第154話:「待ってください」と僕は違和感に足を止める。
「さあ、殺し合いを始めましょうか!」
坑道の広場の奥で、10人の魔法使いたちが一斉に詠唱を開始した。
僕は目を閉じ、聴覚に全ての感覚を集中させる。
10人分の詠唱は、だが、はっきりと聞き取れた。属性は入り交じっている。うん、魔法番号も知ってるものばかり。2節目まで聞き取れば十分だ。遠距離に到達することができる射出系が全てだった。
「射出系の詠唱! 人数分来ます!」
「”風―7の法―――”」
僕の報告を聞いた瞬間、メルチータさんが詠唱を開始した。
その表情はマナの密度による影響をこれっぽっちも感じさせない、淡々とした無表情。ざわつくマナがまるで現実の物体のように魔女の周囲を踊るのを、僕はかすかに開いた第六の感覚で知る。
「”―12つ―今―眼前に”」
単位魔法は『風の7番』。移動速度を飛躍させる風の補助単位魔法、5マナ。
位置の指定に2マナ。
起点の指定に2マナ。
それをキリのいい倍数で、12倍魔法。
僕が教えた『17の原則』を無視するための対価の発音。
それによって完成する、メルチータさん本人以外の12人を対象とした全体補助強化魔法。
「”ゆえに対価は 108”」
表面上、僕たちに何の変化もなかった。だが、かすかな風が周囲を取り巻いている感覚がある。動き出せば、すぐに風が僕たちの背を押してくれるだろう。
「狩猟団。……魔法使いとの戦闘経験は……?」
「ありませんね、さすがに魔法使いとは」申し訳なさそうに言ったゲパルトさんは、不敵に笑んだ。「――が、それでビビると思わねえでください。俺たちは招集の戦場で敵国の兵士とさんざん殺し合いをやってきたんだ」
「上出来。……私とメルチータが、全力で支援する。隊列とか、難しいことは考えないで……やつらを無力化して。――じゃあ、突撃」
「「「応!」」」
敵陣から10個の魔法が放たれたのと、10人の狩猟者たちが放たれたのは――同時だった。
僕はその衝突を見届ける。
敵の魔法は岩石、氷槍、炎弾。さすがにそれが十発の規模になると、氾濫した大河を思わせるような横並びの迫力があった。そこに突撃していく狩猟団員たちの背中がかすむほどのエネルギー量。計算ずくの現実を呼び寄せる魔法の言葉は、やはり戦場では圧倒的な力を持つ。
……その使い手に知性があれば、っていう条件つきだけど。
「歩兵を進めたところで――なにいいッ!?」
ひびきわたるのは市民代表の驚愕の声だった。
風の加護をその両足に宿し突撃した狩猟団員たちは――襲いくるすべての魔法をたやすく回避していたのだ。
修飾節で加工しない限り、投射系の魔法は単純に直進する。そして、速さも、そこそこ程度だ。ふだんは俊敏な獣を相手取り、過酷な戦場を生き抜いてきた狩猟団員たちにとって、その魔法を回避することは難しくない。しかも、今はメルチータさんの魔法による移動系の加護までおまけされている。この結果は必然以外のなにものでもない。
狩猟団員たちは二手に分かれる。右手。弓使いの4人は素早く背負っていた弓を構え、命中精度を高めるためのしゃがみ打ちの姿勢をとった。
「”空―8の法―4つ―今―付与”」
続けて詠唱をしたのはナイアさんだった。単位魔法は『空の8番』。触れたものの形を強制的に変容・破壊させる黒い球を放つ、空属性唯一の攻撃魔法、8マナ。
武器に付与する詠唱文。
その、4倍魔法。
「”ゆえに対価は 56”」
解き放たれた魔法は主の命に従って、狩猟団員たちの矢を強化した。その矢尻に黒い球がまとわりつく。
――と、同時。空気を裂く甲高い音とともに、狩猟者たちの弓から矢が放たれた。
森の中での取り回しを優先しているそれは、一見すると小さな弓だ。だが、それは決して弱弓などではない。獣の毛皮を一撃で穿つために素材を組み合わされた文句なしの強弓。その斉射は、ぶれることのない4筋の直線を描きながら疾走する。
「すでに防御魔法の詠唱は終えているッ! 魔法ではない攻撃など――!」
マッカスの声に応えるように、旧市民たちが一斉に土の壁を立ち上げた。
さすがの狩猟用重弓であっても、土属性が誇る最優の防御魔法を貫くことはできない――とでも、マッカスは考えたのだろう。
「恐るるに足ら――何ッ!?」
目の前に広がったのはどこか歪な光景だった。
まるで薄紙を相手にするかのように、強固なはずの岩石の壁が、4つの矢に引き裂かれていたのだ。
「ぐぁあああっ!」「あ、足に矢があああ――ッ!」「ふぁ、ファリーニ卿……! 話が違いますぞ!」「ここではやつらは魔法を使えぬはずでは――ッ!?」
その答えはもちろん、ナイアさんの魔法。
「実地検証、成功。……付与できる面積が小さくても、破壊力は……十分……」
武器への魔法の付与は、騎士団が得意としていた魔法の活用法の1つだ。だが、彼らは基本的に手持ちの近接武器にしか付与を施してこなかった。
弓矢に魔法を付与する。これは、単純なようで、これまでムーンホーク領には存在しなかった戦法――すなわち、ナイアさんの発明だった。
一般的な岩石魔法の倍以上の速度で飛翔する矢。そこに、弾速は遅いけれど、破壊力が甚大な『空の8番』のような魔法を組み合わせることで、その攻撃力を飛躍的に向上させることができる。
混乱する市民たち。
だが、少人数同士の魔法戦は秒の単位で刻々と進み続ける。
敵の混乱に乗じて、2手に分かれた狩猟団員たちのもう1方――左手、6人の集団が、狩猟用の大槍を構えたまま、風の加護に後押しされたすさまじい速度で距離を詰めていく。
「や、矢は避ければいい! 歩兵を近づかせるな……! この距離ならさすがに投射系の魔法も外れない! 撃ちまくれぇッ!」
「……これじゃあまるで、17年前の魔法使いたちとやり合ってるみたいね」
僕の隣でため息交じりにそう言ったのは――メルチータさんだった。
「騎士団がさんざん研究して、少人数同士の魔法戦闘の優先順位は防御魔法、身体強化、付与系、範囲攻撃魔法って決まってるわ。投射系が有用な状況はきわめて特殊よ。『原則』の向こうを使うまでもない」
緑色の魔女が、僕のとなりでどこか眠そうな表情で言った。どうやらこの魔法戦は、彼女にとって、あまりにも退屈な代物のようだ。気だるげな表情で、メルチータさんが杖を掲げる。
「”土―11の法―堅牢なる1つ―今―彼方に ゆえに対価は12”」
桜色の唇が詠唱を終えると、ただちに魔法は現実の力を獲得した。敵集団に肉薄した狩猟団員たちの前に、巨大な土の壁が立ち上がる。
その壁にめがけて、炎、水、雷……と立て続けに敵の魔法が着弾した。
すさまじい土煙と衝撃音が洞窟の中の広場に立ちこめ、かがり火の炎を揺らす。
「やったか!」
やったわけないでしょ、と内心で呟きつつ、僕は腰の剣を抜きながら走った。
「さあ、同胞たちよ。次は弓兵が相手だ。敵は分断の愚を犯した。少人数の兵たちを次々と撃破してゆけばがぁっ!?」
土煙がゆっくりとかき消えていく。
メルチータさんの作り出した堅牢なる防壁は健在だった。
当然、その防壁の裏側にいたはずの狩猟団員たちは無傷だろう。
土煙が完全にかき消える――と。
敵陣に深く入り込んだ狩猟団員たちが手際よく敵を無力化していく、実に微笑ましい光景が僕たちの目の前に広がっていた。
「ひぃっ! や、やめ――うわああっ!」「わ、わたしはファリーニ卿に乗せられただけぶばぁっ!」「や、やめて――!」
駆けつける必要さえなかったみたいだ。同士討ちを恐れているのか、魔法の反撃すらしない旧市民たちが、屈強な拳による多少強引な方法でまたたく間に無力化されていく。
戦闘はあっけなく、終了した。
軽い駆け足で、僕は崩壊した敵陣に近づく。
と、ゲパルトさんが晴れやかな表情でこちらに手を振った。
「領主様、すいやせん。市民のみなさんを殴っちまいました。うるさいんで」
「構いませんが、重要な情報源です。拘束にとどめてください」
「放せ! 放さんか! このッ!」
僕はゆっくりと、ゲパルトさんに取り押さえられたマッカスに近づいた。
まるで蛍光灯の周囲で踊り狂う蛾のように、マッカスは残った右腕をしきりに動かし、ゲパルトさんを振り払おうとしている。
「け、汚らわしい手で触れるなッ! いいから放せと――」
「――――おい。てめえ、立場ってもんを分かってんのか?」
形勢の逆転は一瞬だった。
ゲパルトさんは左腕でマッカスの右腕の関節を極め、反対の手のひらで額を握り込んでいる。そもそも、ゲパルトさんとマッカスでは体格が違いすぎた。鍛え上げられたドーベルマンと、生身の人間がまるで勝負にならないように。
「俺が両手を使えば、お前の首なんざものの1秒でへし折れる。お前の命は、今、奴隷である俺の手のひらの上にあんだよ」
ゲパルトさんの口調は淡々としていた。その顔に表情といえる表情はない。
対するマッカスの頬をおびえの影がよぎり、すぐにその肩がぶるぶると震え始めた。
「ひっ……」
「おーおー、大の大人が子犬みたいに泣きやがって。そういう無様が人間らしいってことなのかい? 領民会議の議長さんよぉ?」
「……き、貴様らのような卑賊に屈しないことが、人間の、尊厳だ」
「いい表情になったじゃねえか。領主様がこれからお前を尋問する。せいぜいその尊厳ってやつだけはなくさねえようにしろよ」
ゲパルトさんはまるで雑穀袋かなにかのように、拘束したマッカスを地面に放り投げた。ぶげっ、と奇妙な声を発しながら、市民代表が地面を転がされる。
僕はかすかに息を吸い込む。
ここまで、僕の知らない魔法の詠唱はなかった。
重要なのはこれからだ。
「ファリーニ卿、単刀直入に聞く。この『大魔力爆縮』はいつ発動する?」
問いかけを受けて、ぎらりと市民代表の瞳に光が戻った。
「今宵だ! 今宵、ムーンホーク独立領は精霊の怒りの息吹に沈む……!」
「…………やっぱり、そうか」
マッカスの返答は僕の失望と焦燥感を加速させただけだった。
剣を握る手のひらに気付かないうちに力がこもる。
「タカハくん」とメルチータさんが僕の肩に手を置いた。「この人たちの尋問は後でいいはずよ。私たちは現実の問題に対処しなければならない。この『大魔力爆縮』は、発動を続けている」
「たぶん、真の術者が……奥に……」
メルチータさんとナイアさんはすでに坑道の奥に視線を向けていた。広場から伸びる坑道が、暗い大口を開けている。この向こうに、異変の中心があるはずだ。
「少しだけ、待ってください」
2人の魔女の疑わしげな視線への返答も込めて、僕はマッカスに再び顔を向けた。
「――――この話、やっぱりどう考えても妙です」




