第153話:「成り上がりの奴隷風情が」と男は叫んだ。
無番採石場の内部の印象は、採石場というよりも、まさに炭鉱とか鉱山だった。
大きな入り口があって、その内部は、複雑に入り組んだ坑道がアリの巣のように張りめぐらされている。良質な石材を求めて職人たちが掘り進んだ無数の『小坑道』と、あとから石材を運び出すために開通させた『主坑道』が、平面の地図では表現できないほど複雑に絡みあっていた。
でも、僕たちが道に迷うことはなかった。
マナの濃度が高まっていく方向がすごくよく分かったから。
すでに僕たちの周囲はふだんの15倍ほどのマナ密度になっているけれど、その濃さの中心点がどっちの方向にあるのか、僕も、メルチータさんも、ナイアさんも、簡単に知覚できた。
行き先は魔法使いであればだれでも分かる。
だからこそ、その洞窟は不気味だった。
「……反撃はなし、ね」
僕の声は坑道の中にむなしく消えていく。
ふたりが横並びで十分に通ることのできる主坑道は、無数の小坑道と分岐、合流を繰り返している。
たいまつの明かりが照らす坑道は、敵の気配がこれっぽっちもないことを除けば、まさにゲームの中のダンジョンのようだった。モンスターとエンカウントしないそのダンジョンは、不気味すぎる沈黙を保っている。
だが、この採石場の出入り口には無数の足跡が密集していた。ここ数日に刻まれた足跡がほとんど。その意味することは明白だ。足跡が多すぎて革命軍の兵士たちの足取りはかえって失われてしまったけど――
周囲を警戒するゲパルトさんが鋭角な耳をぴくぴくと揺らしながら言った。
「自分たちに回路はありません。だから、マナや魔法のことは分からねえ。ですが、その分、敵の気配を見逃すこともありません。待ち伏せがありそうな場所は俺たちが押さえています。領主様は方向だけご指示を」
「分かりました」
「……なんて言ってる間に、怪しいものが見えてきましたよ」
瞬時に僕たちは身構えた。
狩猟団員たちもまた槍の穂先を坑道の先に向ける。
遠くの曲がり角の先で、坑道が明るくなっている。
明かり。
つまり――人の存在。
「古い地図によれば、あのあたりは広場になっていたはずです。ここまで待ち伏せはなかった。あの広場で決戦をしようって腹か、もう全部放り出して逃げ出したあとか。……斥候を出しますか」
「お願いします」
「ライム、ちょっと行ってこい」
「……承知」
弓を背負った小柄な猫人族が足音をまったく立てずに坑道の曲がり角へ進んだ。
なにかが起きることもなく、斥候はすぐに戻ってくる。
「人の姿はない。かがり火が焚かれている広場」
「妙ね」メルチータさんはかすかに目を細めた。「マナの密度が1番高い部分はもう少し奥にあるはずよ」
「同意。……まだ、深いところがある……」
「小坑道で迂回は……くそっ、地図を見る限り無理みたいですぜ。落盤のせいで潰れちまってる」
「私たちはあの広場を通らなければ異変の中心点にたどり着けないってわけね」
「そういう基準で……敵は、この広場を選んだのかも……」
僕は総勢13名に減った調査隊員に、順に、視線を送った。
「危険だと判断すれば撤退の指示を出します。その場合は、即座に従ってください」
ゲパルトさんが不敵な笑みを浮かべる。
「難しい命令ですぜ、領主様。ここに集まったやつらは全員、身内をやられたんだ」
「もちろん、僕が撤退を命じるときは相応以上に危険な場合だけです。僕もこの現象を引き起こしている犯人とはじっくり話し合いをしたいですから」
隊列を再確認。
盾と槍を持っている6人の狩猟団員を前衛に立て、僕たち3人の魔法使いと4人の弓使いが後衛だ。
「進みましょう」
僕たちは、足音を消しながら広場へ近づいていく。
メルチータさんが僕の右前。木製の長杖を油断なく構えながらも、表情は少し強張っていた。
左前のナイアさんは紫色の瞳を人形のようにまっすぐに広場に向け続けている。
僕は、そんな観察ができるくらいには、落ち着いていた。
暴力的なマナの密度にも、だいぶ慣れてきた。魔法を使う戦闘も十分にできるだろう。
僕は準備運動をするように、回路を開いたり閉じたりしてみる。
広場はすぐそこ。
光の輪が僕たちを包み――抜ける。
光量の差に目が慣れるのに、一瞬。
僕たちは大きな広場にたどり着いた。そこから何本もの小坑道が延びる、ターミナル駅のような広場だった。かがり火がいくつも焚かれ、中は明るい。
予想していた敵の大集団の姿はなかった。
だから――――すぐに見つけることができた。
「お待ちしておりましたよ、公爵閣下」
――――広場の突き当たりにいる、人影を。
――
「お待ちしておりましたよ、公爵閣下。本当にあなたはタイミングのいいお方だ」
ひびわれた男の声が言う。
僕は目を細めて、その男を視界の中央に捉えた。
紺色のローブは裾がほつれ、いたるところが破れている。かつては美しかったであろう金糸や銀糸の装飾は、今はまとわりついた蜘蛛の巣のようにしか見えない。ローブに包まれた身体はどこか痩せていて、そのシルエットには左腕がなかった。
整えられていた金色の髪も同様に乱れていて、落ちくぼんだ眼窩から血走った赤色の瞳がのぞく。
「あなたは…………」
中年の人間の男だった。
僕たちのだれもがよく知る、その顔。
可能性はあると思っていた。
いや、もっとも高かった可能性だ。
「――――ファリーニ卿」
旧ムーンホーク領、『市民会議』の初代議長にして、永久名誉上級会員。
革命のあの日、僕たちの前に立ちはだかった市民たちの親玉が、視線の先にいる。
マッカス=ジョン=ファリーニ卿は、あの日と同じように余裕の姿勢を崩さず、不敵な笑みを僕たちに向け、言った。
「閣下、私は敬称をつけて名を呼ばれるべき人間ではありません。今の私は独立領を追われる、そう、罪人なのですから……!」
自らの言葉に酔いしれたその口調に、僕は冷え切った口調と杖を突きつける。
「だったら、今すぐに投降しろ」
「……投降?」
「この魔法が『大魔法防護』だということは分かってる。すぐに領都から革命軍の1軍団が派兵される手はずだ。あなたたちは為す術もなく、制圧される」
「制圧? 制圧ですか?」
くひゃ、と男は奇妙な声を上げ――目を細めた。
「――成り上がりの奴隷風情が、図に乗るな! 何の権利があって、奴隷が私を裁く! それは! 人間が! 人間を相手に行うことだッ! 間違っても奴隷が人に向ける言葉ではない……ッ!」
余裕の鎧を自分から勝手に脱ぎ捨てた旧市民は、痛ましい表情をして、右手を腕のない左肩に添えた。
「あの日、私はすべてを失い、あろうことか、この左腕までも失った。あなたの魔法だ。岩石魔法。『土の6番』。覚えているだろうな……ッ!?」
……ええと。
「覚えていません。流れ弾ですね。あなたのことは狙っていないので」
「…………そこまで私を愚弄するのですね。いいでしょう」
歪んだ男の表情は、どこまでも狂気的で。
「この私が、愚かなるあなたたちの誤解と無知を訂正して差し上げましょう」
男は陶酔しきった表情のまま、両腕を広げた。
「――————この魔法は『大魔法防護』では、ない」
「————」
「敵の魔法を防ぐ必要がないのに、なぜ防御魔法を使わなければならないのか。ふはははっ! 愚かにもほどがある! それが貴様らの知性の限界だ!」
そうだ。さっき、僕たちも考えた。でも、結論は出なかった。
向こうから答えを言ってくれるのだ。この話、聞いてみる価値はある。
そんなこちらの思惑には想像が及ばないのか、マッカスは歌うように言葉を続けた。
「2月もの間、我々はこの球に供給されるマナを蓄積しつづけた。膨大なマナです。さあさあ問題ですよ、閣下。――大きさの決まった袋の中に次々と小麦を放り込んでいけば、どうなると思いますか?」
男は表情で僕たちを愚弄しながら、唇をすぼめ、息を吸い込んだ。
「ぱぁん」
「――!」
「すべては弾け、吹き飛ぶ。――その爆発をコントロールし、その奔流がここからでも領都を貫くことができる、と言ったら?」
「あり得ない!」
叫びながらも、一瞬で、僕の体表にある毛穴という毛穴が開ききった。
例えるなら、それはマナの濁流。
領都をすべて破壊し尽くすほどの。
領都を飲み込むほどの一撃――このアーム村だって文字通り消し飛ぶはずだ。瞬時に頭の中の地図と人口のデータが展開される。もし、この男の言葉どおりの現象が引き起こされるなら、被害は2万人を下らないだろう。
虚言。
はったりだ。
僕の理性がそう訴える。この世界の魔法の実行者はあくまで、7属性を司る精霊様だ。彼らにマナを届けることで、魔法は現実の力を獲得する。マナそのものに破壊力はない。
「……ッ」
だが――可能性はゼロではない。
もし。
もしマッカスの言葉が、真実だとしたら?
だって、僕たちは知らないのだ。
彼らの行使する魔法、その詠唱を。
「『大魔力爆縮』。それがこの術式の名称です。もうまもなく爆縮は臨界点に達することでしょう。その中心点に火種となる術式を刻むことで、マナのエネルギーを大地に解き放つことができます。その破壊には、方向性を与えることも可能、と言ったら、さあ、どうしますか、公爵閣下?」
くつくつ、と男は笑う。
「いやはや本当にあなたはタイミングがいい。こうして私はあなたに復讐を遂げることができるのですからね――ッ!」
その言葉を合図にしたかのように、坑道の奥からマッカスと同じようなボロボロのローブ姿が10人ほど姿を現した。
「……マッカスの右隣は、グラン北東伯爵……」ナイアさんが淡々と言った。「左に、ライミー卿……最後に出てきたのが、大商人デル=ヴィー……。彼らと、その私兵……」
「やっぱり市民たちだったのね。タカハくん、急ぎましょう。あの術式の正体が分からない以上、私たちの選択肢は最速以外あり得ない」
もちろんだ。
もう『大魔法防護』だろうが『大魔力爆縮』だろうが関係ない。
今すぐにでもマッカスたちを倒すべきだ。
「……」
でも、と内心の僕が言った。
なにか、違和感がある。仮に、マッカスの言葉がすべて真実だとして、そこには、矛盾がある。そう思えてならないのだ。
その正体は――――
「タカハくん……?」
「……いえ」
僕はそう言い、迷いを振り払った。
かすかに息を吸い込み、冷静な思考を取り戻す。
「1つ間違いないのは、敵は退路を用意しているはず、ということです。彼らが僕たちと心中するはずはありませんから」
「退路。……つまり。……坑道の奥に抜け道がある……?」
僕は、続く言葉を全員に『伝令』した。
「敵の無力化、あるいは、その退路を潰すことを戦闘の目標とします。作戦は打ち合わせの2番。――では、戦闘準備」
12人の沈黙の頷きが、力強く僕の背を押してくれる。
僕は顔を正面に戻すと、声を張った。
「マッカス=ジョン=ファリーニ、改めて問う。今すぐに降伏するつもりはあるか」
「ご冗談を! お忘れですかな領主様! この洞窟そのものが、魔法使いを殺す領域であるという事実を――!」
集中していなければ、意識を刈り取られるほどのマナ。その中で回路を開き、詠唱することはきわめて危険な行為だ。『幽霊』現象を生み出していた球の表面を歩み越えるときと同じような衝撃が、僕たちを襲うはず。
「しかし! 我らはこの環境でも魔法を唱える鍛錬を重ねてきた! 我らの戦闘力が落ちているとは思わないでいただきましょうか! そして、あなた方の手勢は魔法さえ持たない奴隷がほとんどだ!」
残りの全員は魔法を使えない狩猟団員たちだ。魔法使いはたしかに僕とメルチータさん、ナイアさんの3人しかいない。
とはいえ。
すでに、適応に十分な時間は過ぎている。
「ナイアさん、メルチータさん、いけますか?」
「……愚問」
「右に同じよ!」
「では、指揮と戦闘はお願いします。僕は観測手として、敵の詠唱を聞き取ることに専念します」
「賢明な判断。敵の『大魔力爆縮』……詠唱さえ聞き取れば、独立領は大きな力を手に入れる」
「安心してタカハくん。あなたには指一本触れさせないわ」
2人の魔女が力強く頷き。
応えるように、市民代表は叫んだ。
「さあ、殺し合いを始めましょうか!」




