスさんの方が早かった。
円柱のそばに駆け寄ったマッカスさんの右腕のあたりから、唐突に、巨大な岩石の塊が生み出される。現実の質量とエネルギーを獲得したそれは直進し、まばゆい光を放ち始めた円柱に直撃した。かすかに、円柱が軋み――次の瞬間、黒仮面卿の火属性魔法が、マッカスを一瞬で焼き尽くす。
「愚者の中の愚者が! 忌々しい……!」
吐き捨てた黒仮面卿は、だが、すぐに平静を取り戻した。
そして、動けない僕に向かって優美な一礼を向ける。
「またお会い出来る日のことを楽しみにしている、公爵閣下」
「そんな日……来るものか……」
「いや。必ず君は私に会いに来る。次に目覚めたとき、君は私の言葉の意味を知るだろう。君がどれほど私を拒絶しようとも、結果は変わらない。――それでは、どうか生き延びられますよう」
そう言い置き、黒仮面卿は軽い身のこなしで円柱のそばを離れた。そのまま部屋の奥にある坑道へ走り戻っていく。
「領主様……!」「学士様!」「魔女殿!」
狩猟団員たちが駆け寄ってくる。
そんな彼らの向こうで、光をたたえた円柱が――爆発した。
僕の目にはそう見えた。
そこから、信じられないくらいのマナの奔流が流れ出してくる。
身構えたけれど、無意味だった。
再度、膨大すぎるマナの密度に撃ち抜かれ、魔法使いである僕は意識を刈り取られた。
覚えていたのはそこまでだった。
五感の全てを手放すように、僕の意識は闇に溶けていった。
ぐぬぬな展開で申し訳ありません。
ここから数話で、この物語は1つの転換点を迎えることになります(当社比)。
引き続きお付き合いいただければ、作者としては無上の喜びです。
以下、宣伝になります↓
活動報告にも上げさせていただいたのですが、書籍版『算数で読み解く異世界魔法』第3巻が本日発売となります。
最終巻です。完結を迎えることができました。
電子書籍のみの発売になりますが、えいひ先生の美麗なイラストとともに、書籍換算で500ページの大長編でお届けします。……ぶっちゃけますと『1、2巻の売上が……(泣)』とのことでしたので、書籍用に構想していた展開を全部ねじ込んで3巻を出させてもらいました。
Web版のパラレルワールドとしても、書籍版タカハの戦いのフィナーレとしても、きっと満足いただける最終章になっていると思います! ぜひお手にとってみてください!




