第146話:「幽霊は実在します」と隊長が言った。
「か、革命軍第4軍団第7巡視隊所属リューム=アルドです……!」
僕の目の前で革命軍の兵士が敬礼する。その緊張をほぐすように僕は微笑を浮かべた。年上の相手にかしこまられることにもずいぶんと慣れてしまったな、と思う。
「では。報告をお願いします」
「はっ。閣下の特命により、北西域アーム村の先行調査を完了しました。結論として――『幽霊』による村人たちへの被害は実在します」
……ふむ。
ベルさんが嘘を言うとは思えなかったけれど、こうして革命軍の兵士から報告を受けると、対処しなければならない現実の問題としてそれがくっきりと浮かび上がってくる。
「最初の被害は2月前。ベテランの狩猟団員が森の中で意識を失い発見されました。その後も被害は増加し、合計で被害者は12名、確認されております」
「12人ですか……」
「はい。全員がその後は無事に生活に戻っておりますが、人数が人数です。1つの事件として考えなければならないと考えます。……アーム村は領都に近い立地のため、巡視がやや手薄になっていたこともありますが、これは我ら巡視隊の失態です」
「過ぎたことは仕方ありませんよ。その現象の詳細を教えてもらえますか?」
アルド隊長は抱えていた羊皮紙を視線の高さまで持ち上げた。
「訴えは様々ですが、最終的に気絶させられるという点で一致しています。時間帯は12件のすべてが夜。そのために村人たちはこの現象を『幽霊』と呼称しているようです。村長の判断により夜間の外出が制限された後、新たな被害は確認されておりません」
12人もの村人が意識を奪われた、事件。
アーム村は領都から馬車で1時間もかからない距離にある。
「アルド隊長。調査をしてみて、率直に、どういう印象を受けましたか」
「……そう、ですね……」
中年の犬人族は顎に手を当てて、しばらく自分の言葉を探した後、言った。
「人の手による犯行である、という印象を受けました。ベテランの狩猟団員が有無をいわさずに気絶させられた、という点から、強力な獣の可能性は低いでしょう。となれば、あとは人間の関与以外に考えられない。考えられない……のですが」
「続けてください」
「はっ」
歯切れのいい返事の後、隊長はためらいがちに言った。
「人の手による犯行であるなら、そこにはなんらかの目的があるはずです。
しかし、その目的が全く分かりません。
聞き込みを行った範囲内では、気絶させられた村人たちは老若男女入り混じっており、それぞれに利害関係や共通点は認められませんでした。金品や食糧を奪われたり、暴行を加えられた形跡もない。しかし……『幽霊』として恐れられる現象は、2月にも及んでずっと続いている。通報が遅れたのは村人たちに気絶以外の被害が全くなかったからです。……不気味な印象を受けます。それこそ幽霊のいたずらだと断言した方が納得できるような心地です」
「…………」
隊長ははっきりと困惑していた。状況に対して、納得のできる説明が構築できないのだろう。
……それは、僕も同じ。
「人による犯行、ということは確定していいでしょう」
とりあえず。
「しかし、愉快犯にしてはやりすぎで、そうでないとするなば犯人の目的は不明瞭。……現時点での結論はそういうことですね?」
「はい」
「隊長」と僕は犬人族の中年に顔を近づけた。「貴族や市民の残党による可能性はありそうですか?」
「――――ないと考えます」
領内の治安維持を司る巡視隊の隊長は間を置かずに断言した。
「辺境地帯はまだ十分に巡視が行き届いていませんが、領都周辺に市民たちが潜伏できる場所はほとんどないというのが1つ。仮に市民たちだとしても、領内すべての村に対して市民への注意喚起を行っていますから、彼らは食糧の補給も満足にできない状態で冬を越えざるを得なかったはずです。今回の『幽霊』の犯人が市民であるなら、気絶させた村人たちから食糧や衣類を奪わないはずがない。――これが、巡視隊の任に長く就いた私の判断になります」
隊長の推測には、おおむね同意できた。
同時に、僕の行動の方針も定まった。
「では、隊長。戻ってきてすぐになりますが、アーム村への移動の準備をお願いします。僕も行きます」
「はっ!」
素早い敬礼は、だが、すぐに解けた。
「……あ、あの? 今、領主様も行かれるとおっしゃいましたか?」
「ええ。言いましたけど?」
「お、お待ち下さい! まだ革命軍による調査は完了しておりません。現時点ではお越しいただいても先ほど申し上げたこと以上のご報告はできません。加えて、領主様の身にも危険がおよぶ可能性があります……!」
「危険は承知の上です。それでも、行かなければならないと考えます」
言いながら、僕の心を黒い雲のようなものが埋め尽くした。
……すでに手遅れかもしれない。
2月もの間、犯人たちは村人たちを気絶させ続けた。だが、アーム村の村人たちにそれ以上の被害は出ていない。犯人の本当の目的は分からないけれど、いつか革命軍が派遣されることは敵も承知の上で行動しているだろう。犯人たちは、すでに目的を果たしている可能性が高い。
後手に回っている。
が、それでも行かなければならない。
「ただちに調査隊を組織します。第4軍団の軍団長に連絡を。それから……『学舎』にも伝令を送ってください」
アルド隊長はきょとんとした素朴な表情になった。
「『学舎』ですか? あの魔法の研究機関の?」
「はい。きっと彼女たちの助力も必要となるはずです」
――
そんなわけで。
ティルさんの生まれ故郷へ行く日は唐突に決まった。
領都付近に駐屯地がある革命軍第4軍団から巡視隊2つ分、計34人の兵士に同行してもらって、僕は領都を出た。
僕が乗る馬車の前後を護衛するように、騎乗した兵士たちが進む。その整然とした隊列を馬車の窓越しに眺めていた僕は、車内に視線を戻した。
馬車の中の雰囲気は至極マジメだった。
……というより、少し重苦しかった。
「…………」
「…………」
僕の右隣には、白黒の使用人であるティルさん。正面には緑色のローブを羽織った金髪の魔女メルチータさん。
……ここまでだったら、完全にいつもの屋敷のノリになっていただろう。
だが、今回はもう1人同乗者がいた。
「……………………」
じとぉっと僕に注がれ続ける紫色の視線。今どき老魔法使いでも着ないような黒い長ローブと黒いとんがり帽子、その帽子からのぞく珍しい紫色の長髪。ナイアさん。その無言の圧力が、馬車の中を制圧していた。
『学舎』に所属する2人の魔女には、『幽霊』事件とは別に、アーム村に用がある。
魔法に関連しない精霊言語。
ティルさんがぽつりと呟いた言葉から見つかった、1つの可能性。アーム村には古代の精霊言語が伝承されているのではないかという仮説。――それを証明するためのフィールドワークを彼女たちは実行しようとしていた。僕も同行する今回の『幽霊』事件は、まさに渡りに船だったようだ。
『村人たちにじっくり聞き込みをしたいな。また何か新しい発見があるかも……!』
『領主様の『対訳』……フル活用させてもらう……』
ナイアさんは紫色の瞳を妖しく輝かせて、言った。
『もちろん……事件が解決した……後……じっくりと』
僕としても、考える頭数は多いほうがいい。冷静な研究者にして優秀な魔女でもある2人は、今回の幽霊事件の解決にきっと貢献してくれるだろう。その後、2人の研究に手を貸すくらいなら安いものだ。
とはいえ、馬車に乗ってから、ナイアさんは重苦しい沈黙を保っている。それどころか、まるでメルチータさんを守るかのように、僕に視線を向け続けていた。
どういう意味があるのかさっぱり分からないけれど、屋敷にいるときみたいにメルチータさんをからかうことは……できない気がする。実に残念だ。
『幽霊』。
ともすれば冗談のようなその言葉。
だが、12人もの村人たちが気絶させられたという結果は動かない。
市民の残党の妨害、革命軍が発見できていない村の中のいざこざ、あとは、流行り病……考えられる可能性としてはこんなものだろうか。
だが、ここまで順風満帆だった独立領に初めてさした影であることは間違いない。
馬車がアーム村にたどり着くその瞬間まで、首筋に冷たい手が触れているような、どこか不気味な感覚が消えることはなかった。
――
馬車から降りると、すでに革命軍の巡視隊は整列していた。
おおよそ同じ数の村人たちが迎えてくれる。
その中から進み出てきたのは1人の老婆だった。
「領主様、ようこそお越しくださいました。アーム村、村長をつとめさせていただいております。ファオルと申します。……孫娘のベルがお世話になりました」
人間の老婆だ。背は低いけれど、そのほっそりとした立ち姿にぶれない芯のようなものを感じる。他の村人のティーガと比べて、模様や色彩が多く取り入れらたティーガを身につけていた。見るものを惹きつける鮮烈な赤い瞳は――ベルさんと同じ。
「急な訪問になってしまいましたね」
「とんでもありません。私どもがお願いしたのです。ベルがお会いしていなければ、使者をお城までお送りしているところでした」
村長はどこか疲れているように見えた。先の見えない『幽霊』事件に村人たちは怯えきっているはずだ。それをまとめるのも大変な苦労だったはず。
僕は少し声のトーンを上げる。
「村長、紹介します。こちらが今回の案件に関して同行を要請した革命軍の巡視隊です。総勢34名」
「はっ! 自分は――」
アルド隊長が村長にハキハキと自己紹介をした。たった2か月でこの軍紀。教練がうまくいってるのだろう。領民たちから見て、かなり信頼感を抱けそうだ。
「続けて、2人の魔女を紹介します。メルチータさんとナイアさんです。領都にある軍学校に所属する研究者で、今回の調査に同行してもらうことにしました」
メルチータさんとナイアさんも、魔法的な側面から今回の『幽霊』事件の解決に協力することをアピール。2人の本当の目的は精霊言語の方にあるけれど、今は緊急事態だ。こちらに手を貸してもらう。
「そして、最後が……僕の個人的な友人です」
僕は一歩身を引くようにした。
そこで、彼女の存在を認識した村長の目が驚きに見開かれる。
「ファオル様、お久しぶりです。おぼえておいででしょうか。13年前、この村を出たティルです」
進み出たティルさんは少しだけためらうように、村長に語りかけた。
「……覚えてるどころか、見違えたよ。大きく、綺麗になったね。セラの生き写しだ」
ティルさんはなにも言わず、ほんの一瞬だけ微笑を浮かべた。
「歌は歌ってるのかい?」と村長。
「タカハ様にお仕えさせていただく前は、ずっと忙しくて……もう、教えていただいていた頃のようには歌えません」
村長は悲しげに目尻を落として、そうか、と言った。「できるのなら、どんな形でもいいから続けておくれ。セラが遺した歌を知っているのはティルだけなのだからね」
「はい」
村長はにっこりと笑ってから、僕に視線を戻した。
「では、領主様、簡単に我が村を案内します。その後、ご相談をいくつか」




