第152話:「彼らに利点があるのかしら」と翡翠の魔女は首をかしげる。
「――行きます」
「領主様!?」「タカハくん、待って!」
回路を強く閉じ、意識を集中する。
1歩、2歩、3歩。
『幽霊』が揺らいでいるあたりを通り過ぎた、瞬間。
――――がくん、と。
まるで電源を切られたみたいに、僕の膝から力が抜けた。
「領主様!」「いけねえ!」
回路を持たない狩猟団員たちに両腕を支えられて、自分の体が崩れ落ちたことを逆説的に思い知らされる。
僕の世界が、狂ったように、変調していた。
世界は、まるで真昼のように眩しい。それどころじゃない、フラッシュを焚かれまくっているみたいだ。奇妙なほど息苦しくて、ひどい目眩がする。
僕は決してマナを知覚しないように意識していた。にもかかわらず、こじ開けられた。それほどのマナが、あの球面には密集していたらしい。
「……ッ」
無理やり開かれた回路をさらにきつく絞るイメージ。それは一種の戦いだった。必死に回路を閉じようとする僕と、その隙間に入り込もうとする暴力的なマナの奔流との、せめぎ合い。
その戦いは――僕の勝利に終わった。
感覚の嵐が次第に収束していき、僕は正常な五感を取り戻していく。
「タカハくん!? 大丈夫!?」
球面の向こう側でメルチータさんが心配そうな顔をしていた。
「はい。なんとか、大丈夫です」
頭を振って、周囲の状況を確認する。
球面にはすさまじいマナが張りついていた。魔法使いの感覚をこじ開けるほどのすさまじい密度。
――だがそれだけじゃない。
感覚を遮断したはずなのに、まだまだ眩しい。持続している。
球の中もまた、マナがひどく濃いようだ。ふだんの10倍近い濃度のマナが存在している。気を抜けば、僕の第六の感覚は一瞬で暴走するだろう。
「通り過ぎる瞬間は、すさまじい衝撃に襲われます。入ったこちら側も、かなりマナの密度が高いです」
ナイアさんとメルチータさんは互いに目配せをして、意識を集中すると――膜をくぐった。
さすが学舎が誇る魔女のツートップだ。僕よりも上手にその感覚を乗り切って、膜のこちら側にやってきた。
だが、残りの魔法使いにとってこれはとてもむずかしい挑戦だったらしい。アーム村の志願者のうち、最初の3人が連続して気絶したところで、他の魔法使いをこちらに呼ぶことを僕たちは断念せざるを得なかった。
「……申し訳ありません、領主様」
と一人の老魔法使いが肩を小さくすくめる。
「みなさんは、アーム村まで撤退を。革命軍の増援は依頼してありますから、彼らが到着次第、この状況を説明してください」
「承知しました。どうか、精霊様のご加護のもとに」
アーム村の魔法使いたちとはそこで別れ、調査隊はさらに進む。
僕、メルチータさん、ナイアさんの3人と回路を持たない狩猟団員10名で、無番採石場を目指して進む。やっぱりマナは濃すぎて、夜の森を歩いているはずなのに集中していないと視界が白く染まる。こんな状況では、魔法を使う戦闘はかなり厳しいかもしれない。
そんな中にあって、新しい魔法に触れた2人の魔女は絶好調だった。
「『大魔法防護』がマナの移動さえも遮断するっていうのは大きな発見ね」
「マナが……球体の中に……閉じこめている……」
「実際の戦争にも応用が効くかもしれない。ああ、詠唱が気になるわね。どんな呪文なのかしら」
「もうすぐ……きっと……聞ける……」
2人の魔女はかなり元気そうだ。むしろ、ランナーズハイみたいな感じで早口になっている。僕は今のところ回路の制御に手一杯で、会話に参加する余裕はない。
でも、ふと浮かんだこの疑問だけは言葉にすることにした。
「やっぱり、あの仮面の魔法使いたちが犯人なのでしょうけれど」
「……『大魔法防護』は……仮面にしか……使えない」
「でも……」
ナイアさんは紫色の瞳をすっと細めて、全員に共通する疑問を的確な言葉にした。
「でも、『大魔法防護』は……防御魔法の、はず」
そう。
敵からの攻撃を防ぐために使う魔法。
『大魔法防護』はそういう魔法だ。少なくとも、そう思っていた。
「あいつらは、潜伏していた状況から『大魔法防護』を張った」
「彼らにとって何の利点があるのかしら。こういう風に発見される危険を冒して発動させるってことは、やっぱり何かしらの目的があるのは間違いないと思うんだけど……」
「……無番採石場に……なにかが、ある……?」
「学士様。あの採石場には、本当になにもありませんぜ。石材の質も他の4つと比べて悪いですし、村の金や宝をあそこに隠すってこともねえと思います」
何のメリットがある……?
何の目的があって、あいつらは――――
「じゃあ、こうしてマナを集めることこそが、目的、とか」
メルチータさんのその呟きを最後に、僕たちは沈黙した。
……分からない。
僕たちが持っている情報はあまりに少ない。
『大魔法防護』の性能も、詠唱も、術者の考えも。
でも、1つたしかなのは、領民たちに被害が出ているということ。アーム村の村人たちだけでなく、調査に向かった革命軍の兵士たちは未だに帰還していない。
そして、もう1つたしかなのは――この状況を解決できるのは、たぶん、僕と、頼れる2人の魔女だけ、ってことだ。
「もうすぐ無番採石場に着きます。領主様」
ゲパルトさんが目を細めて森の向こうを指差した。
昼間に見た採石場と同じ色の採石場が、朽ち果てた巨人のように、森の中で眠っていた。




